「越前くんって、菊丸と仲良いよね?」
「はあ……」
「ねえ、付き合ってるってホント?」
「……さあ?」
「でも、私の友達が見たって言うんだよね。二人が教室でキスしてるとこ」
「……証拠はあるんすか? 見間違いかも知れないじゃないっすか」
「ああ、よくある奴ね? 目のゴミ取ってたとか?」
「……」
「でも、その娘が反射的にシャッター押したんだって。立派な証拠だよね?」





「何が目的? エージと別れて欲しいとか?」
「……まさか。菊丸と続いたって半年が限度だもん。別に、今、別れなくてもいいよ?」
「半年?」
「……そうだよ。菊丸の交際最高記録。ちなみに相手は私だけどね」
「……エージが、あんたに告白したの?」
「……! そ、決まってるじゃない。別れを切り出したのも菊丸だけどね」
「何で?」
「……理由? 好きじゃなくなったから……だって。はっきりしたもんでしょ?」
「……」
「君も、もう暫くしたら、私らの仲間入りだよ? 特に……全国大会終わって、テニス部引退したら……」
「引退したら?」
「もう、接点なくなるじゃない? 君と菊丸を繋ぐもの……」


 勝ち誇ったような相手の笑みを、リョーマは冷めた眼差しで見つめていた。

「で? 用はそれだけっすか?」
「いつか、別れるって判ってる人と、付き合って行くのも無駄じゃない? 菊丸と付き合ってても良いから、私とも付き合わない?」
「……あんた、オレを好きなの?」
「そうよ」
「……ふーん」


 リョーマは、相手の女生徒見つめて、肩を竦めた。

「そう言うの……あんまり好きじゃないし」
「え?」
「面倒だからヤダ」

 そう言って、リョーマは踵を返した。

「もう、用は済んだんでしょ? 行っても良いよね?」
「越前くん?」
「いつか、別れるとしても。そんなの誰だって一緒でしょ? どのカップルだって、いつか別れる可能性持ってるんだよ? だったら、今のオレとエージの関係って普通じゃない?」

 そう言って、その場から足早に離れた。
 歩調は早足になり、次に駆け足になって、そうして、走り出していた。





 長くても半年しかもたない。
 理由? 好きじゃなくなったから……だって。
 テニス部引退したら……





 
もう、接点なくなるじゃない。







 君と。
 菊丸を。

 繋ぐもの――
















「……うっ」
 胸が痛かった。

 ずっと、心の中で怯えていたんだ。


 目新しいものに、コロコロと気持ちを移して行く彼を、いつまで自分に、惹きつけていられるだろうと。
 ずっと気になっていたから。

 この夏で、彼はテニス部を引退する。
 全国大会が終われば、彼は自分と違う世界に行ってしまう。








 走ってる途中で足が縺れた。
 らしくなく、そのまま転んで、膝を強かに打ちつける。


「エージ……」
「大丈夫? おチビちゃん」

 頭上から降って来た声に、リョーマは弾かれたように顔を上げた。

「声、かけようとしたら、転ぶんだもん。ビックリした。怪我してない? 大丈夫?」
 そう言って、目の前の人は、自分を抱き起こし、服についた土と埃を払ってくれる。
「どうしたの? 泣きそうな表情してる」
「べ、別に……」
「痛かった?」
「……」

 優しい声に。
 泣きたい気持ちが強くなる。
 今なら、転んだことで泣いてるんだと。
 誤魔化すことも可能だった。




 でも、それは、あまりにも自分らしくない。
 自分は、転んだくらいで泣いたりしないし、そんなことで泣くほどヤワじゃない。
 返って、訝しくさせるだけだ。



「何でもないっすよ」
「……でも……」
「本当に何でもないっす!」
 強く言って、リョーマは英二の横をすり抜けようとした。

「あ、待ってよ!」
 すれ違い様に腕を絡めて、引き止められた。

 周りをキョロキョロと見回して、英二はリョーマを抱き締めて、額に口付ける。

「……ね、今日一緒に帰れる?」
「……そ……」
 答えようとした瞬間。
 英二の唇が、自分のそれに触れた。





 その瞬間。
 思い切り英二を突き飛ばし、後退さる。







「て……おチビ?」
「あ……」


 キスされた瞬間、さっき見せられた写真が脳裏を掠めた。
 今だって、どこで誰に見られてるか判らない。





 リョーマは、痛そうな表情で自分を見つめる英二を、そのままに駆け出していた。







 頭が混乱して、どうしていいか判らなくなった。



 誰かに見られることを、イヤだとか怖いとか思ったことはない。
 でも、あんな風に突きつけられると、不愉快な気持ちになる。



 そうして、保っても半年だと高らかに告げられて、それを、否定する根拠を自分は持っていなかった。




 彼は、気まぐれで気分屋だから……。







 本当に、この夏で彼とのことは、なかったことになるんですか?
 ……オレは、まだこんなに好きなのに……?











狂想曲〜Capriccio〜 Act.3

「……どうしたの? 英二」
「何が?」
「スッゴイ、不機嫌丸出し」
「不機嫌だもん」
「……喧嘩でもしたの?」
「……喧嘩ってか……キスしようとしたら、突き飛ばされた」
「そうなの?」
「おチビは、人前とかそう言うのあんまり気にしないんだよ? 自分からしたことだってあるのに。それに、あの時はちゃんと、誰も居ないこと確かめたんだ」
「でも、突き飛ばされたと?」
「……何でだと思う?」
「そりゃ、英二が越前くんに嫌われたってことじゃないの?」

 情け容赦なく言ってくれる親友に、英二は思い切り不審な目を向けた。

「何でそう言うこと言うのさ?」
「……英二が聞いたからだよ?」
「そうじゃなくて! 別に何か口論したとか、何かした訳じゃ……」
 そこまで言って、あの大雨の日の出来事を思い出した。



 あの日。
 会えない不安と、前日の拒絶が恐怖心となって、リョーマを抱き締めた時に言ってしまったのだ。


『リョーマを抱きたい……』





 よく考えれば、あの申し出をリョーマに体よく断られたのだ。




(オレ……おチビに、拒絶され捲くってる?)

 冷や汗が流れた。
 部室内は、とてつもなく暑く、開けた窓からも、風は入って来ない。

 なのに……何だかとても……。






 ドアノブの回る音が、凄く響いて聞こえた。

「チーッス! 英二先輩、不二先輩」
「チーッス」

 桃城とリョーマが、並んで入って来て、いつものように仲良く話をしている。
 そうして、次々に部員が入って来て、それぞれが着替え始めて。

 既に着替えてた英二は、そっと部室を出て行った。












    ☆   ☆   ☆


 帰りの約束はしていたけど。
 昼休みに、英二を突き飛ばしたことが、非常に気になってしまって。
 でも、謝るのも何だか変な感じで、結局、話をするキッカケも旨く作れなかった。


 向こうもこっちも互いを気にしながら、近寄れないような状態で。
 どうして良いのかリョーマは判らず、深い溜息をついてしまった。


 部室に入ると、殆ど人は居なく、大石と手塚が机を挟んで座り何かを話しているだけだった。


「あれ? 越前。まだ着替えてなかったのか?」
「……ええ、まあ」
「英二と何かあった?」
「……え?」
「……ほら、休憩中も話をしてなかっただろう?」
「……別に」

 小さく呟き、自分の荷物の入ったロッカーの前に立った。

「明日は、部活も休みだし、仲直りした方が良いんじゃないか?」
「え?」
「明後日から、強化合宿で、一週間ずっと一緒にいるんだぞ? 仲たがいしたままじゃ、気まずいだろう?」

 そう言えば、明日は終業式で、明後日から夏休みである。
 夏休み初日から、全国大会に向けた強化合宿が開始される。
 朝から晩までどころか、晩から朝まで顔を付き合わせることになる訳だ。
 確かに、このままでは気詰まりしてしまう。




 暫し、考え込むように微動だにしなかったリョーマは、ドアが開く音に過剰に反応して振り返った。

「何だ、越前。まだ、こんな所にいたのか?」
 入って来たのは、乾でリョーマはどこかホッとしたように息をついた。
「菊丸が、昇降口に居たけど。待ってるんじゃないか?」
「……え?」
 乾の言葉に、リョーマは慌てたように着替えを再開し、挨拶もそこそこに部室を飛び出していた。







「エージ……」

 昇降口に入り口で凭れている英二の姿を見て、リョーマは声をかけようとして、口を開き。
 そうして――
 硬直したように、立ち止まった。


 英二の隣にいたのが、昼休みに自分を呼び出し、恐怖を突きつけた女生徒がいたから……。

 そうして。
 そこにいる英二の表情が――





 出会って、三ヶ月足らず経った今でも。
 見たことないものだったから……。





 部活中は、不機嫌と不安を足したような表情をしていた。
 そこには、明らかに感情が存在していたのだ。
 もどかしげな……何かを言いたそうな……。


 だけど……。
 今の英二には、感情の欠片も見られなかった。
 ――怒っている訳でも。
 笑っている訳でも。
 呆れているのでもない。



 本当に。
 感情という感情が欠落してしまってるようで、リョーマは思わず後退ってしまった。

 前に見た無表情とはどこか違う。


 表情はないのに。
 どこか、冷たい怜悧な刃物を連想させて、居心地が悪かった。



「……いい加減にしてくれない?」
 静かな英二の声が聞こえて来て、リョーマの方がビクっとしてしまった。
「……」
「はっきり言って、煩いんだよね」
 抑揚のない声で告げられる言葉。
「ホント、別れた相手には冷たいよね?」
「別れた相手にまで、一々、気を使う理由あんの?」
「そう言うとこも良いと思うけどね」

 そう言って、彼女は英二から離れて正門に向かって駆け出して行った。






 別れた相手に冷たいよね?












 
もし。


 オレとエージが別れたら?









 エージはオレに会うと、あんな表情しかしなくなる?







(イヤだ……)




 
そんなのは、イヤだ。




(どうすれば、エージを引き止められるの?)




 
エージの言うことは何でも聞けば?




(違う。そんなんじゃダメだ……)






 
それじゃ……






(――逆に突き放せば良い……)







 
向こうが追って来るように。
 逃げれば良い……。




 リョーマは、ゆっくりと後退って、踵を返そうとした。


「リョーマ!!」



 その声に。
 体が反応して、一瞬動きが止まる。

 だが、リョーマはそのまま、駆け出してしまった。

「リョーマ!!」

 もう一度自分を呼ぶ声。

「待てよ! 何で……
何で逃げるんだっ!!




 英二が、追って来るのが判った。
 正門とは逆の方に駆け出したから、もう、自分がどっちに向かって走ってるのかも判らなかった。


「リョーマ!」

 足の速さは、英二も良い勝負だ。
 次第に追いつかれて腕を掴まれた。

 勢いが余って、そのまま前のめりに転んでしまう。
 リョーマを組み伏せる形で、英二が荒く息をつきながら問い掛けた。



「何で逃げるの?」
「……」
「もう……オレが嫌い?」
「……」
「ねえ? オレと一緒に居たくないの?」
「……」

「答えろよ!! リョーマ!!!」
「……もう、いや……」

「……っ!」

 小さく漏れ出たリョーマの言葉に、英二が愕然と目を見開いた。




「……オレがいや?」
「……」
「もう……」



 言葉が途切れた瞬間。
 リョーマの頬に冷たい滴が落ちた。



「エージ?」
「……抱きたいって言ったから?」
「え?」
「リョーマを、そう言う目で見てたオレに、軽蔑したの?」
「……違……」
「じゃあ、何で!!?」

 英二の声が、とても悲痛で。
 胸が抉られるように痛かった。




「怖くなった……」
「……え?」
「エージは、気まぐれだから……。長くもっても半年だって言うから……。全国大会が終わったら、エージは引退して……オレと接点なくなるから!!」
「……リョーマ?」
「エージと別れたら、あんな風に無表情見せられると思ったら、怖くなった……」
「……」
「エージの笑顔が見られなくなるのは、ヤダ……」
「リョーマ……」
「エージが、オレに笑ってくれなくなるのはイヤだ!!」



 英二が茫然と目を見開き、自分を見つめているのが判る。

 そうして。
 そっと頬を撫でられた。


「ならないよ」
「……え?」
「リョーマが思ってるようには、ならないよ?」
「エージ?」
「オレの方が……いつ、リョーマに見限られるかって怖かった……」
「……え?」
「リョーマは、不二や手塚みたいに、テニスの強い奴が好きだし。大石には頼ってる風だし、桃とは変わらず仲良いし……」
「……」
「みんな、いい奴だから。それは、オレも判ってるから……。いつ、そっちに気持ちが行くか……気が気じゃなかった……」
「エージ……」
「それに、勿論……女の子にだってモテるでしょ? いつまでオレの傍にいてくれんだろうって……思ってた」
「それは、オレが……!!」


 互いの言葉に大きく目を見開き、次に、どちらからともなく、吹き出していた。


「馬鹿みたいだね? オレ達、同じこと怖がってたんだ……」
「そうみたいッスね」
 英二は身体を起こして、手を差し出してリョーマを引き起こして、抱き締める。
「エージ?」
「自分から誰かを好きだって思ったの、おチビちゃんが初めてなんだ」
「……え? でも……」
「ん? 何?」

 あの女生徒が言ったのは……。
 考えて、リョーマは首を左右に振った。
「何でもないっす」
「……? そう? でも、リョーマはずっと強かったから……。いつでも……強いとこしか見てなくて……そんな風に怖がってることに、気付かなかった……」

 嫌われること。
 拒絶されること。


 そればかりが、怖くて……リョーマ自身を見ていなかったのかも知れない。




「リョーマは……あんな弱いとこばっか晒してたオレのこと、嫌いになったりしないの?」
「どうして? エージは弱いとこだけじゃないよ?」
「……え?」
「今、オレを追って来てくれた。オレが逃げたことで、ショック受けて、追って来てくれなかったら……オレ達ダメになってた……」
「……あ」
「エージはオレ達を救ってくれたんスよ? オレを追いかける強さを、エージが持っててくれたから……
「怖かったけど。確かめたかった……」
「初めからそうじゃないッスか?」
「……? え?」
「……忘れたンすか? 告白してくれた時。エージは、オレに好きな人がいるって思ってたんスよね?」
「ああ、そう言えば……」
「でも、告白してくれた。――最後の最後で、エージは勇気を出せる……オレはエージの底力みたいな強さが凄く好きっすよ?」
「……リョーマ」

 そうして、英二は少し照れたように笑って、リョーマに口付けようとして、小さく問い掛けた。

「キスしていい?」
「……いっスよ」

 優しく重ねられる暖かいキスに、リョーマが全身を英二に預けるように抱き着いた。

「あれ? 昼休みは何でイヤだったの?」
「あれは……誰かに見られてるような気がしたから……」
「へ?」
「でも、もういい。誰に見られたって……エージはオレのだから……見せ付けてやりますよ?」
「へええ、おチビでも他人の目を気にしたりするんだ?」
「……どう言う意味っすか?」
「別に〜」

 立ち上がって、嬉しそうな笑みを浮かべながらリョーマを見つめて、

「一緒に帰ろう?」
「そっすね」
「明日、部活休みだよね〜今度こそ、どっか行かない?」
「そう言えば……エージとのデートは全部、何かで潰れてるっスね」
「……そう言えば……」
「明後日からテニス三昧だし……。テニスに関係ないところに行きましょうか?」
「……へ? テニス三昧? 何で?」
「…………強化合宿」
「ああああ。忘れてたーーーー!!」
「あんた、本当にレギュラーですか?」



 いっそ次のランキング戦で落ちてみろとか悪態をつきながら、リョーマが歩き出す。

「ランキング戦落ちたら、全国大会出られないじゃない〜! オレ最後なのに〜〜!!」
「レギュラーの自覚ない奴はそれくらいでちょうど良いんじゃないっすか?」
「もう! おチビちゃん冷たい〜!!」



 先を歩くリョーマに追いつくと、リョーマが英二を見上げて手を繋いで来たから。
 英二は、膨れっ面を笑顔に変えて、リョーマの手を握り締めた。






 ずっと、その笑顔を見て居たいんです。




 だから、ずっとずっと。


 ――オレの傍に居て下さい。







 オレは、あなたが……誰よりも好きなんです。



<Fin>