心、晴々

「あーあ。雨降ってるぜ」
 そんな声が聞こえて来て、オレは視線を外に向けた。
 朝は青空が見えていたのに、いつの間にか空は灰色の雲に覆われていて、細かな雨がパラパラと降り出し始めている。
 もう5分もすれば、童実野町の駅に着くがその頃には本降りになっているかも知れない。


 マンションから駅まで歩いて20分程度だから、当然車なんかで来ていないし、雨の状態によっては、売店で、傘でも買うしかないかと溜息をついた。

(無駄な出費だな)

 小さく思い、電車が駅に着く。
 プラットホームに下りて、改札に向かおうとしたら、ポケットに入れていた携帯が揺れた。
 マナーモードにしていたから、静かに揺れるだけのそれを、オレは歩きながらポケットから取り出した。

 画面表示に愛しい名前を見つけ、自然表情が綻ぶのを自覚せず、通話ボタンを押す。

「もしもし? どうした? 仕事中だろう?」
『雨、降ってるだろう?』
「ああ、みてえだな」
『いまどこだ?』
「駅。もう直ぐ改札出るけど?」
『駅を出る前に、デイパックの底を良く見てみてくれ』
「はあ?」
『じゃあ、今日は8時には帰れるから』
「……あ、ああ。んじゃな」

 相手は謎な言葉を残して、電話を切った。
 オレは改札を出て、それから肩のデイパックを下ろした。
 バッグの中身は、たいしたものは入っていない。
 上の方に弁当とタオル。その下に財布と手帳。
 後、カードデッキを入れたフォルダーと、コンパクトサイズのイタリア語辞典。
 それとデジタルカメラくらいだが……。

 それらをひっくり返して、底を探ると底板も一緒に持ち上げてしまったらしい。
 と。
 その底板のさらに下に。
 紺色の折り畳みの傘が入っていた。

 両脇を詰めるようにタオルを入れて、底板がずれないようにしていたらしく。
 オレは思わず笑ってしまった。

「やってくれんじゃねえの」
 傘を取り出し、オレは笑みを堪えきれずに、浮かべたままデイパックのチャックを締めて、肩に掛けた。

「んーじゃ……麻婆豆腐でも作ってやるか。辛口の奴……」
 そう呟き、商店街の方へと足を向ける。

 そうしながら。
 おそらく仕事中であろうアイツに向かって。
 メールで礼を伝えた。





【サンキューな!】

 雨脚は強くなって行ったけど。


 ――オレの心は晴れやかだった。