Millennium・Palace
ドームの中の太陽 1
『必ず、遊戯と一緒に帰って来るから』

 彼がそう言って、ここを経ってから、もう一ヶ月が経つ。
 彼からの連絡は何もない。
 帰って来ないのは、無事にMillennium・Palaceに入ったからだろうか?
 それとも、入ることも出来ずに、成果を得られていないから、帰ることも連絡をとることも出来ないのだろうか。

 彼は、学校では一番、成績が良くて、教師の受けは良かった。
 本人はその評価に対して、物凄く胡散臭げにしていたけど、ともかく彼は優等生だった。
 だから、彼の失踪は、学校中を揺るがすほどの大騒ぎだった。

 彼は決して真面目だっただけではない。
 ただ、片親と言うことで、軽んじて見られる周りの評価を受け流すために、努力をして来たのである。そのストレス発散のためだったのか、よく土日は遅くまで帰って来ずに、喧嘩して帰って来たりしていた。だが、一度も顔に傷を作って帰って来たことはない。
 警察に掴まるようなドジも踏んだことはなかった。
 だから、そのことは、杏子と最初に彼と喧嘩をしたと言うもう一人以外、誰も知らないことである。


 遊裏が姿を消して、目に見えて落ち込んだ遊裏の母に対して、杏子は、本当のことを黙っていることが出来ず、悩んだ末に、二週間ほど過ぎてから告げた。
 そのことについて、杏子を責めることはせず、遊裏の母は、少しだけホッとしたように微笑んだ。

「良かった。もしかして、私に何か問題があって不満だったのかしらって、それだけが気がかりで。あの子があの子の意志で出て行って……それが、遊戯のためだと言うなら、私はもう、落ち込んでなんて居られない」

 そう言って、日常の生活を送り始めた。
 それでも、もう、一ヶ月になる。
 ほんの少しで良いから……。
 今、何をしているのか教えて欲しいと、杏子は何度か携帯電話に電話をしてメールを送った。 だが、一度として返事は返って来ない。

「遊裏……」
 杏子は、余り大きくないデイパックに、必要と思うものを詰めながら、溜息をついた。
「本当に行くんですか? 真崎先輩」
 その声に、杏子はハッとしたように視線を転じて、苦笑を浮かべた。

 ――そうだった。
 今は、後輩の竜崎桜乃の家で、『Millennium・Palace』に行くための準備をしている所だった。 自宅では色々と母の目が煩いと、卒業した中学校の後輩の家に邪魔をしている状態である。
 もちろん、彼女たちも遊裏のことは知っているし、事情もある程度は、知っている。
 だからこそ……なのであるが。
 結局、事情を話して残して行くことは、自分と同じ思いをさせることになるのかも知れない。
 だが、他に頼れそうな人も居ないのである。
「……様子を見て来るだけよ。無理はするつもりはないし。何とかなる……と思う」
「でも、Millennium・Palaceってとっても危険なんですよね? 近づくことも禁止されてますよね?」
 本当に心配そうな、桜乃に、杏子はもう一度、苦笑を浮かべて、
「知ってる。それを承知で、遊裏も行ったの。……だから、私も大丈夫よ」
 笑って言ってみるが、それが根拠のない自信でしかないことは、杏子も判っていた。
 だけど、このまま遊裏の帰りをただ待ってるだけなんて嫌だった。
 何があったのか、何がどうなったのか。
 知りたいと思ったのだ。
 それが、とてつもなく危険なことだったとしても――

「ね、この格好だったら、男の子に見えるかな?」
 薄い水色のダンガリーシャツに、ジーンズと言う格好で、髪を纏め上げてキャップの中に入れる。
「杏子先輩、割と背が高い方だし、スリムだから……。見えないことはないですけど」
 桜乃と同級生の少女が、煮え切れない口調で答えた。
「どうしたのよ? 朋香?」
「……本田さんは? 知ってるんですか?」
「………………嫌なこと言ったわね?」
「だって……本田さんに黙って行くんですか?」
 杏子は溜息をついて、肩を竦めた。
「……本田は、遊裏が自分に黙って行ったことを、かなり怒ってるのよ? 言ったって、止められるだけに決まってるでしょ?」
「でも……!」
 それでも、何かを言いたそうにする朋香に、杏子はハッとして眉を顰めて問い掛けた。
「あなた、もしかして……?」
 杏子は慌てたように、デイパックを掴み、玄関に向かった。
「杏子先輩!」
「……言ったのね? 本田に……」
「……だって! 杏子先輩一人じゃ……!」
 泣き出しそうな声で言う朋香に、杏子は苛立っていた気持ちを何とか沈めて、振り返った。
「ありがとう……。でも、私……行くね?」
 ドアを開けて外に出て、杏子は大きく息をつきながら、歩き出した。
(本田に気付かれた……。早く行かないと……)
 だが、前方に見慣れたバイクを見て、杏子は再度溜息をつくと、歩調を緩めて立ち止まった。

「……本田」
「そうやって、また、オレに黙って行く訳だ? お前も、遊裏も?」
「……そうじゃないけど……。でも、あんたはそんな面倒なことに巻き込まれるの好きじゃないでしょ? だから……!」
 杏子の言葉に、本田は舌打ちを漏らして、地面を蹴りつけた。
「勝手に決めてんじゃねえよ! 第一、遊裏の野郎との決着もまだ、ついてねえし……」
「本田?」
「決めた。オレも行くぜ」
「って、本田? あんた、何言って……」
「女のお前が行くって決めて、乗り込もうとってんだから……俺がビビってる訳にはいかねえんだよ」
 静かな口調で呟くような口調で言う本田に、杏子は三度目の溜息をついた。
 折角、遊裏が本田には黙って『Millennium・Palace』行きを決行したのに、自分が連れて行ってどうするのだ? と自問しながら、肩を竦めた。
「……ったく、遊裏はね。喧嘩っ早いあんたのために、黙って行ったのよ?」
「そうだろうな。知ってるよ」
 その言葉に、杏子は苦笑を浮かべて、バイクに駆け寄って、その後部座席に跨った。
「ほら、行くんでしょ? さっさとする!」
「ああ、判ってるよ。うるせえな!!」
 互いに、いつものように軽口を叩き合いながら、バイクは東京に向けて走り出した。





     ☆    ☆

 ――東京のほぼ中心地にあるそれは、まるで何かに守られるように、存在していた。
 ぐるりと囲む壁には、幾つか、等間隔に門が設置されている。
 そうして、この門に壁は、銃火器類を持った者、このMillennium・Palaceに敵意を持った者を、排除するシステムが備わっていた。




 杏子と本田は、その門の一つの前に、そっと忍び寄った。
 定期的に警官のパトロールが行われている。
 先ほど、この門の前を、警官二人が通り過ぎた所だった。
 門の前に立って、だが、杏子は困惑したように見上げて立ち竦んでしまった。

「……どうやって開ければ良いんだろ?」
 門を見上げたまま、杏子は困ったように言葉を漏らしていた。
「Millennium・Palaceに敵意がなきゃ、簡単にドアが開くって聞いたんだけどよ? この中に入ってる奴らって、犯罪者とか、はみ出した奴らが大半なんだし」
「……そうよね」
「……マサキ」
「は? 何よ、それ……」
「男装してんなら、言葉遣いに気をつけろよ。それじゃ、はっきり言って『バレバレ』だぜ」
「あ、そうか!」
 杏子と呼べば、ばれてしまうからと、苗字の『真崎』で呼ぶように言ったのは杏子の方だった。
 目の前に存在する、『Millennium・Palace』に圧倒されて、スッカリ忘れて、いつもの調子で話してしまっていた。
「ごめんごめん。気をつける」
 言いながら、門を何度か叩いて、開きそうにないことにガックリと溜息をつく。

「どうかしたの?」
 不意にかけられた声に、慌てたように身を翻して、壁に背中をくっ付ける勢いで、杏子も本田も振り返った。
「?」
 キョトンと自分を見つめて来るのが、赤茶色の髪が横に跳ねている少年で、人懐っこそうな笑みを浮かべている。
 その様子に、杏子は思い切り息をついた。
 本田は相変わらず、どこか警戒を解いていないが、それでも身体の力は多少抜けてしまった。

「び、ビックリした……」
「ああ、ごめん。でも、それでなくても、ここ危ないよ? その壁の向こう……『Millennium・Palace』って判ってる?」
「……え、ああ……。判ってるよ。……あ、僕は、この向こうに行きたい…んだ」
 つっかえながらも何とか言葉遣いに気をつけながら、杏子が言う。
「は?」
 本気でビックリしたように目を見開く少年に、杏子は苦笑を浮かべて見せた。
「別に、こっちで嫌なことがあったとか、捨て鉢になってるとかそう言う訳じゃないよ。この中に……知り合いが居る筈なんだ……」
「知り合い?」
 少年は首を傾げて問い返して来る。
 何かを考えるようにして、暫し沈黙が辺りを漂い、不意に少年がポンと手を叩いた。
「ああ、判った! 君、遊裏の知り合いなんだ?」
「……え?」
「他に、そいつを心配して、捜しに来るようなヤツ思い浮かばないもんね。遊裏なら、ついこの間来たばっかだし。アイツ自身、優等生だったらしいから……。ここに居ることを知ったら、誰か迎えに来ても可笑しくないかも……って思った……んだけど。もしかしてビンゴ?」

 少年の言葉に、大きく目を見開き、唖然となっていた杏子は、次の瞬間に、少年に縋りつくようにして、飛びついた。

「知ってるの? 遊裏を知ってるのね? 教えて!! 遊裏は無事なの? 元気でいるの? どこに居るの!?」
「いや、あの……ちょっと……うわああっ!?」
 思い切り詰め寄られて、さすがの少年も驚いたように後退ったところで、足が縺れてそのまま転んでしまった。
「あ、ま……マサキ! 何やってんだよ?」
「あ、ああ……。ごめん。で? 遊裏はどこにいるのだ?」
「……言葉遣い……変だぞ、お前……」
 ボソッと呟く、本田にむっとしつつ、英二と一緒に転んでいた杏子は、起き上がったと同時に思い切りその足を踏みつけた。
「いって!」
「遊裏なら、Cブロックにいると思うけど……。克っちゃんが連れ出してなきゃ……」
「かっちゃん?」
「……うん。まあ、入る? オレと一緒だったら、先ず大丈夫……だと思うけど。あ、オレ……英二=菊丸。……とと、ちょっと待ってね」
 不意に、英二はその場から駆け出して、反対側から来た数人の少年の元に向かった。
「エージ、何で先に行くんだよ?」
「ああー! 清純、おチビに荷物持たせすぎ! ってか、これオレが、お前に持たせたやつじゃん!」
「何言ってんのさ? リョーマくんが持ちたいって言うから持たせたの。君が持ってた荷物を持ちたいって聞かないんだよ? ねえ、タカさん」
「あはは、まあね」
「……ホント? ごめんね、おチビ。これオレが持つから。それから、先にgate開けとこうと思ったんだよ。先に行ってごめん」
「……もう、良いけど」
 まだ、少しふて腐れていながら、持っていた荷物を英二に渡して、さっさと駆け出した。
「……?」
 その少年――リョーマ=越前が、門の前にいる杏子と本田を、訝しげに見つめながら、首を傾げて、英二を見返った。
「誰?」
「ああ、遊裏の知り合いだって。そう言えば、遊裏が来てから一ヶ月くらい経つっけ? 中じゃ日数感覚狂うからな」
「そんなになる? って言うか、そんだけにしかなんないの? もっと一緒にいるような気がしてた」
 リョーマは呟き、杏子と本田に駆け寄った。
「遊裏の友達?」
「……え、ええ。そう……だけど? 君は?」
「……うーん。遊裏はオレの師匠なんだ」
「師匠?」
「そう。喧嘩の師匠」
 首を傾げてそう言い、ニコッと笑った。
 滅多に、他人を信用しないリョーマが、遊裏の知り合いと言うだけで、あっさりと信用する様子に、英二は何となく苦笑を浮かべてしまった。

「ああ、そうそう。遊裏はこのMillennium・Palaceから出られない状態なんだ。いや、出られなくはないんだけど……どう言えば良いのかな……。ちょっと事情があってね。旨く説明出来ない……っと、そろそろ巡回が来るな」
 慌てたように英二は、塀の角を指ですっと撫でた。
 不意に、そこだけぽっかりとくぼんで、中にスイッチやボタンが並んでいるプレートが現れる。
 ポケットから取り出したカードを、横の溝に滑らせ、ボタンを押すと、声が聞こえた。
『お帰り、英二。目当てのものは買えたのか?』
「買えた買えた! 遊裏ちゃんが教えてくれたの、バッチリだったよん☆」
『それは、良かった。じゃあ、gateを開ける。Bブロックだな?』
「そうだよん……ってか、克っちゃんは?」
『……克也くんなら……子供たちと遊んでる』
「……仕事しろよ……もう……」
『今更……じゃないのか? オレより付き合いの長い英二には、良く判ってることだろう?』
「はいはい。あ、そうそう! 遊裏ちゃんに……」
 軽快に話をしていたところで、杏子が不意に英二の腕を引っ張った。
「な、何?」
 唇に人差し指を立て、首を横に振る。
 怪訝に思いながらも、英二は頷いた。
『英二?』
「ああ、何でもない。遊裏ちゃんに頼まれた本、見当たらなかったって言ったの。ゲームはあったんだけどねー」
『そうか。なら、またの機会にでも買うさ』
 通信が切れて門が開く。
「どうして、黙ってろって言ったの?」
「……だって。私たちが来たことを知ったら、帰れって言うから」
「あー……それはまあ……」
「声は聞けたけど。でも……ちゃんと姿を見て確認したいの。それに、遊戯のことがどうなったのかも知りたいし」
「え? 遊戯くんとも知り合い?」
「……遊戯の方は、ほんの子供の頃までだけどね……」
「ふーん……」
 開いたgateの中に、リョーマと他の二人が足を踏み入れる。
 その後に英二が続き、杏子と本田を見返った。
「バイクも入れた方が良いよ。足があるのは、便利だし」
「そうか?」
 そのままにしようとしたバイクを、慌てたように押してきて、本田も、その中へと足を踏み入れたのである。
 杏子は、大きく深呼吸をして、中へと入った。
 英二が中にある似たようなプレートのスイッチを押すと、gateは一瞬で閉じてしまった。

「基本的に、中からgateを開けられるのは、各グループのリーダーだけ……。そのリーダーの許可がなかったら、外界に出ることは出来ない」
「……ここは、基本的に弱肉強食。強いものが弱いものから奪って生きる……。それが平然とまかり通るところだから、気を付けてね」
 英二とリョーマが、至極何でもない口調でそう言った。
 引きつったように杏子は笑みを浮かべて、思わず本田のジャケットの裾を掴んでいた。

「脅すなよ、英二くんもリョーマくんも。こっちのFlameの領域じゃ、殆どそんなことないじゃないか?」
 オレンジ色の髪をした少年が、多少呆れたように言うと、英二が思い切り楽しそうに笑い出した。
「まあね、そうだけどね」
「でも、あの壁の向こうは本当に無法地帯の『middle・area』だから、行かない方が良いよ? 何が起こるか本当に判んないし、そこまで克也たちは関知しないから……」
 リョーマが付け足すように言って、肩を竦めた。
「たまに、どっかの隙間からこっちに入って来ちゃ、荒らして行くこともあるしね」




 ――その中は、外に比べると随分薄暗く、あっちこっちで建物が倒壊したままの状態で、道路も瓦礫に埋もれて歩くことも侭ならないほどだった。
 人一人が、やっと通れる道なき道を行こうとして、リョーマが振り返って言った。
「この辺、結構崩れてるからね。あ、でも、もう少し行けば、もうちょっと整地されてるよ」
「そうそう。バイクで走れる位にはね」
「ってここを、どう、バイク運べってんだよ?」
「あ……そっか。んじゃ、オレが乗ったげるよ」
「はあ?」
 あっけらかんと言う英二に、本田が警戒心丸出しに問い返した。
「だから、オレが運んであげるって言ったの。これ、持ってて」
 自分の持っていた荷物を本田に押し付け、英二はバイクのハンドルを握り、軽々と跨った。
「ちょっ、ちょー待てよ、こら!」
「……退いてて。危ないよ?」
 エンジンをかけて、英二は右手を回してアクセルを開けた。
 こんな凸凹だらけの瓦礫の上を走行するのは、はっきり言って、無理だ。
 バイクの方がいかれてしまうし、その前に転倒して、怪我をしかねない。
「待てって言ってんだ……」
 掴みかかろうとしたところを、リョーマに腕を抑えられた。
 小柄な――でも、強い意志を持った強い瞳を向けられて、さすがに本田も怯んだように身を引いた。
 その隙に、バイクは走り出したと思った瞬間に、浮き上がった。
 ふわりと浮き上がって、瓦礫の上を軽々と越えて行く。

「……風を操るエージには、何でもないことだよ。それに、この中では少しだけ身が、軽くなるし」
「え?」

 そんな話をしてる間に、本田のバイクは割と開けた場所に移動していて、本田も杏子も、ただ呆気に取られることしか出来なかった。
「Flame領域だと、強奪とかそういう心配はない……筈なんだけど。こう言う……『middle・area』に近い場所では、それも意味を為さないことが多いんだ。だから、脅しじゃなく……本気で気をつけた方が良いよ」
 真剣な表情でそう言って、さっさと歩き出すリョーマの後を追って、本田と杏子も、慌てて駆け出したのである。




<続く>




 


何で……続くんだ?(滝汗)
一応前編としてますが、続く可能性が、果てしなくあります;;
その場合は、ま、Act1に、変わりますが全ては、次回作にて。

どう言う話か多分、この段階では、判んないと思いますが、
要するに、杏子たちが克也を認める話です。