猫二匹……
 4時間目終了のチャイムが鳴った。
 同時にリョーマは身を起こし、大きく伸びをしながら、欠伸をする。
 カバンから弁当を取り出し、朝、一緒に弁当を食べようと約束した恋人を待っていた。


 いつもなら、チャイムが鳴り終わる頃には、慌しくやって来る恋人……二年上の菊丸英二が、10分経ってもやって来ない。
 待ってると思われるのは何だか嫌だから、弁当を机の中に入れて、机に突っ伏していたけど、実際、空腹だし待ってる訳だから、段々苛々して来るのは当然である。

「先に食べようかな」
 素直に迎えに来るのを待ってるのも何だか嫌になって来て、リョーマは起き上がって、弁当を片手に立ち上がった。

 廊下に出て、屋上に向かおうとすると、階下の方から声をかけられた。

「あ、越前くん」
「不二先輩?」
「英二から伝言。お昼は一緒に食べられないって」
「……そっすか」
 不二の言葉にそう呟いて、さっさと屋上へと向かう。
「理由、聞かないの?」
「……別に」

 屋上のドアを開けて、外に出ると、太陽の光が眩しくて、リョーマは目を細めた。

「英二はね」
「別に聞きたくないッス」
「まあまあ。英二はあそこにいるんだよ」
 そう言って、屋上から不二がグラウンドの方を指差す。

 正確には、グラウンドの近くにある銀杏の樹だ。
 その周りには、見慣れた何人かの姿があった。

「何の集まりですか?」
「元々は……英二が、お弁当を部室に忘れたのが始まりだったんだよ」


 不二の言葉に、リョーマは金網に手をかけて、黙ることで続きを促した。




   ☆   ☆   ☆

「あれ?」
「どうしたの?」
「可笑しいな……。弁当持って来てたのに……」
「ないの? 部室じゃない?」
 早めに授業が終わって、英二はすぐさまリョーマの元に行こうと、弁当を取り出そうとした。
 だが、カバンの中にはなく、テニスバッグの中にもない。
「……部室に忘れて来たんじゃない?」
「へ?」
 不二の言葉に、ぽんと手を打ち、そうかそうかと、英二は教室を飛び出した。


 部室のロッカーで弁当を見つけて、ホッとしつつ校舎に戻ろうとしていたら、大石と桃城と乾が銀杏の木の下で何かを話しているのが見えた。

「何やってんの?」

 さして疑問にも思わず声をかけて、にんまり笑う乾と、ホッとしたような大石と、嬉しそうな桃城に、英二は背中に悪寒が走りぬけた。

「……上、見て下さい」
「上?」
 銀杏の樹の葉と枝が邪魔してよく見えない。
 だが、視力の良い英二は、そのかなり上の方に黒と、白の塊を見つけた。

「何、猫?」
「ああ、仔猫なんだ。登って下りられなくなったらしくてな」
「あんな上まではとても、オレ達は登れなくて、どうしようかと思ってたんだ」
「で、そこに英二先輩が来たって訳ッス」
「……そりゃ……オレは木登り得意だけど……」
 だが、枝の先端……細くしなるような部分にいる仔猫を、助けることが出来るだろうか。

 だが、放っとく訳には行かないと、英二は弁当を桃に渡して、樹に手をかけて登り始めた。

「桃……? 何やってんの?」
 それから、少しして不二の声が聞こえ、3人が振り返り、事情を説明する。

「じゃあ、越前くんに伝えてくるね」
「あ、お願いね、不二」
 木の上から英二が、不二に対してそう言った。




「猫を……助けてるんすか?」
「そうみたい」
 不意にリョーマは踵を返して、屋上から出た。
 一階へと駆け下りて、昇降口で息をつく。
 走って来たなどとばれたくはない。
 大きく息を吸って、リョーマは問題の銀杏の木の下へと歩き出した。


「何やってんスか?」
 リョーマは、他の面々には目もくれず、樹を見上げて、かなり高みにいる英二に問い掛けた。
「おチビ?」
「人との約束破って……んなとこで何やってんスか?」
「……だってさ……」
 言い淀む英二に、リョーマは軽く息をついた。
 ふと、桃城が持っていた弁当と、肩に下げているデイパックを見て、桃城に声をかける。

「桃先輩」
「何だ?」
「それ、貸してください」
「は?」
 リョーマは、キョトンとする桃城からデイパックを取り上げ、自分が持っていた弁当と、桃城が持っていた英二の弁当を入れて、背中に背負った。
「越前?」
「何する気だ?」
「ねえ、梯子でも借りてきたら良いんじゃないの? 長い梯子あるんでしょ?」
 問い掛けて来る大石たちにリョーマはそう言って、軽々と木に登り始めた。
「って、おチビちゃん?」
「……英二は動かない方がいいよ」
 そう言って、どんどん登って行く。

 英二は、仔猫を一匹、抱き上げていた。
 だけど、もう一匹が、先に行ってしまって、白の仔猫を抱いたまま、身動きが取れなくなってしまったのである。

 英二の半分の時間で、英二の下まで辿りついたリョーマは英二から、白の仔猫を受け取った。

「本当は、オレがそっちに行ければ良いんだけど。でも、無理だから」
 器用に枝に足をかけ、幹に凭れて、片手に仔猫を抱っこしたまま、リョーマはデイパックを外した。
「はい。弁当」
「はあ? おチビ、状況判ってる?」
「……エージこそ。仔猫だよ? オレの弁当、焼き魚入ってるし、それでこっちに来て貰えば良いじゃん」
「あ、そっか!」
 英二はそう言って、デイパックからリョーマの弁当を取り出した。
 その中の焼き魚を取り上げて、そっと黒猫の方に差し出す。
 仔猫は、それが食べ物だと、本能的に判ったのか。
 動こうともしなかったくせに、そっとこっちに向かって歩いて来たのである。
 掌に、解した魚の身を載せて、仔猫に差し出す。
 仔猫はそれを食べて、食べ終わるとさらに、「くれ」と言うように、鳴きながら英二の膝の上に乗り上げた。
「やったVvv」

 英二が声を上げて、黒猫を両手に抱き締める。

 そこへ、梯子がかけられて、桃城が登って来た。
「大丈夫っすか? 英二先輩」
「うん。平気」
「えと、どうします? 子猫を腕に、梯子下りれますか?」
「……仔猫下ろすのは桃先輩だけで良いっすよ」
「はあ? 二匹も猫抱えて下りれる訳ねえだろう?」
 リョーマは、英二からデイパックを取り上げて、英二の弁当を取り出すと、英二に渡して、その中に白の仔猫を入れたのである。
「おチビ?」
「そっちのも」
 手を差し出し、黒猫を受け取って、デイパックに放り込む。
「時々、カルピンをこうやってバッグに入れて、顔だけ出せるようにして、出かけることあるんすよ」
 勿論、チャックを全部、閉める訳なく、半開きのまま、デイパックを桃城に渡した。
「お願いします、桃先輩」
「……おう!」
 デイパックを慎重に受け取って、桃城はゆっくりと梯子を下りていった。

「んじゃ、オレ達も」
「もう時間ないっすよ」
「は?」
 よっとと言いながら、足元の枝に腰掛けて、
「ここで弁当食いませんか?」
「……」
「景色も良いし、安定は悪いけど、弁当食べるだけなら、支障はないっすよ?」
「ったく、おチビってば……もう最高!」
 英二は、自分が座っている枝の上で、リョーマの方に向かって座り直し、弁当を手渡した。
「んじゃ、食べようか?」
「ウィッス」



「あの二人、あそこで弁当食ってるっスよ?」
「さすが猫な二人だね」
「梯子は、どうするっすか?」
「元の場所に返そう。下で支える人がいなかったら、返って危険だよ」
「そうだな。どうせ、下りるのも簡単だろう? あの二人なら……」
 の結論の元に、梯子は取り除かれた。

「性格は全く正反対なのに、どっか似てるよね、あの二人……」
「こいつらみたいじゃないっすか?」
 デイパックの中から飛び出した白黒の仔猫を指差し、桃城が言う。
 白黒の仔猫は互いに互いを舐め合っていた。

「あっと。僕もまだお昼食べてないんだ」
 そう言って、不二が踵を返した。
「食後の運動に来たんすけど……もう時間ないっすね」
「それもそうだな」
「とりあえず、戻ろうか」
 4人は揃って校舎に向かい、その中で桃城と大石は梯子を返しに倉庫に向かう。



 残ったのは、銀杏の木の上で、能天気にご飯を食べる――

 猫二匹……。



<Fin>