Happy Life
3.満月期にはご用心?

 新学期になって、リョーマは英二と同じ学校に入学した。
 武と同じクラスになったらしく、教室移動などで一緒にいるのを見かける。


 英二は、そんなリョーマを見つめながら、リョーマの母が言った言葉の意味をずっと考えていた。
「えーいじくん!!」
 いきなり背後から覆い被さられ、そのまま窓から転落しそうになった英二は、思わず腕を振り上げて大声で怒鳴っていた。
「せ・ん・ご・く〜〜!! 今、落ちかけただろうが! オレが落ちたらどうするつもりだったんだよ!!?」
「あははは、ごめんごめん。でも、何真剣に見てたのさ?」
 オレンジ色の髪をかき上げながら、英二の肩越しに窓から外を見下ろした。
「……あ、リョーマくんだ。いつ見ても可愛いねえ」
「手ぇ出すなよ? あの子はオレんだからな!」
 凄味を利かせる英二に、クラスメートの千石清純は苦笑を浮かべて、肩を竦めた。
「でも英二くん、気に入ったらとことんまで気に入るけど、冷めるのも早いじゃない? まーた、あの子も泣かせることになるんじゃん?」
「……ならない」
「……え?」
「なんねえよ……。あの子のこと好きじゃなくなる自分が想像出来ない……」
 英二はいつになく静かな口調でそう言って、もう一度窓に視線を向けた。
 不意に、リョーマがこっちに目を向けて、軽く瞠ると、いつものように不敵な笑みを浮かべて次に舌を出して、笑った。

「……英二くん」
「ダメ」
「だってさ!」
「だからダメったらダメ!!」
「独り占めはズルイよ〜?」
「好きな子だから独り占めすんだろうが!! おチビはオレの! 誰にも上げないもんね!」
 リョーマに向かって手を振りながら、言葉は辛辣に千石に向けて叩き付ける。
「ちぇ〜で・も……☆」
「何だよ?」
「恋は早い者勝ちって訳じゃないから、油断してたら、ヤバイよ〜?」
「何それ?」
「だって、君の弟くんも……リョーマくんのこと好きなんじゃない?」
「はあ?」
 慌てたように、もう一度リョーマに視線を向けると、武がリョーマの腕を掴んで急かしていた。
 ちょうどチャイムも鳴り始め、教室に戻るために、リョーマも歩き出す。
 ふと。
 武が英二のいる階に視線を向けて来て、英二は心臓が跳ね上がった。
 苦笑を浮かべて、手を軽く振り、リョーマの後について駆け出して行く。
 照れたような、困ったようなあの表情は……。

 決して、優越感に浸って人を見下すような性格の武ではないから……。
 あれは……自分に対して少し【悪い】と感じているからこその表情で。

 子供の頃から、英二が失敗して武が旨く行った時に、見せる表情に似ていた。





 旨く行った……?
 同じクラスで常に一緒にいることが出来るから……。
 

「でも、武はオレがおチビのこと好きって知ってるし……。もし、本当におチビのこと好きになったんなら、そう言ってくれるはずだし」
「……弟くんの性格で言えるのかな? 気にしすぎて言えないってこともあるしね」
「……どっちにしても、千石」
「何?」
「お前はおチビに近付くな」
「ひっでー! ……今度の休みに、英二くんの家に強襲してやるから!」
「来るな! 来なくて良い!!!」


 それでも、その時は千石と二人で、リョーマを話題に楽しんでいたのだ。
 すっかり、遊裏が言った言葉の意味を……忘れて――




  ☆    ☆    ☆


「あれ?」
 その日の朝。
 いつものように、カーテンを開けて窓を開けると、リョーマの部屋の窓は雨戸が閉まっていた。
 リョーマが引っ越して来て、三週間以上経つが、こんなことは初めてで、しかも昨日も今も雨や風が強い訳じゃない。
 何で雨戸が閉まってるんだろう? と首を傾げながら、英二は着替えて階下に降りて行った。


「雨戸が閉まってる? リョーマの部屋の?」
「そうなんだ。別に台風って訳でもないのにさ」
「……何の話?」
 武と話をしていると、お茶碗を差し出しながら、母親の周助が問い掛けて来た。
「……あ、うん。隣のおチビちゃんの部屋の雨戸が今朝になって急に閉まってて……」
「へえ……」
 そう言って、周助はいつもニコニコと細めている目を開けて、カレンダーに視線を向けた。
「……月齢13.5……そろそろ満月期だからね」
「は?」
 意味の判らない周助の言葉に、英二が問い返すと、いつもの笑顔に戻って周助は首を振った。
「何でもないよ。ほら、二人とも早く食べないと遅刻しちゃうよ?」
 そう言って、二人を急かし、周助はキッチンの方に足を向けてしまう。
「何だろう? 満月って……あの満月だよね?」
「他に満月があんなら、見せてくれよ? 兄貴」
「うるせー」

 下らないことを言いながら朝食を食べ終わり、カバンを取りに部屋に戻ると、もう一度、窓の外を見た。
 相変わらず雨戸の閉まったリョーマの部屋に英二の気持ちが沈みこむ。

「リョーマ……学校は来るよね?」
 小さく呟き、カバンを手に部屋を後にした。



   ☆   ☆   ☆


 結局。
 その日、リョーマは姿を見せなかった。
 学校も休み、雨戸は相変わらず閉められたままで、英二は気になって隣を訪ねてみたものの、誰も居ないのか返事もなく、でも、あることが気になっていて、どうしても出掛けているとは思えずにいた。




 それから2日後。
 学校から帰って来ると克也が家の中に入るのを見かけて、英二は思わず声をかけていた。

「克也さん!!」
「よう、英二。どうした?」
「……あの、おチビ……リョーマくんは? もう、3日も学校休んでるって……武に聞いたんだけど……」
「あ、ああ……ちょっとたちの悪い風邪を……引いてな」
 克也の言葉に、英二は訝しげに首を傾げた。
「そんなに悪いの?」
「……ああまあ、伏せって寝てはいるが……大したことはないさ。移るとマズイから会わせる訳には行かないけどな」
「……」
「ん? 何だよ?」
「克也さんって……」
「……は?」
 何かを言いかけて、英二はそれを止めて、別の言葉を口にした。
「……何でもない。じゃあ、おチビにお大事にって伝えて……」
「ああ、判った」
 それで話は終わったと、克也がホッとしたようにドアを開けた瞬間。
 英二は門を乗り越え、克也の脇をすり抜けて家の中へと駆け込んでいた。
「英二!!」
「風邪引いたなんて、ウソだろう? 克也さん!」
「なっ?」
「だって……おチビの部屋から、ゲームする音は聞こえて来るんだから!!」
「……っ!」
「酷い風邪を引いてるのに、ゲームするヤツなんて居ないよね?」
 二階に続く踊り場で、英二はニッコリ笑ってそう言って、リョーマの部屋に向かい、そのドアを開けた。







「……っ!」








「あ、エージ」
「……」


 リョーマは居た。
 雨戸を閉めたせいで暗くなった部屋に電気をつけて、今話題のRPGゲームをプレイしている。
 そのコントローラが、床に落ちた。




 英二は、そのまま。
 暫くそこに茫然と立ち尽くしていた……。


「……あ」
 その時になってリョーマは両手で、頭を抑えて、ベッドからブランケットを取り上げて頭から被る。
 そうしながら、恐る恐る英二に視線を向けて来た。
「……」
 背後から足音が聞こえて、克也が顔を出し、思い切り溜息をつくと、小さくぼやくように言った。
「遊裏に怒られんな……」
「……」
 ゆっくりと、英二は後退った。
 その行為に、克也は眉を顰め、リョーマは悲しげに視線を逸らした。

「だから、会わせたくなかったんだよ……」




 克也の声も遠くに聞こえる。
 英二は、ただ、早鐘を打つ心臓の鼓動に、中々馴染めないで居た。


 その理由は……。





(か、か…………か……)


「可愛すぎる〜〜〜VVvv」


 不意に声を張り上げた英二に、克也とリョーマは同時に驚いたように目を上げた。

「ねえねえ、おチビ? それ本物? 本物の耳なの? うわ、シッポまである……ふさふさじゃん♪」

 リョーマが被っているブランケットを押しのけて、リョーマの頭の上にある立ち上がった長い耳を触りながら、英二はにこやかに笑みを浮かべて、「可愛い」を連発していた。

「ってそんなに触ったらくすぐったい!!」
「あ、ごめん……。でも、スッゴイ可愛いよ? え? あれ? でも何で……こんな耳なの? この間までは普通だったよね?」
 もっと他に聞くことあるんじゃねえのか? と内心突っ込みつつ、克也は大きく息をついて、リョーマの部屋に足を踏み入れた。

 そうして、閉ざしていたカーテンを開け、雨戸を開けて、振り返る。







「それはな、英二……」
「うん」
「リョーマは、人狼の血を引いてるからだ」
「……人、狼?」
「要するに、狼男ってヤツだな」
「………ふーん……って、え? えええー?
「でも、リョーマは、不完全な姿にしかなれない。……半狼だからな」
「……どうせなら、遊裏みたいにカッコ良い狼になりたかったのに」
「……って? え? んじゃ、遊裏さんは……」
「ああ、アイツは……純粋な人狼だ」





 衝撃的な事実に、英二は茫然と克也を見つめ、それから、リョーマに視線を移して、やっぱり茫然としていたのである。