Melty Kiss
作:朝城真琴さま







「季節の変わり目で、夜は寒くなってるから。風邪引かないようにあったかくして早めに眠るんだよ?」





 そう言ったのはエージの方なのに。

 おやすみの電話を切って寝床にもぐって迎えた翌朝。

「おはよ〜…」

 聞こえてきたはずの挨拶はきっとそう言いたかったもの。
 だけどどう親切に訂正したって、耳に流れ込んできたのは「おはよう」に濁点をつけたような声だった。

「何、英二。風邪引いたの?」
「あ…」
 オレの横を一陣の風が吹き抜けて行く。
 自分が心配して駆け寄るよりも早くに、不二先輩がエージに駆け寄って心配そうに顔を覗き込んだ。
 エージは情けない顔で苦笑する。

「毎年この時期に風邪引いてるよね、英二は。いい加減、学習すれば良いのに」
「…っだ…ふ…!」

 呆れた溜め息を吐く不二先輩にエージは反論しようとするけれど、喉が痛いのか掠れて声も出せずに悔しそうに、恨めしそうに先輩を睨んだ。

「去年も喉をやられて1週間程声もでなかったっけ?」
 などと3年の先輩達を中心にオレの知らない過去の話で盛り上がる。

「…………」

 別に、仕方のないことだから。
 去年のエージの事なんて何も知らないし、知りたいと思ったこともないけど。

 そんなことよりも、駆け寄る先をこされた悔しさに、オレはどことなく集団の傍に寄れなくて所在なげに佇んでいた。



 いつもと変わりない姿。
 じっと見ているとそんなオレに気付いたのか、エージの表情が嬉しそうにぱっと華やいだ。

 だけどいつものように明るい声で「おちびちゃん!」って呼んでもらえなくて。おチビって呼ばれるのは好きじゃないけど、でもオレの事をそう呼ぶのはエージだけだから。だから、結構特別だったのに。

 今はその声すら聞けなくて。

 それがどんなに特別に耳に届いていたのかを改めて知った。

 エージの口元はオレを呼んでいるかのようにぱくぱくと動くけど、風に乗って聞こえて来るものは何もなくて。

「………っ…」
 気付かない振りをして背を向けた。





「…ーマ!」





 コートに向かって歩いていると、ドンと背中に感じた暖かな体温。
 振り向かなくてもエージが追いかけてきてくれたんだって事は分かる。



「リョーマ!」



 抱き込まれた耳元で、苦しそうな吐息と。

 呼ばれた、──名前。



 声が出ない状態で搾り出されたようなそれは、低く掠れていて、妙に耳に残る。

 呼ばれ慣れていない所為もあるだろうけど、決してそれだけじゃない何かに心臓が跳ねた。



「な…、に?」
「ど、か…、した?」

 苦しそうに眉を寄せて、それでも必死になって問いかけて来る姿。

「別に…」
「リョーマ」

 目を逸らしたままのオレの頬に手を添えて、エージは真直ぐにオレを射抜く。

「あ…」
 その時、オレの名前を呼ぶ時だけ、妙にすんなり声が出ていることに気が付いた。
 そして、さっきからずっと、おチビではなくてリョーマとしか呼ばれていないことも。



「どうして…」
「お…び…」

 エージはオレが言いたいことをちゃんと理解して、にっこり笑って今度はおチビといつものように呼んだ。
 それは発音し難いのか、途切れて上手く聴こえなくて。

「リョーマ」
 続いて言われた名前の方は最後の方が消えるように聞こえ難かったけど、おチビと呼ばれるよりは断然聞こえ易い。

 エージも、多少は言い易いように見える。

「…もしかして、だから、さっきもずっとリョーマって言ってたの?」



 風に乗って来なかった声。

 だけど遠目からでも口パクでエージが何を言っていたのかはきちんと理解できていた。

 おチビ、と1回。2回。

 それからは、ずっと、何度もリョーマって呼んで…。

 そうだよって言うかのように、エージはにこっと笑った。







 まだ部活が始まるには少しばかり早かったから。
 オレはエージに抱き締められたまま、コートから離れたところにポツネンとあるベンチに向かう。

「…………」

 普段エージが一方的に話すことが多いから。先程から、辺りを包むのは何となく落ち着かない雰囲気。しんとした空気。

 それを崩したのは、エージの苦しそうな咳だった。



 けほん、と1つ。

 さっきオレを追いかけて来る時に無理をして話したのが辛いのか。

 大丈夫かな?ってエージの腕の中で振り向いて見上げれば、どうかした?と不思議そうに首を傾げられる。

「喉、痛い?」
 オレが、つまらないことで拗ねて、声を出させるなんて無理をさせたから。
 心配そうな表情がモロに出ていたのだろう。
 エージはふにゃんと表情を崩すとぎゅうっとオレを抱き締めて頬にキスをくれる。
 髪にもたくさんキスをくれて、心配ないよって表してくれるように。

 甘やかされてるなって思うけど、それでもエージがくれるこんな時間は居心地が良くて。もっともっと、欲しいと思う。

 だけどそれが長く続かないのが菊丸英二という人で。



「…え…」

 目があったエージが、何かを企んでいるようににやりと笑った。
 その表情に何が言いたいのか見当が付いて、オレは慌ててエージの腕の中から逃れようとしたけれど、さすがは3年生。
 普段の言動や行動がどんなに子供っぽくても成人男性とほぼ変わらないまでに成長しているその体躯には、どう贔屓目に見てもお子さまなオレがかなう訳もなく、あっけなく元通りに抱き込まれてしまう。

 くるりと反転させられて。
 目の前には、にっこり笑うエージの顔。

 ね?というように可愛らしく小首を傾げるポーズ付き。

 中学3年生がやっても可愛くないのに!

 …可愛くないのに…。

 どうしてオレは、引き寄せられるようにエージの肩に手を回しているのだろう?

 お強請り上手は末っ子の特技。

「…我が侭…」
 ぽつりと洩らした文句に、人のコト言えないでしょ、と悪戯っぽい目が語ってた。

 あーあー、どうせそうですよ。

 オレも、エージに負けず劣らず、我が侭だから。
 声が出るようになったら一番初めに。
 この唇から飛び出る言葉が「オレ」じゃなかったら。





「捨ててやるから、覚悟してなよ、エージ」







 そんなの当たり前だろって言いたげな唇に、とびっきりのキスをした。



☆謝辞☆
にゃはは;; 
朝城真琴さまのサイトで、やってらっしゃったアンケートに答えていただいたSSです☆
風邪引いて喋れない英二と、過去話をする3年の間で、疎外感を感じてしまうリョーマさん。それに気付く英二がツボでツボで!
甘々な菊リョは本当に和みますね〜Vvv もうもう、大好きです!

掲載許可もありがとうございました〜☆
頂けて嬉しかったです!

ではでは、素敵SSを本当にありがとうございました!