あなたがあなたである限り……

 遠く晴れた空を見上げて、小さく溜息をついた。

 屋上から見下ろす学校の景色はいつもと変わりがなく……オレの中の小さなワダカマリとか寂しさとか、そう言うものとは本当に関係なく、日々は過ぎて行くんだなーと考える。

「つまんない」

 思わず口をついて出てしまった。
 慌てて周りを見回すけど、他に誰もいなくて、半ばホッとする。

「部活、終わるまで……あと、1時間半……」

 本当は、部活に行ったって良いんだ。
 行けば、それでもみんな歓迎してくれるし、そうすれば楽しいし、何てたって、あの子がいる。


 でも――

あんまり頻繁に顔出してると、鬱陶しがられるよ。ああ言うのは、一週間に一回か……二週間に一回ぐらいの方が良いんだよ】
 とはクラスメートの天才の弁。
 他の誰に鬱陶しいがられても別に気にしないけど。
 あの子にそう思われるのは凄く嫌だった。

 だから、時間を潰して、偶然を装って、あの子と一緒に帰ろうと画策してる訳だ。

 でも、実際に勉強する気にはなれないし。
 どうせ、家でいやと言うほどさせられるんだから……。
 ってか、勉強し終わったばっかじゃん。
 そう思うと、図書館とか教室に居るのも嫌で、ここに来て校庭を見下ろしてたりする訳で。



「何で……引退なんかしなきゃいけないんだろう?」

 そりゃ、高校受験があるからだ。
 勉強に集中しなきゃいけないし、卒業までに次の体制を決めて、慣れていなければ、来年の全国が危うくなる。
 新体制が馴染むまで、2,3ヶ月は掛かるのだから……。
 レギュラーだって、桃城と海堂と、あの子以外は殆ど総入れ替えに近い……。
 試合に勝てるように……練習はさらに厳しくなるし、熱も入る……。
 そんな中であの子はひどく楽しそうにテニスをしている。
 どこでもどんな状態でも、テニスが出来てればあの子は幸せなんだと思う。







 オレが居なくても……。


「うああああ……もう! 何でこんなマイナス方向にばっか物事考えるんだよ!!」

 怒鳴るように声を上げて、乱暴に髪を掻き毟り、そうして、金網を背にして、思い切り凭れるように倒れ込んだ。
 本来、金網がちゃんとしてれば、程好い反動が返って、オレはそのまま座り込む筈だった。
 嫌な音を聞いたのはその直後。
 ギシとかミシとかメキメキ、バキとか。

 金網が外れて、オレはそのまま後ろ向けに、要するに……屋上の外側に向かって体が傾いで落ちかかったのである。


「…………っ!?」
 こう言う時に、咄嗟に声は出ない。
 思わず何かを掴もうと手を伸ばしたけど、その手は空を切った。
 このまま地面まで、真っ直ぐ落ちるしかないのかとか、どうしよう? 今日はあの子にまだ会ってないのに! とか、そんなことばっか考えて、こんな時まであの子のことしか考えない自分に苦笑した。

 ――不意に、落ちかけていたのが止まった。
 誰かがオレの伸ばした手を掴んでいる。

「……あんた、何、遊んでんスか?」
 その声に……オレは喜びと驚きと、それから些かの憤慨を感じた。
「誰が……遊んでるって!?」
 そんなオレの声を無視して、その子は思い切り腕を引いて、オレを引っ張り上げようとした。

 無理だと思った。
 オレよりも小さくて、体重も軽くて、幾らなんでもオレを引き上げるのは無理だと……。
 だけど……。
 あの子は、普段は見せない必死の様子で、オレをほんの少しだけ引き上げて、壊れていない――そして、あの子も支えにしている金網を掴むように言った。





 何とか引き上げられた頃。
 騒ぎに気付いた生徒とか先生とかが屋上にやって来て、無事なオレ達にホッとしつつ、暫く屋上は立ち入り禁止だと告げた。
 外れた金網は、もう下まで落ちてしまっている。人が通ってなくて良かったとつくづく思う。


「でも、何でここに来たの?」
 まだ、騒いでいる先生たちを避けて、オレは彼に問い掛けていた。
「……今日、図書委員の仕事があって……。図書室に向かう前に、エージ先輩が屋上に行くの見てたんス」
「え?」
「……それで、図書の当番終わって部活に行く途中で、エージ先輩どうしてるかと思って見に来たんスけど」
 そしたら、落ちかけてるし、何やってんだこの人は? と本気でムカついたと続けた。

「……先輩、自分がトラブルメーカーってことに気付いてますか?」
「……はぁ?」
 あんまりな言いように、思わず素っ頓狂な声で問い返した。
「自分ではその気はなくても、トラブルを引き起こす天才っすよね?」
「……どう言う意味だよ、それ?」
 ムッとしつつ、リョーマを睨み付け、そうして立ち上がろうとして、でも足が旨く立たなくて、オレはその場にへたり込んだ……。
「あれ? 何で……立てない?」
「……誰だって腰、抜けるでしょ? あんな怖い目に遭えば……」
「って、でも……何か、情けない……」
 あまりに情けなくて、項垂れたまま、思わず言ってしまった。
「こんなカッコ悪いんじゃ、おチビに似合わないよね?」
 オレの言葉に、目の前の後輩は、大きく溜息をついて、肩を竦めた。

「……別に……あんたがカッコ良かろうとカッコ悪かろうと、情けなかろうと……そんなの関係ないっしょ?」
「え?」
「好きな人に対して、型に嵌める好きじゃないんスよ」
「……どう言う意味?」
「……自分が好きになった理由を決め付けたら、その人がそこから外れた時、嫌いになるのか? って思うと……それは嫌だし違うと思うじゃないっスか?」
「……う、ん」
「だから、あんたがカッコ良くてもカッコ悪くても、情けなくても情けなくなくても、オレは菊丸英二ってあんたを好きなんスよ」


 ――マジにビックリした。
 驚いて……。
 次には、凄く嬉しくなって。
 そんでもって、恥ずかしくなって、俯いた。



 あの子はオレに手を差し出して来て、今度はちゃんと立ち上がれて、何もなかったように、校舎の中に向かって歩き出す。

「……オレも……越前が越前だから好きだよ?」
「……!」
 不意打ちの言葉に、彼が本気でビックリしたように目を丸くした。
 こう言う時の表情は、本当に可愛いと思うのに……。
「へへ……オレ、教室で待ってるから、部活しっかりやって来い!」
「……当然ッス」

 そう言って、あの子は不敵に笑って見せた。

 3年の教室がある階で分かれて、あの子を見送り、オレは自分の教室に向かって、足取り軽く駆け出した。

<Fin>