Happy Life
2.明かされた真実、生まれた謎

「おはよー♪ おチビちゃん」

 カーテンを開けて、窓を全開に英二は隣に向かって声をかけていた。

「……おチビちゃん? 朝だよ〜ねえ、起きようよ〜」
 どこから持って来たのか、一メートルはある物差しを(しかもかなり古めかしいもの)手に持って、リョーマの部屋の窓を軽くこつこつと叩く。
「……もう! 煩い、エージ!!」
 カーテンと窓が開き、寝惚け眼の【おチビちゃん】こと、城之内リョーマが顔を出して、不満そうに英二を睨み付けていた。
 だけど、それも長くは続かず、直ぐに欠伸をして眠そうに目を擦った。
「……眠そうだね〜」
「……昨夜、カツヤが寝かせてくれなかったから……」


 その言葉に、手に持っていた物差しが、地上へと落下する。
「……エージ、何か落ちたよ?」
「……へ? ああああっ! しまった!!」

 物差しが落ちたことに気付いて、声を張り上げる英二に、リョーマが軽く笑う。

 そんなリョーマの様子を見ながら、英二はひたすら考えていた。


(……あんなとこに落ちたのどうやって取りに行こう? ってか、おチビちゃんのさっき発言……どう言う意味なんだろう? それってやっぱり……そう言う意味? ってか克也さんとおチビってどう言う関係? 兄弟じゃないの? ううう……判んねえ)

「兄弟じゃないけど?」
「は?」
「……エージ、考え事、途中から声に出してた」
 含み笑いを浮かべる表情を見ながら、リョーマの言葉を捉える。

「……兄弟、じゃないの?」
「違うよ? 何で兄弟と思ったの?」
「だって……兄弟じゃないなら……」
「ん?」


 どう言う関係だと言うのだ?
 5,6歳しか違わない(ように見える)二人が、同じ苗字で、一緒に暮らしている……それは兄弟以外で何があると言うのだ?

(従兄弟? 親戚? たまたま苗字が一緒の赤の他人? それとも……)


「どうしたの? 何かエージ、変じゃない?」
「……へ、変じゃないよ」

 誤魔化すように笑って、どう聞けば良いのかと思案していると、ノックの音がした。

「カツヤ!」
「……何だ、もう起きてたのか?」

 克也はそう言って、窓の外の英二に気がついた。

「よう、おはよう。そっちも早いな。まだ、春休みだろう?」
「ども……オハヨウゴザイマス」
 リョーマがベッドから降りて、克也に駆け寄り、その腕を引く。
「おはよう、カツヤ」
「はい、おはよう」
 そう言って、克也はリョーマの頬に口付けた。





「……………っ!!!」





 思わず硬直する英二に、聞こえて来たのは……。
「もう! 人前でしないでって言ったじゃん!」
「ああ、そうか……悪い悪い。つい癖で……。朝飯できてるから食えよ? んじゃ、オレは仕事行くからな」
「うん。行ってらっしゃい」
 まるで……新婚のような二人のやり取りで……。

「あー……英二……だっけ?」
「……………ああああ、はい!」
 固まっていた英二に克也が確認するように声をかけた。
「もう、朝食った?」
「いえ、まだですけど……」
「んじゃ、コイツと一緒に食ってやって。一人じゃ、やっぱ不味いからな」

 克也の言葉にリョーマが英二を振り返った。

「……良い……んですか?」
「ああ? こっちから誘ってるんだぜ? 気にすんなよ。オレは直ぐに出るし」
 そう言って克也はリョーマの頭を撫でて、じゃあなと部屋を出て行った。

「どうする? 来る?」
「本当に良いの?」
「良いんじゃない? カツヤがああ言ってるんだし……」

 リョーマの言葉にぴくっと反応する。

「克也さんと……おチビって……」
「え?」
「……何でもない。んじゃ、お邪魔しようかな?」
「うん。じゃあ、待ってる」
 そう言って、リョーマは部屋を出て行った。



 二人の関係が判らない。
 兄弟じゃないと言う二人。
 だけど、恋人同士だとして……。
 他の男を自分が留守にすると判っているのに、食事に誘うのも変だ。



「恋人じゃないんだよね? だから……誘って……」

 そこで……もう一つの可能性に気付き、背中を冷や汗が流れた。
「愛人……とか?」
 いや、マンションの一室ならともかく、家一軒丸ごと与えて、一緒の苗字で暮らす愛人など聞いたことない。

 そこまで考えて、リョーマが待っていることを思い出し、英二は慌てて、部屋を飛び出した。













      ☆   ☆   ☆


「いらっしゃい……って……」
「ごめん。出掛けに捕まっちゃって。もし、迷惑なら叩き帰すけど?」
「ひっでー! 兄貴だけ隣の朝食にご招待って不公平じゃん。オレも同じお隣さんなのに」
「……まあ、良いや。えと、武だっけ?」
「ああ、まあ、一つよろしく頼むぜ! リョーマ」

 リョーマはそんな、英二の弟に苦笑を浮かべて、家に入るように促した。

「ホントはカツヤの料理が食べたかったんじゃない?」
「……ばれたか? だって、【DUSK】のオーナーシェフの料理が、タダで食えるんだぜ!」
「ねえ、武……。そんなに有名なの? その店……」
「何だよ? 知らねえのか? 完全予約制で、そんなに高い料理じゃねえんだけど、だからこそ予約が一杯で中々、行けねえんだよ」
「……完全予約? 何で? 来た人、皆が食べられるようにって考えそうなのに……」
「予約制にしたのは、昼とか行列が出来るからだよ」
「え?」
「店に入れなくて、待ってる人の行列が出来るから。……待たせるのも悪いし、通行人にも迷惑だし……って。予約制にすれば確実に食べて貰えるからね」
「そんなに人気あるんだ?」
「みたい……」

 人事のように言って、リョーマはリビングダイニングに入って行く。
 キッチンとダイニング、それにリビングまで一続きの部屋になっている造りだ。
 リョーマに続いて入ると、テーブルに並んでいたのは、想像していたものよりずっと普通のものだった。


「……和食?」
「オレが和食の方が好きだから」
 言いながら、リョーマが新しい食器を取り出し、味噌汁をお碗に注いでいる。
 卵焼きも焼き魚も3人分あって、英二は目を丸くした。
「何で、3人分なの?」
「……こうなるって判ってたんじゃないの?」
「へ?」
「エージ誘えば、その弟も来るって」
「……なるほどねー。先見の明って奴だな」
 そう言って、武は椅子に腰掛ける。それはもう遠慮なく。

「はい。エージも座って……」
「あ、うん」





 そうか。
 弟も来ると思ってたから、二人きりにはならないってことか?
 だから、誘えたんだ……。

 リョーマと同い年くらいに自分たちに、いい友達になってもらえたら良いと。
 そんな気持ちで誘ったのだ……。


 ――大人の……男の余裕を感じた。







「部屋、片付いてんな」
 食事が終わったあと、何となくリビングの方に移動して、思い思いに寛ぎながら武が言った。
「この前引っ越して来たばかりじゃん? もっと段ボールとか散乱してるかと思った」
「……ああ、カツヤがそのまんま納戸に放り込んでた。直ぐに必要そうな食器とかそう言うのは直ぐに片付けてたけど」
「……へえ…って兄貴? どこ行くんだよ?」
「オレ、帰る。んじゃね、おチビちゃん。ご馳走様」
「……え? 帰っちゃうの?」
 英二の言葉に、リョーマがどこか寂しそうに、眉を顰めて目を伏せた。
「……ごめんね」


 ここに居たくないんだよ。
 この……空間に……。
 君が誰かと一緒に作り上げた……【優しい空間】が。
 英二には酷く残酷な場所でしかなかった。



「んじゃ、オレも帰るな。ごっそさん」
「……うん」
「あ、そうだ。兄貴……!」
「何?」
「昼には、ウチに招待してやったら?」
「……え?」
「兄貴も料理は得意じゃん? まあ、プロにはくらべらんないけどな」
「そうなんだ?」
「……おチビちゃんの口に合うか判んないけどね」
 どこか突き放すような口調になったようで、リョーマは少しだけ悲しそうに首を傾げた。


「……ダメなの?」
「ダメじゃないよ。――良ければ、おいで」
「うん……」

 英二はそう言って、微かに笑みを浮かべて、手を伸ばそうとした。

 フラッシュバックするのは――
 さっきの克也の行動……。
 手前で拳を握り、じゃあね、と言うだけで英二は、リビングを出た。









「どうしたんだよ? 兄貴」
「……何が?」
「何がじゃなくて……。落ち込んでる?」
「……何でそう思うんだよ?」
「……何年、兄貴の弟やってると思ってんだよ?」

 武の言葉に、英二は困ったように視線を流して、溜息を漏らした。

「何か……自分でも、よく判んないんだ……」
「判んないって……リョーマのことが好き……なんじゃねえの?」
「何で?」
「見てたら判るし。兄貴って、人懐っこいように見えるけど、自分から相手に接触して行くこと滅多にねえじゃん」
「そう、だっけ?」
「そうそう。相手に懐かれることはあっても、自分から懐いていかない。来るものは拒まないけど、自分から求めて行かない。しかも、一定の距離まで来たら、突っぱねる……。無意識にやってて、誰もそうされてることに気付かないけどな……。オレは弟だから、兄貴の懐にも平気で入り込んでるけど。兄貴は自分から、誰かを求めたことなんか一度もない……」

 兄はいつも笑顔で人当たりも良く、明朗快活で天真爛漫。
 学校でも人気があり、彼の周りには人がいつもいる。
 異性には勿論、同性にも、好かれる性質で、彼を中心に笑いが絶えることはない。
 武は、校内で休み時間などに、見かけるだけだったが、その光景が非常に眩しく見えたことがあった。

 だけど。
 その英二が友人を家に連れて来たことは一度もないのだ。
 友人が訪ねて来ても、外に行こうと誘い出し、電話で近くまで来てると告げられれば、自分からその場に会いに行く。


「でも、さっき――リョーマもいつもの調子で突っぱねようとしたよな?」
「え?」
「珍しく、相手がそれに気付いたんだよな。他の……兄貴の友達とかクラスメートとか全然、気付かないのに……」
「………」
「自分から接触して行くから、好きなんだと思ったけど。それでも、必要以上に立ち入られるのは嫌なんだ?」
「そんなこと……思ったことないよ」
「無意識だもんな……。でも、自分の好きな奴を……あえて突っぱねる理由はオレには判んねえんだけど」
「……武は……自分の好きな人に、別に好きな人がいたらどうすんの?」


 玄関のドアを開けながら、武が意外そうに目を見開いて、振り返った。

「え? アイツ他に好きな奴いんの?」
「……例えば……の話だよ!」

 苦しい言い訳をしながら、英二は武が開けたドアの向こうにするっと入り込んだ。

「さあなぁ、今は何とでも言えるじゃん? その時になんねえと判んねえことあると思うし」
「そうだよね。ごめん、忘れて……」

 英二はそう言って二階へと駆け上がって行った。


「モロバレじゃん。兄貴のバーカ」

 武は独りごちて、どうしたもんかと頭を掻いた。











     ☆   ☆   ☆



 昼過ぎに、インターホンが鳴って、英二が転がるように玄関へと駆け出して行く。

 そうして、リョーマを伴ってリビングの方に入って来る英二の表情を見て、武は意を決したように立ち上がった。


「リョーマ。話があんだけど……今良いか?」
「……話? 何?」
 英二は、そんな武とリョーマを気にしながらキッチンの方に向かう。
 和食が好きと言うリョーマのために、カボチャの煮付けと、肉じゃがを作っていた。
 それを盛り付けて、テーブルに並べて準備を整え、廊下に出ていた二人を呼ぶために足をそちらに向けた。

「おチビ、武……ご飯……」



「……困るんだけど」
「……誰か、好きな奴いんのか?」
「……………………」

 話の筋道は判らなかった。

 英二が聞いたのはそれだけだったから――



 だけど。
 武の言葉に頷いたのは見てしまった。





 好きな人がいる。
 それは……決定事項?














 自分の目の前が暗くなったような気がした。
 目に映るものが鮮やかさを無くしたような……そんな感覚……。

 明るさがなくなった……。
 薄暗い……曇りの日のような……そんな感じで。


 英二は何とか、武とリョーマに気付かれないように、その場から離れて、キッチンの方から別の部屋を通って廊下に出て、二階へと駆け上がった。






「あれ? 兄貴?」
「……エージ? いないの?」
 二人して、リビングに戻ると、英二の姿がないことに首を傾げた。
 昼食の準備はしっかり出来ている。
 なのに、給仕してくれた人がいない。

「……二階かな?」
「オレ、呼んで来て良い?」
「ああ、早くしねえと全部オレが食っちまうぜ!」
「ダメ! オレの好きなものばっかなんだから!」


 リョーマはそう釘を差して、二階の英二の部屋に向かった。









「あーもう! 何か…虚しい……」

 ベッドに座って、盛大な溜息をつく。
 そうして、ふとリョーマの部屋に視線を向けると、誰もいないはずの部屋に、人影を見た。
「え?」
 見知らぬ人物が……年の頃は二十歳前後だろうか――上着を脱ぎ捨てて、そのままベッドに腰掛けていた。
「ど、ドロボウ?」
 冷静に考えれば、寛いでいるドロボウなどいやしない。
 その声に相手は振り返り、怪訝な目を英二に向けた。

「人の家を覗くとは良い趣味をしてるな? 少年」
「……って、あんた、一体……」
「あああー! ユーリ!!」
 

 英二の背後から聞こえたのは、リョーマの声で、英二は慌てて振り返った。
 ドアを閉め忘れていたらしい。
 廊下にいるリョーマは、真っ直ぐに自分の部屋にいる相手を見つめていたのである。


「よう、久しぶり。やっとこっちに来られたってのに、誰もいないんだからな。克也は店か?」
「当たり前。今何時だか判ってる?」
「ああ、昼時ってことは忙しさ最高潮だな」
「……何かしんどそう。寝てないんだ?」
「まあな。この一週間、合計で睡眠時間14時間ってとこか? 3時間寝れれば良い方だったからな」
「でも、そこオレの部屋なんだけど?」
「え? ああそうか……オレの部屋は隣か? 悪い……どっちか考えるのも面倒でな」
「まあ、そこで寝ても良いけど」
「それじゃ、お言葉に甘えて……。あ、克也に電話しといてくれ。オレは明日と明後日休みになったからって」
「判った。今は忙しさ最高潮だから、3時ごろに電話する」
「ああ、頼む。取り敢えず暫く寝るぞ、オレは」
「ん。お休み! あ、ちゃんとご飯食べてたよね?」
「それは、大丈夫。幾らなんでも差し入れしてくれたものを食うなとまでは言わないさ。あの鬼社長も」
「そっか。カツヤ、毎晩差し入れしてたもんね」
「まあな。じゃあ、お休み」
「うん。お休み……」




 この一連のやり取りに、英二は口を挟む機会もなくただ茫然と見つめていた。
 そうして、カーテンが閉められて、初めて英二はリョーマに向かって問い掛けたのだ。

「誰?」
「……? ああ、オレの母親……。克也の奥さん」
「は?」
「はって……何?」
「えええー? じゃあ、あの人と克也さんが?」
「そう。結婚してるけど?」
「じゃあじゃあ、おチビは?」
「……だから、ユーリがオレの母さんだったら、オレは当然息子じゃない?」

 何を当たり前なことをと言う感じでリョーマが言った。

「……んじゃ……克也さんは?」
「オレの親父」
「はあああ?」
「……何? エージ、判んなかったの?」
「だって、何歳だよ? 克也さん! どうみたって二十歳前後でしょ!?」
「……27歳。今年、28かな?」
「ウソ?」
「何か若く見られるんだよね。それで舐められるって本人ぼやいてるけど」
「え? じゃあ、おチビの好きな人って……」
「はあ?」

 急に飛んだ英二の言葉に、リョーマが眉を顰めた。

「……だって、さっき、武に言ってたじゃん。好きな人いるって!」
「……聞いてたの?」
「ってかそこだけ……。オレてっきり、克也さんのことかと思って……」
「はい?」



 英二の言葉に、リョーマは大袈裟に溜息をついて、首を横に振った。



「まだまだだね」
「何それ?」
「兄貴ーーー!! リョーマ!! 早くしねえと本当に全部オレが食っちまうぞ!!!」
「ああ、早く昼ご飯食べようよ。折角エージが作ってくれたのに……。全部、武に食べられる」
「……って、ちょっと待ってよ! おチビちゃん!!」

 リョーマは慌てたように英二の部屋を駆け出して行き、英二もその後を追おうとした。


「……エージ。とか言ったか?」
「……へ?」
 カーテンが開き、リョーマの母親という人がこっちを見つめていた。
「リョーマのことが好きなのか?」
「……好き、ですけど」
 キッパリした物言いの、鋭い視線を放つ相手に、多少の気後れをしつつも、英二は正直に答えていた。

「そうか。……だが……アイツの本当の姿を知っても好きだと言えるか?」
「本当の……姿?」
「いや、この言い方は正しくないな。……そう、もう一つの姿……かな?」
「……ユーリ、さん?」
「今の姿も、あの姿もリョーマはリョーマだ。それは変わらない。だから、どっちが本当とは言えない。その【もう一つの姿】――それを見ても……好きと言えるか? 言えないのなら、中途半端に、好きとは言わないで貰おう。あいつはお前を気に入ってるようだからな」

 言うだけ言って、カーテンが再び閉じた。





 ――英二は、閉じられたカーテンを見つめたまま。
 ただ茫然と身動き出来ずにいた……。