晴れ渡った青空も。
 力強く地上を照らす太陽も。
 空一面に輝く星たちも。
 儚く、その輝きを届ける月さえも。


 ここでは見ることが出来ない。


 それでも、オレはここにいることを選んだ。


 吹き抜ける風と、力強く燃える炎の、
限りない優しさが溢れるこの場所で、何よりも大事なものを見つけたから――







確かなものは。





 外界のように、強い陽射しは降り注がない。
 それでも、朝が来たことは判る程度には、光が漏れる。
 その夜とは違う光の筋に、武藤遊裏は軽く瞬きして、目を開いた。


 本来であれば、公立の進学校に通うごく普通の高校生であるはずの彼は、今、世間でも『無法地帯』と呼ばれる『Millennium・Palace』の中にいた。

 犯罪者や悪人の巣窟とまで噂されるこの場所には、国家組織も手を出すことが出来ない。
 『Millennium・Palace』に対する悪意、殺気等を持ったまま、侵入することは侭ならず、ましてや、外からの攻撃は受け付けないと来ている。
 誰が造ったのか。
 何の目的で造られたのか。
 何の目的の施設なのか。


 それは、ここで暮らす者たちにも判っては居ない。



 ただ、今……。

 この『Millennium・Palace』の中は、三つの勢力によって統べられていた。




 一つを、『Radius』と言い、総員300名を誇る巨大なグループ組織である。
 この組織のリーダーは、武藤遊戯と言い、遊裏の双子の兄だった。
 子供の頃に、両親が離婚をし、離れ離れに暮らしていた二人だったが、遊戯が行方不明だと知り、彼を探し連れ戻すために、ここに来たのだ。
 そうして、知り合ったのが、もう一つのグループを束ねている、彼――城之内克也だった。
 『Flame』と呼ばれるこのグループのリーダーである彼は、金茶の髪と不敵な視線を持った青年で、グループ内でも随分慕われている。
 基本的に粗雑で、荒っぽく、大胆不敵で、短気で腕っ節はSクラス。
 その左腕には銀色で黒い竜のレリーフを施されたガントレットをつけていて、彼は炎を自在に操ることが出来た。
 彼の元には、常に2人の幹部と、彼を慕う少年がいた。
 幹部の一人を不二周助。
 もう一人を菊丸英二と言う。
 周助は、どうやら、元々克也の友人らしく、英二は、このPalaceの中で知り合ったらしい。
 英二の恋人である少年が越前リョーマと言い、彼は克也のことも、随分慕っていた。

 そんなリョーマに、遊裏自身もかなり、懐かれて絆されていたのである。



 目を覚まし、意識を覚醒させ、大きく息をつく。
 事ここに至るまでの経緯を思い出し、思わず苦笑を浮かべると、不意に自分の目の前に腕が伸びて来て目を瞠った。

「何笑ってんだよ?」
「……おはよう。起きてたのか? 克也くん」
「まあな……」
 しっかり抱き締められて、身動きが取れなくなる。
「……苦しいんだけど?」
「離れたい訳か?」
「そうじゃない……けど」
「けど?」
「もう少し、腕の力緩めて欲しい」
「嫌だね」
「克也くん……」


 意地悪げに笑いながら、克也が言い、そっと、肩に唇を落とす。
「……ちょっ!? 何を……」
「お前さ……」
「な、何?」
「初めてじゃなかっただろ?」
「……っ!!」
 克也の言いたいことを瞬時に飲み込んで、遊裏は真っ赤になった。
「ちぇ……オレに会う前のことだから、怒っても仕方ないって判ったんだけど……」
「……」
「悔しい……」

 しみじみと、心底から悔しげに呟く克也の言葉に、遊裏は一瞬目を見開き、思わず吹き出した。
「なっ!?」
 そうして、肩を揺すりながら、次第に笑い声が大きくなって行く。
「何笑ってんだ!?」
 言いながら、克也は身を起こして、遊裏に覆い被さるようにして、口付けた。
 唇を自分のそれで塞ぎ、舌を差し入れ、遊裏の舌を絡め取る。
 それから直ぐに、頭を激しく叩かれて、克也は渋々唇を放して、不機嫌に問い掛けた。
「何だよ? 痛ぇだろ?」
「君はオレを窒息させる気か!?」
「……は?」
「笑ってた途中であんな風にキスされたら、息が旨く出来ないだろう!?」
「……意味不明に笑い出す、お前が悪い」
「何でオレが?」
「こっちは真剣に、悔しいって言ってるんだぞ? それを……」
「だって……オレは、一人の人しか知らないから」
「……はぁ?」
「……さて、そろそろ起きようか? みんなも起きてるんじゃないかな?」
 枕元の時計に目を向けて、遊裏が言い、克也も視線を向けて、時刻が8時を過ぎていることに、大きく息をついた。

「そうだな……今日の朝飯は……周助か」
 沈鬱な表情で克也が言う。
「何か問題があるのか? そう言えば、前にリョーマか英二が何か言ってたな」
「問題は……周助の味覚の問題だ」
「味覚?」
「ま、食ってみりゃ判る」
 克也はそう言って、反動をつけてベッドの上に起き上がった。
 そのまま、ベッドを下りて、床に脱ぎ散らかしていた服を拾い上げて、身につける。
「その前に、汗でも流すか? なあ、遊裏」
「……え? あ、オレは後で良いから、克也くん、先にどうぞ」
「別に遠慮することないぜ? ここの風呂場は結構、広いんだ。5人くらい一緒に入れるしな。シャワーも3つついてる」
「……銭湯なのか?」
 遊裏の言葉に、克也は軽く声を上げて笑った。
「寮か何かの風呂と思えば良いさ。ほれ、一応、服着て、行くぞ」
「だから、君一人で」
「ほう……オレと一緒じゃ、風呂にも入れねえと?」
「いやだって、それは……まるで、酒の飲めない相手に、無理矢理酒を勧めてるみたいだぞ?」
「風呂と酒は違うだろう?」
「君とオレの関係を考えれば、セクシャルハラスメントと言えなくもない……」
「男同士、で何を言ってんだか? それとも、マジに嫌な訳?」
「……何もしないか?」
「……期待してんのか?」
「一人で行って来い!!」
 手元にあった枕を放り投げて、遊裏が怒鳴った。
 まともに顔面に直撃を食らった克也は、少し不満そうに、簡単に服を着込んで、ドアノブに手をかけた。
「……何もしないって言えば……来るのか?」
「……知ってるか? 男の『何もしない』って言葉は『何かをする』ってのと同義語だってこと」
「ちぇっ☆ お前の前の恋人ってのは相当油断ならない相手だったみたいだな?」
 そうでなければ、ここまで、隙なく相手を切り返すことは身につかない。
「さーな。そんなの忘れた」
「……」
 遊裏の言葉に、詰まらないヤキモチを妬いた自分を自覚し、克也は肩を竦めてドアを開けて出て行った。

 遊裏は大きく溜息をつき、服を身につけたところで、不意にドアが開いて、周助と英二が飛び込んで来た。
 そうして、盛大に爆笑したのである。




「まだ、言ってなかったんだ?」
「……克っちゃんが、ヤキモチ妬いてるし! それも、自分自身に!!」
「あんまり間抜け過ぎて、可笑しくてしょうがないんだけど。何で、教えてあげてないのさ?」
「言うタイミングを逃したんだ。川井静香が、克也くんの妹のことじゃないって言うだけで精一杯で」
 憮然と遊裏が言うと、周助はまだその表情に笑みを残して、
「ふーん。でも、言った所で、向こうは覚えてない訳だし、なんか……タヌキに化かされたような気分になるだろうね」
「あれかな? 酒飲んで酔っ払ってHしちゃって目が覚めたら憶えてないって奴! あれに近いのかな?」
「……それとはちょっと違うと思うけど……」
 英二の例えに、周助が苦笑を浮かべて言った。
「それはそうと、朝ごはんって周助が作ったんだろ?」
「……遊裏ちゃんは、辛いの平気?」
「……普通に辛いのは平気だけど」
 何故、頭に『普通に』などとつけたのか、遊裏自身、自覚はなかった。

「まあ、食べてみれば判るよ」
「……?」
 キョトンとする遊裏に、英二は立ち上がって、
「おチビ用に別に朝ごはん作んないと。おチビ、辛いの全然ダメなんだから!」
「リョーマは?」
「まだ寝てるよ。結構、朝弱いから」
 言いながら、遊裏もやっとベッドから降り立って、スリッパを履いた。

「……あれ? もしかしてさ」
「……何?」
「どうかした?」
 そこでやっと、変なことに気付いた遊裏は、先を行く二人に向かって問い掛けた。

「ずっと、外で聞いてた訳? それとも……まだ、隠しカメラあったりするのか?」

 すっと。
 底冷えするような低い声音で問われて、英二は見るからに青ざめる。
 周助は動じた様子もなく、相変わらず笑みを浮かべて首を傾げた。
「勿論。カメラが残ってるんだよね。僕たちは向かいの部屋にいたんだから」
「…………………」
 暫し硬直した後――


 遊裏の大絶叫が響き渡った。




   ☆    ☆    ☆


「なあ? 何叫んでたんだよ?」
 遊裏も風呂に入って、汗を流しすっきりした様子で出て来た所で、憮然とした様子で克也が問い掛けた。
 頬にクッキリと手形が残って居るのは、大絶叫の後、素っ裸で駆けつけた克也に対しての遊裏の暴挙だった。

 当然、周助と英二は大笑いで、眠そうなリョーマは不機嫌な様子で部屋から出て来た。

「別に……君には……」
 言いかけて、遊裏は剣呑な目を向ける。
「もしかして、知ってたんじゃないよな?」
「は?」
「まだ、あそこに隠しカメラがあること……知ってた訳じゃないよな?」
「あ? ああ、あれか……」
「あれか!? 知ってたのか? 知ってて、あんなこと……っ!!」
 全身真っ赤になって、肩を震わせる遊裏に、克也は首を振って言葉を繋ごうとした。
「いや、そうじゃなくて……」
「見損なった!! 克也のバカヤロー!!」

 言うなり、拳を握り締め、無防備の克也の腹部に極めると、遊裏は踵を返して駆け出した。


「……あ、あのなぁ……」

 思い切り急所に、拳を入れられて、身体を折り曲げ蹲る克也に、英二がしみじみと呟いたのである。

「……遊裏ちゃん相手じゃ、形無しだねぇ? 克っちゃん」
「うるせえ……」

 涙目で凄んでみたところで迫力の欠片もない。
 英二は、大きく溜息をついて、肩を竦めた。
「……一応、遊裏ちゃんは、『Flame』のメンバーってことになってるけど」
「ああ、昨日、登録したからな」
「いきなり、克っちゃんの隣に立ってるってことで、結構、やっかまれてたりするんだよな。……一人で外に出して大丈夫かな?」
「……なあ。英二?」
「何だよ?」
「オレは、ここで遊裏の攻撃で苦しんでだから、手が空いてるお前が、アイツを追いかけてくれてもいいだろうがっ!!」
 怒鳴るだけの力が戻ったことを、認識して、克也は遊裏の後を追って駆け出した。



「本当はちゃんと自分で行きたいくせに」
 肩を竦めて独りごち、英二は食堂の方に足を向けたのである。





    ☆    ☆    ☆


「克也のバカ、克也のバカ、克也のバカ、克也のバカ、克也のバカ」

 隠しカメラが未だに残ってることもショックだったが、それが設置されたままであることを知りながら、放置していた克也の対応に腹が立つ。
 下手をしたら、昨夜のことだって……。
 思うだけで、カーッと頭に血が上りそうになる。
 慌てて頭を左右に振り、大きく深呼吸をした……ところで、何かが遊裏の目の前を掠めて、反射的に遊裏は後方に飛び退っていた。

「……誰だ!?」
 右手に当たる壁に目を向けると、短い羽のついた……短いダーツの矢が突き刺さっていた。
 慎重に周りを見回して、遊裏はポケットの中に右手を忍ばせた。
「新入りの癖に随分態度がデカイんだな」
 聞こえたのは少年の声で、遊裏は目を軽く瞠った。
「……あんたは?」
「オレは、ヴァロン。Eブロックの【LUNA】で用心棒をしている」
「……要するに……【Flame】のメンバーなんだな?」
「まあ、一応……そう言うことになるな」
「それじゃあ、これはどう言う意味だ? 喧嘩でも売ってるつもりか?」
 ダーツを抜き取って、遊裏が問い掛けるとヴァロンは肩を竦めて、苦笑を浮かべた。
「まあ、そう言うことになるかな? 何で、あんたが新参者のくせに、城之内の側に……要するに、幹部が住むあの家に迎えられたのか……」
「そんなことが、何で気になるんだ?」
「そりゃ……城之内は他人を信用しないからだよ」
「……え?」
「知らないのか? アイツはこの【Flame】のリーダーになっちゃいるが、みんなアイツの炎の力を恐れてるから従ってるに過ぎないんだぜ? 怒らせたら、焼き殺される……。その恐怖心があるから、従ってるだけだ」
「そんなことはない! あそこに集まって来る子供たちだって、みんな克也くんを慕っていた!」
 否定を口にすると、ヴァロンは心底から可笑しそうに笑い出した。
「そりゃ、ガキは真実を知らない。ガキには強さが全てだ。強いリーダーが、嫌な敵を倒してくれる。それだけで、慕う理由になる。オレにだって、炎を操る能力があれば、城之内を打っ倒して、この領域を支配して見せるさ」
「……」
「他人を信じない奴が、他人に信じられると思うか? アイツは自分に対する恐怖心だけで、ここの連中を従えてる……」
「英二たちは? 英二や、周助や、リョーマは! あそこで同じように一緒に暮らしてる……! 彼らは、本気で克也を信じているし、信頼しあってる!」
「……そりゃ、Radiusに不満を持つ者の中で、自分に従う者を選別してる最中に一緒に戦った仲だからな……。他の連中よりは、通じてるところがあるんだろうよ……。でも、信頼してるかどうか……疑わしいがな」
 嘲るように言うヴァロンに、遊裏は慎重に声のトーンを落としてかけた。
「……それで、何が目的だ?」
「だから……アンタが何で、アイツの側に居られるのか……それを見極めさせて貰う」
「……? どう言う意味だ?」
「ことと次第に寄っちゃ、利用させて貰うつもりだ」
「……」
「城之内に対する牽制としてな」
 言うと同時に、ヴァロンが動いた。
 あっと言う間に距離を詰められて、遊裏は仰け反るようにその右手の攻撃を避けていた。
 だが、態勢が悪く、バランスを崩して、倒れ込みそうになる。
 更に拳を上げて、詰め寄って来るヴァロンに対して、遊裏は右手を前に突き出した。
「避けた方が身のためだぜ?」
「……っ!?」
 遊裏の言葉と、同時にその親指が動いた。
 咄嗟に、身体を少しだけずらして、横に転がるようにして倒れ込んだ。
 銀色の光が、空に向かって放たれる。
「……な、何だ?」
 ヴァロンが離れた隙に立ち上がって、遊裏は、そのまま倒れているヴァロンに向かって、もう一度、右手を突き出した。
「あの至近距離で避けたことは褒めてやるぜ。だが、オレを克也くんへの足枷に利用しようと言うなら、このままにしない。二度とそんな気が起きないように、叩きのめす」
「何……?」
「足手まといにはならない。何があっても……。もし、オレが足枷になると言うなら、オレはオレを殺す」
「……」
 遊裏の言葉に、ヴァロンは目を見開いた。

 暫しの膠着状態が続き、互いに身動きが取れず、睨み合う。
 すぐ側を、数人の子供のグループが駆けて行く足音と歓声が聞こえて来た。

「……口だけなら、何とでも言えるぜ?」
 静かにヴァロンが口を開く。
 遊裏は薄く笑みを浮かべて、肩を竦めて言った。
「そうだな。だが……オレにはその覚悟があるのさ」
「会ったばかりの奴に、何でそこまで入れ込める?」
 怪訝な表情を隠すこともなく、再度、ヴァロンが問い掛けた。
「そうだな。克也くんとは確かに会ったばかりだ……。だけど……彼がここにどれだけ必要な人間か判ってるつもりだ。彼の弱みにも足枷にも、なるくらいなら、オレはオレ自身を殺す。それが、オレのプライドだ」
 キッパリ言い切る遊裏に、ヴァロンは失笑を浮かべながら、窺うような視線を向けて、
「なら、証明してみろよ?」
「……アンタじゃ無理だ」
「何?」
「オレが克也くんの足枷になるって前提が、アンタには出来ない」
「何で、そんなことが判る?」
「アンタは、曲がりなりにも克也くんの仲間だ。たとえ、どこかで裏切ろうと画策していたとしても、まだ、裏切った訳じゃない」
「……」
「更に言うなら……オレは克也くんを裏切った奴に容赦するつもりはない。それだけのことだ」
「………………」

 一瞬の沈黙。
 次の瞬間、切り裂くように聞こえたのは子供の悲鳴だった。
 ハッとしたように、互いに顔を見合わせて、声のした方に走り出す。


「あれは……」
「ちっ! またミドルエリアから入り込んだか!」
「……ミドルエリアから、ここに入ることは出来ないんじゃないか?」
「gateは……確かに二つしかない。だけどな、周りを見てみろよ。この瓦礫の山。あちこちに穴が空いて、そんな隙間を全て網羅することは不可能だ。脆くなった場所から新たに入り込む奴だっている。今まで、破られた箇所には、もちろん、不二が感知センサーをつけたりしてるようだが……」
 そこに居たのは、遊んでいた子供だけじゃない。
 ここに住む遊裏や、ミドルエリアから来たと思われる少年たちと同年、それ以上の人間もかなりいた。
 だが、動けずに、それを悔しげに見つめることしか出来ないで居たのである。
 ――逃げ惑う子供たちを面白半分に取り囲んで、脅している数人の少年たちに向かって遊裏はゆっくりと歩き出した。
「……いい加減、みっともない真似は止めたらどうだ?」
 ある程度近付いた場所で立ち止まり、遊裏が挑発的に言葉を発すると、少年たちは剣呑な視線を向けて、遊裏の姿を認め、鼻で笑った。
「ガキが何言ってんだよ?」
「けっ! ガキはガキらしく、ビビッて、怯えてりゃ良いんだよ!」
 言って、持っていた角材を遊裏に向かって振り下ろした。

 寸分の差で、遊裏はそれを躱した。
 動いたのは頭部のみで下半身は、その場から移動していない。
「そうやって、見た目だけで相手の強さ弱さを量れない奴ほど、弱い相手に粋がるんだよな?」
「……何?」
 取り囲まれた子供たちは、一ヶ所に固まっている。
 その前に、二人。
 後ろに三人。
 少し離れたところに一人。
 答えて来たのは手前の二人で。
 遊裏は、ズボンのポケットに手を入れて、抜き出すと同時に、手前の二人の足元に、指弾を放った。
「なっ!?」
「何だ?」
 放つと同時に駆け出して、バランスを崩していた一人の肩に手を載せ、弾みをつけて跳躍し、その隣にいたもう一人の顔面に蹴りを入れて、昏倒させる。
 そうして、まんまと子供たちの前に飛び下りた。
「……コイツ……」
「いい気になるなよ、ガキが……」
「ガキガキ煩い……。オレは、これでも今年の6月で16なんだ。大して変わらないだろうが?」
「うるせえ! 見た目は小学生じゃねえか!!」
 明らかに、遊裏はむっとしていた。
 先ほど、肩を借りた少年に向かって、指弾を連射して、駆け出し、そのまま懐に飛び込んだ。
 全体重をかけて、肘討ちを相手の鳩尾に入れて、倒れ込む少年の首筋に手刀を落とす。
 そこに角材で殴りかかって来た少年の、それを避けて、逆に手を掴んで逆に捻り上げる。
 乾いた音を立てて、角材が地面に転がった。
「このまま、こっちに腕を動かすと……骨、折れるぜ?」
「……ひっ!?」
「返り討ちに遭う覚悟もないくせに、人を襲ったりしないことだ」
「……や、やめ……」
 喘ぐように言う少年に、遊裏は嘲笑を浮かべて、その腕を放した。
 だが、直ぐに身を屈めて、鳩尾に拳を叩き込んで、気絶させる。
「……そこまでだ」
 かけられた声に、残りの二人が、子供の一人にナイフを突きつけていた。
「……ガキ、殺られたくねえなら、抵抗すんじゃねえ」
「……」
 肩を竦めて、遊裏はチラッとヴァロンが居るであろう方向に視線を向けた。
 離れた場所だったから、ここから、姿を確認することは出来ない。
 期待は出来ないかと、諦めつつ……。
 遊裏は、両手を上げて、降参の意を表した。




「で? どうすんだよ、舞。予定外だぜ?」
「どうにもピンチみたいだね。加勢した方が後々のために良いかも知れない」
「……城之内のためか?」
「って言うより、自分の身の保身のためだよ。判ってんだろ?」
 金髪のウェーブのかかった長い髪を軽く後ろに払って長身の美女が、苦笑した。
「城之内を本気で怒らせたら、この辺一体壊滅だよ?」
「あーあー……判ってるって。畜生……」
 濃茶色の少し癖のある髪をかき回し、ヴァロンは背中に背負っていたボーガンを取り出した。
「あ……」
「……一足遅かったようだね。ここからの援護でも大丈夫だとは思うけど……」
「本当は悔しいんだろ? 新参者に、本当は行きたかった場所を取られて」
「そのことについては、後でゆっくり話してやるよ? ヴァロン」
 ニッコリ笑って彼女は言い、薮蛇だったとヴァロンは肩を竦めた。

「私じゃダメだってことは、とっくに判ってたことだからね」
「……判んねえなー……舞の方が断然いい女なのに……」
「ふふ……女を見る目がないんだよ。でも、人間を見る目はあるかもしれない」
 ――もう少し距離を近づけようと、舞とヴァロンは、そこから駆け出した。





      ☆    ☆   ☆

 遊裏の腕を後ろに回して、その辺で見つけてきたらしいロープで縛り上げる。
「へっ! ガキを人質にと思ったが、ガキはうるせえからな。丁度良い、人質だぜ」
(人質? 誰に対して……なんて考えるまでもないか……)
 克也に対しての人質。
 いみじくも、さっきヴァロンが言っていたことが、証明出来る状態が来たのかも知れない。
 もっとも、遊裏としても死にたい訳でもないし、この状況の打開は、子供たちさえいなくなれば、どうとでもなると踏んでいた。
 自分を拘束したことで、子供たちに見向きもしなければいい。
 そうすれば……

(オレは自力で逃げられる……)

 子供たち全てを守るには、あまりにも手が少なすぎる。


 だが、移動する間も、それこそ、連絡する手間さえも省かれる状況になってしまった。
 バイクのエンジン音が聞こえたと思ったら、目の前に横滑りに停まったのである。
(あちゃ……こう言うの、ありか?)

 まだ、そこに子供たちがいる。
 恐怖で足が竦んで、逃げ出せないでいる。
 少年たちの意識は、子供たちにはないが、『今のうちの逃げ出そう』と考える余裕すらないようだ。
 泣きながら、一塊になっている。
 その子供たちに向かって、遊裏は鋭く声をかけた。
「逃げろ!」
 ハッとしたような目を向けて来た一人の少女に、もう一度、遊裏は強く言った。
「ここから離れろ! 立って、走って逃げるんだ!」
 遊裏の言葉を理解したのか、その少女は、瞳に力を取り戻し、まだ泣いている子供たちの手を引くようにして、立ち上がった。
 何かを呟くように唇を動かす。
 少年たちは、遊裏の言った言葉の意味が理解出来なかったらしく、動作が遅れた。
 子供たちが駆け出し、それから、遊裏の言葉の意味に気がついたリーダー格の少年が、叫ぶように言った。
「逃がすな!」
 その声に、驚いたのか、最後を走っていた子供が転んで倒れた。
 その子供の腕を掴んで、持ち上げられるのを見て、少年のリーダーが下卑た笑いを浮かべて、遊裏を見下ろした。
「子供が逃げれば、何とかなるとか考えたのか?」
「……くっ」
 唇を噛み締めて、遊裏は視線を前方に向けた。
 バイクに乗っていた青年が、ゆっくりと地面に下り立ち、こちらに向かって来る。
「楽しそうだなー遊裏……。怒って勝手に出て行って、この様か?」
「……克也くん」
 コメカミ辺りが微妙に引きつったような気がした。
(根に持ってやがる……)
 状況を理解しろと言いたいが、不意に口を封じられた。
 別の方向からナイフが喉元に突きつけられる。
「それ以上、こっちに来るな。てめえが、Flameのリーダー『城之内克也』か……?」
「まあ、一応……そうかもな」
 肩を竦めて、克也が答える。
「丁度良い。呼び出す手間が省けたってもんだ」
「……オレに用があった訳?」
 まるで世間話でも、しているかのような能天気な克也の言葉。
 状況は明らかに克也が不利なのに、焦燥感の一つも見せない克也に、遊裏は訝しげに眉根を寄せた。
 自分の動きは少年たちに封じられているだけじゃなく、少年の一人が捕らえている子供によっても為されている。
 下手なことをすれば、子供に危害が加わる。
 だが……。

「まず、食糧だ。ありたっけの食糧をミドルエリアに送れ」
「……ふーん。 まあ、ミドルエリアには後ろ盾がねえから、飯には困るよな」
 まるで同情するように、克也は言った。
「それと、女だ。そっちに居る、女を全部寄越せ」
「……それは、また……暴利だな……」
 どこまでも能天気な克也の受け答えに、ミドルエリアから来た少年たちは、拍子抜けしたように、油断した。
 それまで、多分、噂で聞いた『Flameのリーダー』に対して持っていた警戒心を一気に解いてしまったのである。

 遊裏は、拘束されていた筈の手首をロープから抜いて、同時に少しだけ離されたナイフを持つ手を掴んで、思い切り手首を反り返らせた。
 隙を付かれた少年の手から、ナイフは離れて、地面に落ち、自分の肩を掴んでいた相手の腕も緩められる。
 更に出来た隙に、遊裏は身を沈めて、地面に両手をついて、軸にし、相手の浮いた足を払った。
 ――と。
 遊裏の真横を掠めて矢が飛来し、子供を掴んでいた少年の腕に突き刺さった。
 驚愕に少年は目を見開き、子供が地面に落とされる。
 それを、遊裏は滑り込むようにキャッチして、矢が飛んで来た方に視線を向けた。
 喚く少年の腹に拳を入れて、遊裏は立ち上がった。
 一人残された少年は、そのまま怯えたようにその場に座り込んで、ジリジリと後退って居る。
 その少年の胸倉を掴んで、立たせると、その腹に当身を入れて、克也が気絶させた。

「……克也くん」
「このバカ!!」
「……な、何でいきなり怒鳴るんだ? 大体、君こそ、何なんだ? あの受け答えは!?」
「……」
 怒鳴り返した遊裏の身体を、強引に引き寄せて、抱き締める。
 その、克也の腕が震えていたことに気が付いた。
「克也くん……?」
「……どれだけ、我慢してたか……判ってんのか?」
「あ……ごめん」
「制御は……出来る。でも……威力を抑えられるか……自信がなかった……」
 更に、きつく抱き締めて来る腕に、遊裏は軽く息をつき、そっと自分の腕を克也の背中に回した。

 炎の暴発、暴走は制御出来ると思った。
 だが、その威力を制御する自信がなかった。
 余波で、遊裏を、彼が守ろうとする子供を傷つけるかも知れない。
 思うと炎をさえ発することが出来なかった。
 それでも、遊裏に触れているあの少年の手が厭わしくて、ハラワタが煮えくり返るくらいの苛立ちに苛まれた。

 何とか、言葉で相手に油断させて隙を作る。
 冷静に判断した自分の思考に、舌打ちを漏らしながら、それでも演じきって見せた。

 隙を……自分ではなく、遊裏自身が、そして、更に見知った人物が利用したことに、克也は自嘲を覚えつつ、それでも。
 遊裏の機転に感心するしかなかった。

「そう言えば、お前、縛られてたんじゃないのか?」
「あ。ああ……前にテレビで見たんだ。後ろ手にロープで縛られた時の対処法」
「は?」
「こうやって、親指を交差させとくと、親指を引き抜けば余裕が出来るだろう?」
「……」
「何だ? 克也くん」
「いや……何でもねえ」
 背後からバイクの音が聞こえて来て、英二や周助がやって来るのが見えた。
 他のメンバーも合わせてやって来て、事の成り行きを見守るしかなかった住民たちも混ざって、そこは俄かに騒がしくなった。
 ミドルエリアから来た少年たちは、そのまま、ミドルエリア内に送り返され、翌朝からとりあえず、Cブロックのミドルエリア側との境界のチェックをすることになった。


    ☆   ☆   ☆



「ねえ、克っちゃん」
「何だ、英二」
「あのさ、一人、ボウガンの矢が突き刺さってたけど……もしかして……?」
「ああ。多分な。遊裏が何か知ってそうなんだけど、教えてくれねえんだよな」
「でも……それって……ここに来てたってことだよね?」
「ああ。相変わらず……挨拶にも立ち寄りもしねえ……。多分、遊裏を確かめに来たんだろうな」
「確かめる……ああ、そうかもね」
 その遊裏は、この家の裏庭で、リョーマに稽古をつけている。
(結局、遊裏が習ったことのある護身術を幾つか教えることにしたらしい)
 窓の外に、そんな遊裏とリョーマの姿を見つめ、英二と克也は知らずに互いに笑みを浮かべていた。

 Eブロックの孔雀舞から、遊裏に宛てて、非礼を詫びるメールが届くのは、その夜のことだった。


<Fin>



ああ、思い通りに文章を書くってやっぱ難しいですねー;;
でも、短編にしては長過ぎ……(爆)

……色んな意味で玉砕かもー(涙)