Trick<後編>

「エージ先輩……どこに行ったんだろう?」
 らしくもなく、オロオロするリョーマの肩を、大石が軽く叩いて、
「大丈夫だよ、越前」
「……でも……」
 何かを言おうとした、その時。
 リョーマの上着のポケットに入っていた携帯電話が鳴り響いた。


「……エージ?」
 画面に英二の名前を見つけて、リョーマは慌てて通話ボタンを押した。

「もしもし?」
『………おチビ?』
「……あ……エージ先輩?」
『……あのね。どうしようか迷ったんだけど……。今ね、学校にいるんだ……』
「学校?」
『……うん。テニスコート……見えるよ。ここから……。楽しかったなって……。おチビちゃんに出会えた、去年が一番、楽しかったかも……』
「……エ…ージ?」
『……最後にさ。おチビの……リョーマの声……聞きたくて……。電話するの、迷惑だったかもだけど……。ごめんね』
「最後って……エージ?」


 リョーマの言葉に、周りにいた面々もざわついた。
 不二は、何か考え込むように、リョーマを見詰めている。

『……ん? オレね。おチビに嫌われて、生きてく自信ないの。ごめんね、リョーマ。最後まで迷惑かけちゃって……』
「ちょ、ちょっと待ってよ! ねえ、エージ!?」
『大好きだよ? おチビがオレのこと嫌っても、オレ、おチビのこと大好きだからね』
「待って! エージ!! え……」
 ぷつっと。
 音声が途絶えた。
 ツーツーと機械音が聞こえて来る。

 リョーマの足がガタガタと震えた。

「越前?」
 桃城の声が背後で聞こえたけど。
 リョーマは、携帯電話を握り締めて、それから、一度、不二に視線を向けた後。
 駆け出した。

「越前!!」
「エージ、学校にいるって言った!! テニスコート見えるって!! だから、学校にいるんだ!」

 そう言って、リョーマはいつになく、焦った様子で青学に向かって走り始めた。











「……不二」
「やれやれ……どうやら、僕の負けらしい」
「不二?」

 リョーマの後を追って、大石と手塚以外は走って行ってしまい、手塚が声をかけると、不二は苦笑を浮かべて肩を竦めた。
 大石は少し責める口調のまま、不二に問い掛ける。

「まあ、行けば判ることだよ?」
 不二は、読めない笑みを浮かべたまま、他のメンバーの後を追う形で、ゆっくりと歩き出したのである。





    ☆  ☆  ☆


「エージ!!」
 校舎の屋上まで、一気に駆け上がって、リョーマは辺りを見回した。

「すっげー! おチビ、あそこから、20分で来たの? 普通に走ったら、30分はかかるよ?」

 能天気な声が、頭上から聞こえて来て、リョーマは愕然としたように、見返った。

「やっほーい♪」
「え、エージ?」

 屋上への入り口の屋根の上に座って、足をブラブラさせながら英二が手を振っている。

「よっと!」
 そんな掛け声と共に、リョーマの目の前に飛び下りると、英二はリョーマの額を人差し指で弾いた。

「何、呆けてんの?」
「え、エージ? あの……」
「ん?」
「だって……電話……最後って……」
「ああ、あれね……。嘘に決まってんじゃん♪♪」

 ニッコリ笑って言う英二に、リョーマのこめかみが引きつった。

「嘘って……何で……!?」
「……それ、おチビが言うかな?」
 少し呆れたように、溜息をつきながら英二が言う。
 そうして、少し迷うように、小さく呟くように言った。
「……でも。本当もあるよ」
「…………?」
「リョーマに嫌われたら、生きてく自信ない……。これ、本当かも知れない……」
「……エージ……?」
「でも、嫌われてる訳じゃないみたいでホッとした」
「え?」

 リョーマは不思議そうに目を見開いた。
 英二は、苦笑してポケットからリストバンドを取り出して、リョーマの目の前に広げて見せる。

「……これ、オレのじゃないね?」
「!!!」
「同じだけど、違う。だって、これ新しいもん」
「……っ!?」
「だから、変だと思ったんだ。それで、今日の日付を思い出した……。首謀者は……どうせ、不二辺りっしょ?」
 そう言って、英二はリョーマの左手を掴んで、袖を捲った。
「こっちが本物だね?」
「……そ…それは……」
 言いよどむリョーマに、英二は少しだけムッとしたように、視線を合わせるために、少し屈んで、問い掛けた。
「今日が『エイプリルフール』だって。思い出したけど。何で、あんな嘘ついたの? オレ、マジに生きた心地しなかったんだけど?」
「……だって……罰ゲームだって……それに……」
「それに?」

「越前くんは、これが欲しかったんだよ」
 そう言う声が聞こえて来て、英二は慌てたように振り向いた。

「不二〜〜〜〜!!」

 向かって来る英二の額に、パシンと貼り付けるようにすると、不二はニッコリ笑って言った。

「去年、英二がついた嘘より、可愛げがあると思うけど?」
「……(ギクっ)」
「ねえ? 英二……」
「……な、何だよ?」
「ただ、別れようだけじゃなくて、僕たちの中の誰かを好きになったからって言う方が良かった?」
「……不二ぃぃぃぃ〜〜」
 押し付けられたそれを抑えながら、英二は不二を睨みつけ、そうして、手にしたものを見て、目を丸くした。

「……おチビ?」
「……だから! その……エージ喜ぶかと思って……だから……」

 思い切り複雑そうな表情を浮かべて、英二はそのチケットとリョーマを見比べた。

「でも……エージだって、嘘ついたし……そりゃ、最初にひどいこと言ったけど……でも……」
 必死に言い募るリョーマに、英二の口許に笑みが浮かぶ。
「リョーマ」
「でもね……」
「リョーマってば」

 英二はそう言って、リョーマの身体を抱き締めた。
 真剣な表情と、声でリョーマに声をかけて。
 少しだけ緊張したように、リョーマは英二を見上げて問い掛けた。

「え、エージ……?」
「もう、判ってるから……」
「……怒ってない?」
「……怒ってないない」
「ホントに?」
「ホントだってばさ〜……うん。これ欲しかったんだね?」
「……ん」
「オレと遊びに行くために?」
「……っだよ……」

 英二の表情が緩やかに笑みに変わって行く。
 本当に嬉しそうな笑みを浮かべて、リョーマを抱き締める腕に力が込められていく。

「全部、ぜ〜んぶ、オレのため?」
「そう……だよ!」
「――だったら、すっごい嬉しいよん♪」

 嬉しそうに弾んだ声に……。
 リョーマは、やっとホッとしたように、身体の力を抜いて、その場に崩れ落ちた。

「おチビ?」
「……ホッとしたら、力抜けた……」
「ごめん……ちょっと、やりすぎだったかにゃ?」
 自分に体重をかける形になったリョーマをしっかり、抱きとめて、エージは呟くように言った。
「……でも、エージも同じようにショック受けて、で、嘘だったって判ってホッとしてるんだよね? 今のオレと同じ……だから、オレももう良いや」
「リョーマ……」

 英二は優しくリョーマを呼んで、その小さな身体を愛しそうに抱き締めた。


「……こう言うことか……? 不二……」
 呆れたような、疲れたような口調で大石が不二に向かって言った。
「そう言うこと。英二は、直ぐに気がついたんだと思ったからね。僕の負けって訳……」
「その割には悔しそうにないな?」
「まあね……僕は……まあ、良いや。そろそろ、帰らない?」

 不二の言葉に、呆れたように二人の世界を展開している、英二とリョーマを見ていた面々が頷いて踵を返した。


「英二!」
 不二が、英二を呼んで何かを放り投げた。
「じゃあね。越前くん……今日は、ごめんね」
「……もう、良いっす。どうせ、不二先輩のこう言うこと……今日始まった訳じゃないし」
「……言うねえ。じゃあ、これからも覚悟しててね?」
「……」
 ニッコリ笑って、不二は屋上を出て行った。

「ねえ、何?」
 不二が放ったものを見ている英二に、リョーマが問い掛ける。

「ん? ああ、気が済んだら、「かわむら寿司」来いって……。進学進級パーティしようだってさ」
「……ふうん。ねえ、これ嘘じゃないよね?」
「……へ? ……どうだろう?」

 英二は暫し考え込み、それからニッコリ笑って言った。

「まあ、気が済んだらだし……気が済まなきゃ、行かなくても良いってことだし。ねえ? おチビ」
 英二の言葉に、リョーマは苦笑を浮かべて、英二の手を掴んだ。

「気が済むなんて、きっとずっとないよ?」
「オレもそう言おうと思ってた」

 二人して顔を見合わせ笑い出し。

 春風の吹く中――口付けを交し合った。



◆Back◆