狂想曲〜Capriccio〜 Act.1 |
「おっはよー♪」 いつもと同じように英二は挨拶とともに、部室のドアを開けた。 「はよッス! 英二先輩」 「おはよう、英二」 「英二、おはよう」 それぞれに挨拶が返って来て、英二はニッコリ笑って、部室の奥へと入り、空いているロッカーにバッグを押し込んだ。 「あれ? 何か人少なくない?」 朝練が始まるのは、6時55分からで、今は6時半を過ぎたばかりである。 1年だって着替えている最中のはずなのに、その1年の姿が見えないのである。 「何言ってんの、英二。1年生は、宿泊研修旅行に今日から行くんじゃないか」 「そうッスよ。二泊三日で、帰って来るのは、明後日で、それまで1年はいないんすよ」 「と言う訳だから、コート準備は2年の仕事だぞ? レギュラーでも特例は認められないからな」 乾の言葉に、桃城と海堂を始めとして、2年が慌てたように部室を飛び出して行く。 「へ? そう、だっけ?」 「越前くんから聞いてないの?」 呆けている英二に、不二が怪訝な表情で問い返した。 「……全然……。え……じゃあ、3日も……」 会えないんだ…… 言葉に出して言えなかった……。 実際、付き合いだしてからは、ほぼ毎日会っていたのだ。 会えない日など1日だってなかった……。 しかも、前以て聞いていた訳ではなく、英二にしてみれば、降って沸いたような出来事で。 何で、昨日話してくれなかったんだろう? 昨日、別れるときもいつもと同じで、「また明日」と言う自分の言葉に頷いていたのに……。 「まあ、越前くんのことだから『宿泊研修』そのものをコロッと忘れてたのかもね」 「朝になって、慌ててたりしてな」 「もしかして、普段通りに起きて学校に来たりして……」 「だったら、朝練に来るんじゃない?」 冗談のような口調で話す同級生に英二は、曖昧に微笑んで、力なく着替え始めた。 ☆ ☆ ☆ 「英二? 英二ってば?」 不二の声に、英二はハッとしたように視線を向けた。 「もう、授業終わったよ?」 「……え?」 周りを見回すと、クラスメートたちは、それぞれに昼食を食べ始めている。 「……昼休み?」 「そうだよ? 合間の休み時間もずっとボーッとしてたね?」 「そうだっけ?」 その通りだった。 ボーッとしてたと言うか、自分が何をしていて、何を考えていたのか、まるで憶えていない。 「オレ……何してたっけ?」 「……英二?」 手元には、ちゃんと4時間目の授業科目の教科書とノートが出ている。 最も、そのノートは何も書かれてはいないが……。 「ともかく、お昼食べよう? ね、英二」 「……ねえ、不二」 「何?」 「おチビが泊まるのどこ?」 「え?」 「電話しちゃダメかな?」 「……どうだろう? 家の人じゃないと取り次いで貰えないんじゃないかな?」 「そっか……」 項垂れる英二に不二は小さく溜め息をついた。 「心配しなくても、明後日には会えるんだよ?」 「……え?」 「明後日には帰って来るんだし、どうせ、学校で解散だから部活の方に顔出すかもしれないじゃない?」 「……うん。そう……だけど……」 リョーマがいない。 この学校に、この町に……。 それが、例えようもないほどに淋しいのだ。 リョーマを知らなかった頃は、一体どうやって、毎日を過ごしていたのか、今となってはもう判らない。 それだけ、自分の心を占めてしまっているリョーマの存在の大きさに、英二は自分でも驚いていた。 「……ほら、早く食べないと、昼休みも終わっちゃうよ?」 「……う、うん」 ノロノロと、弁当を取り出して食べ始める。 だが、半分程食べたところで、英二は弁当に蓋をして、包んであったナプキンを広げた。 「もう食べないの?」 「……食欲ないから……」 「食べないと、力出ないよ?」 「……」 不二の言葉に曖昧に頷いて、そのまま自分の机に突っ伏してしまった。 「重症だね……」 不二は、そう呟いて、今はここに居ない後輩を思い浮かべて、溜め息をついた。 ☆ ☆ ☆ 「何だよ? 越前。全然、食ってないじゃん」 夕食は、飯ごう炊飯でカレーをそれぞれの班に分かれて作ったのだが、リョーマはあまり手をつけずに、その場から立ち上がった。 「堀尾、食べて良いよ」 そう言って、リョーマは宿舎の方に足を向ける。 宿舎の中に入って、ふと目に付いた公衆電話と時計を見比べた。 7時過ぎたところで……。 部活は終了してるはずで、家に帰り着いていると思われる。 でも、親友でクラスメートなあの先輩や、ダブルスのパートナーと保護者を兼任しているあの先輩とか、自分が入部するまで、かなり仲良かった(今でも十分仲良いが)あの先輩とかが、久し振りに連れまわしている可能性もある。 「考えても仕方ないか」 限られた時間しかないのだし、今を逃せば、多分電話はもう出来ない。 「もしもし、越前ですが……エージ先輩いますか?」 『それがね、英二ってば、まだ帰ってないのよ。ごめんね』 英二の姉の言葉に、内心『やっぱりね』と呟き、礼を言って電話を切った。 出て来たテレホンカードを咥えて、実際、『宿泊研修』そのものをころっと忘れて、英二に言いそびれてしまったことが、悔やまれて仕方なかった。 「怒ってるかな」 呟いて、否定をする。 何故言ってくれなかったんだろう? ってきっと気にして傷付いている。 そう思うと居ても立っても居られないのだが。 今更、帰ることも侭ならない。 「変なこと考えてなきゃ良いけど……」 リョーマは小さく呟いて、部屋へと足を向けた。 ☆ ☆ ☆ 「じゃあね、英二」 「お休みっす、英二先輩」 「しっかり寝ろよ」 桃城と不二に誘われて、それに大石や手塚たちもくっ付いて来て、8人の大所帯でゲーセンとカラオケで遊んだ後。 仲間の労わりに、感謝しながら、その頃には英二も楽しげに笑ってはしゃいで見せていた。 時々、「おチビは何にする?」とか「おチビは何歌う?」とか聞いてしまって、慌てて誤魔化しつつ笑っていた。 英二が無理をしていることは判っていたが、慰めるにも何もかもが気休めにもならないことは既に判っていた。 だから、わざとリョーマのことには触れないで、そう言う場面もさらっと流して、二時間という時間を過ごした。 「うん、今日はありがと。じゃあね、おやすみ〜♪」 手を振って駆け出して。 少しして歩調が緩んで、歩きに変わって立ち止まった。 「もう、ちゃんと楽しかったのに……。みんなの気持ちも嬉しかったのに……」 なんで、心はたった一人を求めてしまうんだろう。 「リョーマ……」 知らず声を漏らし名前を呼ぶ。 返事はないのに……。 それが、また、寂しさと悲しみを広げていた……。 ☆ ☆ ☆ 「不二先輩……」 「……これも試練だと思うんだけどね」 「前もって知っていたら、ここまでにはならなかったんじゃないか?」 「そうだね。今回は、越前くんの迂闊さが原因かな?」 呟きつつ不二は、明日の様子を見てどうするか決めようと言って、踵を返した。 「そんじゃ、オレはこっちなんで。お休みッス!」 「お休み、桃」 「おやすみ、また明日な」 桃城はそのまま、右の道を駆け出して行き、不二と大石は少しそれを見送って、並んで歩き出した。 「……英二が何かに夢中になってるときに、あんな風になったことあったけっけ?」 「さあ? オレは覚えがないな」 「僕も……。英二は、随分簡単だったから……どれだけ、興味を引かれることでも、それが、手元になければ、直ぐに別のものを見つけて楽しんでいたからね」 「……気まぐれで気分屋……。英二の有名な代名詞だけど……」 大石の言葉に、不二は少しだけ目を開いて、小さく呟いた。 「それは、英二の振りだ」 断言する不二に、大石も頷いた。 「アイツは、かなり神経質で寂しがりだからな」 「越前くんは……その存在で、英二のバランスを崩した……まだ、本人たちは気付いてないけどね」 「乗り越えられると……思うか?」 「……英二が強くならないと……難しいね。でも、好きな人ってのは、諸刃の剣でしょ? 弱みにもなるけど、強みにもなる……。越前くんの強さに影響を受けて、英二が変わることが出来るかも知れない……」 「そうだな……」 「ともかく……越前くんが戻って来るまで、英二が深みにはまらないことを祈るよ」 「――あんな英二は、もう見たくないな……」 「そうだね」 複雑な……難しい表情を浮かべる大石に同意して、不二は小さく頷いた。 ☆ ☆ ☆ 「おチビ!!」 声を上げて、飛び起きた。 だけど、そこは自分の部屋で、朝の光がカーテンから漏れている。 「う……」 今日も会えない事実が、英二の心を打ちのめした。 昨日、家に帰り着いたら、姉がリョーマから電話があったと告げて、まっすぐに帰ってくれば良かったと激しく後悔した。 声だけでも聞けたのに……。 どうして、教えてくれなかったのか聞けたのに……。 そう思う自分が嫌になる。 友人たちの思いやりや好意に、否定の感情を持ってしまう自分が酷く嫌だ。 「どうしたの、英二?」 「大丈夫? 今日は学校休んだ方が良くない?」 「……風邪でも引いたか?」 立て続けに姉たちに聞かれて、英二は曖昧に答えて、食卓の椅子に腰掛けた。 実際、毎朝元気に挨拶をして入って来る英二が、今日は無言で入って来て、笑顔の一つも見せずに、小さな声で答えるだけなんて、よっぽどのことだ。 しかも、相当に青い顔をしていて、見るからに具合が悪そうで。 「だらしねえな。たった一日会えなかったからって、んなんじゃ、これから先どうすんだよ?」 一番年の近い兄が、そう言った瞬間、3人の兄と姉に頭を叩かれていて、テーブルにのめった。 「何すんだよ? 実際そうだろうが? これから先、会えないことの方がぜってー多くなるんだぜ? いつまでも一緒にいられやしねえんだから!」 「……そうかもしれないけど、今言うことないでしょうが!」 「少しは状況を考えなさいよ!」 「……そうじゃなくて! もう少し強くなんねーと、てめえで、一番大事なもんを手放すことになりかねねえってんだよ!」 その言葉に、英二が小さく答えた。 「そうだね。判ってるんだけど……。こんなんじゃダメだって判ってるんだけど……」 でも、感情がどうにもならない。 淋しさは他のことでは埋まらない。 会いたい気持ちは募るだけで、明日には会えるんだと言う前の向きの発想さえさせてくれない。 「どうかしちゃったんだよ、オレ……」 英二はそう言って、姉の入れたココアを飲んだだけで、椅子を立ち、洗面所に向かった。 自分は狂ってるのかも知れない。 たった一人に会えないだけで、これだけ落ち込む理由にはならない。 会いたくて会いたくて。 気が狂う。 違う―― 既に、自分は……狂ってるんだと……自覚する。 「おチビ……」 全ての感情が麻痺していた。 泣くことも、笑うことも、怒ることも……。 何一つ、今の自分は出来ないでいた……。 ☆ ☆ ☆ 「越前!!」 午前中のレクリエーションとして、体育館でバレーボールをやっている最中に、教師の一人が慌てたように駆け込んで来た。 「今すぐ、帰る準備をしなさい!」 「は?」 「……3年の菊丸英二は知ってるな?」 「……ええ、まあ」 「事故にあったそうだ。うわごとでお前のことを呼んでるから帰して欲しいと、連絡が来た」 「……」 頭の中が真っ白になった。 思わずそのまま、体育館を飛び出していた。 だが、直ぐに腕を捕まれて、 「車はこっちだ。荷物はどうする?」 「そんなの良いから! 早く、帰らせて!!!」 悲痛な……胸の痛くなるような声で、リョーマは叫んでいた。 そんな馬鹿なことあって良い訳がない……。 英二が事故にあったなんて……。 オレを呼んでる? 家族でもないオレを呼ぶのは、それだけ英二が危険だから? 背筋が凍りつくような恐怖を感じた。 教師の車に乗り込んで、病院に着くまで生きた心地がしなかった。 病院の入り口の前で、不二の姿が見えて、車が停まる前にドアを開けて、外へと飛び出していた。 「越前くん!」 車が、駐車するために、減速していなければ、危ないどころでは済まない。 「不二先輩! エージ先輩……エージは!?」 リョーマが車から飛び降りたことに、驚いていた教師に、不二が一礼して、リョーマを促して、歩き出す。 一度、病院内に入った後。 教師の車が、再び出て行くのを確かめてから、不二は病院の外へと向かった。 「不二先輩?」 「……英二に会いたいんだろう? なら、こっちだよ?」 不二の言葉に、些か怪訝な表情を見せながらも、その後についてリョーマも歩き出した。 ☆ ☆ ☆ 「不二先輩……」 「何?」 「ここ、学校じゃないっすか? エージが事故に遭ったって嘘なんすか?」 「……本当は、先生だけにつくつもりだったんだけどね。君に代わって貰えなかったから」 仕方ないよね? とにっこり笑われて、リョーマは眩暈を覚えた。 だが、そんなにしてまで自分を引き戻したかった理由は何だろう? と首を傾げた。 「よう! 越前!」 見覚えのある白い帽子をその手に持って、くるくると回していた桃城が、リョーマの頭にその帽子を被せる。 「ほらよ。ジャージもラケットも入ってるぜ」 「……用意万端ですね? オレに試合でもして欲しいんですか?」 「試合じゃなくても良いんだ。越前に、コート内に居て欲しいんだよ」 「……大石先輩」 首を傾げつつ、部室についてジャージに着替えて、コートに向かう。 いつもと違うコート内の雰囲気にリョーマは首を傾げて、直ぐに1年が居ないからだと気付く。 だけど、それだけじゃなくて。 そう、いつも騒がしく賑やかな、あの人の声が一つもないことだ。 キョロキョロと辺りを見回して、少し離れたコートの反対側に座り込んているのが見えた。 「バテてるんスか? エージ先輩」 「……相当ね」 「喝を入れてやってくれないか? 越前」 「まさか……そのためにオレを呼び戻したんスか?」 「……暫く、隠れて様子を見ててごらん」 呆れたようなリョーマの科白に、不二がそう言って、コート内に入って行く。 リョーマから見やすい位置に英二を連れて来て、不二は河村と大石を呼んでダブルスの練習に入ろうとしていた。 「エージ?」 「オレも今朝会って、ビックリしたんだぜ」 「桃先輩」 「……あの英二先輩が、喜怒哀楽全ての感情を面に出さないんだからな」 桃城の言葉に、リョーマは愕然とした。 確かに、今の英二は無表情に大石の話を聞いている。 いつもなら、もっとにこやかに、少し茶化したりしながら話をしている筈だった。 「昨日は、もっとちゃんと笑ってたんだぜ」 「……でも、今日はずっとあの調子だ」 いつの間に来たのか、海堂がそう言って、肩を竦めた。 「……もしかして、オレのせい……ッスか?」 こめかみから頬にかけて汗を流し、リョーマは問い掛けた。 二年の殆ど、意見の反りが合わないことで有名な二人が同時に頷く。 その二人の動作に、リョーマは唇を噛み締めて、拳を握り締めた。 「……桃先輩。ボール、持ってます?」 「……あ、ああ」 テニスボールを、桃城から受け取って、リョーマは高々と放り投げた。 鋭い風を切り裂くようなサーブを繰り出して、目指すのは英二の直前。 狙い通り、そこにボールは落ちて、それは英二に向かって跳ね上がった。 「……っ!!」 「やってくれるね、越前ってば……」 小さく不二が呟く。 跳ね上がったボール。 それから連想されるのは、ツイストサーブが得意な彼しか居ない。 「おチビ?」 ゆっくりと、英二は視線をコートの入り口に向けた。 「おチビ!!」 ぱっと嬉しそうな表情を浮かべて、英二は駆け出そうとした。 「来るな!」 リョーマはそう言って、テニスラケットを英二に向かって突き付けた。 「何やってんですか、あんたは?」 「……っ!」 「確かに、オレもちゃんと言ってなかったことは悪かったけど。でも、情けなさ過ぎ!!」 「……」 「そんな情けない奴と、オレは付き合いたくなんかないね」 「……っ!」 「越前?」 これでは逆効果ではないかと、桃城は思わず不二に視線を向けた。 「……判ってる……」 搾り出すような英二の言葉に、不二は首を横に振って桃城の動きを止めた。 「……情けないなんて……自分でも良く判ってるよ!!」 だけど……。 自分でもどうしようもない感情は……。 心は、ただ一人を求めて、どうしようもなくなるのだ。 「しょうがないじゃん!! オレは、おチビのことしか考えられなくなってんだから!!」 声を荒げる英二に、リョーマは少しだけホッとしたように、英二の方に向かって歩を踏み出した。 「ダメだよ。エージ……」 「……」 「それじゃ、エージはダメになる……」 「ダメになんか……」 「自分の想いに、その内押し潰されるよ……?」 「――っ! もう、だめになってんだよ!!!」 怒鳴るように言って英二は、リョーマに強い視線を向けた。 「自分でも可笑しいと思うんだ! でも、どうしようもないじゃないか!! オレは……おチビが……リョーマが好きなんだからっ!!!」 「……」 「……でも、こんなオレが嫌だって、おチビが言うなら仕方ないよね?」 投げ遣りにも聞こえる声で、英二が呟いた。 リョーマは、もう一度、唇を噛み締めて、やっとの思いで声を出して、問い掛ける。 「……オレが……どんな手を使ってここに呼び出されたか知ってますか?」 「……え?」 キョトンと、間近に来たリョーマを見下ろし、英二は、その先を視線だけで促した。 「エージが……エージが事故に遭ったって! オレを呼んでるからって呼び出されたオレの気持ちは!!?」 リョーマはそのまま、英二のウェアの胸倉を掴んで、引き寄せた。 「もう、何も考えらなくて、頭の中真っ白になって、どれだけ、オレが怖かったか、あんたに判るのかよ!!?」 「おチビ……」 普段の彼からは考えられない、切羽詰ったような表情で、必死な声で訴えられて、英二は大きく目を瞠った。 「――頼むから……っ、そんな嘘の理由で、オレが呼び出されないように……もう少し強くなってよ!」 「あ……ごめ……ごめん……」 「……オレ、明後日までエージに会わないからね」 「え?」 「……今更、宿泊研修先に戻れないし……。でも……エージには会わない」 「おチビ……」 「オレが居なくても笑って良いよ? オレが居なくても、怒って良いんだよ? でも、オレが居ないとこでは泣いちゃダメだけど」 「……」 「エージが泣きたいと思ったら、オレに会えるまで我慢して。他の感情は、エージの好きに出して良いから……。オレが居なくても楽しんで良いんだ。オレと居るときにもっと楽しんでくれればいいんだから……。――いつものエージで居て。オレが安心できるように……オレのために、いつものエージで居てよ?」 英二の手を掴んで、手のひらを合わせるように握り締める。 「オレは、必ずエージのとこに帰って来るから」 「リョーマ……」 「じゃあね、エージ。また、明後日ね」 「……うん。判った……」 頷いて、英二はゆっくりと不二を見返った。 「不二〜〜!! おチビをあんな理由で呼び出したの、不二だろう!!?」 「……こっちだって苦肉の策だったんだよ。本当は先生を誤魔化すだけのつもりだったんだけどね。越前くんには本当のことを言うつもりだったんだ」 けろっとした様子で、不二が言い、むすっとした表情で英二は不二を見つめて、次には笑い出していた。 「ごめん。心配かけたね。不二にも大石にも桃にも……みんなにも……」 「まったく。英二が笑わなくなったら、怖いんだよ? 判ってる?」 「……どう言う意味かな〜?」 「英二の場合、怒らなくなっても怖いからな」 「大石〜?」 英二が大石に噛み付き始めた間に、不二がリョーマの方に歩み寄って。 「……ごめんね。僕が、嘘をついたせいで、越前くんにいらない心配させちゃって」 「……エージが笑わなくなることってあるんスか?」 不二の言葉とは関係ないことを問い掛けて、リョーマは不二を強い視線で見つめた。 「今回は……君といきなり会えなくなったって言う原因があったけどね。時々、別人みたいになることがあるよ?」 「……」 「何が原因なのか判らないけど。でも、いきなりテンションが低くなる……と言うか……。物事に対して冷めるんだよ」 「冷める?」 「……そう、本当にいきなり来るからね。原因も予想もつかない」 「……」 「でも、君と会ってから、それが一度もなかったんだよ」 「え?」 「……君はいつも何を仕出かすか判らないから、英二は気が気じゃないと同時に、目が放せなくて飽きないんだろうね」 「不二先輩」 「……ありがとう。君はただ英二を甘やかすだけじゃないから、ありがたいよ」 「スッカリ甘やかすの癖っスか? 不二先輩も大石先輩も……」 「そうだね。甘やかして宥めすかして今までやって来たんだ。拗ねると手強いんだよ? しかも無表情でね……何を考えているのか、全く判らなくなって……」 「……ふーん」 リョーマは不二の言葉に、そう答えて、今は楽しそうに話している英二とレギュラー陣を見つめて、踵を返した。 「越前くん?」 「んじゃ、オレは帰ります。まあ、取り敢えず……今のとこエージは大丈夫っしょ?」 「……わざわざ、すまなかったね」 「でも、エージの事故が嘘で良かったし……退屈な研修旅行バッくれること出来て、オレとしてもラッキーっすよ?」 不敵な笑みを浮かべて、コートを後にするリョーマには、当初、病院に辿り着いた時の様子は微塵も残っていない。 「これ英二に見せたら喜ぶかな?」 手元にある小さなビデオテープのカセットを手にしたまま、不二も踵を返した。 二日後。 朝練に来たリョーマは、いきなり英二に抱きつかれて、後ろ向けに転びそうになって、怒鳴り声を上げた。 「何すんの!?」 「だって、オレ嬉しいんだもん♪」 「……はあ?」 「あの時のリョーマがスッゴイ必死だったって判ってるんだけどね。それを喜ぶオレってサイテーじゃんって思うんだけどね」 「はあ?」 「でも、嬉しいんだよ。リョーマの気持ちがすっごく、ダイレクトに伝わって来て!」 「……エージ?」 「ありがとね。でも、怪我してない? ダメだよ? 停まってない車から飛び下りるなんて!」 最後の英二の言葉に、物凄く思い当たって、リョーマは一気に青ざめ次に真っ赤になった。 思わず英二の後ろにいた不二に視線を向けて、その手にあるテープに愕然とする。 「あ、あ、あ、あ、あんたはーーーーっ!? 何ビデオに撮ってんスかーーーーー!?」 珍しい、リョーマの絶叫が響き渡り、それを煩がった手塚が校庭10周を言い渡しとか渡さなかったとか。 「ねえ、おチビ……」 「何スか?」 普段絶対に出さない態度を、ことごとく出しまくって、ばつが悪いリョーマは、帽子を目深に被って、一人外れたところに立っていた。 そんなリョーマに、英二はさりげなく近付いて。 「オレね、本当に嬉しいんだ」 「何が?」 「だって、オレばっかリョーマのこと好きで、リョーマはそんなに好きじゃないんじゃないかって……オレにあわせてくれてるだけじゃないかって時々思うことあったからさ」 「……」 「不謹慎だって判ってるんだけど……。リョーマのあの時の気持ち、オレに当てて考えたら、もうきっと耐えられないくらい辛いって判るんだけど……。それでも……喜んでて、ごめんね?」 「何言ってんだか? オレが、好きでもない奴に一々合わせたりすると思ってんスか?」 「……それもそうだよね!」 リョーマの呆れたような口調の科白に英二は、きょとんとした後、ニッコリ笑って頷いた。 <Fin> |
☆あとがき☆ ……………………………逃亡!!(脱兎) 2002.07.02.改稿 |