Secret

 雨の中で、告白されて、し直して。
 そうして、めでたく付き合えるようになった訳だけど。

 でも、ひとつだけ……不満があった。


 それは――


「内緒ッスか?」
「……そう! 暫く、オレ達が付き合ってること、誰にも言っちゃダメだかんね!」
 そう、彼が強く言ったのである。
 オレは、少し首を傾げて、20センチも高い位置にある、彼の瞳を見上げて、
「どうしてですか? 何か、知られるとマズイことでもあるんスか?」
「……マズイって言うか、気まずいって言うか……とにかくダメ!! 判った? おチビちゃん」
 どうにも、判りようがないことで、頷くことも出来ないオレに、さらにエージ先輩は強く言って来て、仕方なしに頷いた。
 理解した訳じゃ、全然ないんだけど。

 でも――
 強硬に言い募るエージ先輩を見ていたら、仕方ないかと諦めにも似た感情が生まれて……。
 オレは、一応、頷いてみせた。



「じゃあ、オレ先に行くかんね!」
 互いに想いを打ち明けたその日は、二人ともずぶ濡れで、とにかく早く家に帰らないと風邪を引きそうだと、オレの家に向かい、そのままエージ先輩はオレの家に泊まった。
 翌日。
 付き合ってることを内緒にすると言うエージ先輩の提案のせいで、折角、一緒に居られるのに、一緒に登校することが出来なくなった。
 桃先輩の通り道でもあるから、一緒に登校してたら、変に勘ぐられるってエージ先輩は思ってるみたいだけど。

 先輩が、後輩の家に泊まったからって別に何がどうってこともないと思うんだけど?
 ちょっと自意識過剰じゃないかと思う。

 でも、何を言っても訊いてくれないエージ先輩に、オレは最早諦めの境地で、頷いて見送った。
 エージ先輩が、家を出て、扉が閉められて……。
 オレはそうして、エージ先輩が見えなくなってから、深々と溜息をついていた。



「チィーッス」
 学校について、朝練のために部室に向かいドアを開けながら、取り敢えず挨拶をする。
「おはよう、越前くん」
「ッス」
 先ず先に、不二先輩が声をかけて来て、オレは軽く頭を下げた。
 そうして、ロッカーの前に行き、無造作にカバンを押し込んで、着替え始める。
 ふと、何か物足りないような感じがして、オレは視線を左右に巡らせた。
 そう、いつもなら、毎朝、オレが部室に入ると、エージ先輩がオレに向かって突進して来て、無遠慮に懐いて来るんだけど。今日は、部室の片隅で大石先輩や河村先輩と、楽しそうに話をしている。

 何となく、付き合う前の方が、付き合い始めた今より、親密だったような気がして、オレはまた溜息を吐いていた。

「あれ? 何か珍しいと思ったら」
 不意に聞こえた不二先輩の声に、その場にいた面々の視線が、不二先輩に集中する。
「英二が、越前くんに懐かないの……珍しいね」
「……!」
 一瞬、ドキッとした。
 やっぱりこの先輩は侮れない。
 オレは、動揺を悟られないように、シャツをロッカーに押し込み、ウェアを被った。
「え? 何か言った? 不二」
 自分が呼ばれたと気付いたのか、エージ先輩が不二先輩に問い返すのが聞こえた。
「だから。いつも……邪険にされるのに、それでも、越前くんに懐いて行く癖に、今日は何もしないから……珍しいって言ったんだよ」
「……え?」
 オレは、ポロシャツのボタンを留めながら、視線だけをエージ先輩に向ける。
 一瞬、戸惑ったような困ったような表情をした後。
 エージ先輩は、いつもと同じように笑って見せた。
「話に夢中で、おチビちゃん来たの気付かなかった……へへっ☆ おっはよん♪ おチビちゃん!」

 取ってつけたような挨拶。いつもと同じに振る舞ってるつもりだろうけど、きっと不二先輩は騙せない。でも、オレは気付かない振りをして、その挨拶に答えてやった。
「……はよッス」
 そうして、帽子を被り、オレはコートに向かうために、ドアへと向かった。
 ドアノブを掴んだ瞬間、外からノブが廻って引き開けられる。
「おぁ! 何だ、越前か……びっくりさせんなってか、お前、今日は早いじゃん」
「……ども。オレだっていつも遅刻って訳じゃないっす」
 今日はちょっと遅めに来た桃先輩が、既に着替えて出て行こうとしているオレに、驚いてそんなことを言って来た。
「何〜? たまに早く来たからって、いい気になんなよ?」
「そう言う桃先輩は遅刻寸前っすね」
「ちょっと寝坊しちまったんだよ」
 言いながら、オレの脇を通り抜け、先輩たちに頭を下げて挨拶をして、ロッカーの前に向かう。
 そんな桃先輩を気にも止めず、オレは今度こそ部室を出ようとした。
「あ、越前」
 再度、桃先輩に止められる形になって、オレは面倒くさいと思いつつ振り向いた。
 無言で先を促すと、桃先輩はオレの傍に寄って来て、耳打ちをして来る。
 その内容に、オレは軽く笑って頷いた。
「んじゃ、部活終わったら、行こうぜ」
「良いッスよ。桃先輩」

 そう約束を交わし、オレは部室を出た。
 背中に、確実に判る視線を感じながら――


     ☆   ☆

「10分休憩だ」
 部長の声が聞こえ、オレはラケットを肩にコートを出て、自販機のある裏庭の方へと足を向けた。
 その手前で、いきなり腕を引っ張られて、バランスを崩しながら後方に目を向けた。
「……エージ先輩?」
 エージ先輩が、オレの腕を掴んで、なんだか真剣な表情でオレを見下ろしている。
「……ねえ、わざと?」
 小さな声で問い掛けられた。
 その意味を、ある程度把握しながら、オレは敢えて問い返す。
「何がッスか?」
「……今日! 桃と一緒に帰るの、オレへのあてつけ?」
「何で、そう思うんですか? エージ先輩」
 さらに問い返すと、エージ先輩は戸惑ったような困ったような目をして、オレの腕を離した。
「だって……。そりゃ内緒にするって言ったけど……でも、一緒に……帰りたかったのに……」
「内緒にしなければ、いつでも一緒に帰れますけどね?」
「……どう言う意味?」
「公言してれば、変に意識しなくても済むでしょう? 今朝、オレのとこに来なかったの……気付かなかったんじゃなくて、来れなかったんでしょ?
 意識し過ぎて……不二先輩たちにばれるのが嫌で……」
 オレの言葉に、エージ先輩は息を飲んだ。
 図星だったと判る。
 付き合う前に、自然に出来たことが、【ばれるかも知れない】と言う、恐怖心から出来なくなっている。
 その不自然さに、エージ先輩は気付いていない。
「そうやって、いつまで誤魔化せると思ってるんですか?」
「……だって……おチビ、告白されてたじゃんか!」
「……」
「大石は……! 友達だもん……。大石が、おチビのこと好きで……なのに、オレは……自分の気持ちに気付かないで、おチビのこと振って……それなのに、好きだって気が付いたからって、おチビと付き合えるようになって……。なんて言えば良いのか判らないんだ!」
「そのままでいいんじゃないッスか?」
「そのまま?」
「オレはエージ先輩が好きだからって断りましたけど? それでエージ先輩がオレのことを好きなら、付き合うのは自然なことだと思うし、別にエージ先輩が大石先輩を出し抜いたとか裏切ったとかそう言う訳じゃないでしょ?」
「……でも、あの告白を訊いてなかったら、オレ……まだ自分の気持ちに気付いてなかったかも知れない……」
「なら、大石先輩に感謝するしかないっすね。オレとしても……」
「そう言う問題じゃないだろう?」
 エージ先輩が泣きそうな表情で、真剣に言う。
「……どこまでも内緒にしてたいって言うなら、オレが誰と帰っても、何も言う権利ないっすよ? エージ先輩」
「!」

 そう言って、オレはエージ先輩から離れて、当初の目的である自販機に向かった。


 立ち尽くすエージ先輩に、何をどう言えば良いのか、実際……オレには判らなかった。


    ☆    ☆

「ねえ、越前くん」
 着替えをしている最中に、既に着替え終わっている不二先輩が声をかけて来て、オレはウェアを脱いだ状態で返事をした。
「明日、祭日だけど何か予定ある?」
「……別に……。でも、午前中は部活でしょ?」
「うん。でも、午後からはフリーなんだ?」
「そっすね。特に用もないッス」
「じゃあ、一緒に出かけない?」
「……出かける?」
「そう。デート」
 不二先輩の言葉に、何となく部室の中がざわついた気がした。
 でも、オレは大して気にも止めず、シャツを羽織ってボタンを留めながら首を傾げつつ、
「デート?」
「用事も予定もないなら、別に良いでしょ?」
「……そうッスね。別に……」
「ダメーーーーっ!!!」
 不意に大きな声が聞こえて、オレは腕を引っ張られて、抱き締められた。
「何、勝手に気安く誘ってんのさ! おチビはオレと会うんだから、不二と出かけたらダメなの!!」
「英二?」
「エージ先輩?」
「おチビも簡単に誘いに乗らないでよ!! おチビはオレのだろ!?
「……」
「英二先輩……」
「英二?」

 何も言えずにただ、オレを抱き締めるエージ先輩を見つめるオレと、周りの驚いたような視線と声に、暫くしてハッとしたように、エージ先輩は自分の状況に気が付いた。

「やっぱりね。英二の様子が可笑しいと思ったから……カマかけて見たんだけど」
「不二? どう言うことだ?」
 困惑したような大石先輩の声に、不二先輩は実にあっけらかんと答える。
「越前くんと英二は付き合ってるってことだよ」
「……!」
「あ……」
「……」
 息を飲む大石先輩と、戸惑いを隠せないエージ先輩に、オレは少しだけ溜息をついて、抱き締められている腕から抜け出した。
「……おチビ……」
 不安をあらわにした小さなエージ先輩の声に、オレは小さく笑って見せた。
「!」
「……そうッス。エージ先輩と無事、付き合えるようになったんで」
 オレが、エージ先輩に抱きつくようにくっ付いて、そう言いながら大石先輩を見つめると、全て了解したと言うように、大石先輩が大きく息をついて、頷いた。
「そうか。良かったな、越前」
「どもっす」

 そうして、着替えを終えて、オレは先に部室を出ようとしている桃先輩を掴まえて、問い掛けた。
「何で、先に帰るんすか?」
「い、いや……だって英二先輩と付き合ってんだろ? んじゃ、やっぱ邪魔しちゃ悪いし……」
「別に気にすることないっすよ?」
「って、越前?」
 オレの背後をチラチラと気にしながら、桃先輩は何かを言いたそうにしている。
「それじゃ、お先ッス」
「待てよ! 越前!!」
「あ、エージ先輩」
「……?」
 不安そうな泣き出しそうな表情で、オレを見つめて来るエージ先輩に、オレは軽く笑って見せた。
「後でエージ先輩の家に行くんで、家に居て下さいね」
「……え?」
 エージ先輩の答えを待たずに、オレはさっさと部室を出て行った。
 桃先輩はもう、何も言ったりせず、苦笑を浮かべてオレの頭を小突いたけど。


 それから。
 オレは桃先輩に教えてもらった目当てのものを手に入れて、エージ先輩の家に向かった。


 どうせなら、エージ先輩と二人で飲みたいと思ったから……。




 部室で分かれて、1時間後。
 オレはエージ先輩の家のインターホンを、押していた。
 中から大好きな人の声が聞こえて来るのは、もう後少し……。



<Fin>