卒業式


 少しだけ気温が上がり、昼は暖かな日が多くなって来た最近。

 リョーマは目が覚めてからも、グズグズとベッドから起き上がろうとしなかった。
 今日は学校に行きたくない。
 普段と違う。
 空気に包まれた校内と。

 何度かやらされたリハーサルで。

 それだけでもう、イヤだと感じてしまう。


 否応ナシに……その日が近付いて来ることを意識させられて。
 何でもないことだと。
 大したことではないんだと。
 どんなに言い聞かせても、言ってくれても。
 何だか、不安が増すばかりで。

 リョーマは枕もとにあった、リストバンドに目を向けた。

「……何か、実感ないね。エージが学校から居なくなるなんて……」


 偶然、廊下ですれ違うことも。
 昼休み。
 一緒に、昼食食べようと迎えに来ることももうなくなってしまう。

 放課後。テニスコートで、楽しそうにプレーをする姿も。
 自分が入って行けない場所で行われるのだと思うと、何だか悔しい。

 同学年なら良かったのに。
 何で、二年も遅く生まれたのだろう?


「おっちびー! おはよー!!!」

 窓の外。
 そんな声が聞こえて来て、リョーマは初めてベッドから起き上がった。

「エージ?」
 窓から見下ろすと、英二が両手を挙げて、激しく左右に振っている。
「一緒にガッコ行こう!」
「……」
 能天気に、人の気も知らないで言う恋人に。
 リョーマは憮然と言ってしまった。

「学校、今日は、行かないから」
「ええー? 何でー? オレの晴れの門出を見送ってくれないの?」

 このバカ!
 見送りたくなんかないんだよ!!

 とは答えず。
 リョーマは、憮然としたままの態度で答えた。

「だって、式ってかったるいじゃないですか? 面倒くさいし。一年なんて居ても居なくても一緒でしょ?」
「ちっがーう! 一緒じゃないよ!! オレは、おチビちゃんと見送って欲しいもん!」

 罪のない表情で。
 能天気にそんなことを告げる。

 何も変わらないと。
 ずっと傍にいると誓ってくれた。

 英二にとっては、ホントに取るに足らないことで、今までと何も変わらないと、思ってるのかもしれない。
 でなければ、これほど能天気に、卒業式に出席しろとは言えないはずだ。

「何で、オレに見送って欲しいんすか? オレは別に見送りたくなんかないっすよ?」
「……ともかく! オレ、ここで待ってるから。ちゃんと着替えてご飯食べて、出て来てね!」

 言ったっきり、英二は門柱に凭れて、座り込んでしまった。


 時間は7時45分。学校まで20分のギリギリの距離。
 待たせれば待たせるほど、遅刻してしまう。

 だが。
 たとえ、遅刻しようが欠席しようが、英二は出て行く。
 中学を卒業し、高校生になるのは、仕方がないことで。


 リョーマは深々と息をついて、窓から離れた。
「まだまだだね」
 得意の文句を呟いて、パジャマを脱ぎ捨て、制服に着替える。

 慌しく、洗面所に駆け込んで、直ぐにダイニングに行き、パンを咥えて、玄関に向った。


「……おっはよん♪ って、おチビ? ちゃんとご飯食べて来て良かったんだよ?」
 パンを咥えたまま出て来たリョーマに、英二が慌てたように言う。
「……人待たせて、ゆっくり飯なんか食えないっすよ?」
「……それもそか。ごめん……でも、迎えに来ないとリョーマサボリそうだったんだもん」
 ニッコリ笑って言う英二の言葉に、見透かされてると、リョーマは視線を伏せた。

「んじゃ、行こう」
「……嬉しそうですね?」
「そりゃ……ね。一応、中学生じゃなくなるんだし!」
「それが、そんなに嬉しいの? もう、一緒の学校に通えなくなるのに」
 
 リョーマの言葉に、英二は目を大きく見開いて、それから、うっとりするような笑みを浮かべた。

「リョーマにそう言って貰えるなんて嬉しいね」
「……はあ?」
「……でも、オレは中学卒業して、高校生になるのは嬉しいよ?」
「!!」
 愕然と、英二を見上げて来るリョーマの頬を、そっと撫でて。
「リョーマより、二歳年上で良かったなーって思ってるし」
「何で? オレは……同い年で居たかった。そうすれば、もっとずっと一緒に居られたのに!」
「……そだね。でも……二年早く生まれたから、リョーマより先に歩いて行ける」
「……!」
「リョーマより先に大人になって、リョーマが後から来てくれるのを待って、リョーマの全てを受け止められるようになりたいから」
「……エージ?」
「もちろん、卒業しても高等部行っても、きっと会いに来るよ。休みの日はデートしようね?」

 英二は、すっとリョーマの前に出て、左手を差し伸べて、

「いつでもどんな時でも、君のことを考えるよ? 他の何かに夢中になっても、会える時間が減っても、きっとオレの心は君の隣にあるから」
「……エージ」
「ね? だから、オレのことちゃんと見送って? オレが、大人になる一歩を踏み出したことを、喜んで。リョーマを支えられる、受け止められる大人に……ほんの少しだけ近付いたことを、喜んで欲しい」
「バカ……じゃないの?」

 つい、憎まれ口を叩いてしまう。
 英二は、付き合い始めた頃よりずっとずっと大人になってる。
 カッコ良くなってる。

 でも、まだ、それに気付かずに、もっともっと先を目指しているのだ。

「エージ」
「ん?」
「……………卒業、おめでとう」

 リョーマの言葉に、英二は緩やかに微笑みを浮かべた。
 差し伸べられた手に、リョーマは左手を重ねて、握り締める。

「ありがとう、リョーマ。大好きだよ?」

 握り締められた左手を、英二も握り返して、ゆっくり引き寄せ、抱き締められる。


「今度、ちょっと遠出して遊びに行きたいね?」
「うん」
「泊りがけでさ。遊園地とか! ああ、でもなあ。先立つものがないし……。でも、近場でも、遊びに行こうね!」
「うん」


 正門に立てかけられた【青春学園中等部 卒業証書授与式】と書かれた看板に。
 それでも、少しの寂しさを感じるけど。

 でも、傍にいるこの人は……。


 変わらない笑顔を持って、傍に居てくれる……。

 蒼穹は澄み渡り、暖かな風が吹き抜ける。
 もう直ぐ……出会ってから、一年目の春を迎えるのだ――

 そう気付いて、リョーマは小さく笑みを浮かべた。

 ――まだまだ、これからだよね?


<Fin>