スキナヒト |
「リョーマ様って好きな人いないんですか?」 そんな声が聞こえて来て、英二は思わず足を止めた。 この学校に他に『リョーマ』って名前の人間がいただろうか? いや、あの喋り方、『リョーマ様』と言う呼び方。 他に誰がいると言うのだ? あれは、自称『リョーマ様ファンクラブ会長』の……。 名前は忘れた。一年の女子であることは間違いがない。 「英二? どうしたの?」 移動教室で、二階にある実験室に向かっている途中で、一年生の階を通った訳で。 ここからは、声の主である女生徒の姿も、リョーマの姿も見えない。 その壁にピタリと張り付いて、そろそろと、近付いてみる。 「……別に、関係ないじゃん?」 素っ気なく答えるリョーマに、もちろん女生徒は反論する。 「いつもそうやって誤魔化して! 今日こそは教えて下さいよ? いるならいる、いないならいない。そのどっちかでしょ?」 食い下がる女生徒に、聞き耳を立てる英二の方が何だか心拍数が上がって行くような感じがしていた。 「好きな娘、いないんですか?」 リョーマは何度目かの問いかけに、うんざりしたように溜息をついた。 『好きな女の子、いるんですか?』と聞いて来ないと言うことは、要するに『いない』ことを前提に考えての質問である。 ここで『いる』と答えれば、今度は『誰か』としつこく問い掛けて来るだろう。 (ウザイ……) 辟易していたリョーマは、いい加減この場から逃れたいと考えて、あることを思いついた。 「リョーマ様!?」 「いない」 「は?」 「そう言うの興味ないし。いない」 相手が一瞬、言葉の意味を把握するまでの間に、その場から歩き出す。 内心、旨くいったと思いながら、廊下を歩いて、ふと先に見えた上履きの先端の色に気がついて足を止めた。 緑……は確か三年である。 一年は赤。二年は青。 歩幅を広げて早足にその方向に向かうと、一足早くその足は引っ込んで駆け出して行く足音が聞こえた。 「……エージ先輩!」 名前を呼んでも、既に姿はなくその場にいたのは、その名前の主のクラスメートの先輩だけだった。 「エージ先輩はどっちに行ったんスか?」 「迂闊だね、越前くん」 「聞いてたッスか? 趣味悪いっすね、エージ先輩もあんたも」 「……僕は聞きたくて聞いてた訳じゃないよ。英二が止まって動かなくて……ただ『待ってたら』聞こえて来ただけだからね」 「……ホント、無駄に屁理屈が旨いッスね」 「誉め言葉をありがとう」 「で? どっちに行ったッスか?」 「……」 不二は無言で階下の方を示した。 「どうもっす」 一言礼を言ったリョーマは、そのまま階上を目指して駆け出した。 「どう言う意味かな? 越前……」 「あんたが素直に教えるとは思ってないんでね」 立ち止まることもせずに、それだけを答えて、リョーマは上の階に向かった。 ここまで来れば、彼がどこに行ったのか見当は付く。 さらに上に向かって駆け上がり、屋上のドアを開ける。 一気に、体温まで下げそうな、冷風が吹き抜けて来て、リョーマは一瞬足を止めた。 本気で外に出るのは考え直そうと思ったくらいで、だけど、このまま彼を放置して行く訳にも行かず、結局は屋上に出たのである。 「エージ先輩」 「……」 「少しは暖房でふやけた頭、少しはスッキリしましたか?」 「……」 「エージ先輩」 声をかけても無視を決め込む英二に、リョーマはしばらく見つめていたものの、根負けしたように大きく溜息をついて踵を返した。 「寒いんで、戻ります」 「……誰が悪いのさ?」 やっと喋ったと思ったら何を言い出すのやらと、リョーマは肩を竦めた。 立ち止まらずそのまま、歩き出しながら、 「逃げたアンタ」 素っ気なく返してやると、キッと英二がこちらを向いて怒鳴り返して来た。 「おチビが! 全部おチビが悪いんだろう!」 「何で?」 肩越しに振り返って本気で問い掛ける。 さらにむっとしたように眉根を寄せる英二に、リョーマもむっとしてそれから、ふと理由に思い至った。 「ああ、そうか……。あれ聞いてたんだっけ?」 「聞いてたよ! ってか、忘れてた訳? 信じらんない!!」 「……いるって答えた方が良かったッスか?」 「なっ!? そんなこと、オレに聞く? 普通聞かないっしょ?」 「……じゃあ、エージ先輩は聞かれたらいるって答えるんスか?」 少し考えるようにしてから、リョーマは身体をの向きを変えて、問い掛けてみた。 「決まってるじゃん!」 即答する英二に、今度はリョーマがむっとする。 「へえ……。英二って好きな女子がいる訳だ?」 「今更何言って……んだ……よ? ……………へ?」 何となくリョーマの言葉の何かが引っ掛かったように、英二は目をぱちくりさせて考える。 「好きな……女子?」 どこか白い目でリョーマは英二を見つめて、再度同じことを口にした。 「へえ、英二って好きな女子がいる訳だ」 だが、今度は疑問系ではなく、肯定している口調だった。 「ち、違う! そうじゃなくて!! だって、『好きな人』って言ってたし!!」 「それは、あの質問もう、10回目くらいだったから向こうもイチイチ言ってらんないだろうし、向こうにしてみれば『女子』は当然の前提なんだから『好きな人』=『好きな女子』ってことでしょ?」 「……そ、それは……」 「それとも、アンタのこと好きって言えばよかった?」 「それは……その……へ?」 さり気なくリョーマが言った言葉の意味に、暫し茫然となったらしい。 「まあ、別にそれでもいいけど。今度、聞かれたらそう答えるッスよ」 そう答えながら、首を傾げつつリョーマは小さく呟いた。 「でも、前にそう言った時信じなかったんスよね。『そう言うんじゃなくて』とか言い換えられて」 「って、ちょっと待って!」 慌てたように駆け寄って来た英二が、リョーマの腕を掴んだ。 「それ……その前って……マジに……?」 「何で、オレがウソつかなきゃならないんスか?」 英二の問いかけに、むっとしたように答えるリョーマに、英二は思わずそのまま、身体を引き寄せて抱き締めた。 「だって、おチビ、ウソツキじゃん」 「……そう言う風に思ってた訳?」 ムッとしたようにリョーマが言うと、英二は慌てたように、「そうじゃないけど!」と言い訳を始めた。 そんな英二に、眉根を寄せてムスっとしていたリョーマは、ふっと口許を綻ばせて、英二の腕の中からすり抜ける。 「おチビ?」 「……まあ、アンタらしいって言えばアンタらしいけどね」 悪戯っぽく言ってやって、リョーマは歩き出した。 「どこ行くの?」 「中に入るに決まってるっしょ? いい加減、寒いんだし」 「ああ……そっか」 言いながら、英二はリョーマの隣に並んで肩を寄せた。 「少しは暖かいっしょ?」 「……寒い」 「えええええ? オレの愛で暖かくなるだろ?」 「余計に薄ら寒いし……」 辛辣に言い切ると、見る間に落ち込む英二が可笑しくて、リョーマは顔を伏せた。 ドアを開けて、中に入ると格段と暖かい。 「こっちの方がずっと暖かいじゃないっすか」 丁度、次の授業が始まるチャイムが鳴り響いた。 「そう言えば、先輩……移動教室でしょ? 行かなくていいんですか?」 何だか落ち込んでるのか拗ねてるのか良く判らない英二を見上げて、リョーマが言うと、英二は覇気のない表情で、リョーマを見返して来た。 「……アンタほど判りやすい人間っていないでしょうね」 「どう言う意味だよ?」 「……まんまッス」 「……全然判んない」 「……だから……」 言いかけて、言い淀み……リョーマは少し考える振りをして俯いた。 「おチビ?」 呼ばれて顔を上げる。無言のまま、左手を伸ばして、英二の胸元を強く引っ張った。 「って、おチビ?」 その頬に微かに唇を寄せて、ニコリと笑いリョーマはパッと手を放して駆け出した。 「……」 「まあ、次の授業もしっかり頑張って下さい」 振り返らず、それだけを言い残して、一年二組の教室に向かって走る。 ちょうど、やって来たばかりの次の授業担当の教師が、あきれたようにリョーマに向かって、さっさと教室に入れと怒鳴るように言った。 ――放課後。 「越前、君……英二に何したの?」 「は?」 「化学の実験中……ずっとボーッとしてて、かと思ったらニヤニヤ笑ってさ。全然使いものにならなかったんだけど?」 偶然、昇降口で会った不二の苦情に、リョーマは何とも言えない溜息を漏らしたのだった。 (バカエージ) 「まあ、落ち込んでるよりははるかに良いんだけどね」 そう結論付けて、不二は正門の方に向かって歩き出した。 「……じゃあ、オレに文句言うことないじゃん」 小さく呟きつつ、どうしようもない恋人を思って、苦笑する。 今頃、補習で居残ってる筈だが、まともに受けることが出来るのか、心配だ。 (って、オレが心配してもしょうがないけど) 自分で、自分に突っ込み入れつつ、リョーマは気を取り直したように息をついて、部室に向かって駆け出した。 <Fin> |