First Date

「……おチビ、さっきの映画寝てたっしょ?」
「…………」
 映画館を出て、遅い昼食でも食べようかと、近くのファーストフード店に足を踏み入れ、それぞれにトレーにハンバーガーなんかを載せて、空いてるボックス席に座る。

 ハンバーガーに齧り付き、そうして――目の前でコーラを飲んでいる二つ下の後輩……その上で、今一番大切な子を見つめながら、菊丸英二は問い掛けた。

「そうっすね。途中から全然憶えてないッス」
「……あのねえ!」
「何っすか?」
 抗議しようとして、英二はふと言葉を止めた。
 このデートに誘うに至った経緯を思い出し……そうして、居た堪れないくらいの不安に襲われる。



(そりゃ確かに……半ば強引に誘ったよ?)





 今度の休みは一緒に過ごそうね! って殆ど強引に取り決めて、リョーマの都合とか敢えて聞かなかった。
 あまり乗り気ではなさそうだったけど。
 暫し、時間は空けられたけど、それでも、了承を貰って、今日のデートに臨んだ訳で……。



 しかも、当初は二人でテニスしに行こうと言う予定で、英二が弁当を作って、少し遠出する予定だったのだ。
 テニスなら、『オレの家の裏にある寺のコートで十分』と言うリョーマを説き伏せて、弁当持ってピクニック気分でテニスをしに行こう! そう言う計画だったのに。

 朝からどんよりした空模様で、そうして、降り出した雨――
 「テニスは中止っすね」と、あっさり言うリョーマの電話に慌てて、気分を切り替え、じゃあ映画に行こうと言ったのだが……。
 映画が始まって、20分程経った頃。
 リョーマが自分に凭れかかって来たからビックリして、慌てて見ると、目を閉じて規則正しい呼吸をしながら――熟睡しているリョーマに……英二は何だか泣きたくなった。

 今もまだ、雨がぱらついている空を見上げて、悔しそうに英二は眉根を寄せた。




「そろそろ、帰りますか?」
 不意に聞こえたリョーマの声に、英二はハッとしたように視線を戻した。
「雨も降ってるし……何か、どこ行くにも傘が邪魔だし……」
「おチビ……。そうだね」

 もっと一緒にいたかったけど、でも……。
 おチビは楽しくないかも知れない。
 自分だけ楽しみにしてて、自分だけが舞い上がってるのかも知れない。

 ホントは……おチビは迷惑なのかも知れない……。


 だから、同意してファーストフード店を出て、傘を差すと、互いの家に向かって歩き出した。
 


 昼間でも薄暗い、この天候と規則正しく打つ雨音。
 そうして……それぞれが広げる傘に隔てられて、いつもより、リョーマが遠くに感じた。

 先に、リョーマの家に着いて、「じゃあ、またね」と言うと、そのまま、家の中へと足を踏み入れようとしたリョーマを見つめていた。



「……ったっすか?」
「へ?」
 不意に立ち止まって、英二を見返ったリョーマが小さく問い掛けて来た。
「楽しくなかったッスよね?」
「おチビちゃん?」
「……オレ、気の利いたこととか全然言えないし……桃先輩とか不二先輩とか見たいに、話が旨い訳でもないし、大石先輩みたいに気が利かないし……」
「……え? は? 何言ってんの?」
 小さく呟くように言い出したリョーマに、英二は慌てたように、前屈みになった。
 でも、20センチの身長差と広げられた傘のせいで、俯いてしまったリョーマの表情を見ることが出来ない。

「……何でもないッス」
 そのまま、踵を返して、そのまま家の中へと入ってしまうリョーマを見送って、英二はただ、茫然とその場に立ち尽くしていた。


 何?
 おチビはなんて言った……?


『楽しくなかったッスよね? オレ、気の利いたこととか全然言えないし、桃先輩とか不二先輩みたいに話が旨い訳でもないし……大石先輩みたいに気が利かないし……』


 暫くリョーマの家の前でボーッと突っ立て居ると、後ろから訝しげな声をかけられた。
「あの、何か御用ですか?」
「へ?」
「あら、菊丸……英二さんですよね?」
 リョーマの家に来たことは何度かあるけど、実際に家の人にはまだ会ったことない。
 従姉の大学生が一緒に暮らしていると聞いたことはあったから、彼女がその従姉だと言うことは判る……。

(でも……何でオレのこと知ってんの?)

「昨夜も、菊丸先輩と出かけるからって何だか楽しそうで……。いつもは9時には寝るのに、なかなか寝付けなかったらしくて……」
「た、楽しそう……?」
 楽しそうにしてたってのも想像出来ないが……。

(……でも、リョーマが映画で寝ちゃったのは……)
 そう思い当たって、英二は軽く目を瞠る。
 あんなに泣きたくなるほど、ショックだった出来事が、とたんに愛しさが込み上げて来るものに変わった。

「ええ……。念入りにラケットの調整をしたり、何度も明日持って行く荷物の点検したり。どこかソワソワしてて……。でも、朝になったら雨が降ってて……少し残念そうにしてましたけど」
 苦笑を交えて言うリョーマの従姉に、英二はさっきのリョーマの言葉を、もう一度反芻する。
「滅多に、部活の話とか学校での話とかしないんですけど。時々、菊丸さんの話をするんですよ。リョーマさん……」


『こっちが返した普通なら、取れないような相手の背中をついたボールをあっさり拾って、コートに返すだけじゃなくて、それがしっかりコーナーついてたり、足元狙われて、咄嗟に対応出来なかったり……。はっきり言ってあれ、人間の動きじゃないよ。予測がつかない。でも、負ける気はないけどね』

『中庭で何かにつまずいたと思ったら、エージ先輩が木の根元で寝てるの見つけて。オレがそこで寝ようと思ってたのに、先越されて、ずるいなーって見てたら、ホントに気持ち良さそうに寝てて、何かカルピンが寝てるみたいに見えた……。んで、悔しかったからチャイム鳴っても起こしてやんなかった……』

『廊下で煩く騒いでるから何かと思えば、エージ先輩が何か不二先輩に噛み付いてて……ホントに噛み付いてる訳じゃなくて、何か捲くし立ててて、不二先輩が呆れてた。オレがそっちに行ったら、急に黙るんだもん。何だと思う? ちょっと感じ悪いよね?』




 リョーマの従姉から明かされる越前家での自分の噂話に、英二は目を丸く見開いた。

「ホントに、いつもって訳じゃないんですけど……。時々、こちらから学校で遭ったことを聞くと、そう言う風に話してくれるんですよ」
 そう言って、軽く首を傾げ、
「リョーマさんを尋ねてらしたんでしょう? どうぞ、ちょっと出かけてるみたいですけど……帰って来るまで中で待たれたら如何ですか?」

 彼女の言葉に英二はボーッとしたまま頷いた。

「あら? リョーマさん帰ってるみたいね」
 それはそうだ。
 さっきまで一緒にいて、一緒にここまで帰って来たのだから――

「リョーマさんの部屋、こちらです。どうぞ?」
 彼女の案内で二階に向かい、リョーマの部屋のドアがノックされる。
「リョーマさん、良いですか? お客様ですよ」
 彼女の声で、ドアが開き、キョトンとしたリョーマが顔を出した。
「……ええ。家の前にいらしたの。何か、飲み物でも持って来ますね」
「え? 菜々子さん!?」
 菜々子が身体をずらしたその向こうに英二の姿を見て、リョーマは困惑したように従姉を呼んだ。
 だが、菜々子はそれには答えず、英二に向かって、「ごゆっくり」と言って階下へと行ってしまった。

「……まだ、帰ってなかったんスか?」
「ごめ……でも、帰れなかった……」
 何で謝ってるんだと自分に突っ込みながら、真っ直ぐにリョーマを見据えた。
「何で?」
「だって……別れ際にあんなこと……ずっと……あの言葉の意味を考えてた」
「! そんなの別に……意味なんか……」
「あるよ! 何で、何でオレが楽しくなかったって思ったの?」
「…………っ!」
 言葉に詰まって俯くリョーマに、英二はそのまましゃがみ込んでリョーマを見上げた。
「どうして、そう思ったのか教えて? リョーマ」
 初めて、下の名前を口にすると、リョーマはハッとしたように、目を見開いて、それから渋々と口を開き始めた。
「……っ! だ、だって……オレ、映画寝ちゃったし……だから、全然見てないから映画の話も出来なかったし……それに……エージ先輩……いつもみたいに笑ってなかった……」
「え? そうだった?」
 慌てて自分の頬に手を添えて、英二はぺしぺしと叩いてみたりして。
「……だから、楽しくないのかなって……せめて、テニスだったら良かったのに……って。そしたら、オレも寝ないで、もう少し、エージ先輩……楽しませることできたかなって……」
「……え? じゃあ、雨だから中止しようって言ったのは……?」
「テニスじゃなかったら、先輩退屈するかと思ったんだ……だから――っ!」
 英二は不意にリョーマの腕を引いて抱き締めていた。
「バカ……」
「な、何が!?」
「……おチビと一緒にいて、オレが退屈なんて思う訳ないじゃん!」
「で、も……」
「……オレは、おチビの方が楽しくないんじゃないかって思った……。オレと二人で居ても、楽しくないんじゃないかって……むしろ……迷惑だったんじゃないかって……思ったよ」
「先輩……」
「でも……寝ちゃったのは、オレと一緒にいるのが退屈だったからじゃないよね?」
「!」
「昨夜寝るの遅かったって聞いた……。だから、でしょ?」
「……エージ先輩……」
「リョーマよく寝てるもんね。睡眠足りなかったら、あんな真っ暗なとこに居れば眠くなっても仕方ないよね?」
 英二はそう言って、抱き締める腕に力を込めた。
「あのね。無理にオレを楽しませようなんて考えなくて良いんだよ。オレはおチビと一緒に居られるだけで楽しいんだから!」
「じゃ、何で……バーガー食ってるとき、眉顰めてたんスか?」
「へ? あ、ああ……あれは……」
 思い出して、英二は思わず吹き出した。
「……なっ! 何で笑うんスか? エージ先輩!?」
「ごめん……だって、あの時、オレが『おチビは楽しくなかったのかな』って考えてて……それもこれも、この雨のせいだって思ってたんだよ……」

 力の入っていたリョーマの身体から、すっと力が抜けた。
 英二はそんなリョーマの身体をちゃんと抱きとめて、リョーマの顔を見つめた。
 膝をついた状態の英二と、リョーマの目線は少しだけ英二がリョーマを見上げる形になっていて、滅多にないシチュエーションだと思う。

「……ごめん、エージ先輩……」
「何が?」
「……オレも、エージ先輩と一緒にいるの……好き……だから……楽しい……し」
「そう? へへ……嬉しいよん☆ リョーマ」
 呟くように言って、リョーマの頬に手を添える。
 ゆっくりと頬を寄せて、口付けた瞬間、聞こえた足音に、リョーマが英二を突き飛ばした。
「……てえ……」
「あああ! ごめん、エージ!!」
「あら? 何かあったんですか?」
「何でもない!」
 リョーマは慌てて菜々子から、飲み物のトレーを受け取って……背中を打ち付けて、うめいている英二の腕を掴んで、自分の部屋に駆け込んだ……。


「おチビ〜〜〜」
「だって……菜々子さん来たし……」
「だからって突き飛ばさないでよ……ビックリしたじゃん」
「……ごめん」
「ねえ、もう一回呼んでくれる?」
「は?」
「……オレのこと……」
「エージ先輩……?」
「ちゃうちゃう。さっき、呼んでくれたっしょ? エージって」
「………………エージ」
「うん。リョーマ……好きだよ?」
「………………オレも……」


 英二は、嬉しさを満面に湛えた笑みを浮かべて、もう一度、リョーマを抱き締めた。



 ちなみにキスのやり直しを要求すると、ムッとした表情のリョーマが、ジーっと英二を見上げた後。
 少しだけ背伸びをして、英二の唇を掠め、「これで終わり」と言って、菜々子の持って来たジュースを飲み始めた。

 そんなリョーマを見ながら。
 英二は、苦笑を浮かべて、自分の唇に触れながら、幸せを感じていた。














「雨の日は、出かけるの好きじゃないんスよね」
「やっぱり? そうじゃないかって思った」
「だって、傘が邪魔じゃないッスか?」
「……じゃあさ、これから一本の傘で一緒に歩くのは?」
「………………考えときます」




 

<Fin>