KISS To kiss


「痛っ……」
 不意にリョーマがそう言って立ち止まった。
「おチビ?」
 補習のなかった今日は、久しぶりにリョーマと一緒に帰宅をすることが出来て、浮かれていた英二は、その声に慌てたように声をかけた。
「どうした? おチビ」
「……ちょっと」
 口許を抑えたまま、誤魔化すように言うリョーマに、英二は怪訝な表情で首を傾げた。
「でも、どっか痛いって言ったっしょ?」
「別に……」
 短く素っ気なく答えるのは、いつもの彼のクセのようなものだが。
 英二は、自分の隣を、何食わぬ表情で通り抜けて行くリョーマの腕を、軽く抑えて、引き寄せた。
「え、エージ先輩?」
「……手。どけてみな」
「…………………」
 相変わらず左手で口許を抑えたままのリョーマに、英二が鋭く言い募る。


「……何でもないってば」
「だったら、手をどけても良いだろう?」
「……………………」
 はっきり言って、住宅街の片隅とは言え、この体勢も接近具合も、リョーマにとっては余り好ましくない。
「判ったから、手、離してよ」
「……逃げんなよ?」
 リョーマの次の行動の、予測ぐらい簡単につく。
 だからこその念押しをして、英二は、その腕を離した。

「……っ!」
 と次の瞬間には、リョーマは駆け出していた。
 だが、あっと言う間に追いつかれて、リョーマは愕然と目を見開いてしまった。
「へへん。菊丸印のステップは、まだまだ健在ってね!」
「……………忘れてた」
「さあさあ、その手を離して唇見せな」
「……………………別に何でもないし」
「だったら、見せても良いだろ? ってさっきも言ったよねえ?」
 言葉に詰まりながら、リョーマは仕方なしに、左手をやっと口許から離して下ろした。

「……りゃ、唇切ってんじゃん。血が出てるよ?」
「別に……たいしたことじゃないっしょ?」
「まあ、そりゃそうだけど」
「こんなの、舐めときゃ治るし」
「あーそうだね」




 リョーマの言葉に、英二は特に何か考えた訳ではなく、あっさりとその身を屈めて、リョーマの唇にそっと舌を這わせた。
 ぺろりと滲んでいる血を舐めて、ハッとする。

「あ……」
「………………………あんたは……」
「あははははは」

「往来の真ん中で何晒す

んですか!!!!!!」




 いつにない盛大なリョーマの怒声に、英二は慌てて耳を塞いでやり過ごし、その口許に笑みを浮かべた。

「リョーマの血って結構旨いかも」
「変態!」
「まあまあ。これも消毒の一種だし」
「余計悪化しそうだ」
「またまた〜おチビ、顔、真っ赤だよー?」
「オレにも羞恥心の欠片ぐらいあるんスよ!!」



 怒鳴って来るリョーマの攻撃をひらひらと躱して、英二は自分の口許をそっと触れて見た。

「キスするのとはまたちょっと違うよねーこう言うの」
「煩い!!」
「あーおチビおチビ」
「もう!! オレに話し掛けないで下さい!!」
「そんな冷たいこと言うなって。ほら、こっち向いて」
「ヤダね」


 頑ななリョーマの肩を強引に掴んで、振り向かせると、ポケットから取り出したものをリョーマの手に握らせた。

「姉ちゃんに貰ったの。滅多に使ったことないんだけど。あ、ちなみに貰ったのは、今月の頭だから」
「……リップクリーム」
「ちなみに、一度は使ってるから、間接キスだね〜」
「……要らないッス」
「そんじゃ、もっかいオレが舐めてあげようか?」
「…………………」

 何だかどっちもどっちのような気がして来たのか、リョーマは肩を竦めて、溜息をついた。

「じゃあ、せめて……オレの家か先輩の家に着いてからにして下さい」
「OK〜♪ じゃあ、オレ直々に消毒してあげよう!」
「……何か、すっげヤダ」
「ああもう、我が侭おチビ!! 往生際が悪いぞ!」
「だから、言いたくなかったんスよ……」



 諦め悪げに言うリョーマに、英二はクスクスと笑みを浮かべて、リョーマの手を掴んだ。
「そう言うことなら、さっさと帰ろう。おチビの唇が余計に荒れちゃうしねん」
「……どう言う意味ッスか?」
「寒いと余計に荒れちゃうっしょ? 乾燥してるし。だから、早く帰ろうねってことだけど?」
「……」
 何だか、何を言っても勝てないような気がして、リョーマは更に、溜息をついた。
「何?」
「……別に……。何でもないッスよ」
「ふーん?」
「……帰るんでしょ? さっさと帰りますよ!」
「ほいほい〜」

 引きずっていたのが、引きずられて。
 英二は歩き出し、憤然と歩くリョーマの後姿を見つめながら、笑みを浮かべていた。
 もう一度、そっと自分の口許に手を当てて。
 英二は、幸せな時間を噛み締めていた――


<ふぃん?>