第5話

 自分に宛がわれた部屋に入ろうとして、遊裏はふと、隣の部屋のドアに視線を向けた。

 小さく……声が聞こえる。
 何気なく、ドアに近付いて、そっと中の様子を窺った。


「……リョーマ……」
「……ぁっ…ん…ぅ……」

 囁くようにリョーマを呼ぶ声に……遊裏の心臓が悲鳴を上げた。
 色んなことが頭の中を駆け巡って、何から整理をつけていいのか判らない。
 さっき、リョーマの部屋を出てから、30分以上経っている……。
 でも……。

 これは……『そう言うこと』なのか……?


 頭の中に浮かんだのは、『男同士でなんで?』と言うことと、『リョーマは本当は女だったのか?』と言うこととかで、混乱を極めていた。
 それ以前に、自分が何故、これほどの動揺を感じているのか、自分でさえも理解出来なかった。

(……こ、ここでは、これが日常茶飯時なことなのかも……。そうだ、どうせ、外の常識は通用しないなら、それもありだ)
 心の中で呟き、フラフラと自分の部屋のドアを開ける。
 何かが心の中で燻っているのに、それが何なのか、判らない。

















「遅っせーな。どこまで散歩に行ってたんだよ?」







 少し、笑いを含んだ声が……部屋の中から聞こえた。
「夜は結構冷えるぜ? んな薄着でフラフラしてんじゃねえよ」
 テーブルにあった木製の椅子に腰掛けて、ビール片手に克也が笑っている。
「……な、んでここに……?」
「何でって……隣が使用中だからなーこっちに逃げて来たんだよ。酔っ払いは人目を気にしないからいけねえよな?」
 さらに混乱する頭の中で必死に整理しようとするが、どうしても頭がちゃんと動いてくれない。
「使用中? え、でも……隣で……声……」
「だから。英二とリョーマがそう言う雰囲気になって行為に突入したから、俺が避難して来たんだって。判ってねえのか?」
 クスクス笑いながら、缶ビールを喉に流し込む。
「あ、お前も飲むか?」
「……少しだけなら」
「ふーん」
「何だ?」
「真面目そうなのに、酒飲むんだ? 未成年」
「だったら、勧めるなよ……。そう言う君は成人しているのか?」
「……さあな? 確か、今年で17だったっけか?」
「17? 俺と一つしか違わないじゃないか?」
「……へ? 何、お前、遊戯と同い年……って双子か?」
「……似てるって判ってるくせに、何で今更双子でビックリするんだ?」
「そりゃそうだな。あ、言っとくが……俺は一月生まれだからな。早生まれで学校に行ってりゃ、二つ上ってことになるからな」
 付け足すように言って、ケラケラと笑う。
 遊裏はそこで、やっと気が付いた。
 全く、そうは見えないが……。



(コイツ……結構酔ってやがる……)




 一体、何本のビールを飲んだか知らないが、へべれけとまでは行かなくても、相当に酔っていることは確かである。

 テーブルに置かれた缶ビールのプルトップを開けて、椅子に腰掛け、飲み始める。
「もしかして、いつも飲んでた?」
「……ビールくらいならな。母さんも、見ない振りって言うか、一緒に飲んでたし……」
「……話の判る母親なんだ?」
「……よく判らない。あまり細かいことは気にしない人だったかも」
「ふーん」
「……リーダー?」
「克也で良い。お前はオレのグループの一員じゃねえからな」
「……でも、オレは君に君の名前を聞いてない」
「へ? そうだっけか?」
「ああ。リョーマには聞いたけど……。後、不二って人や英二って人が呼んでるのも聞いた。でも、君自身からは聞いていない」
「そりゃ、悪かったな。オレは、克也=城之内。んで、お前は?」
「……………遊裏。遊裏=武藤」
 自分の名前を言った時の、克也の表情に遊裏は大きく目を見開いた。






 今まで見たことない……優しい目をして自分を見つめている――







 瞬間。
 一気に頭に血が上ったような気がした。
 頬が上気して、熱くなる。
 訳の判らない感覚に、思わずビールを一気に飲み干そうとした。
「あ? 大丈夫なのか? 遊裏?」

 そんな遊裏に慌てたように声を掛けて来る克也が。


 自分を呼ぶ――




 ますます激しくなる心臓の鼓動に、どうして良いのか判らない。


「君は……っ!」
「ん?」
「一体、何なんだ!?」
「はぁ?」

 テーブルに手をついて、大きく声を上げた瞬間。
 目の前が廻った。

「ゆ、遊裏?」
「……呼ぶ……なっ!」
「……」
「君に、呼ばれたく……ないっ!」
 自分が何を言ってるのか、判らなかった。
 ただ、目が廻って、立っていられない。
 そのまま、遊裏は克也の腕の中に倒れ込んでいた。






「……そんなにオレが嫌いかよ?」
 小さく呟かれた声も、遊裏には届かない。


 今は閉ざされた赤紫の瞳。
 何かに、吸い寄せられるように、惹きつけられる。

 自分の腕の中で眠りこける遊裏にそっと頬を寄せて、克也は唇を重ねていた。
























   ☆    ☆   ☆


「どう言う風の吹き回し?」
 夜風に当たりに、外に出ると、背後から周助が声をかけて来た。
「……周助……てめえ、見てやがったな?」
「見られてること知ってるくせに、ああ言う行為に及んだ方に責任ない?」
 肩を竦めて、少しも悪びれもせずに言う周助に、克也は最大級の溜息をついて見せた。
「……変だよな?」
「そう? 男同士って意味なら……リョーマくんと英二はどうなるのさ?」
「そう、だよなー……。この際、同性ってのは目を瞑るとしても……」

 克也は、星空の見えない空を見上げて呟いた。

「……オレには……誰かに恋をする資格なんかない」
「……克也」
「ここなら良い。オレのこの能力も、感情に左右されず、このガントレットで制御出来るから……」

 克也の左腕にある銀色のガントレットの、黒い竜の浮き彫りにある真紅の眼が、光ったと思った瞬間。
 数メートル先に炎が生まれて、爆ぜて消えた。

「英二も……その能力のせいで、酷く傷付いてここに来た。君もまだ引き摺ってるんだね?」
「二年……たった二年だ……。忘れられる訳がない」
「そうだね……」
「アイツは……遊戯を連れて外界に帰るつもりだ……。遊戯を連れて行くのは論外でも……。【ここ】に居着くことはない。居着く理由がない……」
「幸せに……育ったみたいだからね」
そーれーはー
お前もだ!
「あははは。そうだった……僕のは単なる我侭だったな」
「本来なら、外界に叩き出してるぜ?」
 それでも笑いながら言う克也に、不二も苦笑を浮かべた。
「僕が必要ないって言うなら、いつでも帰って良いけど?」
「……お前の家族には悪いけどな……。オレにはお前が必要だ」
「だよね……」
 最初から判っていたというように、周助は笑みを浮かべて頷いた。

「……でもアイツは違う……。オレの我侭だけでどこまで引き止めとけるか……。まあ、Radiusでそのまま居着くって可能性もあるけど……どっちにしても……」


 
ここに居る訳じゃない。



「それ以前に……オレには人を好きになる資格なんてねえのさ」
「……それは、君が君に課した罰だと……僕は思ってるけど……。でも、本当は……」
 周助の言葉に、克也は鋭い視線を向けた。
 普通ならここで言葉を引っ込めて、核心をつくことはしない。
 だが――周助は相手に遠慮することがあまりなかった。
「好きになった人に……化け物扱いされるのが、イヤ……でしょ?」
「判ってんなら言うな」
 肩を竦めて克也は言い、もう一度空へと視線を向けた。
「あの事件の後――オレの能力を、どこで知ったか色んな人間がオレのとこに来たぜ。周りの……昨日まで友達だって思ってた奴らの豹変振りと、オレの能力を利用してやろうって企む大人……。金になりゃそれで良いって、そいつらにオレを売ろうとした両親……それでなくても、両親ともに……オレの処遇に困っていたからな」

 厄介払いで来て、金が入って来るならまさに、一石二鳥……。
 最後まで反対した静香だけが、克也には救いだった。

 ケンカばかりしていた両親が、この時ばかりは仲良く手を取り、自分にゴマを掏って来る……。
 何もかもイヤだった。
 消え去ってしまいたいと思った。



 
助けに入った……童実野埠頭の倉庫。
 オレと対立していた不良どもの彼女への狼藉……。
 怒りにすべての感情が燃え上がった……。


 気が付いた時は、周りは火の海だった。
 一人座り込んでいる彼女のところへと駆け寄った。
 だが……伸ばした手を跳ね付けて、彼女は克也に向かって言ったのである。

「化け物! 寄らないで!!!」


 瞬間、克也の胸に襲った酷い……虚無感。
 絶望にも似た……奈落の底に叩き落されるような感覚。


 あの時。


 周助が直ぐに来て自分を気絶させなければ……。
 克也は彼女も焼殺していたかも知れない……。



 気が付いた時は病院だった。
 警察の人間が色々と何か言って来ていた。
 それでも、刑事は自分を責める言葉を吐かなかった。
 事情は判るがやり過ぎだと諭された。
 自分は……感情に任せて炎を発し、大量の人間を死ぬほどの危険に遭わせたはずだ。


 ことの真相は直ぐに判った。
 周助が事件のあらましを話していたからだった。
 彼女は錯乱しているとされて、別の病院に入院したと聞いた。

 それから、時々……克也の能力を知っていると言う人間が現れ始めた。
 その能力を貸して欲しい……突き詰めて言えば、【殺し屋】として雇うと言うことだった。

 学校でも噂が立った。

『城之内を怒らせると焼き殺される』



 誰も……自分に近付かなくなった。


 両親の言葉……。
 克也の能力を、自分たちの都合で利用しようとする大人たち。
 ただ、変わらなかったのは妹の静香と周助だけだった。




「……ここでは能力を制御出来る。でも外では不可能だから……外界に戻る遊裏くんに、告白出来ないってことか」
 端的に告げられた周助の言葉に、克也は心底嫌そうな表情を見せた。
「あのなあ、オレは別にアイツのことをどうとか思ってねえ!」
「ふーん。……じゃあ、君は好きでも何でもない人に、衝動的にキスしちゃう人だったんだ? それとも酔っ払った勢いで?」
 揶揄するような口調とは裏腹に、いつもはニコニコと細めている目を開いて、周助は問い掛けて来た。

「……あ、あれは……気の迷いだ。忘れろ……」
「……まあ、今はそう言うことにしといてあげるよ」



 本当に、ただの気の迷いで、何も思っちゃいない。

「大体なー、アイツはオレのこと嫌ってるんだぜ? そんな相手好きになったって意味ねえじゃん?」
「……嫌ってるね。本当に、そう思ってるの?」
「……」


 知らない。
 気付かない。
 何にも気付かない。

 ――相手の考えなんか判らない。
 ――相手が発する言葉を鵜呑みにする。
 ――言葉の裏に込められた……相手の気持ちなんか推し量らない。
 ――それは、本当にそうなのか?
 ――ただ、それは……自分が自分で都合よく解釈した『思い込み』ではないのか?


 それが自分自身で張った防波堤だと……克也自身、気付いていなかった。
 自分が『恋愛をしない』ために――気付かない振りをする。



「だろう? 触るな、呼ぶな。近付くな。こんだけのこと言われりゃ、誰だって嫌われてるって実感すんだろ?」
「……そうかもね。でも……」
「何だよ?」
「人が口で言ってる通りに心でも思ってるとは限らないよ?」
「……」
「それは君だって判ってるだろう? マイナス要因なら理解するのに、プラス思考では理解出来ない?」
 周助が言って居るのは、要するに口では旨いこと言っていても、いざと言う時には裏切る奴もいるってことで。
 じゃあ、逆は理解出来ないのか? と言いたいらしい。






 嫌いを装って本当は……。

「周助!?」
「何赤くなってんのさ? らしくないね。……もしかして、本当に恋をしたの? 克也」
「んな訳あるかっ!!」
 予想外に大きな声で怒鳴ってハッとする。
 そうして、軽く嘆息すると、呟くように言った。
「……好きかどうかなんて……マジ、判んねえよ」










 唯一つ確かなことは……。


 どうしようもなく惹かれてしまう事実。





 あの鋭い赤紫の瞳に――