チョコレートとバラの花 |
二月に入って一層寒さも厳しくなった頃。 既に部活は引退したにも拘わらず、ほぼ毎日のように顔を出す3年の菊丸英二と。 一年生ルーキーと謳われていた越前リョーマは、今日も今日とて一緒に帰途についていた。 「う〜寒いな〜」 ぶるっと身を震わせつつ言う英二に、リョーマが、少しだけ呆れたように呟いた。 「何で、マフラーとかしてない訳? 寒いの判ってんだから、それなりに防寒したら?」 相も変わらず、生意気なことを平然と口走るリョーマに、英二は苦笑を浮かべた。 「そうなんだよねえ。でも、オレのマフラー、昨日汚しちゃってさ」 「ふーん」 リョーマは気のない返事を返しつつ、駅前通りの商店街のとある店先に群がる女性たちを見て目を丸くした。 「……おチビ?」 「……何あれ?」 「ん? ああ、バレンタインのチョコレート買ってんだろ?」 「……? 何で女の人がチョコ買うの?」 「は?」 リョーマは疑問に思ったことを、素直に口にしただけなのだが、今度は英二が目を丸くして、リョーマに向かって言った。 「おチビ、バレンタイン、知らないの?」 「――知ってますよ。でも……日本って何か違わない?」 視線は、そのままチョコレートを買う女性たちに向けたまま言った。 「ああ、こっちは女の子が好きな男にチョコ上げて、告白する日だからね〜」 「……男は何もしないの?」 「は?」 「だって、チョコ売り場に、男一人もいないし……」 「いや……だから、女の子が、チョコ上げる日なんだって。だから、あそこに男いると、結構惨めかも……」 「……日本の男って楽で良いっすね」 「は?」 そこで、やっとリョーマは、再び歩き始め、英二は慌ててその後を追った。 「――向こう(アメリカ)じゃ、男の方がバレンタインに恋人喜ばせるのに、必死っすよ。プレゼントと花束とチョコレート……近所の大学生が、そんなこと言ってるの聞いたことあるっす」 「おチビに?」 「……小学生に愚痴ってどうすんですか? 親父にですよ……」 あ、なるほどと頷きながら、 「でも、日本にはほら、【ホワイトデー】があるからね。バレンタインのお返しをするの……」 「……へえ。でも……何で白い日なの?」 「知らないよ。そんなこと……」 「ふーん。で、いつなんすか?」 「3月14日。ちょうど一ヵ月後だよ」 英二の言葉に、リョーマはますます怪訝な表情で、首に巻いたマフラーをいじりながら、 「……――何で、わざわざ一ヶ月後なんすか? どうせなら、2月14日にプレゼント交換した方が 良いじゃないっすか?」 「そんなこと、オレに言っても〜〜〜〜〜〜〜;;;」 「ああ、それもそうっすね」 淡々と言うリョーマに、英二はふと気になったことを問い掛けて見た。 「ねね、おチビは、バレンタインにチョコくれる?」 「……――何で、オレが?」 心底から驚いたように、目を見開いてリョーマが言う。 「だから! 好きな人にチョコ上げる日っしょ?」 英二の言葉に少し考えるように、黙り込んだリョーマは、上目遣いに英二を見上げて。 「じゃ、エージは?」 「へ?」 「エージもオレにくれるの?」 「ええええ?」 「くれないの? じゃあ、エージはオレのこと好きじゃないんだ?」 「な、何でそうなるの〜〜〜〜〜? オレはホワイトデーにお返しするもん!!」 「……それって、オレが女の子ってことっすか?」 「……うぇ?」 どことなく、不機嫌を露にした声音で、リョーマが言い、英二は少し引きつったような声を上げた。 「……――オレ、男なんで……。日本の風習に踊らされるつもり、ないっすよ?」 不敵な笑みを浮かべて、リョーマが言ったのと同時に、リョーマの家に辿りつく。 「じゃあ、おやすみっす。エージ先輩」 「あ、ちょっとおチビちゃん?」 「……そだ」 家の中に入ろうとしたリョーマが、不意に踵を返して、自分の前に来てくれたから。 英二は、何とか【バレンタインの約束】だけでも、取り付けようと口を開こうとした。 「ね、おチビ……」 ふわっと。 暖かいものが、英二の首にかけられた。 「あげますよ。まだ、エージの家まで距離あるしね。寒いんでしょ?」 背伸びをして、それを自分の首にかけたまま、リョーマは言った。 そうして、にこっと笑うと、もう一度「おやすみっす」と言って、離れた。 気がついた時には、リョーマは既に家の中に入ってしまっていた。 茫然とその場に立ち尽くし、首に巻かれた紺色のマフラーを手にする。 「暖かい……」 マフラーそのものより。 リョーマの心を……想いを暖かいと思った。 「……バレンタイン……」 小さく呟いて、ハッとしたように、英二は目を見開いた。 「そっか。そうだよな」 何度か頷き、踵を返す。 そう言えば、ボーッとしてて、「おやすみ」って言ってなかったなーっと英二はリョーマの部屋の辺りを 見上げた。 「リョーマ! おやすみね〜〜!!」 そう声をかけると、少しの間の後、窓が開いて、既に着替え終えていたリョーマが驚いたように顔を出した。 「何やってんですか?」 「何でもないよん。んじゃ、またね」 「気を付けて帰って下さいよ?」 どこか心配げに言うリョーマに、英二はもう一度笑って頷き、手を上げて歩き出した。 首にちゃんとマフラーを巻き直しながら……。 ☆ ☆ ☆ 「越前くん!」 呼ばれて、リョーマは足を止めて振り返った。 「あの……これ……」 差し出されたのは、可愛く包装された小さな包み。 「……くれるの?」 問い返すと、その女生徒はコクコクと頷いた。 「……ふーん。サンキュ」 そう言ってリョーマはそれを受け取り、 「ねえ……」 何事か問いかけようとした瞬間には、女生徒は駆け去っていた。 「……ちゃんと名乗ってくれなきゃ、誰か判んないんだけど?」 それを見送りながら、リョーマは呟くように言った。 教室に戻ると、机の中やカバンの中にまで、チョコレートが入っている。 「……誰? これ……」 誰に貰ったのか判らない、しかも食べ物は何だか怖い気もする。 「ま、別に良いけどね」 今まで、ろくに話したこともない相手がくれるものは、返事を期待してはいないのだろうと解釈して。 リョーマは先ほど貰ったチョコレートもカバンの中に入れた。 そう。 リョーマは他人にあまり、関心がないため、たとえ手渡されても、名前と貰ったチョコレートが一致するとは、限らないのである。 ☆ ☆ ☆ 「越前くん。随分、貰ったようだね?」 「……ちーっす。そう言う先輩も相当なもんですね」 「今年、最後だから余計にね。英二も結構貰ってるんじゃないかな」 放課後。 部活に向かう途中で、不二に声をかけられて、リョーマは振り向き、少しだけ眉を顰めた。 だが、それ以上の感情は面に出さずに。 「ふーん。でも……」 リョーマは、自分が持っているカバンに入りきらず、別の紙袋に入れたチョコに視線を落としながら言った。 「ちゃんと自分をアピールしないと、ただチョコ上げても、意味ないっすよね? このチョコを誰がくれたのか、もう全然、判らないし」 カードに、クラスや名前が書いてあれば、調べることは可能だろうが。 (面倒臭い……) などと不届きなことを考えていた。 「……君はたくさん、貰ったからね」 自分だって、たくさん貰ってるくせにとか思いながら、問い掛けて見る。 「……不二先輩は、くれた相手を全部憶えてるんですか?」 「そうだね。直接くれた人は大抵憶えてるかな?」 いつものニコニコ笑顔で言って来る不二に、リョーマは些か、寒気のようなものを感じた。 (この人の真意って未だに良く判らない……) 「それで、君は?」 「は?」 「……? 英二に上げるんじゃないの?」 「……普通、上げるものなんですか?」 「……そうじゃないかな? それに、英二……朝からソワソワしてたし……。上げないの?」 本気で驚いたように言う不二に、リョーマは少し考えるように、首を傾げた。 「さあ? どうでしょうかね?」 誤魔化すように言って、リョーマは歩き出した。 「ああ、おチビ発見!」 更に後方からそんな声をかけられて、リョーマは再度足を止めて、振り返った。 「なーんで、不二が先におチビにあってんだよ?」 少し不満げに言いながら、軽快に駆け寄って来る英二に、リョーマは知らず笑みを浮かべていた。 「部活行くとこ?」 「そうっすよ」 何を判り切ったことをと言う風に、リョーマは英二を見つめた。 「うーん。オレ、ちょっと用があるから、部活には顔出せないんだけど。終わる頃に正門で待ってるから」 「……え?」 「じゃあね! また後でね〜♪」 言いながら、英二は3年の下駄箱のある方に駆け出して行った。 「……じゃあ、僕は後で部の方に、顔出すから。また後でね」 「はあ……」 釈然としないまま、不二と別れて、リョーマは部室に向かった。 ☆ ☆ ☆ 「……って来ないじゃないか」 思わず文句が口を付いて出た。 練習が終わって既に、30分ぐらい経っている。 寒いしお腹は空いたし、早く帰りたい……。 それでも、ズルズルと待っているのは、何故だろう? 後、10分待って来なかったら帰ると、何度か決意しつつ、その時間が過ぎる度に、【後、10分】を繰り返していた。 「……まさか、こんなに高いなんてね〜しかも、無茶恥ずかしいし……;;」 ブツブツと文句を言いながら、英二は、腕の時計で時間を見直した。 「やば……もう、とっくに練習終わってんじゃん!」 6時を過ぎれば、暗くなってボールが見えなくなる。 さすがに、ナイター設備のない青学のテニス部の練習は日が暮れれば終了する。 「あああ、もう帰っちゃったかもな〜」 言いながら、英二はそれでも、学校に向かって駆け出した。 練習が6時に終わったとして、今、時刻は7時を30分もオーバーしていた。 「やっぱ、待ってないよな〜時間をちゃんと決めてなかったのは、拙かったか……」 少し落胆したように呟き、英二は踵を返そうとした。 こうなったら、家まで行くしかない。 約束を破った形になってしまって、かなり不機嫌で会ってくれないかも知れないけど。 でも、今日中に渡したいから……。 そう決意して、英二はリョーマの家に向かった。 「え? まだ帰ってないんですか?」 リョーマの家に行くと、従姉の菜々子が応対してくれて、リョーマの不在を告げた。 「ええ。さっき電話があって、まだ帰れないから、先にご飯食べてくれって……」 「……さっき? さっきていつ頃ですか?」 「……そうね。7時半前だったと思うけど……」 菜々子の言葉に、英二は弾かれたように踵を返した。 今の時間は、7時40分過ぎたところで。 20分前に【まだ帰れない】と電話したということは、まだ、学校にいるのである。 さっきは、たまたまその場にいなかっただけで、リョーマはまだ自分を待っている。 その事実に気付いて、英二は慌てて学校への道を逆戻りしたのである。 ☆ ☆ ☆ 「……あ、雪だ」 門柱に凭れる形で座り込んでいたリョーマの目の前に、白い雪がちらちらと降って来た。 手には先ほど電話をかけるついでに買って来たホットココア。 さすがにこの季節にファンタは買えなかった。 「……もう、来ないのかもね」 腕時計の時間はもう直ぐ8時になろうとしている。 「……エージの家に行ってみようか……。せっかくだから、やっぱり渡しときたいし……」 リョーマ立ち上がって、英二の家の方に向かって歩き出そうとした。 「リョーマ!!」 自分を呼ぶ声に、リョーマは振り返った。 自分が泣きそうな表情をしたことは知らない。 多分……英二だけが見ることが出来た表情で……。 「え……エージ……?」 「ご、ごめん。半頃来たんだけどさ。……おチビいなかったから、家まで行ってて……」 「あ……」 「二時間も待たせちゃって。本当にごめん!」 「……来てくれたから、もう良いよ」 小さく呟くように言って、リョーマは肩に下げていたバッグから、小さな箱を取り出した。 「自分で包装したんで、グチャグチャだけど……エージに上げる」 「え? でも、リョーマ……」 本気で驚いたように、英二が問い返して来て、リョーマはムッとしたように、上目遣いで英二を見た。 「……要らないの? なら、上げない」 「いるいる! いるに決まってんじゃん!! でも、リョーマは日本の風習には踊らされないって……」 「……贈り物はしないとは言ってないっすよ? 大切で好きな人にプレゼントするのが、このイベントの趣旨っしょ?」 「……でも……あ、そだ!」 戸惑っていた英二が、後ろ手に隠していたものを、取り出して、今度はリョーマが目を丸くした。 「何か、思ってたよりずっと高くてさ。花束にはならなかったけど……」 赤のバラの花を一本だけリョーマに向けて差し出しながら、英二はいつもの笑顔で言った。 「大好きだよ、リョーマ」 少しだけ、頬を染めたまま、俯いたリョーマはそれを受け取りながら、 「オレも……好きっす。エージが……」 互いにプレゼントを交換して、なんとも言えない空気のまま、リョーマの家に向かって歩き出す。 「開けて良い?」 「……良いっすよ?」 歩きながら器用に包装を外し、その中の箱の蓋を開けて、英二は目を丸くした。 そうして、吹き出し、盛大に爆笑した。 「何で笑うかな?」 「だって……まあ、女の子が買うようなチョコは無理だと思ってたけど……」 「要らないなら、別に良いっすよ? 捨てても!」 「まさか! そんな勿体無いことする訳ないじゃん!!」 必死に言う英二に、リョーマは苦笑を浮かべて、英二を見上げた。 一頻り笑いつつ、自分を見つめて来るリョーマに気付いて、英二も笑みを浮かべ、そっと二人の影が重なった。 幸せな人はより幸せな、ハッピーバレンタインデーVvv |
□あとがき□ 遅れること、二日!! 良いですか、こんなに遅れて!!(笑) でも、城闇は更に遅れる模様……(滝汗) 二月中なら、大丈夫だよね? ってなことで。バレンタインでした。 しかしなあ。こんなに長くなる予定ではなかったんですよ;; 変だな〜(滝汗) ともあれ、楽しんで頂けると幸いです♪ あ、ちなみに、リョーマさんが上げたのは、チロルチョコの詰め合わせです。 いやあ、読んだ先ではコインチョコって多かったんで。 でも、何でチロルか、判る人には判ってしまうかも(笑) |