蒼風幻想
第1回:自己誓約

「おチビちゃん、おチビちゃん!」

 俺は、毎朝7時半に、隣の部屋のこの家の家主である義弟の部屋のドアをノックする。
 寝起きの悪い彼は、10分後ぐらいにやっと起きて来て、ドアを開けて俺を睨むんだけど。


 これがまた、かなり可愛くてしょうがない。


「……エージ。今、春休みだって判ってる?」
「判ってるよ〜でも、あさってから学校も始まるんだし。この時間に起きるの、慣れてた方が良くない?」
 俺の言葉に、彼はさらに渋面になって、舌打ちをした。



 ここに来て、20日ほど過ぎた。
 3月も終わり、4月に入り、今年は開花時期が遅かった桜も、今が見頃だ。

「で。朝ご飯出来てるよ? ねね、アツアツの豆腐とワカメのお味噌汁と、アジの開きに卵焼き♪ 食べたくなんない?」
 そう言うと、彼は軽く溜息をついて、ボサボサの頭を掻きながら、
「俺って絶対、エージに餌付けされてる……。そんな気がする」
「何それ? ご飯くらいで、懐いてくれるの? おチビちゃん」
「……だって……そう言う、【暖かいご飯】って……俺、食ったことなかったし。エージが初めて」



 ――【暖かいご飯】が俺が初めてって……何か照れるよ?
 俺も誤魔化すように頭を掻きながら、先に行くリョーマに続いたら、不意に立ち止まって、問い掛けて来た。





「ね。エージはいつも何時に起きてるの?」
「6時半頃かな」
「……良く考えたらさ」
「何?」
「ゴミ出しとか……してくれてる?」
「ああ、うん」
「……道理で……俺、朝寝こけてるから、いつもゴミ結構、溜まってから出してたんだよね。なくなってるから、もしかしてって思った」
「……迷惑だった?」
「何で、迷惑? でも、兄貴に家事とかさせて、何か……俺偉そうじゃない?

 真剣な彼の声に、俺は一瞬キョトンとして、次に大爆笑してしまった。









「むぅ……何で笑うんだよ?」
「いや……おチビの発想が、何か可愛くて……あああ、ごめん、怒んないでよ!」

 そう言って、俺は彼のボサボサの頭を撫でて、笑って見せた。

「大丈夫。俺が好きでやってるんだからね」

 そう言うと、彼は戸惑ったような表情を見せて、頷いた。










 彼は――リョーマは時々そう言う表情を見せる。
 こちらが向けた好意に、戸惑うような困ったような、疑うような。




 ふと、リョーマのお父さん、南次郎さんが言ったことを思い出した。





【アイツは普通じゃ考えらんねえ力を持っている】




 それが風?
 初めて会った日。

 閉め切った部屋で少しだけ風を感じた。



 あれがリョーマの力?




「どうしたんだよ、エージ」
「ん? 何でもない。早く食べよう! 冷めちゃう」

 リョーマの声に、俺は思考を停止して、笑顔でそう言った、
 そうして、二人して、ダイニングに向かった。














「今日、花見行かない?」
「……花見?」
「お弁当持ってさ♪」

 ご飯を食べているリョーマに向かって問い掛けると、リョーマは胡乱な目を向けて、次に苦笑した。
 ちょっと唐突過ぎたかな?


「もう、弁当作ってんだろ?」
「……うぇ?」
 色々、考えてたらリョーマがそう決め付けて来て、俺は言葉に詰まった。
「だって、今から作ったら、出かけるの遅くなるじゃん」
 時計は既に8時を過ぎている。
「俺が断ったら、どうする気だったんだよ?」
「……そしたら、部屋で一人で食べようかな〜とか」
「……ば〜か。良いよ。花見ね。あんまり人が来ないようなとこなら」
「うん♪ それはバッチリだよん☆」

 そう言うと、リョーマは楽しそうに笑って頷いた。

 後片付けぐらいは自分がすると言うリョーマの言葉に甘えて、俺は作ってあった弁当をデイパックの中に入れたりしながら、
「途中でお菓子とジュース買って行こうね」
「……遠足みたいだね」
「二人で遠足って良いでしょ?」
 そう言うと、リョーマは肩を竦めて笑っていた。









 リョーマは人の好意には裏があると思ってるらしい。
 南次郎さんがそう言ってたんだけど――

 そりゃ、下心のない人間って居ないかも知れないけど……。
 自分をよく見て欲しいとか、好きになって欲しいとか、そう言うのも下心の一つじゃない?




 でも、そう言う意味じゃなく。
 自分を陥れるために、好意的な姿を装うことを当たり前に感じているんだとか。
 この好意の裏で、自分を騙すかも知れない。
 裏切られるかも知れない。





 自分に対する好意に警戒心丸出しにするのは、彼の癖だと言う。







 だからなのか、俺が優しくすればするほど、リョーマは緊張している。






 でも、俺にはそんな気持ちは微塵もない。
 裏切るなんて考えたこともないし。










 ――初めて会った日。





 俺を信じられなくて、不安とかその他にもきっと色んな葛藤があったんだと思う。
 冷たい言葉を発しながらも、リョーマの表情は痛かった。




 謝った俺に、泣いて怒って見せた。



 透明な穢れない涙。
 裏切られ続けて来たリョーマの、その心は傷だらけで、俺にはどうすることも出来ないかも知れない。





 それでも。
 リョーマは荒んでいない。
 きっと、南次郎さんが居たからだと思う。


 だって、人間不信でも。
 辛辣でも。
 涙はとても綺麗だったし。
 その目は濁ってなかった。





 真っ直ぐに前を見詰める意志の強い瞳。
 力強く輝いてて、眩しいくらいに。














 ――準備を整えて、俺はリョーマを呼んだ。

「そろそろ出かけない?」
「あ、うん」
 リョーマはジーンズとTシャツの上に、Gジャンを羽織って、俺を見上げた。
「俺の荷物は?」
「……? ああ、リョーマは買い物した後、その荷物持ってね」
「……判った」
 リョーマは、少しだけキョトンとした後。
 そう言って頷いた。












     ☆   ☆   ☆


 学校の裏手に少しだけ小高い丘があって、そこに一本だけ桜の木があった。
 そして、眼下に広がる学校の校庭には、桜の木が溢れてて、薄紅色に染まって見える。


「んね? 綺麗っしょ?」
「うん」
「人も居ないしね〜ここ、結構穴場なんだよん」
「エージが通ってる学校だよね?」
「そうそう。おチビちゃんも、俺の後輩になるんだよね」
「何か……変な感じ」
「何が?」
「エージが先輩って……」
「あははは。あ、買って来たお菓子食べようか?」
「あ、じゃあ、ジュースも」

 リョーマはそう言って、500mlのペットボトルを取り出した。
 お菓子を食べながら、ボーッと薄紅の桜と青い空を見つめる。








「……あれ? 英二」

 不意にかかった声に、俺は軽く舌打ちをしながら視線を向けた。
 穴場で人は殆ど来ないけど、それは一般人のことで。
 俺の友達や同じ学校の奴らは別だ。

 この声はクラスメートの不二周助だと気付いて、俺は軽く手を上げた。

「よう、不二」
「花見? いい天気だもんね」
「そう言う不二は?」
「僕も……似たようなものかな?」

 不二は軽く笑って言った。

「その子は?」
「あ、俺の弟。ほら、母ちゃん再婚するって言ったじゃん?」
「ああ、そう言えば……」

 不二はそう言って、改めてリョーマの方に向き直った。

「こんにちは、僕は不二周助」
 差し出された右手に戸惑いながら、リョーマは小さな声で、
「越前リョーマ」
 とだけ呟いた。
「ふーん……面白そうな子だね」
 握手をしなかったリョーマに、不二が苦笑を浮かべてそう言った。
「俺、少し歩いて来る」
 立ち上がって、リョーマは言い、俺も頷いて送り出した。


「……英二」
 リョーマを見送りながら、不二が俺に声をかけて来る。
「何?」
「あの子……あの子とあんまり居ない方が良いよ」
「不二?」
「あの子……普通じゃない。危ないよ、凄く……危険な感じがする」
「……そう?」

 ……不二の言葉に、俺はわざと惚けて見せた。
 普通じゃないことは知ってる。
 でも、どう普通じゃないのか、まだ、知らない。

「一緒に居ない方が良いんじゃない?」
「でも、俺の弟だし。一緒に住まなかったら、俺もリョーマも一人になる」
「……だから、前から言ってるじゃない。僕の家で暮らせば良いって。部屋はあまってるし」
「ダメ。言ったろ? あの子が独りになる。それはダメなの」

 断固として俺は言い切った。


「英二」
 呆れたような不二に俺は軽く笑って見せた。
「俺は、あの子の傍に居たいんだ」
「君が、危険に晒されるかもしれないよ?」
「……それでも……あの子の傍にいたい」
「……」

 俺が、誰かに執着を見せるなんて今までなかったから、不二が驚いてるのが判る。
 普通じゃ考えられない能力を持ってるって聞かされて、本当はちょっと怖かった。
 でも、見せてもらった写真のあの子は、やっぱり綺麗で輝くような力強い瞳をしてたから。



 会いたいと思ったんだ。





 極めつけは初めて会った日に見た、あの子の涙。
 あの子は否定してたけど。
 俺のために泣いてくれたんだって俺は思ってる。





 ――怒りながらも涙を流す、あの子は……鮮烈に綺麗だった。





「――……僕は、忠告したからね」
「うん。ありがと……。でも、変わらないよ」

 不二は諦めたように嘆息して肩を竦めた。


「じゃあ、帰るよ。何か邪魔したみたいだし」
「……ごめん。あの子、人見知りするみたいだから」

 【人間不信】を【人見知り】に摩り替えた。
 不二は気にしてないと、笑って帰って行く。



 その時の。
 不二の本当の思惑なんて……
 俺は全然気付かなかった。











「リョーマ♪」
「……何?」

 少し歩いた先でリョーマを見つけた。

「不二帰ったよ。一緒にお弁当食べよ?」
「……そうなの? あのまま、一緒に花見するのかと思った」
「……あはは。でも、リョーマはイヤでしょ?」
「……え?」
「リョーマが嫌なことはしないよ〜ほら、おなかすいたんだよね〜♪」

 そう言ってリョーマに手を差し出すと、どこか呆気に取られたような表情を見せてから、苦笑を浮かべて、俺の手に自分の手を重ねてくれた。


「へへん♪ リョーマの好きなもの一杯作ったからね〜」
「……エージが作るの、何でも旨いよ」

 ボソッと呟いたリョーマの言葉に、今度は俺が呆気に取られてしまった。
 俯いたリョーマは真っ赤になっている。




「あ、あははは♪ リョーマの口にあって良かったな〜」
 照れ隠しに大声で言って見せたら、「ばーか」と呟かれた。












 この子が寄せ始めてくれた好意と信頼を。
 俺は裏切りたくない。



 


 この子を……守りたいと思った。






 薄紅と青の世界で……。
 俺は俺に誓いを立てた。





 何があっても……リョーマを守ろう。






 この子の存在を

 この子の濁りない瞳を……。








<続く>


……何でこう
新しい話新しい話を書くかな?(−−;)
今回はテニスワールドで、
完全パラレルです。
序章と第1回が
リョーマ、英二の一人称で、
次が三人称になったら果てしなく変ですね。
でも、次の話で一人称は難しいかも……。
まあ、一人称なら英二になると思いますが……。
やっぱ三人称だよね(遠い目)


まだ、全然リョーマさんの【能力】について
触れてないですね(−−;)
かすかにしか……。


不二が気付いたのは……
何ででしょう?

次は不二vsリョーマ&英二になると思います。
戦うんかい!!(滝汗)

で、不二もリョーマの魅力に気付くんだね(笑)

こんな良く判らない話ですが、
お付き合い頂けると嬉しいです。