True Love 
Act2.残された想い



「何か、騒がしくねえ?」
 シャワールームを出て、リビングに向かうところで、聞こえて来たざわめきに桃城が怪訝な声を上げた。
「……ホントだね。何かあったのかな?」
 河村もキョトンと答えて、リョーマは何を思ったのか少し早足で、リビングのドアを開けた。
 広い、リビングに、ここの別荘で泊まってる殆どのメンバーが集まっていた。
 いないのは、この別荘の持ち主である、海馬兄弟。それに、武藤遊戯の三人、それに、乾と手塚の姿も見えなかった。

「どうしたんスか?」
 一番、入り口付近にいた、長髪の少年に、桃城が問い掛けた。
「ああ、何かね。遊裏くんと城之内くんの仲が破局を迎えたらしくてね」
 にこやかな表情で告げて来る内容に、桃城は危うく聞き流しそうになって、だが、その言葉の意味を把握した瞬間、目を見開いた。
「ウソでしょ?」
「ホント。遊裏くんが、菊丸くんを好きだって言い出しちゃってね」
「……エージを?」
「あ、越前くん、居たんだ。でも、どうせ、判ることだから、隠してもしょうがないしね」
 大して悪びれた様子も見せずに、長髪の少年――獏良了が言った。
「何で、こんなことになったんだか、全然判らなくてさ」
 肩を竦めて獏良は言い、そろそろ昼食の時間だからと、ダイニングと繋がっているこのリビングに来たら、この有様だったと言う。

「……越前。大丈夫か?」
 少しふらついたようなリョーマに、桃城が慌てて声をかけた。
「……大丈夫っす」
 リョーマはそう言って、視線をソファの方に向けて足を踏み出した。


「……エージ先輩」
 視線を感じながら、リョーマは喉がからからに渇いているのを自覚しつつ、声をかけた。
「どうしたのさ? そんな今にも死にそうな表情しちゃってさ?」
「気分でも悪いのか? リョーマ」
 キョトンとした英二と、心配げな遊裏の言葉に、どこも何も変わって居ないことを感じる。
 だけど。
「カツヤは、どうしたの?」
「……克っちゃん?」
「それは、オレも聞きたい。一体、城之内くんはどうしたんだ?」
 少し離れたソファに座って、頭を抱えている克也に視線を向けて、遊裏が困惑したように問い掛けて来た。
「……ねえ、判んないの?」
「……リョーマ?」
「自分の恋人が……朝までは、自分のこと好きだって言ってた人が、いきなり他の人を好きだって言っても信用出来ないんだけど?」
 ソファに座っている遊裏とリョーマでは、少しだけ遊裏がリョーマを見上げる格好になっている。
 その状態で遊裏は首を傾げた。
「……そう言っても……」
 呟くように言って、英二に視線を向ける。
 英二は、遊裏の肩に腕を回して、リョーマに向き直った。
「越前。もしかして、お前もオレのこと好きとか言ったりする? でも、オレ達、もう別れてるよね?」
「……何言ってんの? あんた……」
「何って……。越前こそ、何言ってんだよ?」
 似たようなアーモンド型の目が、互いに剣呑な光をぶつけ合い、リョーマは更に目付きを鋭くして言った。
「……じゃあ、キッパリ言いますけど、菊丸先輩。オレは、あんたが、誰を好きでも、あんたが好きだ。だから、たとえユーリでも渡す気はないっすよ?」
「……っ!」
 言葉に詰まる英二と遊裏とは逆に、ハッとしたように克也が顔を上げた。

 反動をつけて立ち上がってリョーマの隣に立ち、リョーマを見下ろして苦笑を浮かべた。
「……ホント、情けねえよな。……でも、確かにリョーマの言う通りだ。オレも遊裏が好きだ。だから、そう簡単に手放す気はない」
「……城之内くん? 一体……何を?」
 困惑を強めて、もっと言えば、嫌悪感を滲ませて、遊裏が声を挟む。
 だが、克也は一歩も引かない強い視線を向けて、キッパリ言ったのである。
「オレは、お前が好きだ。たとえ、お前がオレのことを嫌おうとな」
 そっと、遊裏の頬に触れて、克也は踵を返し、そこに集まっていた面々に向かって驚いたように目を瞠った。
「何だよ? 見せ物じゃねえぞ! あー腹減った。昼飯でも作るかー! 何かリクエストあるかー?」
 元気に声を上げて、歩き出す。
 そんな克也を見送り、リョーマは英二を振り返った。
「……もし、本当に気が変わったって言うんなら……。もう一度、オレのこと好きにさせて見せるッスよ? 菊丸先輩」
「な……っ! 何を……」
「だって、エージはオレのこと好きだからね」
「……オレが好きなのは遊裏ちゃんだよ。越前じゃない」
 キッパリした英二の言葉に、少しだけリョーマの表情が歪んだ。
 だが、すぐにいつも表情に戻して踵を返した。

 そのまま、リョーマは、克也の後を追うように、キッチンに向かったのである。






    ☆     ☆


「カツヤ……」
 シンクの前で、手を付いたまま、俯いている克也の背後から声をかけて、リョーマは少しだけ後退った。
「何だ? 何か……食いたいもんでもあるのか?」
 振り返ることなく、問い掛けて来る克也の背中に向けて、リョーマは小さく問い掛けた。
「大丈夫ッスか?」
「……何とかな」
 そう言って、手に持っていた卵を片手鍋に入れて、振り返って来る。
「でもよ、何か変だと思わねえか?」
「……思うッスよ」
 多少、落ち込んではいるのだろうが、それ以上に、疑問を浮かべている克也の目に、リョーマも、同じことを考えていた。


 朝は普通だったのだ。
 本当にいつもと同じで、強引に起こされて、不満げだったリョーマに、英二が、自分にだけ和食の朝食を用意してくれていた。(他の面々は、スクランブルエッグとパンとポタージュスープと言う献立の中で)
 ニコニコとリョーマの前に陣取って、自分の分の朝食を食べながら、リョーマを見つめていた。
 リョーマを良い気持ちにさせてくれて、朝の不機嫌もどっかに行って、でも、英二は後片付けがあるから、一人で別荘の中をぶらぶらして、キッチンに戻ったら英二の姿はなかった。

 デッキテラスで遊裏がカードをいじってるのを見て、何とはなしにその前に座ってそれを見てた。
 何を話した訳でもないけど、その時の遊裏もいつもの遊裏で、克也のことを『克也』と呼んでいた。
 でも、それにも飽きたから、デッキテラスから庭に降りて、テニスコートの方に向かうと、桃城と河村にテニスに誘われた。

 そうして、昼にああなってて……。

「変過ぎっすよ」
「……チクショ。買出しに一緒に行くって言ってたアイツ、連れて行けば良かった」
 すぐに帰って来るからと、やんわり断って、不二を伴って出掛けたのだが……。
 悔しげに呟く克也に、リョーマは首を傾げた。
「エージもユーリも……本当に本気でオレ達と別れてて、互いに好きになったって思ってるよね?」
「……だよな。演技じゃねえし、どう考えてもそんな演技をする理由もねえ。……俺らをダマしてからかうつもりにしちゃ、真剣になり過ぎてる……」

 事態が余りに突飛過ぎて、思考が全然付いて行っていない。
 考えても判らないことを、考えるのは、克也もリョーマも得意ではない。

 克也は一度息をついて、リョーマを見返った。

「何にせよ、独りじゃないのは心強いぜ、リョーマ」
「……そっスね」
 苦笑を浮かべて、リョーマの頭を撫でた克也に、苦笑で答えて、ふっと感じた視線に、振り返った。

「エージ……先輩」
「……英二?」
 リョーマの声に、克也も視線を転じて、眉を顰めた。
 自分も信頼している友人を、責める目で見てしまうことは、何だかイヤだった。
 その英二は、克也がリョーマの頭に載せている手を……ただ、ジッと見つめていて、リョーマと克也の声にハッとしたように身動きした。
「……昼食……作るんだよね。オレも……当番だし」
「ああ、そうだな」

 いつもは二人で仲良く楽しそうに料理を作っているのに。
 今は、とても気まずげで、ギクシャクしていて、見るに耐えかねて、リョーマは踵を返して、リビングの方に向かったのである。


     ☆    ☆


 実際問題。
 昼食は、何故だか不気味なほど、静かだった。

 今日の朝までは、リョーマの前には、英二が必ず陣取って、向かい合って嬉しそうに食べていたのに、この昼食では、遊裏の前に座って、にこやかに食べているからである。
(ちなみに、初日に、「何で隣じゃなくて、向かいなの?」と聞いた不二に、あっさりと、「隣じゃ顔が見えないじゃん」と答えたものである)
 対して、隣のテーブルでは、克也とリョーマが黙々と食事するに至っては、何をどう言えば良いのか、全く判らず、下手なことをして、地雷を踏むのも遠慮したい。

 だが、20人近くの人間が居るにもかかわらず、この静けさは、不気味である。
 それを不気味と受け取り、疑問を投げかけたのは、当然のように、菊丸英二その人だった。

「ねえ? 何でみんな黙ってんの?」
 疑問を顕わに問い掛ける。
 誰も何も、答えることが出来ずに、とにかく箸を動かし、ひたすら食べることに専念するしかない。
「……ねえ、桃。何かあったの?」
「……は?」
 『何で、オレに振るんですか?』と言う言葉を自分の中に押し込めて、桃城は敢えて、それに曖昧に答えるだけに止めた。
 気まずく静まり返ったダイニングに、リビングからではなく、逆側のドアが開いて、哄笑が響き渡った。

「聞いたぞ、凡骨! とうとう、遊裏に振られたそうだな!!」
 盛大に、可笑しくてしょうがないらしく、口許に笑みを浮かべて現れた青年は、この季節に何故かロングコートを着込んでいる。(いや、正確には冬なのでOKなのだが、ここでは、今の季節は夏だ)
 もっとも、素材は薄手のもので通気性も良く、暑くはないらしい。
 が詳しいことは、他人には判らない。

「って、海馬くん。決め付けちゃダメじゃないか」
 背後から、穏やかな声が聞こえて来て、面々が多少、ホッとする。
 奇行の目立つ、かの社長を抑制出来る存在の内の一人だからである。

「食事中にごめんね。でも、遊裏くんに話があるんだ。良い?」
「ああ、別に……構わないが……」
「ええー!? チビちゃん、行っちゃうの?」
 不満げに英二が声を上げる。
 遊裏は少し困ったように首を傾げて、
「直ぐに戻って来るけど? それでもダメなのか?」
「……ホントに直ぐに?」
「ああ、もちろんだ」
 その言葉に、英二は不承不承、頷いて、
「じゃあ、その間に後片付け終らせとくから、一緒に出かけようね?」
「ああ、良いぜ」
 にこやかに遊裏は答えた。

 その間、遊戯は克也の方に近付き、こっそり耳打ちする。

「一体何がどうなって、ああなったの?」
「それが、判ってれば苦労しねえよ」
 疲れたように言う克也に対し、遊戯も苦笑を浮かべて肩を軽く叩いた。
「でも、今見ただけだけど……。君と一緒に居る時より、英二君に対しての方が甘い気がするのは気のせいかな?」
「うるせえ」
 確かにそれは感じていた。
 遊裏は付き合い始めた当初、遊戯と二心同体だったこともあり、何かにつけて、遊戯を優先していた。
 その名残か、今でも、克也に対して甘えて見せたりしない。
 克也自身も、遊裏に甘えることは殆どしない。
 だから、英二が甘える様子を見せた時の、遊裏の態度は、克也に取っては、見慣れないものでしかなかった。

「元々、裏遊戯は……」
 『甘えることは下手だし、オレも同じだから……』と、言いかけて、克也はハッとしたように、立ち上がった。
 英二とのやり取りを終えて、遊戯を待っていた遊裏に向かって、克也はゆっくりと、声をかけていた。

「裏遊戯……」
「……っ!」

 明らかに。
 遊裏は動揺したように身じろぎした。


 それは、『自分を自分』と認めてくれた、克也だけが呼べる名前である。
 心に受けた動揺は激しく、遊裏の肩が小さく震えていた。


「……何、チビちゃん?」
 克也の視線と、遊裏の態度に、英二が不安げに声をかけた。
 だが、遊裏はその声が聞こえていないかのように、ただ、克也を見つめて動こうとはしなかったのである。
「英二。お前は知らない、オレと、遊裏の……辿って来た道があるんだ。そう簡単に遊裏は渡すつもりはねえからな」
「……そんなの、関係ないじゃん。だって、オレは……」
 言いかけて、言いよどむ。
 ふと、感じる視線に英二が、目を向けると、強い視線に出くわした。

 何にも負けない強い意志を持った瞳が、真っ直ぐに自分を見つめていた。
 だが、直ぐに視線は逸らされて、英二は慌てたように、足を前へと踏み出していた。
「あれ? ……オレ、何やってんだ?」
 自分が好きな相手は、逆の方向にいるのに。
 何で、視線を逸らされたことを、こんなに寂しく感じてしまうんだろうか?




 そんな自分の行動の意味が判らないまま――
 英二はその場に立ち尽くすことしか出来なかったのである。


<続く>