「結局、君はついて行くことにしたのかい?」 自室で寛いでいると、幼馴染みのシュースケに声をかけられて、エージはキョトンとした目を向けた。 「当然じゃん? カッちゃん一人にしないって決めてるし。でも、遊裏との仲を邪魔するつもりもないよ」 「だから、猫のまま?」 「そういうこと」 にっと笑うエージに、シュースケは何とも言えない苦笑を浮かべて、肩を竦めた。 「まあ、君がそれでも良いって言うのなら、僕が口を出す権利ないんだけどね」 「判ってんじゃん。それに、今度はカッちゃんも公式契約で、しかも『消えるかも知れない』なんてない訳だから全然安心でしょ?」 あっけらかんと言って、エージは立ち上がった。 「エージ! そろそろ出掛けるぞ!」 まるで当たり前のようにエージを呼びに来る、この魔界の皇子であるジョーイ=カツヤ=ダークネスにシュースケは本気で諦めたように溜息をついた。 「その内、ボクも遊びに行くよ。今度は穏やかにね」 「来るなら、そう願うよ。本当にね」 エージはそう答えて、自分の荷物を持って部屋を出たのである。 部屋の外にいたカツヤがエージの部屋を覗き込んで、シュースケに向かって口を開く。 「今度来たら、遊裏に謝れよ」 「はいはい。判ってるよ……ジョーイ殿下」 にこやかに手を振るシュースケをどこか剣呑に見つめながらも、カツヤは嬉しさを隠し切れない様子が窺える。 「本当に……人間界で暮らすことの意味を、全く理解してないね。ジョーイは……」 フォローはエージに任せるしかないかと独りごち、シュースケはその場から掻き消すように消え去った。 Prince of Dark2 Dearest Act1.波長 城之内克也と名乗るカツヤにくっ付いて学校までやって来るのも、エージにとっては最早日課のようなものだった。 カツヤの学校での『授業』と言うものが終るまで校内をブラブラしていることも、既に慣れていた。 日当たりのいい場所でゴロゴロと寝るのもかなりお気に入りだし、女生徒には少し甘えて見せると色んな食べ物をくれて可愛がってくれるので、エージはそれにも満足していた。 カツヤのように、人間に興味はなかったから、適当に愛想振り撒いて、適当に可愛がられていれば良かったのである。 「だから、生意気だって言ってんだよ? 一年の癖に……!」 いつものように、『裏庭』と呼ばれる校舎裏の樫の木の枝の上でまどろんでいると、そんな声が聞こえて来て、エージはかすかに目を開けた。 「実力が伴ってないからってオレに当たるのは筋違いじゃないっすか? 先輩たち」 どっからどう聞いても生意気という言葉しか返って来ないだろう科白を、平然と口にするその少年に、エージは見覚えがあった。 (確か……ユウギのクラスメートだ) 校内をブラブラしてる時に、チラッと遊戯――カツヤが下宿している家の宿主兄弟の兄の方である――のクラスを覗いた時に、隣に座っていた。 いつ見ても寝てる生徒で、いつだったか一度だけ起きているのを見かけたことがあった。 オリーブ色の瞳を、自分に向けてかすかに微笑んだのを覚えている。 (なんだっけ? 確か……) チラッと遊戯の話の中で出て来たはずだ。 バスケ部の一年で、かなりの実力を持っているとか何とか。 (でも……バスケって何だっけ?) シッポを左右に振って、暫し考えてみる。 聞いたような気もするけど、良く覚えてないなーっと能天気に再度視線を下方に向けた。 先輩に囲まれても、泰然とした態度を崩さないその少年に、相手が痺れを切らしたのか、思い切り肩を突き飛ばした。 壁に背中を強かに打ちつけ、さすがに眉を潜めて唇を噛む少年に、エージは何故か視線を奪われてしまった。 「……この腕、圧し折ってやったら、今度の大会には出られねえよな?」 「腱まで切れば、選手生命終わりだろ? やっちまえば?」 少年に比べればはるかに体格の良い上級生が三人で、下卑た笑みを浮かべつつ言い合うさまに、エージはほとほと呆れたように溜息をついた。 (何だかんだ言って人間ってアレだよねー) どうしたものかと考えている間に、左腕を掴まれた少年が小さな嗚咽を漏らした。 反対側に捻られる腕の痛みに唇を噛み締める少年の瞳が、かすかに見えた。 まだ、負ける気のない、強い意志を込めた瞳。 隙を窺い、噛み付いてやろうと考えている強い瞳の力に、エージは惹かれるように立ち上がっていた。 少年の身体を押さえつけている男の肩に、ふわりと着地する。 そのエージの動作に、当然、男は茫然としたように目を丸くした。 見た目には雪のように真っ白な猫である。 長いシッポを左右に振って、鼻の頭をぺろりと舐めた。 女子なら一発で『可愛い』と奇声を上げるところだが、さすがに男ではそう言う訳にもいかないらしい。 それでも、相手の気持ちが一瞬だけ緩んだのを、抑えられていた少年が感じ取り、空いた右手を大きく動かして男を突き飛ばした。 突然の少年の反撃に、猫に気を取られていた男は当然バランスを崩して、尻餅を付く。 「何やってんだ?」 怒鳴りつけるもう一人の男の顔面に、白猫が飛び掛って、その爪を全開に激しく引っ掻いた。顔を抑えて悲鳴を上げる男が、少年の左腕を掴んでいた男にぶつかって、互いにバランスを崩して倒れ込む。その間に、男たちの囲いから抜け出した少年は、自分の肩に飛び乗った白猫に、目を丸くして小さく呟いた。 「サンキュー」 『どういたしまして』 カツヤにはこれで言葉として通じるが、普通の人間には猫の鳴き声にしか聞こえない。 少しだけ、少年が不思議そうな目をしてエージを見つめて来たが、少年は思い出したように踵を返して駆け出した。 「くそー! 覚えてろよ、越前リョーマ!!」 怒鳴りつけて来る男たちの声をまるっきり無視して、少年――越前リョーマは、エージを肩に載せたまま、校舎を周って昇降口の方に向かっていた。 「はあ……」 誰も居ない昇降口で、取り敢えず大きく息を付きながら、リョーマはゆっくりと肩に収まったままの白猫に視線を向けた。 「……ねえ、名前……なんて言うの?」 『そんなの猫に聞いてどうすんのさ?』 呆れたような答えが返って来てリョーマは目を丸くして頷いた。少し考えるように上方を見つめながら小さく呟く。 「そう言えばそうだね。……でも、あんたの言葉、オレ判るし?」 自分の掲げた腕に周った白猫を正面に、リョーマが続けた言葉を聞いてエージは暫し沈黙した。 なんとも珍妙な見詰め合いをすること、数秒。 不意に、エージは立ち上がって、思い切り毛を逆立てて叫び声を上げたのである。 もっとも、リョーマにはその『言葉の内容』が、全て理解出来ていた。 「煩い……。猫の鳴き声だけならそうでもないのに……」 『ってか、本当にオレの言ってること全部、判ってんの?』 頷くリョーマに、エージはおもむろに落胆したように頭を下げた。 「何? 何かまずいの?」 『……まずいって言うか……』 しどろもどろになりながら、エージはマジマジとリョーマを見つめて嘆息した。 『いや、普通はさ、猫が喋ったら慌てるし、怖がるし、不気味に思うでしょ? それに……何で、君には通じるのか不思議でさ』 普通であれば、エージの『声』は猫の鳴き声にしか聞こえない。 ちゃんと『言葉』として聞き取れるのは、カツヤと……もう一人、ここで(何故か)教師をしているカツヤの従兄であるセト=カイバくらいのはずである。 (同じ魔族なら判るのも当然だけどさー……) ふと、思い当たって、エージはリョーマを見つめた。 「何?」 『もしかして、魔族の血が入ってる?』 「は? 何言ってんの?」 本気で訳が判らない様子のリョーマに、エージはもう一度嘆息して、小さく呟いた。 『そんな訳ないか……』 過去、人間界に追放されたのは、カツヤくらいのものである。 その……筈なのだが……。 暫しの沈黙の間に、チャイムが鳴り響いた。 6時間目の授業終了を告げるチャイムに、リョーマは疲れたような溜息を漏らす。 『何か、授業終ったのイヤみたい』 「これから、部活だから。何か出たくないっていうか……」 『ああ、そう言えば……。さっきの、部活の先輩だったんじゃ?』 エージの言葉に、リョーマは憮然とした表情で答えた。 「まあね。今度の大会で、オレがスタメンに選ばれたから、むかついてるみたい」 『……それだけのことで?』 呆れたように言うエージに、リョーマも苦笑を浮かべながら頷いた。 一年ごときが、春の地区大会に出ること自体を認められないらしい。 なんとも狭量と言うか、先輩としてのプライドが悪い方向に働いた結果とも言える。 「まあ、一年は普通、早々試合には出られないみたいだからね」 溜息をつきつつ、リョーマは取り敢えず教室に戻ろうと踵を返した。 「あ、ねえ」 『何?』 「だから、あんたのことなんて呼べばいい?」 『……エージ』 「エージね。ふーん。オレは、越前リョーマ。じゃあね、エージ」 エージの頭を一度撫でると、今度こそ振り返らずに駆け出して行った。 何となく複雑な気持ちのまま、リョーマを見送っていたエージの背後から、からかうような声が聞こえて来た。 「エージ? 誰だよ、今の……。お前が人間と仲良くするなんてめっずらしいじゃん?」 「あれは、遊兄貴のクラスメートだったと思うぜ。隣の席だか何だかで、一緒の班らしいし」 「良く見てたな、遊裏」 感心したような言葉に、遊裏と呼ばれた少年が、少し照れたような表情を浮かべた。 「別に。見知った相手ならすぐに判るだろう?」 「そうかもなぁ。オレは、お前以外に興味ないから、あんまり他は見てないし」 「……城之内くん……」 『夫婦漫才は、他所でしてくんない?』 エージが不満の声を上げると、城之内――カツヤが金茶の髪をかき上げながら、憮然と言った。 「誰が夫婦漫才だ? それより、随分仲良さげだったじゃねえか。どう言う風の吹き回しだよ?」 どこまでもからかうような口調のカツヤに、エージは心底から疲れたように溜息を漏らした。 半ば呆れを前面に、カツヤに向かって多少の厭味を込めて言ってやった。 『……カッちゃん、詮索好きでお節介な人間みたいだよ。それより、何で外から……』 このタイミングで外から入って来たカツヤと遊裏に、疑問を投げかけようとして気が付いた。 二人とも、体操着を着ているのを見て、外で体育の授業があったんだと思い出した。 そうこうする内にカツヤたちのクラスメートが、続々と昇降口に入って来る。 猫がいるぞ、と誰かが声を上げた時には、エージはその場から駆け出していた。 <続く> |