風光 
第2話

 英二は、ゆっくりと建物の陰から、前方を盗み見た。
 視力は良い方だ。
 動いているものを、見極める能力も高い。
 だからこそ、相手が動く一瞬の隙を逃すことなく、的確に倒すことが出来るのだ。


「英二くん! 準備OKだよ」
「……ああ」
 英二は、背後からかけられた声に、そう答えて、駆け出した。
 電光石火の速さと言う言葉があるが、まさにそれで、英二は、あっと言う間に距離を詰めて、短剣を相手の首筋に突きつけた。

「命が惜しければ、それを寄越すんだな」
「……っ!?」
 相手は、英二の接近に気付いていなかった。
 自分の背後に立ち、首筋に短剣を宛てられるまで、彼も、彼の仲間も、英二の存在に気付いてなかったのである。
「逃げようと思っても無駄だぜ? オレの仲間……【Clam(カーム)】が要所を抑えている」
「か、Clamだって?」
「……じゃあ、英二=菊丸!?」
 その場にいた、十数人が一気に身を引いた。
 リーダーの首筋に、短剣を突きつけられた状態で、初めから抵抗らしい抵抗も出来ない状態だったにも拘わらず……。
 相手が、【Clam】のリーダー、英二=菊丸では、話にもならない。

 英二=菊丸……菊丸英二が、このMillennium・Palaceに現れたのは、二ヶ月ほど前。

 冬と呼ばれる季節の始まり……。
 12月の半ばだった。
 学生服にハーフコートを羽織っただけで、後は何も持っていない。
 そんな相手は、取り敢えず、コートや着ている服(とは言っても、学生服では余り価値がない)を剥ぎ取って外界に放り出していた。
 金目の物を持っていれば、それも頂く。
 ここでは何でもありだ。
 強い者が勝ち、弱い者は敗れる。

 弱肉強食の理が、どこよりも強い場所だった。


 自分でここに入って来る人間は、何から逃げて来た者が殆どで、それは、犯罪だったり、人間関係のしがらみだったりする。
 信頼をなくしたり、居場所を無くしたり、それこそ人それぞれ理由は様々だが、外界に居場所を無くした人間が来ることに、変わりはない。
 だが、世捨て人になるつもりで来たとしても、そう簡単ではない。
 何故なら……居場所を無くしても、ここで、【生きて行くこと】を誰もやめていないからである。

 奪い合い、傷つけ合ってでも、生きるための糧を手に入れる。
 それが如実に出て来る世界でもあるのだ。


 殆ど自暴自棄な気持ちで、英二はここに来た。
 だが、この【Millennium・Palace】に入った瞬間に、追い詰められた時――
 英二は、心の底から、死にたくないと言う思いを発した。
 風が巻き起こり、英二を守るように吹き上げて、吹き抜けた。

 十数人いた、人間を一気に吹き飛ばし、戦闘不能に陥らせたことで、英二は俄かに、このPalaceで注目されるようになって行った。
 彼の能力を目当てに(守って貰うために)近付いて来る。
 それなりの見返りを持って……。

 英二は、特にそれを止める気も、また、【仲間】と本気で見ている訳でもなかった。
 ただ、自分に取って都合が良かった。
 だから、相手がこちらの能力を利用しようというなら、自身も利用させて貰うだけだと思った。
 人間なんて、無条件で相手を信じることなどありえない。
 何かをキッカケに、他人は容易く変節する。
 英二は、身を持ってそれを知っていた。

 人数が多いと、食糧に困るので、初めは、最小限に抑えていた。
 だが、二ヶ月経った今では、英二が率いる【Clam】は、20人を越える所帯になっていたのである。(基本的に負けたグループが相手に従うと言う気質があったためである)

「千石」
 背後に駆け寄って来たオレンジ髪の少年に、無機質に声をかける。
 心得ているとばかりに、千石と他数人が、相手の持っていた食糧と衣料を自分たちの車に積み込んだ。
「準備OKです! 英二さん」
「英二!」
 トラックの荷台に、千石清純が飛び乗り、英二に向かって手を差し伸べた。
「……」
 英二は拘束していた青年の首筋に短剣の柄を叩きつけて、気絶させて、千石の手を無視して、器用にトラックの荷台に飛び乗った。
「……まだ、警戒してる訳?」
「オレには触れない方が、お前のためだ」
「……そんなもんなの? その理由……教えてって言ったら教えてくれる?」
「誰が……」
 素っ気無い口調で、英二は言い、千石と反対の場所に座り込んで、まるで外との接触を断つように俯いた。

 英二が、自分の元に集まって来た連中――この【Clam】メンバーに、条件として提示したのは、【触れないこと】だった。
 こちらからも触れない。
 そっちからも触れて来るな。
 それをするなら、リーダーと言う盾になってやる……と言ったのである。
 

 ――二ヶ月前。
 あの外界での出来事の原因が、英二はまだ判っていなかった。
 さすがに、自分の元に下心を抱えてでも、やって来る者を切り刻む訳には行かない。
 ましてや、英二はその能力を、未だに使いこなせていなかったのだから。



「Flame?」
「ああ。最近、この辺りで悪辣な奴らを撃滅してるグループだよ」
 不意に振られた話の中に出て来たグループ名に、少しだけ反応を示して、問い返した。
 何故、関心を示したのか、自分でも判らなかった。
 だから、殊更、素っ気無く返してみた。
「……それが?」
「ああ、そのリーダーが炎を操るってもっぱらの噂なんだよねえ」
「……炎を、操る?」
 驚いた。
 自分と似たような能力を持った者が、他にもいる事実に。
 だから、少しだけ会ってみたいと、思ってしまったのも、当然だったのかも知れない。
「でも、何を基準に、決めてるんだろうねえ?」
「決めてるって?」
「いや、【Flame】って、色んなグループ潰してるらしいから。何を基準に決めてるんだろうね? ってこと。だって、ここじゃあるところから奪わなきゃ生きて行けないっしょ? 後、弱いとこから頂くのも常識だし。Radiusに目を付けられない程度に、奪ってかなきゃやって行けない」

 【Radius】とは総員300名を誇る最大のグループで、もっとも強い権力を保持していた。
 各グループの殆どが、Radiusに何らかの形で、金や品物、食糧などを納めていた。
 要するに年貢か税金のようなものである。
 変わりに、Radiusに自分たちのグループを、保護してもらうことも出来る、という仕組みだった。
 だが、ここ最近……その要求が暴利になり、しかもRadiusのメンバーが率先して、各グループを襲うことも多発していた。
 Radiusに対する不満は一気に高まったが、それに対抗出来る組織はどこにもない。
 【Clam】は表立ってRadiusに対抗している訳ではないが、何も納税したことはなかった。
 それでも、まだ、Radiusの襲撃は受けていない。
 多分に、英二の風の能力を警戒しているだろうと思われた。

「……」
 実際、自分たちも食糧と衣料を手に入れた別グループを襲って、強奪した。
 あるところ、弱いところから、頂くのがこの世界のルールだ。
「Flameって、どの辺を拠点にしてるか知ってる?」
「興味あんの? 英二くん」
 珍しそうに、目を丸くして、千石は問い掛けた。
 自分自身のことも、周りで起こることにも、余り興味を示さない英二は、およそ、感情と言うものを見せたことがない。
 怒りも悲しみも……笑みさえも……。

 喜怒哀楽を忘れたような、感情の窺えない表情で、何事にも興味なさそうにしている。

「ただ、いつか……かち合うかもしれないだろ? 前以て相手のことを知ることも必要だし。ましてや……相手が炎を操るなんて特殊能力を持ってるならね」
「……そう言う英二くんだって、持ってるじゃない? 何もアクションしなくても、向こうから接触して来るかもよ?」
 向こうからの接触……。
 それは取りも直さず、要するに……。
「攻撃……して来るか……」
「さあてね。それはどうだろう? 案外、懐柔策で来るかも。英二くんの能力もある訳だし……」
「……体のいい防波堤ってか?」
 自分の言葉が、皮肉なったことに気付いて、英二は軽く舌打ちした。
 今、自分の側に集まって来ている連中は、要するに自分の保身を考えて寄って来た者ばかりである。

 防波堤。
 もしくは盾。

 言い方は幾らでもあるが、いざとなれば英二の能力があると、勝手に当てにされている。
 それ以上でも以下でもない。
 どっちにしても、英二にはどうでも良いことだったが……。


    ☆    ☆    ☆


 奪って来たものを、どうしようと英二は全く興味がなかった。
 だから、それらの処理も千石に任せて、一人で、少し離れた広場に向かおうと踵を返した。

 タバコを吸おうと、咥えてライターを探していると、不意に視界が陰って見えて、訝しげに視線を上げた。
「火? いるんだろ?」
「……」
 その人物もタバコを咥えていて、そこからは煙が揺らいでいる。
「……ども」
「どういたしまして」
 タバコを咥えて、軽く息を吸おうとして、英二は怪訝に目を見開いた。
「ライターは?」
「ねえよ」
「じゃあ、マッチ?」
「あるように見えるか?」
「じゃあ、そっちのタバコの火、近づけてよ」
「……やだね」
「あ、あんたねえ」

 火をくれると言うから、待ってるのに、相手の態度は要領を得ない。
「まあまあ、目、瞑ってな」
「……」
 あからさまに、警戒心を顕わにして、英二は後退った。
 青年の方は、明らかに心外という表情をして見せたが、直ぐに自分の言ったことが馬鹿だったと気付いたらしい。
「初対面で信用出来る訳ねえよな」
 そうして、クスクスと笑う。
「……あんた、誰だよ?」
「そう言うお前は誰だよ?」
「……」
「答えられないなら、オレも答えられないな」
 何だか、不毛なやり取りをしている気になって、英二は肩を竦めた。
 そうして、気を取り直したように、口を開く。
「……それより、火は?」
「あ、そうだったな」
 青年は、そっと伸ばして来た手の指を、タバコの前で構えて、
「ちゃんと吸えよ」
 と言って、親指と中指を弾いた。
 確実にタバコに火がついて、思わず英二は咳き込んでしまった。
「……ゲホゲホっ……あ、……た?」
「……便利だろ? ライター無くてもどこでも火が付けられるぜ。もっとも、ガスが充満してるとこじゃものすっげ危険物だけどな」
 言いながら、軽快に笑ってみせる。
 この人を食ったような人物は……。

「あんた、Flameのリーダー?」
「何だ、知ってたのか。つまんねえ」
 英二の言葉に、青年はそう言って肩を竦めて、本気で詰まらなさそうに、ふて腐れている。
「炎を操るって、有名なんだから、ああ言うことすれば、バレバレじゃない?」
「……そりゃそうだな」
 どこまでも能天気に、気楽に構えて、笑ってる。
 そんな青年の態度が、英二の癇に障った。
 自分は能力のせいで、ここまで来て、誰も信用出来なくて、しかも、敵ならまだしも、味方さえいつ殺すかも知れない自分に怯えて、次第に感情も旨く出せなくなったと言うのに。
 何で、この青年は同じような能力を持ちながら、こんなにも能天気に笑っていられるのだろう? 
「で? 何か用なの?」
「……いきなり核心つくか?」
「用が無いなら、どっか行って」
「つれないなぁ……。ま、冗談はともかく。この辺に『Clam』ってグループがいるって聞いたんだけど、知らないか?」
「……知ってどうすんだよ? 攻撃かける訳?」
「まあ、相手にも寄るけど。言って判らなきゃ実力行使しかねえだろう? 噂でしか聞いたことねえんだけど、そのリーダーが風を操れるって言うから。ま、オレとしては是非、仲間になって欲しいんだけどな」
「仲間? 仲間集めてるの? 何のための?」
「……Radiusに拮抗するくらいの組織を作ること。それが、オレの役目だから」
「……あんた馬鹿?」
「何だよそりゃ?」
 思い切り心外と言う表情で青年が言う。
 だが、『Radius』はこの『Millennium・Palace』で最高の人員を誇る最大のグループだ。
 それに対抗する組織作りなんて不可能に決まっている。

「そんなことやっても無駄じゃない。それよりもどうやって、自分が生き延びるか、考える方が先じゃん?」
「簡単だろ? 生き延びるだけなら、こっから出て行けば良い」
「……は? それが出来りゃ苦労しないだろ?」
「だよな。良かれ悪しかれ、ここに来た連中は大抵外界には帰れない連中だ」
 それが判っているなら、何故、そう言うことを口にする?
 帰りたくても帰れない。
 そんな気持ちが、コイツに判らないのか?

「……あんた嫌いだ」
「ああ、そう。そいつは、残念」
 どこまでも飄々として物言いで、本当にむかついて来る。

(ムカツク?)

 自分の思考に驚いた。
 驚いて、目を見開き、もう一度、青年を見つめた。

「何だよ? ああ、そうそう。で? Clamの連中のアジトは……」
「知らないよ」
「あ、そう。ちぇ……無駄足か……」
 言いながら、頭を掻きつつ、肩を竦めた。
「そんじゃな……。無事に生き残れよ」
「……あんた……」
「あぁ?」
「……なんで、そんなに……」

 言いかけて言いよどむ。
 そこに触れて良いのか判断がつかなかった。
 自分なら触れて欲しくない。
 怒らせたら、焼き殺される?

「……? 何だよ?」
「何でもない」
「……変な奴」
 そう言って駆け出し、少し先に停めていたバイクに跨った。
「……ねえ」
「だから、何だよ?」
「……本気なの?」
「何が?」
「さっきの話」
「……ウソついてどうすんだよ」
「でも……無理だって思わないの?」
「……やって見なきゃ判んねえだろう?」
「でも! 最近のRadiusは、難癖つけては、やたらに他グループを襲ってるし、ちゃんとしてるとこでも襲撃かけたりしてるって言うし、人数も多いし! どうやって対抗する気だよ?」
「……誰が対抗するって言った?」
「は?」
 キョトンと、英二は青年を見つめて目を瞬かせた。
「……対抗するんじゃねえ。Radiusを潰すつもりもねえよ。ただ、それに見合う力をつけて、渡り合うだけだ」
「……」
「人数が多けりゃ良いってもんでもねえだろ? 少数精鋭って言葉もあるし。取り敢えず、自分をしっかり持ってる奴は、他人を裏切らない。自分の信念があるから、他人を欺こうとは考えない。オレが欲しいのはそう言う人材だ」
「……裏切らない? 本気で思ってるの? おめでたいね」
「……」
「人なんて簡単に裏切るんだよ! 少し他人と違えば、こっちの意志とかはお構いなしに、あっさり相手を見限るんだ! そう言うもんだよ、人間なんて!!」

 何をムキになっているんだろうか?
 久しぶりに怒声を張り上げて、英二は大きく息をついて肩で息を吐いた。
「ああ、そうだな」
「……なっ!?」
「オレが裏切られたことないとでも思ってるのか?」
「だって! 裏切らない相手を探してるって……大体、Radiusに渡り合うって何? Radiusが新しく出来たグループなんて相手にする訳ないし、そんなこと無理だよ」
「……たとえ、そうだとしても、オレはお前に協力しろとは言ってないし、そうとしか考えられない奴を仲間にするつもりもない。だから、オレが何をしようと関係ないだろう?」
「……っ!」
 確かにその通りである。
 青年が何をしようと、自分には関係ない。
 関知することじゃない。
 何があっても、自分に火の粉が降りかからないように、自分が生きて行くことだけを考えていれば良いのだ。
「……裏切らないなんて……簡単なんだよ」
「……え?」
「ウソをつかなきゃ良いのさ」
「……そんな……正直に素直になんてやってたら足元すくわれるじゃないか」
 ぼやくように言った英二に対して青年は苦笑を浮かべた。
「そりゃそうだ。だから、見極めが大切なんだよ」
 バイクのエンジンがかかった。
 ヘルメットをかぶることはせずに、青年は、バイクのハンドルを握り、アクセルを開ける。
「じゃあな。少年。裏切られても、人を裏切ることはなかったら、本当に裏切らない相手を見つけることが出来るかも知れないぜ」
「……そんなこと、ある訳ないね!」

 決め付けるように言って、英二も踵を返した。
 バイクのエンジン音が、煩く響き、そのまま走り去って行く。

「……」
 思わず英二は振り返っていた。
 感情が動かず、何にも心が反応しなかった。
 怒りと苛立ちとは言え、自分の感情を動かしたあの青年に、益々興味が沸いた。
「馬鹿じゃん。Radius相手に……」
 小さく呟き、溜息をつく。
 笑えない。
 喜びは無い。
 楽しくも無い。
 悲しみさえ感じない。


 怒りは取り戻しても、まだ自分の感情は思い通りにならない。

 タバコを地面に落として踏みつけると、英二は自分の当座のねぐらになっているアジトに向かって歩き出した。





      ☆    ☆    ☆

 Radiusからの襲撃があったのは、その三日後のことだった。
 英二は、いつものように千石を含めた仲間数人と、糧を得るために出かけていた。
 その隙を突くように、Radiusの面々は襲って来たのである。

「……こいつぁ……」
 帰って来た英二たちが見たものは、自分たちも散々して来たことであり、見て来たことだった。
「……どうする? 英二くん。このままここに居ても……また襲われるだけだよ?」
「……」
「取り敢えず、別のアジト……見つけるしかないな」
 英二は、千石の言葉を無視して、踵を返した。
 こう言う気分を、オレ達に襲われた奴らも味わってる。

 悔しいと思う気持ちが溢れて来る。
 守れなかったことが悔しいのか。
 住処を無くしたことが悔しいのか。
 英二には判らない。


 ただ、あの日から……怒りに近い感情が沸き起こるのを否定出来なかった。
 外界に居た頃は、一番抑えていた感情である。
 怒りの感情で巻き起こった風は――あの暴走に比べれば可愛いものだが――それでも、凄まじいものがあった。
 だから、怒らないように、出来るだけ笑っていられるように。
 自分を抑えて来たのだ。


 それなのに。
 今、悔しいと思う感情は怒りに繋がる。

「畜生……」
 言葉に出して呟いた。
 ふと。
 人が争う声が聞こえて来て英二は、視線を向けた。
 少し先で、一人の少年が、数人の男たちを相手に喧嘩しているのが見えた。
 そんなのも、ここでは日常茶飯時だ。
 ふと、少年が蹲った。
 何かを腕に抱き込んでいる。

「……バカか、アイツ……」
 それが動物だと言うことが判った。
 大きさから言って仔犬か、猫。
 そんなところだろう。
 それを庇うために、あんな奴らと喧嘩にならない喧嘩をしているらしい。
 巻き込まれるのはごめんだった。
 こっちもそれどころじゃない。
 新しいねぐらを見つけなければならないし、Radiusに目を付けられるのもごめんだった。

 だが、少年は動物を抱え込んだまま、身動き一つしない。
 英二は、半ば苛々しながら、歩き出していた。

「……腹の足しになる訳でもないんだから、止めたら?」
「何だと、こらぁ?」
「……ここでの正義感気取りは、命要らないってことなんだぜ、兄ちゃん」
「……そうかもね。でも、何かむかつくんだよ。あんたら見てると」
「こんなガキ助けて、あんたに何の得があるってんだ?」
「さあ? 別にガキを助けたい訳じゃないし。ただ、言っただろう?」
「……あン?」
「あんたらが気に入らないんだよ!」
 言うなり、英二は地面を蹴っていた。
 目に止まらない速さで、相手の懐に飛び込み、腰に差していた短剣を閃かせる。
 そうして、肩を斬り付け、腹部に蹴りを入れた。
「……何を……っ!?」
 英二の素早さと間合いの短い短剣は、相手の懐に飛び込むのに丁度良い。
 だが、刺すことはしない。
 この接近戦で相手を刺し貫くことは、逆に危険でもあるからだ。
 長剣ならともかく、間合いの短い短剣を差し込むと、抜くのに手間取って、折角の素早さが半減してしまう。
 ましてや刀身の短い短剣では、内臓まで達することは難しい。
 ならば、素早い動きでかく乱して、血を流させる方が、効率が良いのだ。
「……オレの速さなら……頚動脈を切るのも簡単なんだけどね」
「何を……?」
「でも、出血凄いから。血で汚れたくないんだよ」
 英二は、そう言って、相手の背後に廻り込み、短剣を振り下ろした。
 だが、英二の視界の中で、英二に敵わないと見た一人が蹲る少年に向かって、剣を振り下ろそうとするのを、捉えてしまった。
「ちっ!」
 間に合わない。
 そう思った瞬間、加速した。
「?」
 訳が判らないまま、英二は少年の側に来て、その剣を短剣で受け止めていた。
「無謀だな。短剣じゃ、長剣には敵わないぜ?」
 下方から受け止める形になっているのも、力がかかる量が違って来る。
 上から体重をかけて、押してくる相手に、このまま粘るのは無理だった。
 更に英二の右腕に、矢が突き立った。
「……っ!!」
 痛みに悲鳴も上げられず、少しだけ力が抜けて、受け止めた剣先がずれた。
 そのまま、押し切ろうとする相手に、自分が引くことは、この少年の死を意味した。

 関係ない少年だった。
 こんな無法地帯で、弱いものを庇って、自ら死を選んだようなものだ。
 何の義理も無い。
 庇う義務も無い。

 でも。


(オレがなくしたものを持ってるこの子を……死なせたくないっ!!)

 思いは力になる。
 そんなこと信じてなかったけど。
 それでも……死にたくないと思う気持ちにも、勝るとも劣らない、死なせたくないと思う気持ちが、風を生んだ。



 暴風が止んだあと。
 英二は見向きもせずに、少年を抱き上げた。
 漆黒の髪と、健康的な肌の、まだ幼い少年。
 何故、こんな所にいるのか、判らなかったけど、英二は自分の瞳から、涙が零れたことに気がついた。

「……お前が守りたかった命……守れたよ? 良かったな」
 少年の腕の中に居たのは、小さな子猫で。
 すぐ側で猫の鳴き声が聞こえた。
 それに反応して、仔猫はジタバタと身動きを始めた。
 英二はしゃがみこんで、少年の腕を退けて、仔猫を解放してやると子猫は一目散に駆けて行く。
 その先に母猫らしい、猫がいた。
 駆け寄って来た子猫を舐めて、母猫は踵を返し、仔猫もそれについて駆け出して行く。
 一度だけ。
 母猫が振り返って、一声鳴いた。

「……」
 呆気に取られて、英二はその光景を見つめた。
 このMillennium・Palaceで見ることは出来ないであろう、余りに非現実的な、出来事に。
 声が漏れた。
「はは……あははは……」

 英二は声を出して笑い出していた。
 その声に、少年が身じろぎした。
 うっすらと目を開けて、何度か瞬きをする。
「気がついたみたいだな」
「……あ! 猫! あの子猫は!?」
「母猫と一緒に行っちまったよ」
「……そう、なんだ」
 どこかガッカリしたようなホッとしたような表情で少年は呟くように言った。
「どうでも良いけど。喧嘩出来ないなら、抵抗しない方が良いんじゃない?」
「……アンタがオレを助けてくれたの?」
「行きがかり上……そうなったけど」
「ふーん。ありがと」
「………………」
「何?」
「いや。お前、名前は?」
「越前リョーマ」
「何で、こんなとこに来た……ってことは聞いちゃいけないんだっけか。でも、見たとこ12、3歳に見えるんだけど。下手すりゃ小学生だろ?」
「……………13。になったと思う。でも……」
「……でも?」
「オレ、何でここに居るのか判んない」
「……は?」
「ここに来る前のこと、何も覚えてないし」
「……………」
 英二は、思わず思い切り大きく溜息を吐いていた。
 凍りついた、感情が動き出すのが判る。


 この前の青年といい、この少年といい……一体、何が自分の心を動かしたのだろうか?

 それは、まだ判らないけど……。
 そして、まだ、完全には信じられる訳じゃないけど。
 それでも、この途方に暮れる感覚は、懐かしいものがある。

「……ねえ」
「な、何だよ?」
「おなかすいた」
「……………はああ、子守りかよ、オレは?」
 呟きながら少年をその腕に抱き上げたまま、英二は取り敢えず、仲間の居る場所に向かって歩き出した。
 これから、アジト探しで忙しくなるけど。
 取り敢えず、食事をする時間くらいは、あるはずだからと……。


<続く>