君に見せたいと思うこと



 寒くて目を覚ました英二は、二段ベッドを下りて机の上にあった、エアコンのリモコンを手に取った。
「やけに冷えるよなー」
 言いながら、時計に目をやると、6時半を過ぎた所である。
 部活を引退して、朝練もないのだから、こんなに早く起きる必要はないのだが、何となくまた眠る気にはなれなかった。

 まだ、薄暗い窓をの外に視線を向けて、閉め忘れたカーテンの隙間から、何か白いものが舞い落ちてるのが見えた。

「え?」

 そう思って、カーテンを開けると、窓越しにでも、その冷気がこちらに伝わって来るような気がした。
 濡れている窓を手で軽く拭き取って、窓に顔を近づけると、英二は目を輝かせた。
「雪だ!」
 寒い中で降る雪は、うっすらをと塀や木々、芝生の上に積もっている。
 日が昇ってしまえば、あっさり溶ける程度の雪だと言うことは十分に判っているし、この雪のせいで、路面も滑りやすくなったりするだろうけど。
 取り敢えず、英二にはそんなことは関係なかった。

 折角、暖かくなった部屋のエアコンを止めて、服を着替えると、出したばかりのコートやマフラーも持って、部屋を出た。
 もちろん、カバンも持参である。

「英二? どこに行くの?」
「おチビのとこ! 雪降ってんだよ!!」
 雪が降ってることと、後輩の家に行くことと、何が繋がるのか判らないまま、長姉は、英二を見送りそうになった。
「……でも、寒いでしょ?」
「そりゃ、雪降るくらいだからね」
 靴を履いている英二に、少し待つように言って、少しして、水筒を持って戻って来た。
「持って行きなさい」
「……へへ、ありがと、姉ちゃん」

 嬉しそうに笑って英二は、家を飛び出した。





 リョーマの家の前まで来て、さて、どうやって起こそうか考える。
 とにかく寝ることの好きな彼の恋人は、暇さえあれば、どこでも寝ている。
 いつでも寝ている。
 夜、十分寝ているだろうに、それでも昼休みや、部活の休憩時間に寝ていたりする。
 とことん、寝ることが好きらしいが、意外なほどに寝起きは良い。
 どこで寝てても、起こされるとパッと目を覚ます。
 寝惚けてるのもほんの一瞬。
 つくづく、猫そっくりと思ってしまう瞬間である。

「ありゃ? ちぇー携帯、忘れて来ちゃったよ……」
 ポケットを探っても入っていない、携帯電話に、英二はどうしたものかと考えつつ、道端の小石を拾って、リョーマの部屋の窓に投げつけた。

 何度か繰り返すと、カーテンが開けられて、リョーマが姿を見せた。
 それに向かって手を振ると、リョーマは一瞬呆気に取られたような表情を見せた後。
 カーテンが元通りに閉められてしまった。
 それから、殆ど間髪いれずにカーテンが開いて、リョーマが目を見開いてるのを確認して、英二は苦笑を浮かべた。


 それほど待つこともなく、リョーマが家から出てきて、英二を見上げた。

「ホント、エージ先輩って暇っすよね?」
「どう言う意味だよ?」
「……予想に違わず、こう言うの好きだなってこと。家の中から雪見てる分には別に良いけど……。わざわざ、雪降ってるときに、外に出ようとか思わないんじゃないッスか?」
「えー、でも、何か雪降るとワクワクしない? 積もったらいいなーとか思わない?」
「……別に。こう言うとこで積もられると、歩き難いし、ずっと積もってられると、テニスできないし」
「えーおチビ、夢がなーい」
「何の夢ッスか?」
 思い切り胡乱な目を向けて、リョーマは嘆息した。
「じゃあ、迷惑だった?」
「……………………そッスね」
 少し考える素振りを見せて、リョーマが言うと、英二はガックリと脱力したように、その場にしゃがみ込んだ。

「……でも」
 そんな英二の背後で、リョーマの声が続けて聞こえて来て、英二は視線だけをそちらに向ける。

「……まあ、オレのとこに来ないで、不二先輩や桃先輩のとこに行ってたら、もっとムカツクし」
「……」
「だから……来てくれたことは……嬉しいッスよ」
 困ったようにしどろもどろになりながら、リョーマが言い、ぶるっと身震いしたのを見て、英二はハッとしたように立ち上がった。
「ね、姉ちゃんが作ってくれたんだ。飲も?」
「……どもッス」
 水筒を掲げて、蓋と備え付けのカップを手に、玄関の前に座り込む。
 暖かな湯気が頬に辺り、知らずに二人してホッと息をついて、思わず笑ってしまった。



「やっぱ、変ッスよ」
「へ?」
 手にしたココアを飲みながら、まだ薄暗い空から舞い落ちる雪を見つめながらリョーマが言った。
「朝っぱらから、雪降ってんのに、ココア飲んでるのも……。しかも玄関先で」
「………………それもそうだねえ?」
 言いながら、芝生に積もっている雪に手を伸ばして、
「でもさ。まだ、人に踏まれてない綺麗な雪って、触ってみたくなんない?」
 気持ちは判らなくもないが、やっぱり、それでも、ここでこうしているのは変だと思うので、リョーマは立ち上がって、玄関の引き戸に手をかけた。
「いい加減にしないと風邪、引くッスよ。あんた、受験生でしょ?」
「……あ、そう言えば……」
 今の今まで忘れていたのか、呟く英二に呆れつつ、リョーマは家の中に入るように促した。
「どうせ、朝も、何も食ってないんでしょ?」
「……あははは。まあね」
 笑う英二に、苦笑を浮かべながら、薄暗い空が明るさを取り戻し始めたことに気が付いた。
「そろそろ、菜々子さんも起きると思うんだけど……」
「あ、朝ごはん、オレが作ろうか? 出汁巻き卵くらいなら、直ぐに作れるよん?」
「……味噌汁も食べたいッスけど?」
「OKOK! 任せといて」


 和やかに話しながら、リョーマの家に足を踏み入れる。
 朝っぱらからの来客に、越前家の人々は、快く出迎えて、和やかな朝食を食べることになったのである。




「エージは、何でか親父に気に入られてるッスよね?」
「そうなの?」
「……奇想天外なテニススタイルってのが、理由みたいだけど」
「それはまあ、喜ばしいことだと……」
 複雑そうな英二の言葉に、リョーマは軽く笑って、7時45分には、一緒に越前家を後にした。


「あれー? 英二先輩じゃないっすか!」
「よう、おはよう! 桃」
「今日は自転車じゃないんスか?」
「路面が凍っててやばいから歩きだよ」

 学校の正門付近で、不二や大石にも会い、賑やかに校内に足を踏み入れる。

「ね、おチビちゃん」
「何スか?」
「あのね。本当はね、おチビにあの景色、見せたいなって思ったんだ……」
「知ってましたよ。エージの考えることなんて、お見通しッス」
「そうなのー?」
 コソコソと耳打ちして来ることに、リョーマは軽い苦笑を浮かべて、
「それに問題がない訳じゃ、ないッスけどね。でも……だから、嬉しかったんですけど?」
「……へへ。帰り、一緒に帰ろうね?」
「……ッス」
 短く答えたリョーマは、軽く頭を下げて一年の下駄箱に向かって駆け出して行く。
 英二は、昇降口に入る前に、空を仰ぎ見て……。
 少し、残念そうに目を細めた。


 いつの間にか、雪は止んでいた。





<Fin>