Roughcut Jewel
#1 迷走する心

 あれから、どれくらいの時間が経ったのだろうか。
 当てもなく、街をぶらぶらと歩きながら、昼とは違う夜の繁華街を見つめて、菊丸英二は意味もなく、舌打ちを漏らした。
 ゲームセンターで散々、ストレスを発散させて見ても、気持ちが晴れることはなく、ムシャクシャした気分のまま、歩道を歩き出す。
 ろくに前も見ずに、歩いていると、前方から来た柄の悪そうな、高校生ぐらいの団体とすれ違い様に肩先が触れ合った。
 ほんの少し掠っただけで、英二は大して気にもせず、そのまま歩みを止めることもなかった。

「こら、待てよ」
 だが、相手はそれで済ませる気はなく、当然のように、無言で去ろうとする英二を呼び止めた。
「ぶつかっといて無視かよ? ああ?」
 英二の肩を掴んだ――次の瞬間には、その男の顔面に英二の拳が極まっていた。
「煩いな〜オレ、ずっとムシャクシャしてんだから、拘わんない方が良いよ?」
「何だと? このガキが!」
 別の男が拳を振り上げて向かって来るのを紙一重で避けつつ、足を前に出して、相手の足に引っかける。
 ただでさえ、人を殴ろうとする不安定な態勢だったために、もろに英二の足に引っ掛かって、前のめりに倒れ込んだ。
 詰まらなさそうに英二は、それを見つめ、さっさとこの場から立ち去ろうとした。
 だが、相手の高校生が黙って帰す訳もなく、英二の行く手を一人、左右に一人ずつ……。
 そうして、最初に英二にやられた二人が、後ろに陣取り、英二はグルッと5人に囲まれてしまったのである。

「1人に5人って……情けなくない?」
 呆れたようなからかうような口調で言って、英二は深々と溜息をついた。


 途中から雨が降り出し、英二は内心、舌打ちを漏らした。
 喧嘩は弱くはないが、どっちにしても痛い思いをするのが嫌だった。
 元来の目の良さで相手の拳を躱し、相手の自滅を誘うやり方は、結構時間を食ってしまう。
 いっそのこと逃げてしまった方が楽かも知れないな〜と漠然と考えていると、雨で出来た水溜りに足を取られて、バランスを崩し、そこに蹴りが打ち込まれて来て、英二は次に来る衝撃を予想しつつ、思わず目を閉じていた。

 だが、いつまで経っても衝撃は来ず、そっと目を開けると、金茶の髪の見知らぬ青年が、左腕でその蹴りを受け止めていた。

「もう、その辺にしとけよ、クソガキども」
「……なっ! なんだ、てめえ?!」
「多勢に無勢ってみっともねえぜ? って言うか、この状態で相手をやれないってのも相当みっともねえけどな」
 はっきり言って仲裁に入ったのか、挑発しているのか、判らない口調で青年が言う。
 青年がチラッと英二に視線を向けて来て、感心したように微笑んだ。
「致命的な怪我、してねえみてえだな」
「……当然。こんな奴ら、オレの敵じゃないね」
「へえ……んじゃ、オレの加勢は要らねえ世話だったか?」
「そうでもない。もう、この喧嘩に飽きてたし。終わらせたかったんだよね」
「んじゃ、一瞬で終わらせようぜ」
「そだね」

 能天気に、しかもとんでもないことを、話し合う二人に、不良たちはさらにいきり立って青年と英二に向かって来る。
 背中合わせに立って英二と青年は目の前の相手を叩きのめし、蹴り飛ばして、本当にあっと言う間に5人を倒してしまった。

「……へっ! このオレに喧嘩売る方が間違ってんだよ? っとヤベ。逃げるぞ!」
 そう言って、青年は英二の腕を掴んで人込みの中へと駆け込んだ。
「何? 何だよ?」
「警官だよ。きっと誰かが通報したんだろ? あの騒ぎじゃな」
「うわ、ヤッベ。喧嘩したのバレたら、部活大会出場停止じゃん」
「あのなぁ! 仮にも体育会系の部活に入ってんなら喧嘩なんかすんなよ!」





 繁華街を抜けて、一本路地を替えて住宅街へと滑り込み、近くの公園で立ち止まる。
「どうした?」
「別に……喉渇いたと思って」
 雨に濡れたせいで、外向けに跳ねさせていた髪も、今ではストレートになってしまっている。
 まだ、降り続ける雨に鬱陶しそうに頭を振って、英二は自販機に向かって歩き出した。
「……足、挫いたのか?」
「あ?」
「引き摺ってる……それでよく走ったな?」
 青年の言葉に、英二は自分の足に視線を向けて、そう言えばなんか痛いかもと呟いた。
「気付いてなかったのか? 鈍い奴だな……」
 そう言って、青年はポケットからハンカチを取り出して、公園の水道で濡らして、英二の足首に巻きつけた。
「これじゃ、応急処置にもなんねえな」
「全くね。でも……まあ、冷たくて気持ち良いよ」
 そう言う英二に、苦笑を浮かべた青年は、英二の代わりに自販機に近寄って、硬貨を投入した。
「コーヒーで良いか?」
「奢ってくれる訳?」
「成り行きだ」
 そう言って、青年は落ちて来た缶を手にして、一本を英二に向けた。
「こんだけ濡れてっと、タクシーも乗れねえよな」
 コーヒーのプルタブを引き上げながら、しょうがねえかと溜息をついた。
「こっから直ぐ近くに、オレん家があるけど、来るか?」
「……何? オレ連れ込んで、襲う気?」
「アホか」
 ケラケラと笑いながら言った英二に、青年は一言だけ返して来た。
 ふと、足元に落ちていた紺色のパスケースに気が付いて、英二はそれを拾い上げた。
「城之内克也……19××年1月25日生まれってことは、オレより2つ上? あでも、学年は3つ上か。高3?」
「まあな……」
「ああ、じゃあ予備校とか塾の帰りとか?」
「は? まさか。バイトの帰り。オレは大学行くほど頭良くねえからな」
 飲み干した缶をゴミ箱に向けて放り投げ、青年――城之内克也は、英二に視線を向けて手を伸ばした。
「あ、ああ。はいはい……あれ? これって……」
 免許の隣に入っていた写真に、英二は目を丸くする。
「まさか、友達と2ショットの写真、持ち歩く趣味じゃねえよな? 女じゃあるまいし」
「うるせえ、返せ、タコ!」
 そうして、引っ手繰るようにして、パスケースを取り上げて、ダンガリーシャツの胸のポケットに入れる。
「好きな奴?」
「……カンケイねえだろ」
「そりゃ、カンケイないけど……聞きたいんだよ」
「何で?」
「好奇心☆」

 にんまり笑って言うと、克也は呆れたような溜息をついて、
「正直な奴」
 そう言って、笑みを浮かべた。





    ◇    ◇    ◇

「ただいま」
 ドアを開けて、克也はさっさと入って行く。
 それも当然だろう。
 ここは、克也の家なのだから。


 だが、英二はそのマンションが、高級マンションと呼べる代物であることに驚いていた。
「あんたって、金持ちな訳?」
「はあ? 金があったら、天下の高校生がバイトしてると思うか?」
「で、でも……このマンションは……」
「貰ったんだよ。バイトの報酬で」
「………………身売りでもしたのかよ? いやでも、確かにあんた、カッコ良いけど……もしかして、バイトってホスト?」
「……お前の発想、すっげ面白いんだけど。俗物過ぎるな」
 まあ、ごく普通に考えれば想像はつかないなと呟き、
「このマンションの持ち主が、クラスメートで。いけ好かねえ奴だけど、その時どうしても金が入用で、そいつの紹介して来たバイトを引き受けたんだよ」
「へえ。でも、それでマンション貰えるか、普通?」
「……まあ、普通は貰えねえな。そのバイトで事故があって、それで、オレを含め、そいつとそいつの恋人――こっちはオレの親友なんだけど。それに、オレの恋人に多大な精神的ダメージを与えちまってな。それもこれも、元々、バイトを依頼してきたあの野郎のせいだってぶちまけたら、オレの親友も加勢してくれて、んで、あの部屋をGET出来たっつー訳だ」
「何のバイトだったんだ?」
「バーチャルゲームの試作品のモニター。このゲームが欠陥で、責任は会社の社長であり、オレにバイトの話を持って来たあの野郎のせいだろう?」
「なるほどね〜ってーか、あんたのクラスメートに社長いんのか?」
「ああ、海馬コーポレーションって言う大企業の社長だ。鬱陶しいことにな」
「……海馬ってあの海馬ランドの?」
「そうそう」

 以上、ここまでエントランスからエレベーター内でのやり取りである。
 勿論、部屋の中に入ってからも、マンションにしては広い玄関と、造りの良さそうな下駄箱や整理棚、それにドアに目を見開いていた。

「お帰り……って克也? ずぶ濡れじゃないか!」
「ああ、ちょっとな」
「ちょっとじゃない! 風邪を引いたらどうするんだ?」
「この季節に風邪引かねえよ」
「季節は関係ない! 君は、この前オレにそう言ったと思うが?」
「……そりゃ、お前が、風邪引きやすい体質だから……」
 玄関口で、そんなやり取りを始めた克也と、あの写真の少年だろうと推察しつつ、写真を良く見てなかったことを思い出して、克也の肩から身を乗り出そうとした。
「……誰だ?」
 克也の後ろにいた英二に気付いたらしく、少年が克也に問い掛ける。
「そうそう。コイツ、足怪我してんだ。湿布とかあったろ?」
「その前に……身体を拭くことが先だ」
 そう言って、克也の腕を引っ張り、まだ、完全に玄関に入っていなかった英二に入るように促した。

「おチビちゃん……?」
「……?」
 英二の呟くような声に、少年は怪訝そうな目を向けた。

 その意志の強そうな瞳。
 鋭く、強気で無愛想な表情に、英二は別の人物を連想する。

「なんだ?」
「……あ、いや……何でもない」
「そうか?」
 慌てて首を横に振って言うと、それ以上何も言うこともなく、少年はどこかに向い、直ぐにバスタオルを二つと救急箱を持って戻って来た。
「ちゃんと拭いてから上がってくれよ。濡れた廊下を拭くのはごめんだ」
 そう言って、真っ直ぐに向かいのドアに消えて行く。
「キッツイ、美人さんだな〜」
「まあ、見かけはな」
「……は?」
「それより、さっさと拭けよ。お前、風呂入れねえだろ? そのまんまじゃマジ、風邪引くぞ?」
「……何で風呂に入れないんだよ?」
「足、挫いてんのに風呂に入る気か?」
「んーでも、風呂に入った方が暖まるしなぁ」
「ったく、結構図々しいな、お前も……」
「ちぇっ……でも、連れて来たのは、城之内さんじゃんか」
「……呼び捨てで良いぜ。さん付けも先輩呼びも好きじゃねえ」
 濡れたシャツとジーンズを脱いで、ポケットにあったものを下駄箱の上に載せると、床ではなく玄関の下に放り、身体を拭く。
 そうしてから、服を持ち上げて、左手の一番手前のドアを開けて、中に入る。
「ほら、お前もとっとと服脱いで来いよ」
「やっぱり、誘ってる」
「誰が誘うか、ボケ!」
 吐き捨てるように言って、克也は笑った。
「遊裏! 服とか用意すんのは良いけど、調理器具は使うなよー!」
「?」
「いきなり、君は失礼だな! これでもコーヒーメーカーの使い方くらいは覚えたぞ!!」
 二人分の服と下着を持って現れた遊裏が、克也に向かって悪態をつく。
「いや、この前電子レンジまた、壊されたからな」
「煩い。ほら……」
 服を押し付け、英二の方に視線を向けて、
「濡れた服は早く脱いだ方が良いぞ?」
 と声をかけた。

 英二は着ていた服を見下ろし、さすがに寒くなってきたと、仕方なしに脱ぎ始めた。
 上下とも服を脱いだところで、遊裏が手を差し伸べて来て、キョトンと首を傾げると、
「洗濯するから」
「……え? でも」
「今更、遠慮すんなよ。風呂入れろって言ったくせによ」
「……風呂に入るのか? 足怪我してたんじゃないか?」
「湯に浸けさせねえように気をつけっから」
「克也と一緒に入るのか? なら大丈夫だな」
 服を受け取って、克也の入った部屋に入り、洗濯機の中に服を放り込む。
「……遊裏」
「なんだ?」
「他のボタンは一切、押さなくて良いからな?」
「……洗濯機の使い方も憶えた! 君はオレが莫迦だと思ってるのか?」
「いいえ! 電気機器の使い方は憶え辛いのかと思ってな」
「莫迦にしてるな? オレにはちゃんと相棒の知識が入ってるんだ。相棒が知ってることなら、オレだって知ってる」
「要するに、遊戯が洗濯なんざしたことねえってことだよな〜」
 言いながら苦笑を浮かべ、やっと部屋の中に上がった英二を手招きした。
「じゃあ、ごゆっくり」
 英二がバスルームに入り、洗濯機を作動させるボタンを押した遊裏がそう言って、出て行った。



    ☆   ☆   ☆

 十分に暖まって、風呂を出てリビングに向かうと、テーブルにコーヒーとサンドイッチが用意されていた。
「ねえ、何でこんな親切にしてくれる訳?」
 ソファに座りながら、英二が問い掛けると、遊裏はキョトンとして英二の後から来た克也を見返った。
「親切? そうだよな〜親切だよな〜別にオレのせいで、お前が怪我した訳じゃねえのに」
 克也がからかうような口調で言い、遊裏は軽く息をついて、湿布と包帯を取り出した。
「何をやったんだ? 2人で」
「何でそう思うの?」
「何となく。……克也が連れて来たから……かな」
「何それ?」
 英二の右足首に湿布を当て、包帯を巻きながら、
「一緒に喧嘩でもしたのか? それだったら、いきなり戦友扱いだな」
「そうとも限んねーけどな」
「ああ、判ってるさ。でも、可能性の問題だ」
「……まあ、そう言えばそうだな」
「で? どうなんだ?」
 その問いかけは自分に向けられたと判って、英二はハッとして、少しぶっきらぼうに答えた。
「あんたの言う通りだよ」
「なるほどな」
 何がなるほどなのか、よく判らないまま、包帯を巻き終わった遊裏が、コーヒーとサンドイッチを差して、食べるように言った。
「……ところで……オレは武藤遊裏と言うが……オレはお前をなんて呼べば良い?」
「あ、そう言えば自己紹介してなかったっけ?」
「ああ、オレも聞いてねえや」
「……能天気だな」
 遊裏が克也に突っ込み、克也は苦笑を浮かべつつ、英二に視線を向けた。
「忘れてた……。オレのことはもう、知ってるよな? んで、おめえは?」
「……英二」
「じゃあ、英二。家には連絡とかしなくて良いのか? もう、11時も過ぎてるが?」
 遊裏の言葉に、英二は壁の時計を見上げて、面倒くさそうに言った。
「オレが出掛けてるの知らないし。多分、寝てると思ってる」
「なんだよ? 黙って出て来たのか?」
「家、出た時がもう、9時過ぎだったから……。そんな時間にバカ正直に出かけるって言って、出してくれると思う?」
「……そういや、オレより3つ下って言ってたな。ってことは、中3か……そら、無理だな」
「でも、もしお前が居ないことに気付いたら、大騒ぎにならないか?」
「……なるかもね」
「なるかもねじゃない。連絡しとけ」
「えええー面倒くさい……バレてないかもしれねえのに、何で自分でばらさなきゃなんないんだよ?」
「心配してくれる誰かがいることを、幸せに思うんだな……。同時に……そう言う相手に要らない心配をかけるんじゃねえ」
 克也は小さく鋭く言って、コードレスの電話を差し出した。
「ちぇー別に、電話なんかしなくても……」

 言いながら、結局自宅の番号をプッシュし、なんて言い訳しようか考える。
「……もしもし、ああ、姉ちゃん?」
『英二? あんた、今どこにいるの!?』
「え? どこって……」
『10時ごろ、不二くんから電話があって、あんたを起こしに行ったら居ないじゃない! どこで何やってるの? さっさと帰って来なさい!!』

 凄い剣幕で怒鳴られて、英二はさすがに困ったように言い淀んだ。
 不意に、受話器を取られて、克也が電話を替わる。

「もしもし。城之内と言いますが……。英二くんとたった今、知り合ったばっかりなんですが……」
 克也が何を言い出すんだろうかと、英二は克也を凝視するように見つめていた。
「オレのせいで、足を挫いてしまって……もう、遅いのでオレの家に泊めたいんですが……」
『え? でも、ご迷惑じゃないですか?』
「全然……。ああ、連絡先は…………です。何かありましたら、いつでも電話して下さって結構です」
『本当に、申し訳ありません。何でしたら、今から迎えに上がりますけど……』
「いえ、こちらとしてももう、休みたいので、今から迎えに来られると、そっちの方が迷惑なんです。だから、明日には御宅の方に送りますんで」
 どこの誰だろう? と思うほど丁寧に言っていた克也の言い分が、何だか可笑しくて、英二は思わず笑ってしまっていた。
 さっき言った【いつでも連絡して良い】という言葉と、矛盾しているではないか。

「ほら、替われってよ」
「一体何モンだよ。あんた……」
「本当のことだろうが? オレは明日も朝からバイトなんだよ」
 だから、さっさと寝たいのだと言う克也に、英二はまた笑った。

 この人は、きっと他人によく見られたいとか、そう言うこと全く考えてない――きっと、自然体なんだろうなと。

 ――漠然と思った。
 姉に適当に言って、さっさと電話を切り、克也と遊裏を見返って、

「ホントに泊まってって良いの?」
「別に構わないぜ。ベッドならあるからな」
 そう言って、廊下の方に出て行き、バスルームと反対側のドアを開けて中に入る。
 そんな克也に着いて行って、部屋に入り、ベッドとサイドテーブルしかない殺風景な部屋に目を丸くする。
「使ってないんだ、この部屋」
「まあな。客なんか来ないし」
 そう言いながら、造り付けのクローゼットから真新しいシーツと布団を取り出した。
「こっちも使ったことねえもんだけど……。ほれ、シーツぐらい自分でかけろ」
「ええーオレ、客じゃん。何でオレが……」
「ここはホテルじゃねえぞ? 自分のことは自分でする。この部屋とリビング、キッチンにあるものは勝手に使って良いし、食べても飲んでもいい。酒はやめとけ。でも、この隣の部屋とリビングの向こうにある部屋には、勝手に入るな。そこは、オレと遊裏の本当のプライベートルームだからな」
 そう言って、克也は部屋を出て行った。
「明日は早くに出るからな。とっとと寝ろよ」
「うん……」
 ドアを閉めながら聞こえて来た克也の声に、英二は頷いて答え、1人になってホッと息をついた。





 何だか、不思議な感じがした。
 1人にはなったけど、この家の中に、全くの独りと言う訳じゃない。
 そう、自宅では1人になりたいと思っても、厳密にはなれない。
 みんな出払って居ない……なんてこともあるにはあるが、でも、そうじゃなくて。
 ちゃんと家族は傍にいるんだけど、1人になれる空間……みたいなのが、全くなかった。

 家の中に人の存在を感じつつ、干渉されることなく、1人になる。

 まるで贅沢な思いだけど……。
 でも、何かにつけては自分に構って来る兄や姉、祖父母に、多少うんざりしていた処もあったのだ。

 勿論、家族は大好きだ。
 大切だとも思ってる。
 でも……1人で考え事とかしたいときには、はっきり言って、邪魔だと思ってしまう。
 そうして、そう思う自分がさらに嫌になる。


 悪循環だった。


 心の中に鬱憤がたまって、でも、外でも同じ。
 自分の周りには絶えず友達がいた。
 それは、凄く嬉しいし楽しいけど。
 少しでも静かに、考え事なんかしてたら、まるで天変地異の前触れの如くに心配されて、結局、笑ってバカやるしかなかった。
 外でも家でも、落ち込むことも考え事を露呈することも出来なかった。


 それが、とても幸せなことだって判っていたけど。
 でも……英二が欲しかったものは、過剰な干渉ではなく……。

 さりげない……存在感だったのである。


「おチビだけだったよな〜オレが考え事してても、静かにしてても……傍にいるだけで、何も聞いて来たりしなかったの」


 もしも、『あんまり干渉しないで』と告げたら……。
 そんな傲慢なことを言ったら、みんな離れて行く。

 それは、嫌だった……。
 我が侭だって判ってるけど……。
 そんな都合が良い存在なんて、居る訳がない……。

「おチビだって……何か、関係を形にしたら……変わるかもしれない……」



 ベッドにシーツをかけて、寝転がると、リビングの方からテレビの音が聞こえて来るのに気が付いた。
 それほど気になるほどじゃない。

 人がいる……気配を感じる……。
 そして、自分自身は1人でいる……この空間が……時間が……泣きたくなるほど嬉しく感じた……。




 不意に、躊躇いがちにされたノックに、英二はハッとして起き上がった。
「は、はい」
「……パジャマ……克也のものだけど、使ってくれ」
 ドアを開けた遊裏が、そう言って、きちんとたたまれたパジャマを差し出して来た。
「じゃあ、お休み」
 それだけを言って、遊裏はドアを閉めようとした。
「あの……城之内……克っちゃんに、伝えて」
「かっちゃん?」
「あああ、だって他になんて呼べ良いのか。何か呼び捨てもし難いし……」
「そうか? で? 何を?」
「ん……。あの、ありがとうって」
「? ああ、判った……。じゃあ、ゆっくり休め」

 ドアが閉められた。
 テレビの音も消えて、静かになる。
 英二は、遊裏が持って来たパジャマに着替えて、それから、ふと不二から電話があったんだと思い出した。

「何の用だったんだろ?」
 そう思いながら、もしかして携帯に何か入ってるかもと、取り上げた。

『一体、何をやってるのかな? 君が行方不明だって、みんなで大騒ぎして、街中探し回ってたんだよ? 怪我をしたみたいだから、罰走はなさそうだけど。あんまり心配させないでよ? じゃあ、お休み』

 電源を切っていたために、メールはたくさん来ていた。
 最新のは不二のメールで、その下に、桃城や大石、河村や乾……手塚のものまである。


「あれ?」
 一つだけ……。
 素っ気無い件名。
『みんな大騒ぎし過ぎ。取り敢えず、オレは探しには借り出されなかったけど……。探しに行くって言ったら止められた……。でも、無事でよかったッス。無事だと思ってたけどね。菊丸先輩も大変っすね。いつまでも、子供扱いされてて。でも、まあ、夜遊びは程ほどに。それじゃまた。   越前』

「おチビから? マジ?」

 不必要に自分に干渉して来ない、たった一人の存在。
 こっちが構いたい時に構うと、鬱陶しそうにしながらも受け入れてくれて、1人になりたいと感じている時は、自分が引いたラインを越えずに、傍にいてくれる……。

 メールの文章でさえ、生意気でこの野郎と思うのに。
 物凄く嬉しくて、心配してくれてたのも、信じてくれてたのも、嬉しくて。
 英二はそのまま、ベッドに寝転んで、暫くそのディスプレイを眺めていた。


 そうして、ここに来て初めて。
 自分が随分、大胆なことをしてると自覚した。

 克也にしろ遊裏にしろ、初めて会った人なのに、何で自分はこんなに寛いでいられるんだろう?
 足首の包帯に視線を向けて、克也の人柄と遊裏の表情を思い出す。

 初対面の相手に、何であそこまで心砕いて親切にするのだろう?
 その割りに、詳細を聞いて来ない。
 懐まで立ち入ろうとはしていない。

「普段のオレを知らない人だから……甘えてんのかな……?」


 街で喧嘩してたなんて言ったら、不二は説教して来るだろうし、大石は心配そうに自分を見るだろうし、桃城はきっとからかって来るだろう。
 手塚は、全国大会に出る者としての自覚が足りないとかって、グラウンド100周くらい、走らされそうだ。


 リョーマは?
 リョーマはどう言う態度を見せるんだろうか?
 なんだか少し気になった。



 でも、喧嘩で怪我したなんて言えないし、言うつもりもない。



「明日も部活あったっけ……」

 能天気に欠伸をして、初めて訪れたよく知らない人の家で眠る。
 思いの外、自分の神経の図太さに……苦笑を浮かべて、英二は次第に眠りに落ちて行った。

<Fin>
コメント

これは、狂想曲と同じ、一話完結の連作ものです。なので、この話は続くけど、これ自体はここで終わりと言うか……。
狂想曲と同じテーマになるかもしれませんが、唯一違うのは……。リョーマさんと英二はまだ付き合っていません。
英二にとって、リョーマさんが特別になりつつある話なのです。でも、まだ踏み込めない。
そこを越えたら、今は居心地良くても、ダメになるかも知れない。深く付き合うことで変わるかもしれない関係に、しり込みしてます。(恋愛的な付き合いとは限らず……ってか、まだ恋愛感情も持ってると自覚はしてません)

英二の悩みははっきり言えば、かなり傲慢で贅沢です。自分を気にかけてくれる、構ってくれる、心配してくれる存在。
自分自身も大好きで大切なのに。過剰に過ぎる干渉が、鬱陶しいと感じてしまう。
そんな自分にも嫌気が差してます。だから、さらに悩む訳ですが……。

リョーマはそんな中で過剰に干渉しない唯一の人だけど……。
でも、一線を越えると変わってしまうかもしれないと言う……気持ちが英二の中に内在してます。
そんな中で、互いを尊重し合い、干渉し過ぎてるようにも見える、感じる遊裏と克也の在り方……。
そこから、英二が何を学び取って行くのか。

それが、一応の課題です。
ダークにはならなかったですね。でも、結構シリアスですね。