蒼風幻想 序章 |
その日は、春休み初日で、俺は昼頃まで惰眠を貪っていた。 激しく鳴るインターホンの音に。 俺は、寝惚け眼のまま、枕元にあった子機を取り上げた。 「はい……」 「えと、越前南次郎さんの家ですよね?」 「……そだけど。誰?」 「……あ、俺、菊丸英二ってんですけど……あれ? 君、リョーマくん?」 「キクマルエイジ……。何の用?」 「……いや、用ってか……。俺、今日からここで暮らすことになってるんだけど。あれ? もしかして、聞いてなかったりする?」 困惑したような相手の声に、俺はしょうがなく起き上がる。 Tシャツに下着のままで寝てたから、脱ぎっ放しのジーンズを履いて、俺は玄関に向った。 ドアを開けると目の前にいたのは、赤茶けた髪が横に跳ねた、どっかで見たような目をした少年だった。 「うわっV 小っちゃいね。おチビって呼んでいい?」 「……あのねえ。あんた、初対面から失礼だね」 俺はそう言いつつ、相手を見つめ、頭を掻いた。 「あんたが、菊丸英二って証拠は?」 「は?」 「もし、別人が騙ってたら、怖いじゃん。だから、身許保証するもの、何か持ってる?」 「ああ、えーっと。保健証は、写真ないしね。あ、学生証!」 そう言って、彼が持っていた鞄の底から、緑色の手帳を引っ張り出して、俺の目の前にかざした。 「これで信じてもらえる?」 「……青春学園高等部2年6組……何、同じ学校?」 「へ? そうなの?」 「この春から……高等部1年。あ、これ去年のだよね? じゃあ、今年は3年ってことか」 「そう言うことだね」 「まあ、良いや。親父に確認の電話してみるから……。取り敢えず入っても良いよ」 「良かった〜〜♪ 門前払いされたらどうしようかと思ったVvv 俺、宿無しだからね」 「は?」 「だって、今まで住んでたアパートは解約しちゃったし、ここに住まわせて貰えなかったら、野宿だよ〜」 心底から嬉しそうに言う相手に、俺は溜息をついた。 「でも、何であんたが俺の家で暮らすことになった訳?」 「……本当に何も知らないの?」 「は?」 「……俺の母ちゃんと、お前の父ちゃんが再婚したんだよ。だから、俺達、義兄弟な訳」 「……義、兄弟? 再婚?」 「ありゃりゃ、ホントに何も言ってなかったんだ……」 あんまり俺が驚くから、相手もなんだか申し訳なさそうな表情をして、自分の荷物を床に下ろした。 「……あのクソオヤジ……いっぺん、シメてやろうか……」 常識に捉われず、好きなことを好きなようにやるあの人に、俺は随分救われて来た。 あの人が居なければ、俺はきっと今も生きてることなんて無理だった。 だから……あんな自分勝手で調子が良くてちゃらんぽらんなオヤジでも、それなりの敬意は払ってるつもりだ。 絶対に口出したりしないけど。 だけど。 これは、さすがに……。 ――俺だって再婚に反対するほどガキじゃない。 まあ、再婚そのものには反対はしないけど、別の理由で賛成しかねるのも確かだったけど。 でも、それなら俺は家を出ても良かったし(勿論生活費は負担して貰うけど)、要は俺のあの【能力】が、バレなければいいんだから……それには別に暮らすのが妥当だと思う。 そう言う理由があるにも拘わらず、一言の断りもなくさっさと、再婚済ませてるのはどう言う了見だ? 当然、俺は、オヤジが勤める会社に電話をかけた。 【越前さんなら、アメリカ本社勤務が決まって、こちらにはもう来てませんよ?】 はい? 引継ぎは昨日で終わって、本人は今日にはアメリカに発っている筈ですが……と続けられて、俺は眩暈を憶えた。 「転勤するならするって言ってけ、オヤジ!!!」 受話器を叩き付けて、今度はダメ元でオヤジの携帯に電話をして見た。 何時の飛行機に乗るのか知らないが、既に機上の人なら捕まらない。 真相を聞けるのは、今日の夜中か下手すれば、明日になる。 「大丈夫?」 声をかけられて、俺は振り向いた。 大きなアーモンド型の瞳。 どこかで見たことあるような気がするのに、何か違うような気がする。 人懐こそうな笑顔を見せて、首を傾げるその少年に、俺は仕方なく溜息をついた。 「オヤジと連絡取れない」 「……あれま」 「仕方ないから、今更あんたを追い出したりしないけど」 「何?」 「変なことしようとしても無駄だからね?」 「変なことって?」 「あんたが……本当に【菊丸英二】で、本当にあんたの母親と、俺のオヤジが再婚したのか、俺には判断出来ない。あんたがウソついてる場合もあるし、再婚は本当でも、あんたが【菊丸英二】じゃない場合もある」 「…………」 「俺は人一倍猜疑心が強いんだ。だから、今の段階ではあんたを信じては居ないってこと。憶えといて」 「……警戒心丸出しの猫みたい」 そう言って、彼は苦笑を浮かべた。 「でも、多分、それが正しいよ。おチビちゃん」 「……高一になる男に向かってそれはやめてくれない?」 「でも、高校一年生にしてはコンパクトで可愛いもん」 「……取り敢えず、使ってない部屋があるから……こっち」 俺は気を取り直して、二階の俺の部屋の隣にある部屋に案内した。 「隣は俺の部屋。下に風呂やトイレもあるから。勝手に使って良いよ」 「……ねえ」 「何?」 「変なことしても【無駄】って言ったよね?」 「あ、ああ……それが?」 「それってどう言う意味?」 キョトンと問い掛けて来る彼は、純粋に疑問を感じているらしい。 俺は苦笑を浮かべて呟くように言った。 「俺には、風の加護がついている」 「は?」 「……細切れになりたくないなら、変な気は起こさないことだよ?」 ふわりと。 窓も開いてないのに、俺と彼の髪が揺らいだ。 【能力】がバレるのは頂けないが、自分が敵と見なした者には、きっちりと制裁を与えるつもりだ。 そのための【能力の行使】厭わない。 俺は、そうして、意味深な笑みを残して、彼をそのままに部屋を出た。 「さて。あのクソオヤジにはどうやって報復してやるかな……」 冗談のように、考えながら自分の部屋に入って、再びベッドに寝転がった。 ☆ ☆ ☆ 「おチビちゃん! おチビちゃんってばー!!」 どんどんと、ドアが叩かれる。 その音に、俺は二度目の眠りから叩き起こされた。 「……何?」 不機嫌最高潮の声で、問い掛けると、向こうからオズオズとした声が聞こえて来る。 「開けても良い?」 鍵なんかかかってない(って言うかむしろない)のを知ってるくせに、ドアを開けもせずに、問い掛けて来る。 俺は少しだけ印象を良く持って、ベッドから起き上がると、ドアを開けた。 「……あ」 「……で? 何なの?」 「ん。あのご飯作ったんだけど、食べないかなっと思って。お昼も食べてないんじゃない?」 「……そう言えば……」 昼過ぎにコイツが来て、バタバタしてる間に、昼食を取ることを忘れていた。 (あの後、また寝ちゃったしな) 俺は、頭を掻きながら頷いて部屋を出た。 「あんたが作ったの?」 「そう。おチビちゃんも家事得意っしょ?」 「……そうでもない。適当に、コンビニで買って来てたし……。一人だと返って作らないもんだよ」 「……そっか。俺ん家は母ちゃん、遅くても必ず帰って来てたからな〜二人分作るのはもはや癖だ」 そう言って彼は笑った。 「だからね。母ちゃんがアメリカに行くことになって、俺は高校最後じゃない? このままこっちで卒業した方が楽だからさ。残ることになったんだけど、一人じゃ寂しいと思ってたんだよ」 「……」 「まあ、実際にご飯食べる時は一人だったんだけど」 たははと笑う彼は、本気で寂しそうに見えた。 俺は、スッカリ一人に慣れていたから、人が居る方が、落ち着かない。 でも……。 何だろう。 こうして一緒に居ると、存在感ありすぎるくらいあるのに、あまりそれを感じさせない気がする。 さりげないと言うか……。 そうだ。 夕飯を作ったから一緒に食べようなんて……いつもの俺なら、【押し付けがましいことするな】って感じるだけだった筈だ。 危険。 キケン ダメだよ 心を許して 裏切られるのは もうイヤだから 食卓に並べられた料理に正直食欲がそそられた。 俺の向かいに座って、俺に席を勧める……人の好い笑顔。 騙されてる? 違う、騙してる。 俺が……彼に……本当のことを隠して……。 襲われるのは罪悪感。 今まで一度も感じたことないのに……。 隠すのは、俺が生きていく上での自衛手段。 だから……。 人好きのする笑顔。 優しい声音。 これが……演技なら……俺に取り入るためのポーズなら……。 罪悪感なんか感じなくて済むのに……!! 「ね、食べて♪ ちょっと気合い入れて作ってみたんだ♪」 明るい声に。 心がざわめく。 信じていいのか? 信じるべきではないのか? これは演技か? 本心なのか? 宿無しになったと言う彼が、俺に気に入られたくて、ゴマをすってるだけじゃないか? このまま、ここに座って和やかに、食事をしても良いのか? 【バーカ。俺は、お前自身を捕まえたかっただけなんだよ。どこぞの研究所に引き渡せば、大金くれるってからよ】 信じた人間に裏切られるような愚挙は二度としたくない。 人当たりが良くても、その心の中では何を考えているか、判ったもんじゃない。 「……やっぱいらない」 「……え?」 「……こんな……見え透いたことしてまで、俺にゴマすりたいんだ?」 「何……?」 「……俺はあんたを信用してないって言っただろう? 信用してない奴の手料理を食うほど、俺は間抜けじゃない」 「おチビ……ちゃん」 本気で傷付いた表情。 これが……演技ならコイツは、たった今から優秀な役者になれるだろう。 そう、思うのに。 「こんなことで、俺が絆されるとでも思ったら大間違いだ」 「……俺はそんなつもりないよ」 「……」 「ただ、暇だったし……おなかすいたと思って。おチビも……ご飯食べてないかもだから……一緒に食べるかなって」 「……」 「一人で食べるのは味気ないし。ここ、おチビの家だし……。おチビより先にご飯食べちゃうのもマズイかなって。だったら一緒に食べれば……って」 そう言って、彼はテーブルから立ち上がった。 「ごめん。余計なことして、おチビの気分害しちゃったね」 「……」 何で、あんたが謝るんだよ? 「俺、明日には出て行くから。だから、今晩だけ泊めてね?」 「……出て行くって……どこに?」 自分でけし掛けたくせに、そんなこと聞くなんて、滑稽すぎる。 なのに。 「……心配してくれるの?」 嬉しそうに笑って、彼は優しく目を細めた。 「……まあ、友達のとこにでも止まらせてもらって、アパート探すよ」 「……」 そう言って笑う。 あなたに……俺が泣きたくなった。 「おチビ?」 「……何で、笑ってんだよ?」 「……」 「何で、謝るんだよ?」 「……おチビ……」 「何で、怒らないんだよ!!」 あんな傷付いたような目をしたくせに。 何で笑うんだよ? 何で謝るんだよ? 一度受け入れて、放り出そうとしてるのは俺なのに。 理不尽なことをしてるのは、俺の方なのに! 「そう言うリョーマはなんで泣くの?」 「……!」 「……俺のために泣いてくれてるの?」 「違う……。……違うけど……判らない」 「何が?」 「あんたを信じて良いのか、信じたらダメなのか……判らない」 「リョーマが望むようにすれば良いよ?」 「……信じて裏切られるのは、イヤだ……!」 「……うん。だから、俺が信じられないなら、信じなくても良いんだよ?」 「……」 そんなこと 初めて言われた。 いつもいつも。 【大丈夫だって、俺を信じろ。絶対に裏切ったりしないから】 そんな言葉で取り繕われるだけだったのに。 「エージ……って呼んで良い?」 「お兄ちゃんはダメ?」 「……エージ兄さん?」 「うーん。エージ兄貴」 真剣に言うエージが可笑しくて、俺は笑ってしまった。 「エージで良いよ。リョーマ」 「……うん。じゃあ……エージ。やっぱり、ご飯食べていい?」 「……! 勿論!!」 「本当はおなかすいて限界だったんだ」 俺はそう言って、椅子に座った。 エージがご飯をよそってくれるのが、なんだか気恥ずかしかった。 でも。 二人で食べたご飯は、美味しくて楽しかった。 信じてみようと思った。 まだ、判らないことだらけだけど。 本当にオヤジが再婚したのか、本当にこの人が再婚相手の息子なのか。 全然、判らないけど。 でも。 俺が、信じたいと思ったから信じる。 たとえ裏切られても……。 きっと……俺は傷付かないと思う。 俺が、俺自身で……相手に言われたからじゃなく、自分で信じようと思った初めての人だから。 この人から感じる優しさと暖かさを……。 本物だと思いたい。 「荷物あれだけなの?」 「……ああ、うん。家具とかは改めて持って来るのも面倒だったし。リサイクルショップに全部売り飛ばしちゃった」 「……必要なものはあるんだ?」 「そうだな〜当面の着替えとか、学校の道具とか。布団とかもこっちにあるかと思って持って来なかったんだけど」 「……あるよ。一応……」 「良かった〜Vvv」 「専用のお茶碗とお箸要らない?」 「……へ?」 「お客さんじゃないっしょ? だからエージ専用の……」 俺の言葉に、一瞬呆けていたエージが、本当に本当に嬉しそうに、綺麗な笑みを浮かべた。 「……ありがと。リョーマ」 「……〜〜〜〜〜そんな、礼を言うようなことじゃないじゃない!」 俺はしどろもどろになりながら、ご飯を食べることに集中した。 エージは笑いながら、やっぱりご飯食べ始めて。 二人で夕飯を食べるのって、こんなに楽しいんだと。 初めて実感していた。 <続く> |