―Prologue― |
眼下に広がるのは、灰色の瓦礫の山。 壊れたコンクリートと剥き出しの鉄骨。 上空は、何か覆われているようなここでは、青空も星空も、見ることが出来ない。 すぐ側にあるはずの都心のざわめきさえも、手を伸ばしても届かない、まるで天空のように、遥か、遠くに感じてしまう。 城之内克也はハンディ・パソコンを弄りながら、眉を顰めた。 「……ちっ、またか」 小さく呟きながら、克也は金髪にも見える髪をかき上げた。 不二が仕掛けた感知センサーに反応があり、それが青年が持っているハンディ・パソコンに伝えられて来る。 ここの幾つかある入り口の内、使われたのは、青年が統括する【Flame】の領域のものであることに、舌打ちが漏れる。 (どうせなら、【Radius】の領域なら無視してられんのによ) パソコンの電源を落としながら、立ち上がった。 長身で、均整の取れた身体付きに加えて、精悍な顔立ちをしている。 前述通り髪の色は、金髪に見える茶髪だった。 瞳は、夜の中では、普通に黒く見えるが、光の下でよく見れば、鮮やかな紅茶色をしているのが判る。 ――側に放ってあったジャケットに手を伸ばし、袖を通すその左腕の手首から肘にかけて、銀色のガントレットが嵌められていた。 もう、2年……人前では決して外されることのないそれには、黒い竜が施されていた。 ふと、克也は上げた腕のそれに、目が行き、思わず苦笑を浮かべてしまった。 自分が、ここにいる理由―― そもそも、ここに来ることになった理由を思い出しての苦笑だった。 『Millennium・Palace』と呼ばれるここは、『無法地帯』と呼ばれる、犯罪を犯した者が逃げ込む格好の場所となっていた。 それだけではなく、興味本位で入り込んで出られなくなった者や、ここに捨てられてしまった子供もたくさんいた。 自分たちを守るために……自分より強い者に立ち向かうために、徒党を組むケースが多くなり、そうしてグループが出来上がり―― 結果、今度はグループごとに強いグループが弱いグループを吸収していく形になったのである。 その中で、最大で最強のグループが『Radius』と呼ばれる総勢300名を越すグループだった。 昔から存在していたらしい、このグループは、強大故に、隅々まで上層部の目が行き届かず、結果、新参者を受け入れない、排除する体質が生まれてしまい、もう一つのグループ――『Flame』が二年前に、生まれたのである。 克也は、その『Flame』結成の際に、強引に引きずり込まれ、且つリーダーと言う役目を負ってしまった。 はっきり言って面倒だと思う反面、自分の居場所はここにしかないんだと……半ば諦めの境地で現在を過ごしていた。 さて、どうやって目的の場所まで行くかと考えながら、自分がいる廃墟のビルの屋上から下を覗き込むと、見慣れた赤茶けた髪の少年がバイクで走っているのが見えた。 「エージ!」 呼ぶと、少年――英二=菊丸が、ふっとこちらに視線を向けて、次に笑みを見せた。 「克っちゃん!!」 声を上げると同時に、克也がそこから飛び下りたのに、慌ててバイクのスピードを調節して、その落下地点に滑り込んだ。 軽快な音で、バイクの後部席に座る形で着地した克也は、 「Bブロックに行ってくれ」 「やっぱり? 不二に聞いて克っちゃん捜してたんだ」 「へえ、そりゃラッキーだな」 苦笑を浮かべる克也に、満面の笑みを浮かべて、英二はバイクのスピードを上げた。 ☆ ☆ ☆ 肩で息をしながら、それでも、武藤遊裏は何とか足を動かしていた。 人並みに体力に自信はあったし、小柄で華奢でありながら、彼の周りでは彼は無敵の存在だった。 喧嘩の腕も確かで、彼に勝てる者は殆どいなかった。 「遊裏――また、バイト増やしたんだって?」 クラスメートで幼馴染みの真崎杏子の言葉に、苦笑しながら振り返り、遊裏は頷いた。 「まあな。高校卒業するまでに、少しでも金を貯めときたいんだ」 「遊戯を迎えに行くためにでしょ?」 いつも言っている口癖だから、杏子も判ってると言う風に、言ってのけた。 そんな杏子に、 「ああ。きっと、兄貴の方も頑張ってるはずだから……そうしたら、母さんと三人で暮らすって決めてるんだ」 「あんたたち、仲良かったもんね……」 しみじみと言う杏子に、遊裏は10年前、両親の離婚で別れることになってしまった、双子の兄を思い出す。 大人しくて優しくて、いつも近所の悪ガキに泣かされてるのを、いつも杏子と遊裏の二人で助けていた。 別れるとき、遊裏は遊戯を見送ることも出来なかった。 学校には一緒に行ったのに、放課後、遊戯を待っていても、遊戯は現れず、そのまま、昼休みに迎えに来た父と一緒に帰ってしまったと先生が言った。 慌てて家に帰っても、そこには母しかいなくて、遊裏は柄にもなく泣き出してしまった。 そんな遊裏を母は抱き締めてくれて、小さく謝る声が聞こえて、遊裏は泣くのをやめた。 「もう少し大きくなったら、ゆうぎを迎えに行っても良いかな?」 遊裏の質問に、母は泣き笑いの表情で言った。 「その頃までには、たくさん働いて、遊戯を引き取れるように頑張るわ」 遊裏と母は、いつか遊戯を迎えに行くことを約束して、日々を過ごしていた。 高校に入学してから、遊裏は本格的にバイトを始めて、母の仕事も順調だった。 だが、杏子と遊戯の話をしたその日。 母が衝撃的なことを言って来たのだ。 「遊戯とあの人が行方不明になったわ」 「は? 何で? だって、遊戯からはいつもちゃんと手紙が来て……」 「一番最近に来たのはいつ?」 「…………春休み……。もう直ぐ高校生になるねって……」 「ちょうど、その頃よ。私が、あの人の家に行ったのは。でも、家は既に他人が借りていて、あの人も遊戯もいなかった……遊戯が通っていた筈の中学に行ってみたら、遊戯は……3年間、入学式から一週間だけ通って、ぱったり来なくなったって」 「そんなバカな。遊戯はよく手紙に学校の様子や、何があったか、書いて……」 遊裏は、食事の手を止めて立ち上がると自室に駆け込んだ。 机の引き出しに大事にしまっていた『遊戯からの手紙』を取り出した。 「ここにちゃんと……遊戯は普通に学校生活を……」 「それが捏造だったのかも知れない……。遊戯から手紙が来ている。あなたの手紙が戻って来たことはない。それどころか、ちゃんと返事が来てたのよね?」 母の言葉に頷く遊裏に、盛大に溜息をついた。 「遊戯はずっと、元の住所にも住まない上に、学校にも行かずに、行方を晦ましながら、それでも、あなたとの交流は続けてたのよ。手紙にウソを書きながら……」 「何のために?」 「多分、普通に生活してるんだと……安心させるためにね」 自分の身に起こったことを知らせずに、いつもと変わりない毎日を送ってるんだと、こちらを安心させていた。 「遊戯は拘わって欲しくなかったんじゃないかしら? 自分の身に起きた出来事に……」 「そう言えば……高校入学してから送った手紙への返事がない……。いつも、二週間程度で返事が来るのに……」 既に、一ヶ月以上過ぎている。 それに気付かなかった自分の迂闊さに、遊裏は舌打ちが漏れた。 その日から、遊裏は学校を休み、バイトだけはこなしながら、遊戯の行方を捜していた。 遊裏たちが住んでいた場所から、遊戯が住んでいた場所は、電車で2時間程の場所だった。 長期の休みには会えない距離じゃないから、遊びに行くと手紙に書いても、それに対して色よい返事は貰えなかった。 遊びに来いと誘っても、体よく断られていた。 でも、それもこれも、遊戯の都合が悪いからとしか解釈していなかった。 もっと早く、勝手に会いに行っていれば―― もっと早く、このことに気付けたのに……っ!! だが、どうしても遊戯の行方は掴めずにいた。 自分の部屋でどうすればいいのかと考え込んでいると、不意に目の端に映ったのは……。 子供の頃、二人で協力して組み上げた黄金色の『パズル』だった。 逆ピラミッドの形をしたそれは、紐が通っていて首にかけられるものだった。 でも、二人で協力して組み上げたものだから、どっちか一人しか身に付けられない事実に、部屋に飾ることにしたのである。 別れる時に、遊戯はそれを遊裏の元に残して行った。 『ボクはいつかここに帰って来るんだから、これもここにあった方が良いよ?』と笑って遊戯が言ったのだ。 何気なく、遊裏はそれに手を伸ばした。 瞬間、眩しいほどの光が部屋に溢れ、遊裏の脳裏に、とある場所のイメージと、その場所が浮かんだ。 『Millennium・Palace』 東京に住んでいない遊裏でも、遊戯を捜す過程で、知ったその場所。 ほぼ中心に存在する、国家組織も手を出せない『無法地帯』 犯罪者の巣窟とも言う、そこが頭に浮かんだことに多少の疑問を持ちながら、それでも、遊裏は遊戯に会うための手がかりとして、そこに向かうことに決めたのである。 そうして、今現在―― 遊裏はこの巨大なPalaceの中に足を踏み入れて、その瞬間から追われる羽目になっていた。 腕には自信があったのに、ここではまるで歯が立たない。 自分に打ちのめされながら、遊裏は何とか足を動かしていた。 道が判らない。 どこに行けばいいのか、どこに逃げるのが有効なのか……。 まったく遊裏には判らず、ただ、前に前に逃げるしかなかった。 「ここまでだぜ? 坊主」 「ったく、何の断りもなく、この『Palace』に入り込んで、さらに挨拶もなしか? 礼儀がなってねえなあ、表のお坊ちゃんは?」 嫌な笑みを浮かべながら言う少年たちに、挟み撃ちにされ、遊裏は肩で息をしながら、それでも背後を取られないように、壁に背をつけた。 「ここは、てめえみてえな、パンピーな少年が来る場所じゃねえんだぜ?」 肩を掴まれそうになって、遊裏は慌てて避けるも、壁に背をつけた状態では、満足に避けることも適わなかった。 別の腕に反対の腕を引っ張られて、倒れこんだ所を、背中から踏みつけられて、遊裏は悲鳴にもならない声を上げた。 「そうそう。大人しく帰った方が良かったのにねえ? もうただじゃ帰してやんないけどね?」 「取り敢えず、金目のモンでも頂いて、後は……それなりの場所に売りつけてやるか?」 「そうだな〜それが、オレらには無難だよな〜」 息も絶え絶えの遊裏の身体を引き起こし、先ず、その首に下げられていた黄金色の四角錘に目を瞠った。 「これ、本物の金かよ?」 「まさか……この大きさの本物金って結構重いんじゃねえか?」 「でも、それなりに金にはなりそうだよな」 「………ゲホっ…さ、わるな!」 四角錘の首飾りに触れられる瞬間、遊裏はそう言って、腕を上げた。 その腕が、相手の腕を弾き、遊裏はよろめきながら、2、3歩後退った。 壁に背中が当たる感覚。 それと同時に、目の前に、何かが走るのが見えた。 後からそれを追うように聞こえたのは、聞きなれない【銃声】と呼ばれるもので、遊裏は唖然と目を見開いた。 「これ以上、オレの領域を荒らすんじゃねえ」 聞こえた声に遊裏は背筋が凍り付くような感覚を憶えた。 何とも言えない感情が沸き起こる。 逃げ出したい……。 逃げなきゃいけない……。 でも、足が……動くことを拒否していた。 「……っ! じょ、城之内!!?」 「げっ! 菊丸もいるじゃねえか!」 相手が、ビビッたように声を上げて後ずさりしている。 力の……ある人物なんだと考えて、でも、安心は出来ないと、遊裏は動かない足を何とか動かそうとした。 だが、逃げ出すチンピラの背中を見つめながら、遊裏は自分の思わくとは違う方向に動いてしまった身体に舌打ちを漏らした。 「ったく! しょうもねえ奴らだぜ! ――大丈夫か?」 さっきの声と、似たような波長の声が聞こえた。 でも、ちょっとこっちの方が高いのか? 「……さ、……んなっ!」 伸ばされた手に、遊裏は怒鳴るように言って、何とか立ち上がろうとした。 「これ以上、人の手を焼かせんな」 背後に立ったもう一人の青年に、焦ったように振り向きかけた遊裏の首筋に、鈍い痛みに気が遠くなるのを自覚した。 その時、思わず口をついて出た言葉を、遊裏自身は認識することなく、意識は闇に沈んだのである。 <続く> |