雨の日の邂逅

「エージ先輩、オレ、寄るとこあるんで、今日は先に帰ります」

 リョーマがそう言って、部室を出て行こうとする。
「え? 待ってよ。オレも帰るから!!」
「でも、寄り道しますよ?」
「寄り道OK! 全然、平気だよ〜! 付き合う付き合う♪♪」
 何だか能天気に言う英二に、リョーマは苦笑して、バッグを取り上げ、自分の元に駆け寄って来る英二を見つめていた。

「じゃあ、お先!」
「お先ッス」

 そう言って、部室を出て、英二は自分の目に映った空模様に、少しだけ眉を顰めた。

「あ、何か雨降りそう。ねえ、ちょっと良い?」
「何すか?」
「教室。傘あるから、持って行く」

 心配性なと思いつつ、だが、確かに雨は降り出しそうで。
 好き好んで濡れたくはないから、リョーマは頷いて、英二に付き合って校舎の方に向かって歩き出した。


 英二が、教室に入って机の中から目的のものを取り出しているのを横目に、リョーマは初めて来た3年6組の教室を見回していた。

 窓側が英二の席で。
「隣、誰?」
 リョーマの問いに、英二はキョトンとして、「ああ」と呟いて。
「不二だよ」
 とさらりと答えた。

「へえ、席まで隣なんすか?」



 何となく……面白くない。
 でも……。


「席までって……? 他は別に何も隣じゃないっしょ?」
 英二が傍に来てリョーマを見下ろしながらそう言うと。
「エージの両隣って……」
「ん?」
「不二先輩と大石副部長の居場所だよね?」
「はああ?」

 リョーマはそう言って、くるっと踵を返した。

「ちょっと、おチビ!? どう言う意味だよ?」
「…………判んないの? だったら説明しても判んないよ?」
 素っ気無くそう言って、リョーマは先に向かって歩いて行く。
「ちょっと待ってよ」
「早く来ないと、置いてっちゃうよ」
 生意気な口調で、リョーマが言い、英二はコンパスの差を生かして足早にリョーマの隣に陣取った。
「ねえ、さっきのどう言う意味なの?」
「……少しは自分で考えて答えを見つけたら? エージ先輩。オレは、不二先輩や大石先輩見たく甘くないっすから」
「……っ!!」
 言外に……バカにされてるような気がして、英二は口を噤んだ。



 ――校舎を出て、学校からも離れたところで、ずっと黙り込んでいた英二が観念したように声を上げた。
「もう、ダメ! 判んないよ〜!」
「……ずっと考えてたんすか?」
 逆に英二の言葉に、リョーマは驚いたように視線を向けて、苦笑を浮かべて英二の正面に立った。
「リョーマ?」
「……オレの位置はここ。エージの目の前。隣も良いけど、ここの方が、ちゃんとエージを見られるし、抱き締めて貰える」
「……!」
「隣は肩を組むぐらいだもんね。顔とか良く見えないし」
 ニッコリ笑って言うリョーマに、英二は心底嬉しそうに、鮮やかにその表情に笑顔を載せて。
「……そう言うこと?」
「そう言うこと」
 英二は笑みを浮かべて、リョーマを抱きしめようとしたが、不意に冷たいものを感じて、空を見上げた。

「ちぇ〜雨降って来たよ」
「残念無念また来週?」
「来週はイヤだな〜」
 英二の得意なフレーズを口に載せるリョーマに、苦笑を浮かべつつカバンから傘を取り出した。
「ほい。これ、おチビの分ね」
「え?」
「持ってないっしょ?」
 驚いたような表情を浮かべるリョーマに英二は笑ったまま言った。
「一本で相々傘ってのも良いけど。でも、やっぱそれじゃ濡れちゃうしね〜それでリョーマ風邪でも、引いたらイヤだからね」
 傘を差しながら英二が言う。
 リョーマ何となく、気恥ずかしさを感じながら、渡された折り畳みの傘を広げた。

 少し離れた町のスポーツ用品店に行くと言うリョーマは駅に向かって歩いていた。
 店の名前を聞いて、一度行ったことがあった英二は、場所がハッキリ判らないと言うリョーマに、案内してあげると言ったのである。



   ☆  ☆  ☆

「あれ?」
「……エージ先輩?」
 目的の町について、駅からその店への道を歩いていると、不意に英二が足早に駆け出した。

「大丈夫?」
 驚いたような表情で、その少年は振り返った。
 独特の髪型をした自分と同じ年くらいの少年。
 大きなでも切れ長の目は、誰かを思い出させる。

「びしょ濡れじゃん。どこまで行くの?」
「え? ああ、直ぐそこだが……」

 想像より低い声に、英二は少し驚きつつ、少年の持っている荷物に目をやって、
「ああ、そっか。荷物持ってるから走れないんだ?」
 そう言って、傘を半分少年に向かって差しかけた。
「!」
「…先輩」
 驚く少年と、何か言いたそうな、リョーマの声に。
「良いっしょ? ちょっとだし♪」
 と軽く答えを返して。
「まあ、別に良いけど……」
 リョーマは仕方がないという風に、肩を竦めてその後に続いた。
「へへん。おチビは判ってくれると思ったよん♪」

 そうして、見知らぬ少年と歩きながら、自分の斜め後ろを歩くリョーマに向かって英二は色々話し掛けて。
 すると、直ぐに少しだけ低い、でも、しっかりした声が聞こえて来た。

「あ、ここだから……」
「そうなん? へえ、ゲーム屋さん……君の家?」
「……ああ」
「ふーん。じゃあ、また今度、何か買いに来ようかな♪ ね? おチビ」
「……良いんじゃないっすか?」
 自分たちのやり取りを、茫然と見つめていた少年が、ドアノブに手をかけながら口を開いた。
「あの……ありがとう」
「いえいえ、どういたしまして! どうせ、ついでだしねん♪」
「何のついで何だか……」
「むう……おチビ、そう言う言い方良くないよ〜! じゃあね!」

 手を振って、再び歩き出すと、リョーマは憮然と言い出した。
「エージ先輩って、ホント、愛想良いですよね?」
「……何か怒ってる?」
「……別に。でも、何で見ず知らずの人に、あんなことするんですか?」
「……うーん。まあ、あれかな」
「?」
「何か、おチビに似てたから……」
「はああ?」
「うん。何かね、雰囲気がさあ。目付きとか……無愛想なとことか。でも、礼儀正しい感じで……」
「……だから?」
「そう、だから、何となく雨に濡れてるの見過ごせなかったの!」

 なんというか……。
 この人の思考回路もどうかしているとリョーマは思いつつ。
 それを喜ぶ、自分の思考回路もいっちゃってるなと思って。
 リョーマは笑った。

「何?」
「別に……何でもないっすよ?」


 ふと、日の光を感じて、傘を上げて空を見上げると、青空が見えて雨が上がってくのが判った。
「雨、止むみたいっすね」
「そだね」


 傘を閉じて、目的の店までもう少し近い位置に並んで、二人は歩いていた。











「もう! エージ先輩、ろくに道覚えてないんすか!?」
「ごめんごめん!! 怒らないでよ、おチビちゃ〜ん!!」

 中々見つからない店に、英二が戸惑っていると、リョーマが電柱を指差して、呟くように言った。
「先輩。ここ通りが一本違いますよ?」
「ええええ?」

 そうして、先の科白を言いながら、さっきのゲーム屋の前を通り過ぎる。

 と店のドアが開いて、鮮やかな金茶色の髪をした少年が姿を見せて、何かのプレートをドアに引っかけていた。
「あ、そうだ。遊裏ーー! ちゃんと身体拭いて、着替えろよ!!」

 そんな声が聞こえて来て、リョーマは慌てたように振り向いた。

「……何、おチビ?」
「……――え? 別に……」

 キョトンとした英二に問い掛けられて、リョーマは少しだけ茫然とした後。
 首を振って、軽く答えて、スッカリ晴れた空を見上げて言った。

「今度はちゃんと案内して下さいね」
「……うっ……も、もちろんね」

 英二は冷や汗を流しつつ答えて。
 夏を告げる風を感じて……軽く目を細めて、空を見上げた。