Red Eye


「さて……」
 小さく声を漏らして、青年はブルースプリングシティを治める領主の居城の一つを見上げた。
 長身痩躯の身体を黒い服で覆い、夜目にも鮮やかな金茶の髪を同じような布でまとめて隠した。見上げるほどに高い壁も、青年にとっては、どれほどのものでもない。

『止めた方が良いと思うけど』
 聞こえた声に、青年は苦笑を浮かべて肩を竦めた。
「珍しいな? レッドアイズ」
 忠告をして来たのは、肩に乗るほどの、小さく真っ黒なドラゴンで、その目は名前通り真紅に輝いている。
『……だって、嫌な気配が満々なんだよ、ここ……』
「そりゃ、オレだって感じてっけど。でも、しゃーねーだろう。市長の娘の『ブルーダイヤモンド』を奪り返すためなんだから」
『……そうやって、イイトコみせて、ちやほやされたいんだね? カツヤ』
「ちっがーう! オレは純粋にだな……」
 からかうようなレッドアイズの言葉に、向きになって反論する青年――カツヤ=ジョーイ=フェラーに、更にレッドアイズは、冷静な声を挟んで言ったのである。
『こんなとこで騒いでたら、見つかるよ?』
「……判ってんよ!!」
 カツヤは、腰に差していた剣を鞘ごと地面に突き刺した。
 何度かその場で軽く跳んで、助走をつけて地面を蹴り、更に地面に突き刺した剣を踏み台に、高く跳躍する。

 塀の上に飛び乗って、手にしていた紐を強く引くと、地面に突き刺していた剣が引き抜かれて、カツヤの手に収まった。

「どうだ? レッドアイズ」
『うん。見たとこ、派手な魔法結界はないよ』
「標準並の、結界ってことだな?」
『そういうこと』
 レッドアイズの断定に、カツヤは頷いた。

 この世界には『魔法』と呼ばれる特殊な力が存在していた。
 光と闇、それに四つの元素を主体にする精霊が、彼らの言葉を聞くことの出来る人間――総じて魔力を持つ人間に、力を貸し与える形で魔法が発現する。
 魔法を発動する方法は、大きく分けて三つ。
 一つは術者が自分の『声』で放つもの。
 一つは術者の『武器』に『呪文』を付加して、属性を持たせて、同じ効果を発現させる方法。
 そして、最後は……。
 札や魔法陣を使って、その場にいなくても、結界を張ったりすることである。
 触れれば術者に伝わる上に、派手な音や光を発する仕組みになっていたりもする。

「結界を張ってある場所の限定は?」
『建物の手前から、この塀までびっしり』
「そりゃ、地面に下りたら一発で終わりってことだろうが?」
『ま、そういうことだね』
 表情の変わらない割りに情感たっぷりに言う漆黒の竜に、カツヤはげんなりした様子で答えた。

「ったく……。ここって貴族の別邸だろ? よっぽど優秀な魔法士を雇ってるか……それとも…」
『主自身が優秀な魔法士だったりしてね』
「ああ、やだやだ」
 塀の上で首を振りながら、カツヤは細長い糸状のものを取り出した。
「頼む」
『しょうがないなー』
 その糸を口に咥えて、レッドアイズは宙に舞い上がった。
 二階のテラスに注意深く下り立ち、一瞬だけ姿を人のものに変える。
 テラスの手すりに糸を括りつけ、同時に竜に姿を戻して舞い上がった。
 それを合図に、カツヤは糸をグイッと引っ張り、切れないことを確認する。
 そうして、塀を蹴って、壁に向かって跳んだのである。

「つくづく思うんだけどよ」
『何を?』
「魔法使える奴が、こう言うことやってたらぼろ儲けじゃねえ?」
『……』
 しみじみというカツヤに、竜は呆れたような視線を向けて来た。
 鍵を外すのは、得意中の得意であるカツヤは、音もなく窓の鍵を外し、そっとを開けて中に身を滑り込ませる。
「……ここの領主ってか、寧ろ宝石好きなのは、女房の方だって言うからな」
『じゃあ、奥さんの部屋?』
「ああ。下調べはバッチリ。基本中の基本だしな」
 カツヤは、普段は流れの剣士という身分で旅をしている。
 兵士志願として、この城にやって来て、ちゃっかりここで傭兵として雇われていた。
 もちろん、一介の傭兵が、領主やその妻の部屋など、近寄れる訳もない。
 だが、そこはカツヤの人好きのする性格が功を奏した。
 下働き、上働きの小間使いや女官とも仲良くなり、気さくに話を引き出した。
 下心を持って接すれば警戒をみせる女性も、三枚目風な男性には、その警戒を緩める節がある。
 普段のともすればふざけているとも言えるような態度や話し方と、一変して、怒気を含んだ時のギャップもそれを助けた。なまじ実力があるだけに、大の男もカツヤの一睨みで引いてしまう。

 彼に盗みの技を伝授した師匠は、『盗みを成功させるためにゃ、やるべきことは抜かりなくやり尽くし、時間はかけられるだけかけて、、確実に成功させる自信があるときに、実行すりゃ良いのさ』とあっけらかんと言っていた。

「ま、それも時と場合、臨機応変に変えるべきだとも言ってたけどな」
『それは物は言いようだよね?』
「本当にドラゴンかよ、てめえは」
 まるで人間くさいレッドアイズの突っ込み、更に突っ込み返し、カツヤは目的の部屋に向かって軽快に駆け出した。



 幾ら宝石が好きでも、眠る時にまでつけてはいられない。
 はっきり言って邪魔であるし、ましてやダイヤモンドは、世界で一番硬い鉱石である。
 下手をすれば、引っ掻き傷が出来てしまうこともあるために、注意が必要だ。
 だから、当然……寝室ではなくそれ専用の部屋に保管されているはずである。
 その部屋の場所も、しっかり小間使いの一人から聞き出してある。
 向こうは、ほんの世間話の軽口のような感じで話していた。
 そこに保管されている宝石の数や、その色取り取りの輝き、素晴らしさを、それこそ目を輝かせて嬉々として喋ってくれたのである。

「さて。見張っててくれよ?」
『はいはい』
 面倒臭そうに言って、レッドアイズは少し離れた先に向かった。
 その間に、カツヤはドアの鍵に取り掛かり、やはり物音を立てることもなく、外したのである。
 部屋の中に入って、さすがにカツヤは目を瞠った。
 右側にガラスケースが並べられ、そこにありとあらゆる宝飾品が陳列している。
「まるで、どこぞの宝石店だな」
『捻りも何もないね? カツヤ』
「捻る必要もねえからな」

 呟きつつ、カツヤはそこに宝石を物色し、ガラスケースの上にあるビロードが貼られた箱に目が行った。
「ビンゴ」
 小さく呟き、その中にあった『ブルーダイヤモンド』の指輪を手にした。
『カツヤ……何か近付いて来る』
 レッドアイズが長い首を戸口の方に向けて、そう言った。
 少し考えるように、カツヤはドアを見つめ、それからふっと高い位置にある嵌め殺しの窓に視線を向けた。
「見つかったってことか?」
『多分……。でも、人の気配は一人だよ』
 答えたレッドアイズに、カツヤは背中に背負っていた剣を引き抜いた。
『カツヤ?』
「強行突破。ガラス割るから、先に出ろ」
 そう言って、剣を構えて呼吸を整えた。
 ゆっくりと後ろに引いた剣を、気合いとともに振り払った。
 剣圧が、まるで風のように、一線を描き窓ガラスに向かい、それを割ったのである。
 その窓から、先に出たレッドアイズに続いて、カツヤも跳躍して窓に取り付き、外に身を乗り出した。
「滅びのバーストストリーム!!」
 聞こえた声に、カツヤは目を剥き、その場に来たレッドアイズの背に飛び乗った。
 レッドアイズの大きさは、はるかにカツヤを凌ぐ大きさになり、雄大な羽を広げて上空に舞い上がる。
 白い閃光は、カツヤのいた場所を焼き払い、粉々に破壊してしまっていた。
「ち……っ! 逃げ足だけは早いようだな。賊」
 心底から残念そうな声が聞こえて、ハッとしたように視線を上げた。
 城の尖塔の部分に一人の青年が立っている姿が月明かりの中でぼんやりと見える。
「レッドアイズ……? あいつか、部屋の外にいたのは……」
『そうだが……。幾らなんでも一瞬で移動することは不可能だな』
 形態の違いで、このドラゴンは喋り方が変わる。
 喋り方の違いに、今更突っ込むことはせずに、カツヤは唇の端を吊り上げて笑みを浮かべた。
「瞬間移動の正体はオレと同じだろうよ」
『ああ。だが、かなり厄介な相手だな……』
「おう。しかも二頭……とくれば尚更な」
 先ほどの閃光。それは、あの生き物が吐いた――『龍の吐息(ドラゴンブレス)』だったのである。
 白い肢体に、青い瞳のレッドアイズよりも一回り大きなその龍が、二頭。
 青年の周りに羽ばたいていた。

「二頭のブルーアイズに臆したか? 賊が! だが、貴様が連れているドラゴンは『真紅眼の黒竜』のようだが? 人には懐かず契約も結ぶことはないと聞いたことはあるが……」
 こんな夜更けに、ドラゴンブレスをかまして、盛大に声を張り上げているこの人物が何者なのか、カツヤには既に判っていた。
 この城の城主の子息――セト=カイバ……確か優秀な召喚士だったはずである。
「レッドアイズ。何とか、あの尖塔に近付けねえか?」
『それは、私に死ねと言うことか? カツヤ』
「……いやぁ〜飛び移れれば良いんだ。あの野郎の所に」
『ブルーアイズ二頭はきびしいがな。貴様が、本来の召喚士でないことが、今ばかりは腹立たしいぞ』
「普通の召喚士に使われるのは嫌って我が侭こいてんのは、そっちだろうが!」
 笑みを浮かべながら悪態をついて来るカツヤに、小さく溜息をつき、レッドアイズは口を大きく開いた。
『しくじるなよ?』
「誰に言ってんだって!」
 レッドアイズは、開いた口から焔の塊を吐き出した。
 その反動にも揺らされることはなく、カツヤはその背に座ってタイミングを見計らって、レッドアイズの攻撃を、ブルーアイズが避けた……瞬間に尖塔に飛び移った。

「召喚士様、直々のお出ましってか?」
 言いながら、鞘に戻していた、剣を再度引き抜いた。
「ふん。そう言えば、だれぞが噂していたな。貴族や金持ちの屋敷に、無謀にも単身で乗り込み、目的のものを奪取。痕跡を残さず綺麗に去って行く……。怪盗『Red Eye』だったか……」
 何だか巷ではそういう風評が流れていることは知っている。
 それほど、回数をこなしてる訳ではないのだが、『Red Eye』の噂は、庶民の間で広まり、標的にされる貴族たちの間でも、有名になりつつある。

「あーあ。それがオレの信条だってのに、あんた自分の母親の宝物庫、破壊しちまって良いのかよ?」
「ふん。また、改めてもっと新しいもの、よいものを集める機会が出来たと……はっ! 喜ぶ姿が目に浮かぶ。どう考えても無駄にしか過ぎんうえに、非効率的だがな」
 宝石になんら価値を見出していないらしいセトの言葉に、カツヤは思わず頷いた。
「そいつにゃ、同感。でも……その小さな石ころの値打ちが、金銭的なもの……とは限らねえんだな、これが……」
「……」
「人の良心が込められた思いってのは、無視出来ねえんだよ、オレは」
「甘いな」
「ああ、師匠にも、散々毒づかれたぜ。『貴様はそれで命を落とす』ってな。盗みをするのに大義名分はいらない。寧ろ邪魔だ……とかな」
 割り切れないなら、盗みなどしない方が良いとキッパリ告げられた。
 だけど、それでも……死にたくなかったから、この能力を身につけた。
 生きたかった訳じゃない。ただ、どうしても死にたくなかった……。それだけだ。

 体がデカクなって、力もついて、剣の腕をそれなりに上げてからは、盗みを働くことは少なくなった。剣の腕で仕事が来る。傭兵でも、用心棒でも。
 盗みのスキルは必要なくなったと思っていたが、それを半ば人助けに使っていると、師匠に知られれば、悪し様に罵られるだろう。
『馬鹿につける薬はねえな、カツヤ』
 声までくっきりと思い出されて、カツヤは思わず眉を顰めた。
 決して、相手を嫌ってる訳ではない。これは殆ど、条件反射のようなものだ。
「へっ……でもまあ、これがオレの性分なんでね。だから、人助けで死なねえって決めてんだよ、オレは!」
 剣先を下方に構えて、カツヤは足を踏み出した。
 瞬間、セトの眼前に迫り、剣を上方に払うように揮う。
 紙一重で躱したセトに、カツヤは僅かに目を瞠って、続け様に剣を振り下ろした。
 白い閃光がカツヤの視界を覆う。
「なっ?」
「ククク……俺が召喚士だと、判っていたのではないのか? Red Eye」
 その言葉に、上空にいたはずのブルーアイズがいつの間にか消えて、目の前に別の召喚獣が立ちはだかり、カツヤの剣をその爪で受け止めている。
「……」
 茫然としていたカツヤが、唇の端を吊り上げて笑みを浮かべた。
「だろうな、召喚士!」
 呟くと同時に、飛び離れて、更に尖塔から飛び下りる。
「邪魔なブルーアイズを排除したかったんだよ。ありがとな、こっちの思惑に乗ってくれて」
 そう言って、カツヤはレッドアイズの背中に飛び下りると、そのまま、上空高くに舞い上がって行った。
「なっ!?」
 セトが何かを叫んだようだが、生憎カツヤには聞こえなかった。
 ある意味、聞こえない方が、幸せだったといえるかも知れない。

 深夜の内に、市長の家に『ブルーダイヤモンド』を届けて、カツヤたちはそのまま泊まっていた宿へと足を向けたのである。

    ☆    ☆


 夜が明けて――
 宿のロビーが騒がしく、寝不足のまま起き出したカツヤは、吹き抜けから一階を見て、うめくような声を漏らした。
 その声に、反応したのかその場にいた人物が自分を見上げて口を開いた。
「見つけたぞ、Red……」
「うぁああああああ!! カツヤだ!! カツヤ=フェラー!!」
 焦りながら、自分の名前を殆ど叫ぶように名乗り、その場から一階に向けて飛び降る。
 他の客たちが悲鳴に近い歓声を上げる中、それら全てを無視して、自分を別の名で呼ぼうとした目の前の青年に掴みかかった。
「てめえ、嫌がらせに来た訳か? 昨夜の報復か?」
「……別に、貴様を捕らえに来た訳でも、嫌がらせでもない。そんなことをする時間も惜しいからな」
「なら、何しに来たんだよ!?」
「こちらにもこちらの事情があってな。……当分、貴様について行くことにした。よろしく頼むぞ。Red……」
「じゃねえ!!」
 カツヤの絶叫も虚しく、青年――セト=カイバはにんまりと笑って言った。
「ほう……。そうだな、貴様が承諾出来んと言い張るのならば、貴様の正体が怪盗『Red Eye』と言うことを公にふれて回るとしようか? 庶民に人気があろうと、罪は罪。捕まれば取り敢えずは獄中暮らしが待っているぞ」
「……っ!」
 ぐうの音も出ず、カツヤは目の前の青年を睨みつけて、次に脱力した。
「ああもう、好きにしてくれ……。こっちもまだ、くさい飯は食いたくねえ」
「なら、交渉成立だな?」
「交渉じゃねえ! そりゃ、強迫だろうが!?」
 しっかりと突っ込みながら、肩を竦めて大きく息をつき、
「取り敢えず、飯でも食うか。レッドアイズ!」
 呼ぶと、小さな黒いドラゴンが、カツヤの肩に舞い降りた。
 それに対し、セトが訝しげな目を向けるが敢えて何も口にしなかった。
「で? あんたは朝食は食った訳?」
 カツヤの問いに、セトは首を横に振った。
「城の者が目を覚ます前に出てきたからな。そんな暇などなかったな」
「そう言えばあんた貴族だよな? 良いのかよ? 家ほっぽって旅に出たりして?」
 肩を竦めて、セトは鼻を鳴らした。
「どっちの家にもオレは邪魔な存在な訳だ。何せ、オレは頭が良すぎる上に、腕の立つ召喚士だからな。まだまだ、現役を誇りたい、俺の本当の父親も養父も、いつ寝首をかかれるか、戦々恐々の毎日だった筈だ。いっそ、いなくなって清々すると思うぞ?」
 自分で『腕の立つ』と言うセトに呆れながらも、カツヤは肩に止まったレッドアイズに向かって言ったのである。
「何とか撒けねえかな?」
『無理だね……。召喚士だもん。腕の立つって言うのも本当だよ。……ボクの気を追って、ついてこられるからね。契約してなくても、この人間界にい続けることの出来る召喚獣なんて、そういないから』
 どちらにしても、バレバレになるよと言うレッドアイズに、カツヤは大きく溜息をついた。
「くそー……腹減った。こういう時は、やけ食いだな」
『朝からそんなに食べる気なの?』

 だが、結局のところ――
 一人騒がしい人間が増えただけのことで、カツヤ自身に取っては、何も揺らぐことのない日常の出来事でしかなかった。


「鬱陶しいけど、まあ、どうにかなんだろう……。さーて、今日はどこまで行くかなー」
『行けるとこまででしょ?』
「まあな!」

 軽快に笑ってカツヤは窓から見える空を見つめて、春の匂いを風の中に感じた。


<Fin>