Millennium・Palace
ドームの中の太陽 2
 英二=菊丸と名乗った少年たちに連れられて、杏子と本田は『Millennium・Palace』の中へと足を踏み入れた。

 倒壊したビルと隆起したアスファルトの道路。
 まるでクレバスのように、ひび割れ底の見えない道と、まるで行く手を塞ぐような瓦礫の山。
 それでも、道が一本綺麗に通っていることが、返って不思議に思えてしまう。


「それにしても凄いね……? ずっとこんななの?」
 問い掛けられても、英二やリョーマにも答えられない。
「オレ達がここに来た時からこんなもんだよ。元々、ここは未来型都市のモデルシティだったらしいからね。でも、何か事故があってこうなったんだろうな」
「その辺は、多分……オレ達がもっとガキの頃に、騒がれたりしたんだろうけどね」
「詳しいことは何も知らない」
 英二の言葉を受けて、オレンジ髪の少年――清純・千石が言い、リョーマが最後を締めた。
「でも、何か……涼しくない? 外は結構蒸し暑かったりするのに」

 今は、6月も半ばを過ぎている。
 夏も近いし梅雨と言う季節柄、湿気と気温の高さに茹だるほどだったりするが、ここではまるで空調が効いているかのように湿気も気温の高さも感じない。

「ここ、ドーム型になってるんだよ」
「え?」
「屋根があるの。薄い……ガラスってのかなー? だから、空が良く見えない」
「……太陽も月も、星もね」
 リョーマの言葉に、杏子は少しだけ淋しそうな表情を浮かべて空を見上げた。
 この季節では、鮮やかな青空の日は少ないが、それでも梅雨が明ければ、夏の鮮やかな青空が待っている。
 なのに、ここはずっとこんな薄暗い日の光も殆ど届かないような場所だと言うのだろうか?
「どうして、ここで暮らしてるの?」
 深く考えもせずに、口を付いて出た言葉だった。
 周りの雰囲気が、微妙に変化したことに気がついて、杏子は慌てて口許を抑えて、周りを見回した。
「ごめ……」
「んー別に謝んなくても良いよ?」
「ただ、他に行く所がない……だけだけどね」
 その言葉の本当の重みは、杏子にも本田にもまだ判ってはいなかった。
 ただ、漠然と受け止めたに過ぎない。

 英二たちがバイクを停めていた場所まで来ると、英二とリョーマ、千石と河村の二人がそれぞれのバイクに跨った。
 それを見て、本田もバイクに乗って杏子を後部座席に座るように促した。
 その僅かな隙を突くかのように、杏子に向かって何かが飛来した。
 風を切る音と同時に、被っていた帽子が弾き飛ばされた。
「ひゃっ!? ……なっ、何?」
「杏子!?」
 咄嗟のことに本田もいつもの呼び方で呼んでいた。
 だが、それだけではなく、帽子の中に隠していたセミロングの髪が、肩に流れたのを見て、まるで奇声のような声が響いたのである。

「外界の女だぜ!!」
 その声が合図だったかのように、バイクのエンジン音と喚声が轟くように聞こえた。


「何? 何なの?」
「……ってーか、そう言えばちゃんと名前聞いてなかったなー。女の子だったんだ」
 英二が間の抜けたことを言うと、千石が呆れたような声で突っ込みを入れた。
「え? 気づいてなかったの? オレすぐに判っちゃったよ?」
 あっけらかんと言う千石に、河村もリョーマも気まずげに視線を逸らす。
「えー? 誰も気づいてなかった訳? 鈍感ー」
 十数台のバイクとその倍以上の、よく判らない連中に取り囲まれた状態だと言うのに、杏子と本田以外はのほほんとしている。
 空気そのものも緊張さえしていない状態で、杏子はそのまま、本田の背中にしがみ付いた。
「で? どうすんの?」
 英二のバイクの後ろに座っていたリョーマが、既に判り切ってることを問い掛ける風に訊いた。
「そりゃ……やっぱ、ここは大人しく【middle・area】に帰って頂くしかないっしょ?」
 相手側にしてみれば、とことんまでバカにされてるとしか思えないやり取りに、更に激昂する。
「てめえら! やっちまえ!」
 邪魔な野郎を片付けて、たった一人の女を攫おうと言う腹づもりだったらしい。
 バイクで逃げ道を塞ぎ、他の者たちが英二たちに向かって駆け出した瞬間。
 風が吹き抜けた。

 立っていられないほどの突風に煽られて、走り出していた連中は吹き飛ばされてしまう。
「な、何だぁ?」
 突然、考えられない場所から吹いた風に、middle・areaの連中はもちろん、杏子と本田も目を大きく見開いていた。
「……何? 今の……?」
「あいつ中心に風が起こったように見えたぜ?」
 二人の言葉を遮るように誰かが声を上げた。
「まさか……『風使いの菊丸』!?」
 その言葉に、その場の空気が凍りつくような感覚を杏子は感じて、周りを見回した。
 明らかに、その場に集まった者たちが恐怖をその表情に浮かべているように見える。
 英二は、バイクに跨ったまま、口許に笑みさえ浮かべて泰然と言い放った。
「今度は切り刻むけど、それでも良い?」
 彼の左手で風が踊る。
 口調はどこまでも明るく能天気にも取れるものだからこそ、その言葉の裏に秘められた真意が恐怖を増した。

 一人が後退った。
 次の瞬間には、ほぼ同時に全員が、まるでくもの子を散らすように踵を返して逃げ出した。

「ちぇ……根性ナシ」
 つまらなさそうに呟くと、後部席に座っていたリョーマが呆れたように、英二の頭を小突いた。
「本当はしたくないくせに、何でわざとそう言うこと言うのさ?」
「……にゃはは」
 笑って誤魔化しつつ、英二は杏子に視線を向けて、率直な疑問を投げかけて来た。
「もしかして、遊裏ちゃんの彼女?」
「……は? あ、え? えっと……」
 いきなりの問いかけに、杏子はしどろもどろになり、目を丸くして焦ったように視線を彷徨わせた。
「ち、違う! 違うって……! ただの幼馴染みよ。家が近くて、学校もずっと一緒で……」
 ただそれだけの……普通の友達。心の中で付け足して、英二を見つめ返すと、真っ直ぐに自分を見つめて来る視線に一瞬たじろいでしまった。
「ふーん。まあ、それなら良いけど」
 英二はそう言って、アクセルを回してバイクをスタートさせた。
「付いて来て。遊裏ちゃんのとこに案内したげる」
 真っ直ぐに走り始める英二のバイクに、千石のバイクが続き、そして、本田もその後に遅れないようにバイクをスタートさせた。


     ☆      ☆

「ここ?」
 三階建ての少し大きめの家を見上げて杏子は小さく呟いた。
「そ。ここで暮らしてるよ」
 バイクから荷物を下ろして、さっさと家の中に入って行く英二の後に、リョーマが慌てたようにくっ付いて行く。
「英二くん、リョーマくん。じゃあ、オレら帰るから」
「あー? 克っちゃんに会ってかないの?」
 ひょこっと顔だけ出して、問い返すと千石が物凄く嫌そうな表情を浮かべて首を横に振った。
「や、良い!」
「何で? 克っちゃんも喜ぶのに。ついでに夕飯も食べてけば? 今日は克っちゃん当番だよ?」
「……いや、だから……」
「あはは。この前から、千石、克也さんに絡まれてるんだよ。英二、知らなかったっけ?」
「……ああ、そう言えば。レーシングゲームで克也惨敗したんだよね。清純に……」
「え? そんなことあったの? そりゃあ……絡むね……」
 千石や河村、リョーマの言葉に、英二は目を丸くして納得したように呟いた。
「ほー……好き勝手言ってくれるじゃねえの? 英二」
「だって、克っちゃんの負けず嫌いってば、どっちかって言うと粘着……」
「粘着? へえ、そう思うんだ?」
 調子に乗って喋っていた英二が、さらに聞こえて来た声に、身体を硬直させてその場に立ち竦んだ。
「克也、周助。ただいま」
 リョーマがにこやかに挨拶を返すと、家の玄関に立っていた栗色の髪の、柔和な笑みを浮かべた少年が、頷いてその頭を撫でた。
「お帰り。外界は面白かったかい?」
「うん。まあね」
 答えるリョーマに、更に笑みを深める少年の後ろから、長身痩躯で金茶の髪の長く伸ばした前髪を、鬱陶しげにかき上げながら、もう一人青年が現れた。
 次の瞬間、驚いたような声を本田が上げたのである。

「城之内!?」
「……? はぁ? 誰だ、てめえ?」
 剣呑な視線を本田に向ける青年――城之内克也に、杏子は本田を見返って問い掛けた。
「知り合いなの?」
「……ってか、昔、オレらの仲間内で有名だった奴だよ」
「仲間内って……ああ、あの人たちのこと?」
「まあな。――二年くれえ前に、行方不明になったって噂が立ってたんだよ。オレが知ってんのは、顔と名前と……コイツに発火能力があるってことくれえだ」
 知らず拳を握り締めている本田に、杏子はゆっくりと視線を克也の方に向けた。
「……発火能力?」
「『城之内を怒らせると、焼き殺される』ってもっぱらの評判だったぜ」
 本田の言葉に、杏子は思わず息を飲んで後退った。
 その姿に、克也が笑みを浮かべて、右手の指を打ち鳴らす。
 空中で何かが爆ぜる音が聞こえて、杏子は思わず悲鳴を上げて、耳を塞ぐとその場に座り込んでしまった。
「克也くん! 下らない悪戯に能力を使うんじゃない!!」
 怒鳴り声とともに、強烈な蹴りが克也の背中を襲い、克也は数メートル先に蹴り飛ばされてしまった。
「ってー! 遊裏!! すぐに暴力に訴えるのは止めろって散々言ってるんだろうが!」
「人聞きの悪いことを言うな! 無闇に暴力を揮うような真似はいっさいしてないぞ、オレは!」
 まるで漫才でもしてるかのようなやり取りの応酬に、杏子は一瞬だけ呆気に取られて、だがすぐに弾かれたように立ち上がった。

「遊裏!」
 その声に、目を丸くした遊裏が視線を向けて来る。
「杏子? それに、本田くんまで? 何でここに……?」
 逆に呆気に取られて、遊裏が茫然と呟くと、杏子がそれこそ怒りを顕わにして怒鳴りつけるように言い返した。
「何、能天気なこと言ってんのよ? 貴方が全然連絡くれないから、心配してここまで来たんじゃない!!」
 掴みかかるようにして、遊裏の胸倉を握り締めて来る杏子に、遊裏の方が焦ったように目を丸くした後、小さく呟くように言った。
「す、すまない。ウッカリしてた……」
「ウッカリ……? そうよね? ひとつのことに集中したら、もう周り全然見えてないものね! いっつもいっつも! そんなことばっかりで!! でも、貴方の母さんもどれだけ心配してたのか、少しは……っ!」
 激情に任せて、怒鳴りつけるように言っていた言葉が、どんどん小さくなって最後には途切れた。
「杏子?」
「……遊戯は? いたの?」
「あ、ああ。このエリアとは逆の場所で暮らしている」
「二人で帰って来るんじゃなかったの?」
「それは……オレも、遊戯も……帰るに帰れない事情があって」
 困ったように頭を掻きながら、胸倉を掴んだ状態のまま、俯いている杏子の肩を軽く叩いた。
「杏子? 泣いてる……?」
「訳ないでしょうが!!」
 言うなり、杏子の拳が遊裏の鳩尾を抉るように殴り付けて、遊裏はそのまま前のめりに身を屈めて倒れ込んだ。
「はあ……」
 大きく息を付き、スッキリしたような表情で改めて周りを見回して、ハッとする。
 その場にいた少年たちが本気で驚いたような視線を向けていて、杏子は自分の取った行動を改めて認識して慌てたように手を振った。
「ヤダッ! いつもこういうことしてる訳じゃないんだからね! ただ、遊裏があんまりにも天然ボケボケだから、つい……!」
 慌てふためく杏子に対して一瞬だけ、刺すような視線が向けられた。
 まるで背筋が焼けるような熱い視線――決して甘いものではない――に杏子は視線だけを巡らせてハッとした。
 金茶の髪の青年。発火能力を持つと言う城之内克也が、真っ直ぐに自分を見つめていた。
 それこそ、炎が燃え上がりそうな鋭い視線で――

 その視線の理由が判らず、杏子は戸惑ったように、少しだけ遊裏から距離を取るように後退った。
 ――何度か咳き込みながら立ち上がった遊裏に向かって、今度は本田が殴りかかろうとしたのを、遊裏はアッサリと躱して左手でその拳を受け止めた。
「……君からこういう仕打ちを受ける理由はないと思うんだが?」
「勝ち逃げした奴には、奇襲で制裁加えることにしてんだよ、オレは……」
「なら、反撃は予測の内だよな?」
 ニッコリ笑って、杏子にやられた腹いせのように本田の腕を捻り上げた。
 途端に悲鳴を上げる本田に、遊裏が笑いながら腕を放す。

 何とか賑やかな再会の挨拶が済んだところで、克也が遊裏に向かって声をかけた。
「ああ、克也くん」
 遊裏は慌てて克也の隣に駆け寄ってニコッと微笑むと、改めて杏子と本田を克也たちに紹介したのである。
「オレの幼馴染みの真崎杏子。それに悪友の本田くんだ」
「悪友……? 学校の友達か?」
「いや。喧嘩仲間って言うか……そんな感じ」
「コイツの通ってる学校、超進学校だぜ? そんな学校に行ける訳がねえって」
 からからと笑う本田に、克也がムッとしたような視線を向けた。
「てめえに訊いてねえよ」
「何だよ? 気に入らねえことがあると、その辺に火をつけてた放火魔が……やばくなったら、早速『Millennium・Palace』に逃亡決め込んでた訳だ?」
 厭味ったらしい本田の言い方に、克也が眉を顰めるほんの一瞬に、本田に向かって一筋の風が吹き抜けていた。
 風が本田の頬を傷付けた瞬間、遊裏の蹴りが本田の頬をすれすれに放たれていた。
「さすが、英二も遊裏も素早いね。でも、ここで克也に対してそんなことを言えば、本気で命の保証は出来ないよ?」
 一番、穏やかそうに見えた少年が細めていた目をかすかに開いて、ゆったりと言う。
 その手に極細のナイフの刃先が見えて、遊裏はキョトンと英二に問い掛けて居た。
「……周助ってもしかして」
「ナイフ投げの達人。ダーツとかも得意だし」
 ボソボソと交わされる言葉に、ただ茫然としていた杏子が慌てたように、本田の後頭部を押さえつけて、無理矢理に頭を下げさせた。
「あんた、バカ? せっかく、好意的に接してくれてる相手に喧嘩吹っかけてどうすんのよ? この人たち敵に回したら、私たち無事に出ていけないかもしれないのよ!?」
 杏子の言葉が、周助のツボを付いたらしく、不意に吹き出したかと思うと、肩を震わせて笑い出した。
「確かに、真崎さんだっけ? 彼女の言う通りだね。この中では、君たちは遊裏の友人と言う『客分』扱いではあるけれど、それ以上でも以下でもない。僕達のリーダーを貶めるような発言は謹んで貰うよ?」
 ニッコリ笑って周助は言い、先に家の中へと戻って行った。
「ったく、連れて来たオレの面子ってのもあんだよなー。別にそう言うの拘るつもりないけど。克っちゃんに対して、態度悪い奴連れて来たってこと自体、オレが嫌になるんだよね。だから、今後気を付けてよね?」
 文句言いながら、まだ、側にあった買い物の荷物を持ち上げて、リョーマを促し家の中へと向かおうとした。
 その後に素直について行こうとしたリョーマが振り返り、本田に向かって一言呟くように言ったのである。
「あんた、遊裏の友達でも嫌いだ」
 軽快な足音を立てて家の中に駆け込んで行く少年を見送って本田は、やっと我に返ったように息を付いて頬に手を当てた。
 流れ出た紅い血液をその指で受けて、茫然と呟く。
「……何だよ、こりゃ?」

 まだ、その場にいた克也は、凭れていた壁から身を起こし、肩を竦めて苦笑を浮かべた。
「オレが怒る前に、怒ってくれる奴らがいるんでね。前ほど、短気じゃなくなったんだな、オレも……。それに、この中では制御も出来る。今は無闇に発火させたりしねえよ」
 そうして、克也は杏子の方に視線を向けて、眉を顰めて機嫌悪げに問いかけた。
「で? あんたは遊裏のなんな訳?」
「何って……さっきも言ったでしょ? 幼馴染みで同じ学校のクラスメートよ」
「……それだけ?」
「姉弟みたいに育ったから、同い年でも遊裏や遊戯が弟みたいに思ってるとこあるけど……?」
「ふーん。まあ、だったら良いけど」
 克也はそう言い、隣にで立っている遊裏の背後に回って抱き締めると、ニッコリ笑って言ってのけた。
「コイツ、オレの伴侶だから。勝手に連れてったりすんなよ?」
「克也くんっ!?」
 克也の言葉に赤面して慌てる遊裏を見て、杏子は思わずうめくような声を漏らした。
「ちょ、ちょっと待って……」
 信じられないと言うような目を遊裏と克也に向けて、何かを言おうとした瞬間。
 そのまま、その場にフラフラと倒れ込んでいた。


<続く>