第一次接近遭遇

 それは、ただ――毎日、同じ時間に同じ列車に乗って、同じ駅で降りる。
 本当にただ、それだけの関係とも言えない関係しかなかった。
 乗り合わせる最寄の駅は、始発から数駅の場所で、時間も早く人が余り居なくて、顔だけは見知っている状態になる。
 その少年の着ている制服が、王立アカデミーのもので、それだけでも結構目立つのだが、それ以外にも少年の髪型が人目を引いていた。
 ――大体、アカデミーの生徒が、列車通学することも異例中の異例である。
 基本的に金持ちの息子か貴族の出か……。後は、相当に成績の優秀な者くらいしか入ることが出来ない学校で、受験費用だけでも莫迦高い。
 一般庶民にはとても手の出せない、雲の上の存在だった。
 基本的に学校のある、ドミノシティで暮らしている者が大半だし、シティ外から入学した者でも、シティで下宿したり寮に入ったりするはずだ。

(でも、スッゴイ髪型だよなー。ありゃ、一度見たら忘れねえよな。どこに居ても見つけられそう)
 そんな興味本位な考えで、克也=城之内は彼を見ていたのである。


 地方から、ドミノシティまで列車で通う場合、朝は随分早い。
 駅までの時間と朝食を食べる時間を考えたら、5時半には起きないとこの列車には間に合わない。
 その日、克也は珍しく寝坊して、朝食を摂らずに家を飛び出した。
(くそー! っても、ドミノシティまで一時間もあるぜぇ。ぜってーもたねえよ)
 朝は食欲がないと言うこととは縁のない克也は、駅前の早くから開いているパン屋に駆け込んで、幾つか買い込んだのである。

 駅に着いた時には、ホームに既に列車が到着していて、克也は最後尾の車両に乗り込んだ。
 と、その時、視界の隅にこっちに向かって走って来るかの少年の姿が見えて、克也は目を丸くした。
 (めっずらしい。アイツが遅れてんのなんて、初めてじゃねえ?)
 この春から、この列車に乗って、ドミノシティに通うようになった克也は、この数ヶ月、彼が自分より遅くにこのホームにやって来るのを見たことがなかった。
 いつも、早々と来て、ベンチに腰掛け、何かの本を読んでいる。
 今日は、ギリギリだったから、既に乗り込んでいると思っていたくらいだ。

 ――発車のベルが聞こえて、鳴り止むと同時に列車が動き出す。
 すぐ側まで必死で走っていた彼が、列車が動き出した瞬間、走るのをやめようとしたことに気がついた。
「走れ!!」
 克也は思わず怒鳴るように言い、ドアの横にある手すりに掴まって手を伸ばした。
「走って手を伸ばせ!!」
 一瞬呆気に取られていた少年は、ハッとしたように落ちかけた速度を再び上げて、克也の手を掴んだ。だが、次の瞬間には、列車のスピードが上がり始める。
「……ダメだ。放せ! このままじゃ、君も危ないぞ!」
 少年が掴んでいた克也の手を放したにも拘わらず、克也自身は、少年の手首をしっかりと握り直した。
「何言ってんだよ……」
 克也は少年の腕を掴んでる手に、さらに力を込めて、怒鳴るように言った。
「地面を蹴れ! 思いっきり、だ!」
「え?」
 強く腕を引っ張るのと、少年が地面を蹴ったのが同じタイミングで、克也は少年を列車内に引きあげることに成功した。

「……全く、ムチャをするな」
「っても、これに乗り遅れたら、一時間はずれ込むぜ?」
 引っ張り上げたは良いが、その反動で倒れ込んだ克也の上で、呆れたような声が聞こえて来て、負けじと克也も言い返した。
「それはそうだが……たとえそうなっても、君には関係ないだろう?」
 そう言う少年を見つめて、克也は一瞬、考え込むように頭に手を当てた。
「そう言えばそうだな」
「結構なお人よしだな」
「悪ぃかよ?」
「……いや、今のオレには十分にありがたいがな。あまりに過ぎると、他人に利用されるぜ? 気をつけることだ」
 そう言いながら、立ち上がろうとした少年が、不意に目を丸くして小さく呟くような声を上げた。
「……何だよ?」
「いや……その……」
 言いよどむ少年を他所に、克也は手を床について立ち上がろうとした。
「……?」
 右手が触れたなんとも言いがたい感触に、克也はハッとして視線を向ける。
「……ああああああっ! オレの朝飯っ!!」
 見事に潰れたパンが袋から少しはみ出ていて、オレは痛恨の悲鳴を上げてしまった。
「すまない。オレの所為だな」
 落ち込んだような声が聞こえて来て、克也は慌てて振り返った。
 少年が見るからに落ち込んで、ガックリ肩を落として項垂れている。
「いや……オレが勝手にしたことだし……」
「でも、オレが遅れなければ、こんなことにはならなかったし」
「って、それはオレもそうだし。寝坊してなきゃ、飯食って来てるし、パンも買ってねえしな」
 それでも済まなそうにしている少年に、克也は不思議な気持ちを感じて、ジッと見つめた。
「何だ?」
 その視線を感じたのか、何となくばつが悪そうに、少年は克也に問い掛けて来た。
「……いや、別に」
 言えば失礼かもしれないと、心の中で思いつつ、やっぱり不思議な気がする。

「ああーっ! 克っちゃんめっけ!!」
 背後のドアが開いて、能天気で明るい声が聞こえて、克也は一瞬、脱力しながら振り返った。
「英二……」
 一つ下の後輩である英二=菊丸が、満面の笑みを浮かべて飛びついて来る。
 克也達が乗った駅から、三つ過ぎた先にある駅から乗り合わせる、克也と同じ学校に通う生徒だった。
「って、英二……」
「いつもの席にいないからサボったかと思ったよん。先生にどう言い訳しようか、かんがえてたんだよ?」
 甘えたような喋り方は、英二の癖のようなものである。
「じゃあ、オレはこれで」
 克也の知り合いの登場に、気後れしたかのように、少年は少し強張った表情のまま、二人横をすり抜けて客車の方に入って行ってしまった。
「……邪魔した?」
 オズオズといった風に、英二が問い掛けて来るのに、克也はわざとらしく頷いた。
「あああああ、ごめーーーーん」
 縋りついたまましゃがみ込んで行く英二に、苦笑を浮かべて、
「冗談だ」
 そう言うと、ムッとしたように復活した。
「もう! 克っちゃんのバーカ!」
 一頻り、文句を垂れてくる英二を軽くいなしながら、克也も客車に足を踏み入れる。
「でもさ、珍しいね」
「何が?」
「だって、あの制服、アカデミーの制服でしょ? アカデミーの生徒が、こんな列車通学してんの珍しいと思ってたけど、克っちゃんの話を聞いた限りじゃ、そんな高飛車な感じじゃない感じじゃん?」
 克也自身も不思議に思ったことである。
 気さくなというか、自分に対して「お人よし」などと言った割りに、少年自身も、相当に人が好い気がする。

「まあ、金持ちのボンボンや貴族じゃねえのは確かだろ?」
「……そうだね。克っちゃんと同じ駅ってことは、カードタウンでしょ? 何か噂とか聞いてないの?」
 首を傾げることで英二に対する返事にして、克也は英二が荷物を置いていたボックス席に座ろうとした。
「!?」
 一瞬、彼がこちらを見た。
 ボックスじゃないベンチ式の椅子に腰掛けようとした彼が、一度振り返って克也に視線を向けたのである。
 普段は鋭く見える視線を、一瞬和らげて、頭を軽く下げる彼に、克也もつられたように頭を下げていた。

「克っちゃん……?」
「……変な奴……」

 疑問を浮かべる英二に答える訳でもなく、小さく呟いて、克也は窓際に腰掛けた。
 窓を開けて、列車が走る速度に合わせるように吹き込んでくる風を、気持ち良く受けて、克也は口許に笑みを浮かべていた。



<Fin>