勇気を出して聞いてみたあの日。
自分にとって都合のいい答えが返ってくるなんて、
絶対の自信を持ってたわけじゃないけど、
ある程度の【期待】はしてた。
でも。
あの人の真意が自分にだけ向かってる思ってたけど、
それは幻だって…
自分の過信が見せる大きな勘違いだってことが、
よくわかった。

そして…

なんだか、今まで自分がやってきたコトがとても恥ずかしく思えた。
バカみたいにドキドキして。
嫌そうにしながらも、実は嬉しかったり。
あの人にとって『オレ』が特別ってのは、
オレだけが思ってた大間違いだったんだよね。
なのに、一人で舞い上がったりして。





―ばかみたい。



なんでイキナリ背を向けられてしまったのか、わかんなかった。
帰りにバッグを二つ持つのは、
もう言わなくてもしてくれることなのに。
いつまでも受け取ってくれないあのコに、
不安になった。
最後に一言残して消えた後姿を、
なすすべもなく見つめた。

何かしたっけ?

咄嗟に思い出そうと努力したけど、
何もいつもと変わらない。
なのに。
どうして置いてかれたんだろう。

消えたあのコをすぐ追いかけなかったのは、どうして?






―わからなくなった。


がんじがらめのエトセトラ<前編>
作:悠木マリさま


「うぉっ!」


 青春学園男子テニス部コートに、小さな悲鳴が響き渡る。
 …といっても、『悲鳴』というより『うめき』に近いモノがあるため、周囲は気にもとめない。
 というのも、部員にとって目の前に広がるシーンは、ほぼ毎日のことだったため、部内において一種の『恒例』…と言えなくもないのだ。
 まぁ、ソレを承知してないのは、『うめき』声をあげた一年生だけだが。

「………」

 休憩中に突然襲った重みに、一年レギュラとして名を馳せる越前リョーマは盛大に顔を顰めた。
 それは、ともすると『いつも眉間にシワを寄せている』と評判の部長・手塚国光よりもヒドイ表情かもしれない。
 だが、周囲は彼の不満顔の原因に気づいていながら、あえて手を差し伸べよう……なんてしない。
 最初の頃は、その『原因』にやんわり注意する者もいたが、そんなものどこ吹く風…な『原因』は、たとえ校庭20周を言い渡されようと止めるつもりは無かった。

「おっチビちゃ〜ん。なに飲んでんの?」

 朗らかな、…というか能天気なトーンで目を輝かせるのは、言わずもがな。
 そう。
 三年レギュラ・菊丸英二である。

「見てわかんないんスか?」

 上級生に向けて、越前がそっけない受け答えをするのも無理はない。
 こうも全身に体重を乗せられては、明るく答える方が難しいだろう。

「おチビちゃん…冷たい」

 先ほどとは打って変わって、悲しげな声を出す。
 あいにく重みに耐えている越前に、彼の表情は見えないけど。

「『一口飲みます?』くらい言ってくれてもいいのに〜」

 今度はぶーぶー文句を言い出した。
 相変わらず、コロコロと態度や声・気分が変わる人だ…と呆れながら、冷たく一言、

「重いっス」

 地区予選に向けての練習。
 新しいレギュラが決まったばかりで、越前にとっては初めてづくしの団体練習だ。
 今まで体験したことのない、一人では決して出来ない練習。
 それは、個人でやってきた越前にとって新鮮な連続であり、『部活』の楽しさを覚え出した今日この頃でもある。
 しかし。

「ええ〜!そんなに重い?」
「とっとと下りてクダサイ」

 キツメな練習に耐えた体を労わる大事な時間に…

「ダイエットしなきゃかなぁ」

 なんてアホなことを言っている割には背中に抱きついたまま離れようとしない菊丸に、なんとかしてくれ…と、周囲を見渡す。

「勝手に食事制限でも何でもやればいいでしょ」
「むぅ…」

 たった10分しかないブレイクタイム。
 この時間、越前リョーマはいつもドリンクブレイクにあてている。
 毎日、毎日。
 自分用のドリンクをボトルに入れて持ってきているワケではないので、毎日の出費は月末に財布をカラにするであろう事はわかっているが、それでも自動販売機に向かう足は止められない。
 10分の間に飲む炭酸は、疲れた体を活性させてくれる大事なエネルギー源。
 休憩時間の過ごし方は、自販でジュースを買った後、木陰に座って体温を下げると決めている。
 しかし。

「おチビ、ノリ悪いぞ!」

 季節は初夏とはいえ、動き回った後だからかなり暑いのに、ギュウギュウ抱きしめる力を強める菊丸。
 せっかくのジュースが減るのはかなり不本意だが、与えないと…というか、ドリンクを持たせた隙に逃げないと休憩が終わるまでこの状態が続くだろう。
 この先輩と知り合ってまだ数週間しか経ってないけど、その少しの間で学んだことだ。

「はい、ドーゾ」

 菊丸英二が部活の休憩中に行うこと。
 それは、テニス部員なら誰でも知っている恒例行事だ。

 越前リョーマに抱きつく、または側に行く。

 たとえ自動販売機の近くで腰を下ろしていても、
 コートの端で休んでいても、
 木の上で涼んでいても、
 コートからは死角となる木陰で休んでいても、
 休まず壁打ちをしていたとしても。
 越前がどこにいようが、菊丸は即座に探し出し、ジュース片手に休む彼に抱きつくのだ。

 当初はビックリして抵抗したり逃げたりしたが、どこまでも追ってくる上に一度掴まったら離してくれない。
 その内、菊丸の腕の中にいるとなんだか安心する自分に驚いたが、それも今では当然のように受け止めている。
 まぁ、一応文句は言うけれど。

「イェーイ!」

 平然とした声色でジュースを差し出す後輩に、ぶーぶー言ってた表情が一気に戻る。
 左手はそのままで、右手で缶を受け取った。
 飲んでいる間も越前から離れる気は無いらしい。
 だが…

 両腕の力には敵わなくても、片手なら楽勝。
 しかも缶を持っているため、越前の首に左手を回していても力は入ってない。

「一口ひとくち〜っと!」

 にゃははは〜と笑う菊丸を背後に、緩んでいた筋肉を引き締めて力を入れる。
 急に体を強張らせた越前に気づくが、一歩遅かった。
 隙をついて抜け出した体に、咄嗟に手を伸ばすが…虚しくも生暖かい風を斬るだけだった。

「ヨイショ…っと」

 無事檻から脱出を成功させた越前は、コートにレギュラが集まりだした事を確認すると、自分もその場へ足早に向かった。
 体勢を整え、追ってこようと立ち上がった菊丸を待つわけもなく。



「菊丸、校庭10周!」

 残りの炭酸を一気飲みし、ゴミ箱へ捨てに行った菊丸が戻ったのは休憩終わりから5分後。
 部長の鉄槌が下ったのは言うまでもない。















「ひどいひどいひどいヒドーイ!」
「………」
「待ってくれてもいいだろ〜?」
「オレまで走らされるっス」
「あー!俺が走らされても構わないっての!?」
「…先輩が遅れるからでしょ」
「おチビのジュース一気して、捨てに行ったからじゃん」
「くれって言ったの、誰でしたっけ?」
「むぅううう」

 ファーストフードのテーブルに向かい合い、バリューセットが乗ったトレーを置く中学生二人。
 早速ドリンクに手を伸ばし、落ち着いた風貌でストローを吸うのは小さい方。
 ポテトをつまみながら、学校から店までの間ずーっと不満を言い、テーブルに腰を下ろしてからも同じことを繰り返して呟くのは大きい方。

 なお補足として、この二人は最近いつも肩を並べて帰っている。

 そんなに昔のことでも無いけれど、いつから一緒に帰るようになったのかはお互い覚えていない。
 ふと気づいたら、帰りにファーストフードやスポーツショップに寄るようになったのだ。
 二年の桃城や三年の不二、大石が入ることもあるが、大抵は二人っきり。
 お互いの家はそう近くもないのだが、桃城がいない日は菊丸が家まで『二人乗り』してくれるので、寄り道て帰宅が遅くなっても越前的には全然オッケィだった。

 明らかに先輩である大きい方が、何ゆえ小さい方にキャンキャン喚いているかというと、そこは休憩後のランニングが原因。
【たった5分なのに〜鬼!】
 と訴える(にしては最後のセリフが反省の無さを証言している)菊丸に課せられたのは、校庭15周。
 そう。
 最後の【鬼】のせいで増えたのは言うまでもない。
 別に菊丸は『ジュースをくれ』と頼んでは無いし、コミュニケーションの一環として『くれてもいいのに〜』と言っただけであって、『くれって言ったの、誰でしたっけ?』との問いにピタリ該当するわけでは無いの だが。
 ニュアンス的には同じため、反論のしようも無い。

「おチビ〜やっぱり冷たい!」
「早く食べないと、冷めますよ?」
「うぅ…。そっけない」
「いらないなら、オレが食べてもいいけど」
「あ、こら!ダメだっつの。取るな!」

 ポテトを掠め取った越前の手首を掴み、力を入れる。

「…離してくれません?」
「おチビこそ。俺のポテト、返せ!」
「いいじゃないっスか、一本くらい」
「5本掴んでるって」

 両腕で押さえられたら到底かなわないけど、片手なら話は変わる。
 特に、現在ポテト5本を掴んでいる越前は利き手である左で、阻止しようと力を入れる菊丸は利き手と反対の左。

「おチビ…」
「何スか?」
「いいかげん、手、離さない?」
「先輩こそ。ねばりますね」
「俺のだっつーの」

 睨み合ったまま、経過する数秒。
 どちらも手を緩めないし、弱めるつもりもない。

 たった5本。
 されど5本。

 後輩の胃におさまっても別に構わない微々たる量だが、手首を掴んで数秒たった今、引くに引けない状態。
 自分のセットにもポテトがついているため、先輩のに手を伸ばす程でも無いのだが、自分より大きな手に触れられてから数秒たった今、離すにも離せない。

「残りのポテトとバーガー、冷めますよ」
「おチビこそ、自分のポテトを食べなさい」
「…手首、痛い」

 なんて、本当は全然痛く無いが顔をつくってフリをする越前に、コロっと騙されて折れる菊丸。
 次の瞬間、

「あぁぁああー!!」

 少し冷えた5本のポテトは、越前リョーマの口に入っていく。
 それを、大きな目をさらに見開いて抗議の叫びをあげる菊丸だったが、

「店内で騒がないように」

 シラっと言い放ってジュースを飲む後輩に、眉を寄せて情けない顔をする。

「ひどいひどいひどいヒドーイ…おチビのにもちゃんとポテトついてるのにぃ 5本も取った!5本も〜」

 いじいじとジト目で、越前に聞こえるよう呟く。
 そんな彼に、『この人、本当に三年だよね…?』なんて疑問を抱いたりもするが、【可愛いからいいや】と納得する自分も、ある意味どうかと思う。
 三年六組コンビの感覚に、徐々に近づいているのだろうか。
 だがともかく。
 いじけている目の前の人を何とかしないと、帰路もグチグチ文句を呟くことが簡単に予測できる。

 さて、どうしようか。

 ここは一つ。
 王道な解決法を。
 借りたものは返せばいい。

「ほぇ?」

 菊丸の『いじいじ』を無視していたと思ったら、おもむろに自分のトレーからポテトを5本摘んで、キョトンとする菊丸の口元に突き出す。
 越前の意図を察して一瞬押し黙るが、『返せばいい』というモノでもない。

 さて、どうしようか。

 ここはやはり。
 せっかく口元に手を運んでくれたことだし。

 顔の表情をコロっと変えて、ニヤっと何かを企む笑みを浮かべると…

「!!」
「…ん、ウマイウマイ!」

 パクっと一口、俗にいう『はい、アーン』を無理やりさせられた。
 指に少し触れた唇の感覚にドキっとしたが、何でもないようにそっと手を引っ込める。

「次はおチビちゃんね。はい、アーン」
「……何してんスか」
「お返し!」

 越前が大して嫌そうな顔もしない…というか、むしろ平然としているので、菊丸は自分のポテトを掴み、身を乗り出して後輩の口元に寄せる。

「オレ、今ポテト食ってんスけど」
「あ、そーなの?」

 シッシッと『あっちいけ』するリョーマを無視して、差し出した手を引っ込めようとしない。

 じ〜っと目の前の先輩を眺め、ふと思う。
 いつのまにか定着した下校だが、何で二人で帰るようになったのか。
 元々は、家が近い二年の桃城と一緒に帰っていたのだ。
 帰りに何か食べに行くとしても、フレンドリィで後輩の面倒見がいい桃城と行く機会が殆どだった。
 一体いつから、二つ上の菊丸がともに下校するようになったのか。
 しかも、最近は桃城が何かしら用事といって、参加しないことが多い。
 結果的に、よく抱きついてくる先輩と二人っきりで腹ごしらえをすることになる。
 まぁ、桃城でも菊丸でもたいして変わらないため、今まで特に思うことは無かったのだが…

 入学して数週間。
 レギュラになって間もない。

 いつから、この人は自分に抱きつきだしたのか。
 どうして許容するようになったのか。

『なし崩し』、はたまた『慣れ』?

 明白な理由を聞いたことはない。
 他の先輩方が、迷惑そうな越前を考慮して菊丸にそれとなく注意したことがある。
 だが、本人はあっけらかんと、
『丁度いいサイズなんだも〜ん』
 なんて、暗にチビっていいたいのか?とジト目を向けたが、
『おチビ見ると、自然と手が動くんだよね〜』
 と続いた言葉に、何だか判別不能な感情がこみ上げた。

 自然と?

 それは、どういう意味が隠されているのか。
 真剣に考えたことはないけど、知りたくないとは言わない。
 いい意味に捉えていいのだろうか…?それとも。
 ただの気まぐれ?

 わかりやすそうな態度と表情だが、その実何を考えているのか、正確に読み取ることはできない。
 そこまで踏み込んだ関係ではないし。

 ただ、下校をともにするだけ。

「どったの?」

 ぼーっと菊丸を見つめつつも意識を別の場所に飛ばしている越前を訝しみ、突き出したままのポテトを自分の口に収め、ぼんやりが解けない越前の面前で手を左右に揺らす。

「えっ?」
「『え』じゃなくて。なんかボーっとしてたっしょ?」
「…そーっスか?」
「気づいてないのかよ」

 おチビちゃん、疲れてるんじゃない?

 部活はハードだからね〜と笑う菊丸に、――本当は違うが――軽く頷いておく。
 理由を言おうにも、なんて言ったらいいかわからない。
 まだ、自分の中で整理されていない気持ちだから。

 元のスピードでジャンクフードに手を伸ばす越前に、『おっし、負けないからな!』と、菊丸もスピードを速める。
 赤いパッケージを持ちあげ、流し込むように口に落とす。
 ポテトの食べ方としては大変間違っているが、目下成長中の14歳の少年にとっては造作もない作業。
 あと少しで成長期に入ると思われる12歳の少年は、二つ上の先輩のマネをするつもりはないようだ。
 黙々と一気に7〜8本のポテトを掴み、口に運ぶの繰り返し。
 たまに、食道あたりで止まっている固まりをジュースで流し込んだり。
 同時刻に赤いパッケージを空にした二人は、続いて楕円の包みに手を伸ばす。
 これといった会話は無い…というか、一歩的に話すのは先輩の方で、後輩はそっけなく頷くだけ。

 だが、それもいつもの光景。

 越前の態度はそっけないのかもしれないが、彼にとっては何も飾ってない普段の自分。
 愛想無しといわれようが、無理に自分を作ってどうなるというのか。
 他人の視線を潔いほど無視できる存在は、そういない。
 そして、越前リョーマという人物は、『視線』を撥ね退けることを自然とできる人。
 そういう彼だとわかっているため、可愛げやそっけなかろうと、越前の言動や態度でディープにヘコむ部員はいない。
 それが、彼の自然だから。

 いつも一緒の下校。
 話すのは自分ばかり。
 後輩は一言や二言しか返さないけど、
 そんなことで落ち込んだりはしない。
 思えば、嫌のことはハッキリと言う彼が何もいわずに毎日自転車に乗ってくれるのだ。
 人といる時に沈黙になるのが好きでない自分が、この後輩と一緒だと…不思議と、静かな空間に心地よさを覚えてしまう。
 言葉を交わさなくても、重い雰囲気にはならずにいられる。
 この気持ちがどこから来るのか。
 確信に近いモノを抱いてはいるが、直接言ったことはない。
 後輩がどういうつもりで一緒にいてくれるのか、自信を持てないから。
 
 お互いが、まだ探りあいの段階。

 どうして先輩はいつも抱きついてくるんだろ…?

 なんでおチビは自転車に乗ってくれのかな…?

 ぐるぐるぐるぐる。
 同じような悩みを抱えては、決して…まだ交わらない糸。
 打破するには?

「英二先輩」

 疑問を引きずるのは、趣味じゃない。
 悩みはとっとと解決してスッキリしたい。
 一体、何のつもりで家まで送ってくれるのか。
 どうして、自分にばかり飛びついてくるのか。

 動き出したのは、強い意志を双眸にたたえた越前の方。

「ん?」

 もごもご口を動かしながら、間抜けな声をあげる。
 思わず真剣な目をした越前に少なからず動揺したが、変わらぬテンションで笑顔を浮かべた。

「なに?」

 明るいトーンで問う菊丸に一瞬躊躇しそうになったが、そのまま言葉を続ける。

「先輩、どうしていっつも抱きついてくるんスか?」
「ぶっ…」

 思わず、口に含んだ炭酸が飛び出でそうになる。
 マジマジと越前の顔を正面から見据えるが、本気で聞いているようだ。

 そりゃあ体が勝手に動くんだからしょうがない。
 でも、そんなのが理由にならないことくらい、わかってる。
 初めて会ったときは、まだ誰も存在しなかった心の中。
 徐々に形成しだした小さな小さな種は、話すごとに、会う度に。
 小さな芽になったくらいから育まれた気持ちは、今ではつぼみにまで成長してて輪郭もはっきりとしてきたのだ。
 まだ言葉にしたことは無いけれど。

 素直に口に出せるほど、絶対の自信があるわけじゃない。

 色んなリスク。
 アレコレ考えると、伝えられるはずがない。
 ストレートに言わないとわかってくれないと思うけど、この気持ちは心に秘めておきべきなのか。
 それともオープンしていいものか。
 まだ、判断はつかない。
 嫌われてないのはわかる。
 毎日こうして帰りに付き合ってくれる行動で、少しは他の連中よりリードしていると思う。
 でも…
 言ってしまってギクシャクするより、言わないままで今の位置をキープしたい気もする。
 もう少しポジティブに考えられないのかと自分を叱咤するが、あいにくここまで綺麗な形になった気持ちは初めてで、どうしていいのかわからない。
 慎重にならないほうが、おかしい。

「英二先輩?」
「え、…ああ」

 上手く、今の立場を壊さないようにするには何と言うべきなのか、頭の中であーでもないこーでもないと一人、悩んだ末に出した答えは、

「あはは! ――別におチビだけにくっ付いてるわけじゃないよ?」

 満面な笑顔。
 部活の休憩中に浮かべるときと一緒。
 そこから推測されるのは―――?

「いっつもいい場所におチビが立ってんだよな〜。で、つい。桃にも不二にも大石にも、普通に抱きつくよ? クセみたいなもんだし。部活中はおチビんトコが多いけど、他の連中にやると『うっとおしい!』って怒られるんだもん。―その点おチビは大人しく収まってくれるし、サイズも丁度いいじゃん?」


 随分と饒舌にしゃべり出す菊丸に、一言も漏らすまいと耳をこらす。
 何て言ったのか。

『別に自分だけにくっ付いてるわけじゃない』
『いい位置に立ってるから、つい』
『他の連中だと駄目だから、自分に抱きつく』


 自分は彼にとって、何なんだろう。
『他』で出来ないから、『越前』で代用していると言っているのか?

 前に『丁度いいサイズなんだも〜ん』と彼が理由を述べたとき、初めて小さい身長で良かったと思えた。
 でも、今改めて聞くと…

『サイズも丁度いいじゃん?』

 体が小さいから?
 身長が低いから?
 細身だから?

 じゃあ、成長したら彼が抱きしめる相手は『自分』じゃなくなる…?

 菊丸と一緒に帰るようになって、何だかわからない気持ちが膨らんでいった。
 こんなの初めての経験で、何て名づけたらいいのか曖昧なまま。
 徐々に育っていった心の中の小さな種だけど、実る前に誰かに踏まれた気がした。
 誰が植え付けた種なのか、薄々わかってきたところ。
 でも、まだどんな花が咲くのか予想不可能で、大切にしようと思っていた矢先。

 ハッキリと、『特別な意味なんて無い』と言われたのだ。
 自分は、勝手のいい代用品であって、彼にとって他の人たちと何ら変わらない。

 勇気を出して切り出した結果、大したことの無いように返って来た回答。

「そ…っスか」
「そうそう。だから、これからも俺が抱きついてきても、あんま深く考えないこと」

 直んないクセだもん〜
 崩さない笑顔に、右手に持つジュースをぶっかけたくなった。

 どうしてだろう…と、考えていた時間を返せ。
 菊丸の腕の中、暖かい気持ちでいた自分。
 自転車に乗るのが嫌じゃなく――むしろ、楽しんでいた。

 でも、彼にとっては普通の、他意の無い行為。

 他の誰にでもやるし、決して越前だからするわけじゃない。
『抱きつく』行為の説明しか無かったけど、それだけで十分だった。
 自転車で送ってくれるのも、自分だけにじゃない。
 ファーストフードに寄るのも、誰とでもいい。

 菊丸が意味するのは、そういうコト。

『あんま深く考えないこと』
 とはつまり…

【誤解するな】
【勘違いするな】




【期待するな】




「…ってことか」


 ボソっと呟かれた言葉を耳ざとくキャッチして『なになに?』聞いてくるが、もうあまり考えたくない。
 そっけなく『何でもない』とバーガをがっつき、今までにないスピードで平らげる。
 慌てて菊丸もバーガに手をつけるが、先に食べ出した越前の速さに追いつくはずもなく、とっととトレーを下げる後輩を追って店を出る。

???

 とりあえず、自転車のロックを外して跨ぎ、テニスバッグを越前に差し出す。
 籠がついてない自転車のため、いつも後ろに乗る越前が二つバッグを背負って、菊丸は運転に専念するのだ。
 だが…

 いつまでたっても、受け取ろうとしない。

「おチビちゃん?」

 行くよ?
 視線で問うが、


「今日はいいっス」




 相手は短く一言告げて、自転車が入れない空間―――デパートの入り口に姿を消した。