プチ家出


「もしもし?」

 寝入りばなにかかって来た電話に、リョーマは不機嫌な声で電話に出た。

『もしもし。ああ、もしかして寝てた?』
「……何時だと思ってるんスか?」
『ああ、そうか。越前は、まだ12歳だったからね。お子様には、確かに就寝の時間だ』
「……切るッス」
『ああ、ごめんごめん。そうじゃなくて……。英二、そっちに行ってない?』
「? エージ先輩? 来てないッスよ」
 告げられた相手が他の誰かであれば、多分、知らないの一言で受話器を戻していたと思う。
 だが……。

「エージ先輩がどうかしたッスか?」
『……ああ、行ってないならいいんだけど……。納得しないか?』
「当たり前ッス」
『さっきね、英二のお姉さんから電話があったんだよ。夕食の後、飛び出して行ったきり帰って来ないって』
「………………」
『時間も時間だし、外も寒いからね……。で、誰かの家にでも転がり込んでるかなっと思ったんだよ』
 夕食の時間がいつなのか、大体のことは聞いて知っているリョーマは、時計を見上げて嘆息した。
「大石先輩か、河村先輩のとこにでも行ってるんじゃないですか?」
『君のところに行ってないのに?』
 不二の言葉に、リョーマは眉根を寄せて、
「……話がそれだけなら、もう切るッスよ?」
『もし、英二がそっちに行ったら帰るように……もしくは、連絡するように言っといてね』
「そっすね。もし、来たなら……言っときますよ」
 そう言って、リョーマは受話器を戻した。
 体よくからかわれてるだけだと、判るだけに悔しい。
 リョーマは、自室に戻ろうとして、何気なく玄関に目を向けた。

 側にあったジャンパーを羽織って、そっと引き戸を開けて外に出る。
 吐く息が……白く染まる。

「リョーマさん? どこに行くんですか?」
 台所に行く所だったのか、茶の間から出て来た菜々子に問い掛けられた。
「……ちょっと、寺まで」
 何でそう思ったのか、自分でも判らない。
 だが、行く場所が場所だから、菜々子もそれ以上何も言って来なかった。
 ただ、もう夜も遅いから気をつけるようにと注意を促しただけで。

 頷いて、外に出て引き戸を閉める。
「あ、リョーマさん」
 閉めたと思った引き戸が開き、菜々子が、少し大きめのコートを押し付けて来た。
「外は随分寒いですよ。これも着て行った方が良いと思います」
 ニコッと笑ってそう言う菜々子に拒否も出来ず、リョーマはそれを羽織って、駆け出した。
 殆ど足首も隠れてしまうくらい長いコートに、物凄く嫌な気持ちになってしまう。
 要するに、コートが長い訳ではなく、自分の身長が低いだけ……なのだから。


 寺の境内に入って、周りをキョロキョロと見回して。
 ふと探ったポケットに入っていたものを取り出して、リョーマは目を丸くした。

「懐中電灯?」
 用意周到な菜々子の機転に感謝しながら、リョーマは真っ直ぐ歩いて、コートの方に向かった。
 一応、ナイター設備もあるコートの灯りをつけようとして、動きを止めた。
 コートの中に座り込んでいる人影に気付いて、リョーマは軽く溜息をつく。
 砂利の上を歩く足音にも気付かないのか、微動だにしない人影に、リョーマは、そのまま、ライトの電源を入れた。


「へ!?」
 突然、明るく晒されたコート内に、人影は驚いたように顔を上げて、立ち上がった。
「何やってんスか? エージ先輩」
「おチビ? ……な、何で?」
「何でって……ここ、一応、ウチの敷地……って言うか、オレの知り合いの寺だし」
 だから、それはオレの科白ッスよ、と続けると英二は困ったように笑って、頭を掻いた。
「いや、そうだよね。うん。黙って入っちゃマズイかなっと思ってたんだけど……」
「ここまで来といて、何でオレのとこに来ないんスか?」
 憮然とした調子で問い掛けると、英二は困ったようにリョーマから視線を外した。
「うーん……まあ、その……色々……」
 小さな声でグチグチ言う英二に、リョーマは自分が着ていたコートを手渡した。
「ずっと、ここに居た訳じゃないッスよね?」
「……えーっと」
 しどろもどろになりながら、そのコートを受け取って、袖を通して、英二は明らかにホッとしたような表情になった。
 英二は、トレーナーに薄手のジャケットを着ているだけで、見るからに寒そうだったからである。

「幾らなんでも、夜は冷えるんだから、少し考えて行動したら? あんた受験生だろ?」
「う……おチビ……冷たい」
「……どこが?」
 そう言ったものの、リョーマが何故ここに来たのか、ちゃんとした理由は英二に言っていない。
 不二から電話がかかって来たことも、今は、不二の手で元部活のメンバーや後輩たちに連絡が行き渡ってるかも知れない……ことも(これは、リョーマも知らない)英二は知らないのだから――
 リョーマの言葉に、冷たさを感じても仕方なかったかも知れない。
 実際、リョーマは少し突き放したような言い方をしてしまっていたからである。

 それに気付いて、リョーマは、語調を変えて口を開いた。
「不二先輩から電話があった……。エージが夕食の後、家を飛び出したっきり帰らないって」
「……あ、そう……。それで、おチビここに来たの?」
 それでも、ここに来た理由には弱いと思う。
 英二は首を傾げながら、リョーマを見つめて、肩を竦めて歩き出した。
「エージ?」
「ここ、寒いし。場所替えよう?」
「……オレん家、来ます?」
「その前に、コンビニでなんか温かいもん買おうー」

 コンビニで、肉まんだのホットのコーヒーだの買って、それを食べながら歩く英二に、リョーマは問い掛けた。
「それで、何で飛び出したりしたんスか?」
「……あーうー……」
 この質問をすると、英二は何かを誤魔化すように言葉を濁す。
 それまで軽快に色々話していたのに、何とか別の話題を振ろうと試みるのだ。

「エージ……?」
「はあ……」
 盛大な溜息をついて、英二は観念したように口を開いた。
「……28日……」
「ああ、エージの誕生日でしょ? それが?」
 一緒に過ごそうね! と約束していた英二の15歳の誕生日が、今月の28日であることは、リョーマも知っている。
「翌日は土曜で、学校も休み。だから、一緒に過ごそうねって約束したけどさ」
「……だめになったの?」
「親父が、急に、旅行に行くぞとか言い出しちゃって!! 親父も仕事柄そう、連休なんか取れないし、兄ちゃんや姉ちゃんも予定なくて、じゃあ、久しぶりに家族全員で旅行が出来るねとか……言い出しちゃって」

 急に旅行と言っても、泊まる場所の確保も中々出来ないはずなのに、既に行き先を決め、泊まる場所も決まっていると言う父親の言葉に、確信犯的なものを感じて英二は反論した。

「約束あるから、イヤだって言ったんだ。でも、久しぶりに家族水入らずで旅行に行けるのに、しかも、28日はオレの誕生日だから、ホテルで豪華に食事しようと思ってるのにとか……勝手なことばっか言ってさ……」

 英二自身、家族と一緒に出掛けることを、喜ぶ年ではない。
 寧ろ、うっとうしく感じ始める年齢でもあるから、英二は当然のように、リョーマと一緒に過ごす誕生日を選ぶつもりだった。

 だが、父親が余りに強硬な英二の拒否振りに、意固地になったのか、『小遣いストップ』だのと理不尽なことを言い始め、終いには『オレの言うことが聞けないなら出ていけ!!』と切れてしまったと言う。

 それを聞いて、英二も本気で家を飛び出し、暫くはウロウロして町を歩いてたものの、自然にこっちに足が向いて……。
「気が付いたら、おチビの家の前にいたの。でも、もう、遅いし、おチビの部屋の電気ついてなかったし……寝てんのかなーって」
 だからって、この寒い中、ボーッとコートで座り込んでいられても困ると言うものだが。
「行けば良いじゃないッスか」
「……え? でも……」
「別に、誕生日は今年だけじゃないッスよ。来年もあるんだし……」
「……」
「変に誤解しないでよ。別にエージの誕生日を一緒に過ごしたくないって訳じゃないから」
「……………」
 無言のまま、コーヒーの缶を傾ける英二に、リョーマはどうしたものかと溜息をついた。
「もし、立場が逆だったら? エージは旅行に行けって言うよね?」
「う……」
「だから、オレも……」
 そう言って、リョーマは持っていたココアを飲み干した。
「寂しくない?」
「日曜には帰るんでしょ? 2泊3日くらいで何言ってんだか……」
「オレは寂しいんだけどーーー」
「もう! エージ、オレより年上の癖に……」
「ねえ、ホントに寂しくない?」

 真剣な声で、英二が言うから、リョーマは言葉を切って、溜息をついた。


「…って言うか……あんたがいないと……退屈」



 それだけ言って歩き出す。
 後ろから英二が、慌てたように駆け寄って来て、リョーマの身体を抱き締めた。

「ちぇーおチビは我が侭だ……! 素直に寂しいって言えよー」
「我が侭なのは、あんたの方でしょ?」
「……違うね。我が侭なのは、オレの親父だ……」
 我が侭の意味が違うとリョーマが反論する前に、英二がそう断言して笑みを浮かべた。


 それは、確かに言えるかも知れない……。


 これから、リョーマの家に行って、家に連絡して、リョーマの家に泊まって、明日は一緒に学校に行こうね! と告げて来る英二に。
 英二も十分、我が侭だと、我が侭の申し子であるリョーマでさえ思っていた。





「あ、不二先輩にメールくらいしてないと。大石先輩とか、まだエージのこと捜してるかも」
「あ……」



<えんど!>