薄紅の桜と、紅紫の瞳と。



 春休みも後半を過ぎて、4月に入り、校内に植えられている桜は、今が盛りと薄紅に染め上げていた。

 正門から、校舎に続く道は、ちょっとした桜並木で、城之内克也はスポーツバッグを肩に担ぎ直して、溜息をついた。

「すっげー……圧巻だよなー」
 思わず声に出して言い、暫く、桜並木の真ん中でボーッと突っ立っていた。
 と、いきなり後ろから後頭部を小突かれて、我に返った克也は、背後に立っていた青年に眉を顰める。
「なんだよ、瀬人。いたのか?」
「いたのか? じゃない。誰が、案内していると思っている?」
「へーへー。わざわざ、すんませんね。別に嫌なら、案内なんぞしてくれなくても……」
「……ふん。貴様ごとき、どうでも良いが、可愛い従妹の頼みであれば断れん」
「可愛いイトコ!? げー誰のことだよ?」
「静香に決まってる」
「……あ、そうか。って、静香が何を頼んだって?」
「『克也兄ちゃんって、しっかりしてるんだけど、どっか抜けてるから、よろしくお願いします】とな。まあ、至って普通のことだと思うが……」
「抜けて……? 抜けてる?」
 頭の中で何かが鳴り響いているほどのショックを受けながら、克也はやっとトボトボと歩き始めた。
 そんな従弟には目もくれず、大きなストライドで克也を追い抜き、先に立って歩き出した青年――海馬瀬人は、どこにも目を向けることなく真っ直ぐに歩いて行く。
 だが、克也は二度目の来訪とは言え、以前に来た時と季節が違う。
 だから、スッカリ様変わりしている校内に、あっちこっちをキョロキョロと見回していた。

 桜並木が終ると同時に、西洋の庭園を思わせる、綺麗にカットされた植え込みがあり、その向こうには、チューリップやパンジーなどの鮮やかな花が、整然とその花弁を広げている。
 更に中央には噴水があり、その真ん中に据えられた像は、龍を象ったものらしい。
 とは言え、克也は龍など、何かの漫画かゲームでしか見たことがない。
 当然と言えば当然のことだが、確認しようと、克也は振り返って問いかけようとした。

「なぁ、瀬人……あれって……」
 だが、そこに瀬人の姿はなく、風に乗って桜の花びらがひらひらと舞っているだけだった。
「って……何で、たまには後ろ振り返るとかしねえのかねえ?」
 盛大に愚痴を吐き、とりあえず、先ずは寮に行かねばならない筈で、克也はバッグを持ち直し、当てもなく歩き出した。

 だが、一度、入試の時に来たきりで、その時も、目的の校舎と教室しか目にしてないのだから、校内の様子が全く判らない。
 庭園を抜けて、やっと近付いた校舎は、テレビで見たヨーロッパの宮殿に似ていた。
「……前に見た時も思ったけど。……本当に学校かよ?」
 どこかに、校内の見取り図がないかとキョロキョロと見回すが、それらしいものは見当たらない。
「中に入ったら、判っかな?」
 豪奢な装飾の施されたドアノブに手をかけて見るが、一向に開かない。
 思わず、腰のポケットに手が行ったが、ここでピッキングなどして入れば、後々面倒なことになるかもしれないと、諦めてドアから離れた。
 とりあえず、ブラブラと歩いていれば、誰かに会うかも知れないと、克也は玄関前からも離れて、再度、歩き出した。

 桜はいたるところに植えられているらしく、今も風に乗って、花びらが宙を舞う。
 ふと、宮殿校舎が途切れた場所から、渡り廊下になって、別棟に続いているらしい場所に入り込んだ時。
 校舎の中から飛び出して来た誰かに突っ掛かられた。
 その瞬間、目の前が薄紅で覆われて、桜の花びらが大量に降って来たのかと錯覚した。
 だが、衝撃はそれなりで、克也は思わず、声を上げていた。

「うあ!」
「……っ!?」

 その反動で二人して、盛大に転がってしまい、克也は踏んだり蹴ったりだと思いながら、人を見捨てて行った従兄に悪態をついていた。
「……大丈夫か?」
 不意にかけられた声に、ハッとして目を向けた。
「悪い! そっちこそ、大丈夫か……」
 そこで言葉が止まった。
 目の前に居たのは、ファンタジーに出て来るような衣装に身を包んだ一人の少女だった。
 栗色の髪が、肩を滑り背中まである。
 少し、眦の吊り上った瞳は、でも意志の強さを現すかのように力強く、真っ直ぐに克也を見詰めていた。

 その瞳が紅紫に輝くのを見て、克也は暫し見惚れるように、じっと少女を見つめていた。
「……何だ?」
 不審に思ったらしい少女が問い掛けて来る。
「あ……ああ。悪い! 何でもねえよ……」
 慌てて立ち上がって、手を差し出すと、少女はその手を素直に掴んで立ち上がった。
 着ているドレスの埃を払いながら、小さく何事か呟いた。
「……汚したら、杏子も遊戯も煩いな……」
「へ?」
「ああ、こっちのことだ。急いでたんで、すまなかったな」
「……いや……それは良いけど」
 そこで、克也は首を傾げた。
 見かけは、かなりの美少女と言える。
 だが、その声も、話し方も少女のものとは到底思えない。
「ああっと。時間がないんだ。済まない! じゃあな」
「……あ!」
「何だ?」
 呼び止めはしたものの、ここで名前を聞くのはどうだろう? と疑問に感じ、多少混乱する頭で、必死に質問を手繰り寄せた。

「えーっと、そう! 寮の場所……判んねえかな?」
「……寮? 君は何寮だ?」
「えーっと。天空竜の寮(オシリス寮)ってんだけど」
「ああ、そうか。今日は新入生の入寮日だったな。オシリス寮なら……あれだ」
 指差した先に見えたのは、赤レンガで作られた瀟洒な建物だった。
 だが、とても遠くに見えるのだが……。
「歩いて行くと何分ぐらいかかるかな?」
「そうだな。せいぜい、30分って所だな。あっちにカート乗り場があるから、そこに行って、オシリス寮に行きたいと言えば、連れて行ってくれる」
「あ、ホント。さんきゅ!」
「あああああっ!! ヤバイ!! じゃあな!」
 そう言って、今度こそ本当に駆け出してしまった少女の背中を、克也は見送り……それから、ハッとしたように呟いていた。
「今、礼を言った時にこっちが名乗れば、向こうも名乗ってくれたかもしれねえのに!!」

 気付くのが遅すぎ、静香の【間が抜けている】と言う言葉が、ありありと思い出されて、肩を落とした。

「えーっと、カート乗り場だっけか? って言うか……歩いて周れない学校ってどうなんだよ?」

 呟きながら、歩き出し、先ほどの少女を思い出す。
 薄紅のドレスが良く似合っていて、瞳の色と相まって印象に残っていた。

「でも、何でドレス?」
 疑問を思わず口にして、首を傾げつつカート乗り場に入ると、既にそこにいた瀬人に散々、厭味と叱責の応酬を食らってしまったのだった。


 正門側とは別の桜並木の中を走るカートに座ったまま、克也はふと瀬人を見上げて問い掛けた。

「なぁ、瞳の色が赤紫の奴って知らないか?」
「……? それがどうした?」
「知ってるのか? 同級なのか?」
「……会ったのか?」
「ああ。栗色の髪で、桜色のドレスを着てた。でもなんで、ドレスなんか着てんだか……謎だけど」
「………………ククク……クク……わーははははははっ!!」
 いきなり爆笑始めた瀬人に、克也は呆気に取られ、次に憮然として、そっぽを向いた。
「てめえに聞いたのが間違いだったよ」
「まあ、その内、会えるんじゃないか? 運が良ければな」
「?」
 まだ、表情に笑みを残したまま言う従兄に、首を傾げつつ、赤レンガの建物が間近に見えてくることに気付いて、克也は【これから】のことに、夢と希望を抱いていた。