FAST ACCESS  
〜プロローグ〜

 その日はあまりの人込みに、武藤遊裏はかなり辟易していた。
 このまま、待ち合わせの相手である、城之内克也が来たら、帰ってしまおうかと、思ってしまうくらいの人出だったのである。

 基本的に、人込みが苦手な遊裏は、駅前広場にある時計に目をやって、溜息をついた。
 克也が遅れて来るのはいつものことなので、別に気にしては居ないが、この人込みでは、見失っているかも知れないとさえ思ってしまう。





 約束の時間は、30分ほど過ぎていた。








「やっべー! 寝過ごしたーーーーっ!!」
 慌てて飛び起きて、服を着替えながら、器用にパンを咥えて、部屋を飛び出す。
 昨夜は遅くまでバイトがあり、今朝は臨時で新聞配達のバイトに入り、その後、弁当をこしらえてから、ちょっとだけ仮眠する予定だったのに、気持ちよく熟睡していた。





 約束の時間から、既に一時間。
 待ち合わせの場所に着くのは、どんなに急いでも、20分後である。



「くそ〜遊裏の奴、怒ってっかな〜」

 そんなことを呟きながら、克也は待ち合わせの場所に急いでいた。








    ☆  ☆  ☆


「なーんで、今日に限って寝坊するかなー! オレ!!」



 菊丸英二はそう叫ぶように言って、慌てて洗面所に駆け込んだ。
 髪をセットする時間も惜しいが、そのままでは、ちょっと出て行けないのも事実で。
 寝過ごした自分が、何だか情けなく悔しい。

「うう……おチビの方が先に来てたら、痺れ切らして帰っちゃうよ〜」

 全く信用してない口ぶりでそんなこと呟きながら、鏡とにらめっこした後。
 明け方作った弁当をバッグに入れて、飛び出した。

(これ、作った後、寝なきゃ良かった……。おチビ〜お願いだから、帰んないでね;)

 過去に二時間も自分を待っていてくれたことがある恋人だが、あの時「次に、こんなに待たせたら、もう会ってやんない」と宣言してくれたのだ。


 今現在、一時間ちょっとの遅れ。

(おチビも寝過ごしてたら良いのに……)
 可能性はありそうだが、得てしてこう言う時に限って、早く来てたりもするもので。



(エージ、遅い!!)


 越前リョーマは、待ち合わせ場所でご立腹中だった(笑)








    ☆  ☆  ☆

 待ち合わせに、遅れること、1時間半。

 克也は腕時計を見ながら、舌打ちを漏らし、あまりの人の多さにうんざりしていた。
 これでは、遊裏は機嫌を損ねて帰ってしまったかも知れない。
 元々、人込みは余り得意ではない遊裏は、たまにこう言うところで頭痛を起こす。
「ったく、何だってんだよ?」
 克也は独りごちつつ、先を急いでいた。



「遊裏!!」

 呼ばれて、遊裏は顔を上げた。
 人込みを掻き分けながら、克也が走って来るのが見えて、遊裏はあからさまにホッとした。
 だが、取り立てて表情は変えずに、目の前に立つ克也を見上げて、呟くように言った。
「遅い」
「悪い! うっかり寝過ごしちまった……」
「……来てくれたから、もう良いけど」
 余り強く怒れない理由は、ちゃんとある。
 克也が寝過ごしたのは、遊んでいたからではない。
 バイトに明け暮れて、生活費を自分で稼いでいるのだ。
 そんな中で時間をやりくりして、自分と二人で会ってくれている。
 だから、怒る訳には行かないのだ。

「へへっ、サンキュ♪ 折角だから、バイクでお前の家まで迎えに行けば良かったな。天気も良好気候も上々! ばっちりツーリング日和だし」
「……でも、道路も混んでるんじゃないか? 今日はなんか余計に人出が多いし」
「だな……」

 答えて、不意に克也は後ろから引っ張られて、驚いたように振り返った。
 被っていた帽子が落ちそうになって、慌てて左手で抑える。

 艶やかな黒髪の、小さな少年。
 少し鋭い目付きが、誰かを彷彿とさせて、克也は思わず和んだように、口を開いた。
「なんだよ?」
「……エージじゃない? あんた誰?」
「はあ?」
 いきなり人のことを引っ張っときながら、この言い草は一体……。
 克也のこめかみが、少し引きつる。
「てめえで、声かけて何だよそりゃ?」
「……」
 あからさまにムッとしつつ、克也を見上げて睨みつけて来る。
「んだよ? ガキがオレとやるってか?」
「克也。子供相手に大人気ないぞ?」
「だってよ、遊裏……」
「何で……似てるの?」
「はい?」
「声……エージに似てる……何か、ムカツク」
 ポツンと呟かれた言葉に、克也は一瞬呆気に取られて、次には弾けるように笑い出した。

「な、なんか……おめえって可愛いな♪」
「そんなこと、あんたに、言われても嬉しくない」
「ふーん。……その【エージ】って奴なら嬉しいんだ?」
「……エージのこと知らないくせに、勝手に呼ぶな」
「ククク……面白ぇ……」
「……克也」
「だってよ〜」
 呆れたような遊裏の声に、笑いを含んだ声で答えつつ。
 克也は少年の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
「お前、名前は?」
「……何で、あんたに名乗らなきゃなんないの?」
「……ま、それもそっか。でも、聞きたいと思ったからなんだけどな。あ、ちなみにオレは城之内克也ってんだ」
「聞いてない」
「……コイツ、お前以上だな? 遊裏」
「どう言う意味だ? 克也……」
「小生意気さとか、偉そうなとことか」
「どうでも良いけど、触んないでくれない?」
「ああ、悪い悪い」
「そう言う風にオレを見てたのか、君は?」

 雲行きが怪しくなる遊裏の様子に、克也は慌てて手を振った。
「そう言う意味じゃねえって……」

 そこまで言った時。
 不意に、大歓声が響き渡り、一際、周囲が騒がしくなった。
 と同時に、一方方向に人が大量に、移動を始めて、遊裏はそれに巻き込まれてしまった。


「遊裏!!」


 克也が手を伸ばした時には、すでに目の前にはいなくて、さらに隣の少年が押されて倒れそうになったのを支えている間に。




 完全に見失ってしまったのである――