いつか、君を守るために

「うわあ! 海だ〜!!」
 海に行くことは判っていたのに、到着するなり、そう声を上げて英二は駆け出した。
「おチビ! 早く早く!!」
 先に駆け出しつつ、後からゆっくりと歩いて来るリョーマに向かって手を伸ばす。

「ホント……子供なんだから……」

 呟くリョーマに、その後ろから来た克也が肩を抱きつつ、
「そう言うお前も立派にガキだろ?」
「……!」
「たまには、弾けて遊ぶのも良いことだぜ? まあ、お前の場合はいつでも自分に正直だから、ストレスも溜まんないだろうけどな」
「……当たり前」

「ああああ!! 城之内先輩! おチビにくっ付きすぎ!! 何で、おチビも抵抗しないのさあ!!」
「……」
 英二の指摘に、思わず顔を見合わせ、意地悪く笑う。
 見合わせたために、後ほんの少しで唇が相手に触れそうなくらいに近付いていて、英二はさらに怒鳴ろうと口を開いた。

「……吠えれば吠えるほど、やり続けるぞ」
 いつの間にか、リョーマと克也を追い越して、英二の前に来ていた遊裏がそう言って、英二の腕を引く。
「……吠えればって……」
「面白がってるからな、あれは……」
「……そうなの?」
「あからさまだろう? こう言う時は、先に切れた方が負けなんだぜ?」
「……う〜」
 そう言いつつ、遊裏は少し強めに英二の腕を引き、前屈みになった英二の耳に自分の口許を近づけて何事か耳打ちする。
 そうして、英二が笑い出したために、リョーマが先にムッとしたように、克也の腕を振り払った。
 遊裏も微笑を浮かべて、何かを言っているため、克也の機嫌も下降する。

 そうして、英二が遊裏に耳打ちしようとした瞬間。

 英二はリョーマに、遊裏は克也に、思い切り後ろから引っ張られていた。


「やっりー♪ オレ達の勝ち!」
「はあ?」
「……我慢が足りないのは克也だけじゃなかったか」
「……遊裏?」
「……遊裏ちゃんはね、耳打ちしながら、「こうやってれば向こうの方が、こっちに来るぜ。さらに、笑えば完璧だ」って言うからさあ」
「……それで、菊丸もオレに耳打ちして、ナイショ話してるように見せれば、絶対に克也が動くと思ったんだが……。越前の方が先に動くとはな」

 遊裏の言葉に、相手の策に嵌ったことに気付いたリョーマが、真っ赤になって俯いた。

「この手のことは先に仕掛けた方が、我慢きかないからな」
「……なるほどね〜」
「ったく! どうせ、オレは駆け引きめいたことでお前に勝てた試しはねえよ!」
「君はゲームではハッタリが利くのに、何でか実生活では、全くダメだよな」

 遊裏の言葉に、克也は思わず眉を顰めた。

 だけど。
 機嫌良さそうに笑う遊裏に、つられて次第に笑みを浮かべてしまう。

「まあ、良いか……」










 まだ、夏休みにも入っていない今の時期は、人影も殆どない。

 もっとも、ここは海水浴場に切り替わる場所ではないので、夏本番になっても人は殆ど来ないのだろうが……。


 英二が、波打ち際で靴と靴下を放り出し、その波を足に受けて気持ち良さそうに笑う。
「おチビもどう? 気持ち良いよ!」
「……そっすか?」
 波が寄せて、足を包み込み、そのままスーッと引いて行く。
 少しだけ砂に埋まる足と、湿った砂の感触が、気持ち良くて、英二はリョーマの手を掴んだ。

「ほら、靴とか濡れたら、そっちは気持ち悪いから!」
「……って、エージ! 強引!!」
「本当に、気持ち良いんだって!」

 そう言って、リョーマの靴や靴下も放り出し、手を引いて海の方へ向かう。

「あんまりそっち行くなよ! ここは遠浅で結構波打ち際が広いけど、急に深くなってるからな!」
 克也の声に、英二が手を振って答えた。
「だから、ここは、遊泳禁止なんだよな」
「……そうなんだ」
「でも、夏の穴場ではあるぜ。波打ち際で、水遊びするくれえなら、出来るからな」
「急に深くなるって、どうなってるんだ?」
「こう、徐々に深くなってるんだったら、まだ良いんだけどな。そうだな。多分、越前とかお前なら、先ず足がつかない」
「え?」
「こう言う平面を歩いてて、前が見えない状態で、いきなり二メートルぐらいの落差があったら? 目に見えてれば、事前に止まれるし、自分の意志で飛び下りるなら、何とか大丈夫だろうが……。見えない状態で、いきなりそうなったら……テキメン、怪我をするよな? 水の中で怪我はしないが、混乱して、泳ぐことが出来ずに、溺れる可能性が高いんだよ」
「……知ってれば大丈夫なんだな?」
「そう言うこと。でも、子供には危ないだろ? だから、ここは遊泳禁止な訳」
「ふーん……」
「それに、波が来るだろう?」
「……!」
「引いては戻る……この波も厄介なんだよ……」

 克也はそう言って、少し離れたところに、デイパックから取り出したシートを敷いた。
「こう言うところは、鑑賞するために来るようなもんだよな〜」
「え?」
「でも、ここでは夕陽は拝めないけどな」
「そうなのか?」
「だって、東向きだから。朝陽なら、見えるぜ」
「……あ! そうか!! ここは初日の出を見に来た海なのか?!」
「正解! 道が違うし日の出見たのは、もちっと向こうの堤防の上だったからな」

 克也はそう言って、遊裏をシートの上に座らせた。
 そうして、自分も座ろうとして、何気に海の方に視線を向けた。

「……! あのバカ!」
「克也?」

 不意に克也は海に向かって駆け出していた。






「おチビ、あんまりそっち行っちゃダメだよ」
「……判ってる」
 そう言って、リョーマは英二の傍に行こうと踵を返した。
 水は自分の足首よりちょっと上までだが、波が来るととたんに、膝までかかってしまう。

「あ……」
 吹いた風が、リョーマの被っていた帽子を飛ばした。
 いつも被っている白の帽子ではないが、割と気に入っているもので。
 リョーマは直ぐ……傍に落ちたそれを拾おうと、足を踏み出した。

「うわっ!」
「おチビ!?」
 リョーマの声が聞こえたと同時に、英二が振り返った。
 だが、リョーマの姿がなくそこには、リョーマの帽子が浮かんでいる。
「おチビ……リョーマ!!」
 慌てたように、英二が続けてそこに向かおうとしたが、次に波が寄せてたたらを踏んで、バランスを崩した。
 それでも、リョーマを助けるために、先に向かって帽子が浮かんでる辺りで慎重に、足を踏み出した。
(地面がない?)

 それに気付いた英二は、そのまま飛び込む形で、海の中へと入って行った。


(おチビ!?)
 海の中で、何とか沈んだ筈のリョーマの姿を捜す。
 だが、ゴーグルをつけている訳ではないから、視界はきかない。
 水中では呼ぶことも出来ずに、何とか周りを見回すのがやっとだ。

 不意に後ろから引っ張られた。
 振り返ると、克也が親指を立てて上へと合図している。
 その腕に。
 ぐったりしているリョーマがいて。
 英二は複雑な気持ちのまま、安堵を覚えたのだ。




「克也! 菊丸! 大丈夫か!?」
 既に波打ち際まで来ていた遊裏が心配げに声をかけて来る。
 克也の荷物にあった、バスタオルを二つ……それぞれに差し出して、克也が抱き上げているリョーマを見つめた。

「克也? 越前……息をしてないんじゃないか?」
「……っ!」
「ビックリして、多分かなり水を飲んだんだろう……。だから、溺れやすいんだよ」

 そう言って、克也はリョーマを砂浜の上に横たえ、気道を確保するように顎を上げさせて、英二を見上げた。
「……緊急避難はやったことねえか?」
「……あ。学校でやったけど。良く憶えてない……」
「だろうな」
 克也はそう言って、自分でカウントを取り、息を大きく吸い込むと、リョーマの唇に唇を近付け、そのまま息を吹き込んだ。

 そうして、その行動を何度か繰り返して、不意にリョーマが咳き込んだ。
 口から水が吐き出されて、さらに喘ぐように咳き込み続ける。

 不意に克也は立ち上がり、英二の腕を引いて、そのまま、リョーマの横に座らせた。


「……エ……ジ?」
「おチビ……!!」
「……ごめ……エージ、注意してくれたのに……」
 リョーマの言葉に、英二は首を横に振った。
「頭……フラフラする。エージが助けてくれたの?」
 もう一度……唇を噛み締めながら、英二は首を横に振った。
「……城之内先輩だよ。助けてくれたの」
「……そうなんだ」
「でも、菊丸も、越前を助けるために、海に飛び込んだんだぜ?」
 背後から、克也が使っていた筈のバスタオルを、リョーマの肩からかけながら遊裏が言う。
「ホント?」
「ああ!」
「そっか……」
 嬉しそうにバスタオルを前であわせてリョーマが微笑んだ。

「でも……! 行動に結果が伴わなかったら……城之内先輩がいなかったら、オレはおチビを助けられなかったよ」
「……菊丸」

 みんなから離れて、浜辺のゴミやら木切れを集めている克也に、英二は複雑な感情を憶えてしまった。



 この人がいたから、リョーマを助けられた。
 この人がいなかったら、リョーマを助けられなかったかもしれない。

 でも……。

 助けてくれて嬉しいのに。
 助けられなかったことが悔しい。


「そう、気にするな」
「……遊裏ちゃん」
「場数の問題だ。克也は、ライフガードの仕事もしてたからな」
「へ?」
「Lifeguard……水泳場の救助員っすよ」
「腕力と体力には自信があるって。後、合間に海の家で料理もしてたけど……」
「……」

「いつまで、そこで話してんだよ! こっち来いよ!!」
 見ると、克也は拾っていた木切れで焚き火を炊いていた。
「……場数の問題か」
「そう言うこと……。咄嗟の時に動けるのは、それをこなした数だけ違う。それでも、菊丸は何の躊躇もしないで、海に飛び込んだ。越前のためにな」
「……」
「……ありがと。エージ」
「でも……」
「今度は、ちゃんとオレを助けてくれれば良いじゃん? 今回はオレは無事だったんだし」
 そう言って、立ち上がったリョーマは少しふらついた。
 それを見て、英二は「よしっ」と声を上げて、リョーマを横抱きに抱き上げていた。

「うぁ? エージ?」
「歩けないんでしょ? だったら、こうさせて? 良いっしょ?」
「……しょうがないっすね」
 そんな二人を微笑ましく見つめながら、遊裏はゆっくりと二人の後から歩き始めた。





 焚き火を囲んで、火にあたりながら、克也は持って来た弁当を遊裏に渡した。
「あ、オレも作ってるんだ。お弁当」
 そう言って、英二も弁当をリョーマに差し出す。
「城之内先輩って、料理得意なの?」
 英二の問いに、克也はキョトンとして、それから苦笑を浮かべつつ言った。
「まあな」
「ふーん。オレも結構得意だけど。ね、遊裏ちゃん、味見してみて良い?」
「ああ、良いぜ」
 そう言って、遊裏は自分が食べていた弁当を、英二の方に向けて差し出した。
「んじゃ、頂きまーす」
 自分が好きな卵焼きを迷わず選び、口に放り込む。
「……美味しいvv」
「ホント? オレも食べたい!」
「あ、んじゃも一個良い?」
 頷く遊裏に、卵焼きをもう一個取って、リョーマに向けて差し出した。
「ほい、リョーマ」
「……え、エージ……」
 赤面しつつ、どうしようかと迷うリョーマに、英二が笑いながら言う。
「ほら、早く食べないと、オレが食べちゃうよん?」
「ああ、ダメ!」
 そう言って、そのまま英二に食べさせて貰う格好で、卵焼きを口に入れた。
「……美味しい」
「でしょ?」
「うん。でも、エージのも美味しいよ?」
 そう言って、リョーマは英二が作ってくれた自分の分の弁当を食べ始めた。
「……おチビちゃん」

 さっきの出来事で、不安を感じていたらしい英二が、リョーマの一言で浮上するのを見て、克也と遊裏は一瞬、目を合わせて互いに笑みを浮かべあった。



 そうして。
 暫くして服も乾き、陽が西に傾きかけた頃。
 4人は帰途についた。



 帰りの電車の中で、リョーマが英二に、英二が克也に凭れる格好で眠りについて。

 克也と遊裏は、苦笑を浮かべる。

「一足早く、泳いじまったしな?」
「……泳いだって言うのか? あれ……」
 疑問を浮かべて言う遊裏に、克也はもう一度、苦笑で答えて。
「でも、疲れちまったのは確かだな」
「……そうだな」

 童実野町について、さてどうするかと思いつつ。
「……ついでに、青春台まで行くか?」
「送るのか?」
「……放ってくのもどうかと思うしな」
「……本当に、年下の面倒見は良いよな?」
「そうか? そうでもねえと思うけど」
 複雑な表情で、克也は言い、遊裏は軽く笑った。


 後もう少し。
 彼らの住む町に着くまで。


 遊裏も克也の肩で眠ることにしたのだった。



<Fin>





なんだかオマケがやけに長くなって、似非シリアスっぽくなり、どうしようかと思いました(滝汗)克也が異常にカッコ良いですね(遠い目)
いや、元から克也はずっとカッコ良いのを目指してるんですが……。
昔は結構ヘタレだったんですよ? 確か……。ってか遊裏が男前だったのか(笑)

まあ、3歳の年の差はやっぱりあるんだということで。
3年後の英二はこれくらいカッコ良くなってると思いますけどね。
まあ、潜り抜けて来た修羅場の違いってのもありますし。

英二はきっと克也にはそう言う意味ではまだまだ追いつけないでしょうけど。それでも、リョーマさんは英二を選ぶんですよね。
テニスの強さ云々に関係なく、珍しく気に入ってるようですけど(笑)

これからも、このシリーズ暫く続けたいと思います。

ですが、互いの基本シリーズにはこの設定は適用されません。
こっちには、その基本シリーズの端々が適用されますけどね。

ちょっと判り辛いかもですが、狂想曲の7月ではこの出会いはなかったということになります。こっちのシリーズでは、英二は克也を目指して、奮闘することになるので(笑)向こうは向こうで、自分なりに模索しつつ強くなる英二になると思います。

目指す相手がいる方が楽かもね。試行錯誤しなくて良いから(笑)


ともあれ、もう暫く。
お付き合い頂けると嬉しいです(^^)