1 始まりはセオリーで
 夏休みに入った良く晴れた日に。
 青春学園の前に、一台のバイクが停まった。

「ちょうど、昼時についたな」
「そうだな……」
 背負った荷物の重さによろめいた少年に対し、バイクを運転していた青年が慌てたようにバイクのスタンドを立てて手を貸した。
「荷物、下ろした方がいいぜ?」
 そう言って、少年の背負っているナップザックを受け取ってから自分の背中に背負った。
「克也……それじゃ、君が……」
「遊裏よりマシだっての。バイクに乗ってる時は、他に置く場所ねえから、お前に背負ってて貰ってただけだしな」
 立てたバイクのスタンドを蹴り上げて、エンジンを切ったまま押し始める。
「駐輪場に停めた方が良いよな」
 キョロキョロと周りを見回すと、見知った人物を見つけて声を上げた。
「よう! 桃城!!」
「あれー? 城之内さんに、遊裏さんじゃないっすか!」
 どこかに行こうとしていたのか、自転車のキーを手にしたまま、桃城と呼ばれた少年が駆け寄って来た。
「どうしたんすか?」
「ちょうど、昼時だろ? 差し入れ持って来たんだよ」
「え? もしかして、城之内さんの手作りッスか? ラッキー!!」
 喜ぶ桃城に、駐輪場の場所を聞いて、城之内克也はそちらに向かってバイクを押し始めた。


 コートの方に向かうと、既に殆どの部員たちは、それぞれに昼食を摂りに向かったらしく人影も見当たらなかった。

「こっちッスよ。部室は暑いんで、風通しの良い視聴覚教室で食べようって先輩たちが言ってたんで」
 校舎の中に入って行く桃城に、克也と遊裏は顔を見合わせて立ち止まった。
「部外者が校内に入っても良いのか?」
「オレらみんな知ってるし、後はバアさんに断っとけば何とかなるッスよ」
「……ばあさん?」
 キョトンと問い返して来る遊裏に、桃城は笑って答えた。
「顧問の先生っすよ」
 校舎の中に入って、三階にある視聴覚教室に向かう。


「桃一人で大丈夫だったかな?」
 ふと思いついたように言った不二の言葉に、英二が能天気に答えた。
「そう思うんなら、不二がついて行けば良かったじゃん?」
「ジャンケンで負けた桃先輩の自己責任っしょ?」
 あっけらかんとリョーマが言った所で、ドアが開いた。

「お帰り、桃。……って弁当は?」
「へっへー! 買いに行こうと思ってたら、誰に会ったと思います?」
「勿体振るな?」
「さっさと言えよ、この馬鹿が」
「何だと、マムシ……」
「……」
「「やる気かこの野郎!!」」

 もはや、恒例としか言いようがない桃城と海堂とのやり取りに、乾と大石が止めに入った。

「ホント、いつでもどこでも変わらねえよなぁ」
 朗らかな、でも揶揄するような声が聞こえて来て、その場の全員の視線が入り口に向いた。
「克っちゃん!」
「城之内さん!」
 それぞれの口からついて出た言葉に、呼ばれた相手が笑みを浮かべる。
「夏休みの間も、ずっとテニス三昧って聞いたからよ、今日は差し入れに昼飯を持って来たんだ」

 克也の言葉にその場にいた全員の歓声が上がった。
 克也の料理の腕は、全員の知るところな訳だから、当然喜びも一入である。

「でも、これじゃ桃の罰ゲームはなかったことになっちゃうねえ?」
 英二が言いながら桃城に視線を向けた。
「克っちゃんのことだから、飲み物もバッチリだし……食後のデザートもあるし」
「それじゃあ、放課後……桃先輩に何か奢って貰うってのどうっすか?」
 リョーマの提案にそれぞれが、賛成の声を上げる中、桃城は助けを求めるように手塚に視線を向けた。
「まあ、これも付き合いだ。諦めろ」
 アッサリと無碍に切り捨てられて、その場に崩れ落ちた。
 そんな面々のやり取りに、克也と遊裏はただ笑うことしか出来ずにいた。
 笑いながらも、重箱をテーブルの上に載せて、包みを解くと、案の定待ってましたとばかりに、中身がドンドン消えて行く。

「今日はバイトは良いんですか?」
「店の定休日だからな。補習も無事終了して、特に予定もなかったから」
「補習?」
「うるせえな、細かいことは気にすんな」
 不二の問いに答えたところで、鋭い英二の突っ込みを軽くいなして誤魔化す。

 そんなこんなで昼休みを終えた、青学テニス部レギュラーメンバーたちは、それぞれに、コートに向かうために、部屋を出て行く。
 最後に大石がドアの鍵をかけ、踵を返そうとしたところで、駆け戻って来たリョーマとぶつかりそうになった。
「越前、どうしたんだ?」
「あ、あの……帽子忘れたんで」
 そう言うリョーマに、大石は苦笑を浮かべてドアの鍵を開けてやった。
「あ、鍵、オレが戻しときますよ、大石先輩。どうせ、ついでだし」
「そうか? じゃあ、頼むな」

 この後、顧問の竜崎スミレに呼ばれていることもあって、どっちにしても職員室に行く身だ。
 鍵を受け取って、教室の中に入り、帽子を取り上げて戻って来た。

「カツヤとユーリは、もう帰るの?」
「そうだな……」
 リョーマの問いかけに、遊裏が克也を見上げた。
「少しだけ見学して、帰るよ。長居しても邪魔になるだけだしな」
「ふーん」
 ドアに鍵をかけて、歩き出すと階下の方から英二の声が聞こえて来た。
「おチビー! 克っちゃんも遊裏ちゃんも早く〜!」

 能天気な英二の声に、リョーマが一声だけ答えて三人は歩き出した。

 と、リョーマの手にあった鍵が、一瞬の隙をついて床に向かって落ちると、それに反応してリョーマと遊裏が、ほぼ同時に足を踏み出した。

「あ……」
「遊裏!? リョーマ!」

 踊り場にいた英二と、背後にいた克也の声が重なって、だが、止まろうと思ってすぐに止まることが出来る訳ではなく、遊裏とリョーマはそのまま、ぶつかって転がってしまった。
 まさに、英二がいる踊り場に向かって――


「遊裏! リョーマ!」
「おチビ! 遊裏ちゃん!!」
 そのまま、物凄い音と共に自分の足元まで転がって来た二人に慌てて駆け寄り、英二はリョーマの、克也は遊裏の傍へとごく自然に向かっていた。

「……タタ……大丈夫か、リョーマ?」
「……何とか。ビックリした」

 リョーマを気遣う遊裏の言葉が、何故かリョーマの口から聞こえた。

「おチビ?」
「ああ? 英二?」
 キョトンとするその表情はまさに、リョーマのものであるが、出た言葉と名前の呼び方は、リョーマのものではない。
「……ねえ、何でオレが目の前にいるの?」
 遊裏が克也を押しのけて、リョーマの隣に立ち、詰め寄るように問い掛けた。
「ちょっと待て。何で、オレが……?」

 顔を見合わせる二人の傍で、それぞれの恋人たちは、ただ、その光景を愕然と見つめることしか出来ないでいた。