プロローグ PART-2

「待ちなさい! 城之内〜〜!!!」

 能天気に下校しようとしていた城之内克也は、後から聞こえて来たその声に、慌てたように振り返った。

「げっ!」
「何が、げ! よ!! あんた、掃除当番でしょう! サボる気なの?」

 思い切りモップを振り回して、襲い掛かって来る幼馴染みの少女に、克也は焦ったように、その攻撃を一歩下がって避けた。
「……いきなり暴力は良くないぜ、杏子……」
「煩い! どうせ、あんたには当たらないんだから、問題ないでしょ!」
「……いや……ほら……振り回すと……他の奴ら……危ないって言ってんだよ!」
 少女――杏子の攻撃を躱しながら、克也は言い、それでも止めない杏子が振り下ろして来たモップを左手で受け止めた。

「ほらほら、周り引いてんじゃん?」
「……え?」
「高校生になって、これは恥ずかしいんでない?」
「あんたが、真面目に掃除してれば、問題ないでしょう?」
「……あー……でも、オレ、バイトあるし……」
「んなの、私だってあるわよ!!」

 言い合いをしながら、克也は微妙に身体をずらし、窓に向う。
 開いた窓を背にして、克也はにんまり笑った。
 手にしていたモップの柄を力を込めて引っ張ると、取られまいとして、杏子も腕に力を込める。
 均衡して、微動だにしないモップを、克也は不意に放した。

 その反動で、杏子はよろめき、たたらを踏む。

「んじゃな、杏子!」
 言うなり、克也は、窓に飛び乗り、そのまま、後ろ向けにジャンプして見せたのである。
「うわ! ここ3階だぞ!」
「きゃああ!」
 騒ぐ他の生徒を尻目に、杏子は窓に駆け寄って怒鳴っていた。

「克也のバカーーーーー! この猿男ーーーーー!!」
 既に、側にある木の枝に止まっていた克也は、杏子の言葉に振り返り、
「猿はねえんじゃねえ?」
 と呟いて、地面に向かって飛び下りていた。
「んじゃねVvv 後始末よろしく♪」
 言うなり、駆け出そうとした克也目掛けて、モップが振って来る。
「うぁ……っ! 危ねえだろう!」
「煩い! バカ克也!!」
「どうすんだよ? このモップ……」
 足元に落ちているモップを見つめ、足で引っかけ、その手にすると。
 3階を見上げて、ニッコリ笑った。
「杏子ー」
「何よ?」
「そこどいてろ。これ、返すから」
 言うなり、克也はモップを槍投げよろしく、3階の窓に向かって投げつけた。

「ああ、無駄に体力、使っちまった。今日は、ちと手を抜くか」
 呑気に言いながら、正門に克也は向かっていた。

 3階に向かって投げたモップが、天井に突き刺さったまま、取れなくなって大騒ぎになっていることなど、全くの我関せずで。

 杏子の絶叫が響いていたことは言う間でもない。


 城之内克也。15歳。
 この春に、高校生になったばかりで、細身で華奢な身体つきだが、周りの人間の想像を絶する身体能力を持っていた。
 金髪に見える明るいブラウンの髪の前髪と裾だけを伸ばし、時々、鬱陶しそうに前髪をかきあげる。
 子供の頃から、空手と拳法をやっていて、身が軽く、常人離れした動きを見せることが多々あった。
 3階の窓から飛び下りることくらいは、平気で仕出かすから、幼馴染みである杏子は少しも驚きを見せなかったのだが。
『あんた、将来、スタントマンにでもなれば?』とは、杏子の言である。
 その時、克也は、『それも良いかもな〜』と笑っていた。


 ともあれ、学校が終われば、子供の頃から通っている道場で、指導員としてのバイトをする――

 これが、克也の日常であった。



    ☆  ☆  ☆

「克也兄ちゃん、今度の大会出るの?」
「おう! 今度のはフルコンタクト制だからな! 腕も鳴るってもんよ!」

 空手の試合では、その時々に応じてルールが異なる。
 危険性に配慮して、防具をつけていても、相手に触れる寸前で止める『寸止め』が用いられることが多いのだ。
 フルコンタクトは、寸止めではなく、じかに相手に攻撃を与えることが出来るルールである。

「克也兄ちゃんの優勝間違いなしだよね!」
「決まってんじゃん! 頑張ってね! 克也兄ちゃん!!」

 子供たちの声に、笑いながら、克也は答え、優勝を約束して、帰途に就く子供たちを見送った。

「大した約束したな……」
「おう! 油断はする気ねえけどな。でも、今度も勝つぜ! オレは強くなるって約束したんだから」
「また、その話か?」
 学校は違うが、この道場の門下生の一人で、親友兼ライバルである、本田が少し呆れたように言った。

「腕っ節も、心の持ち方も……誰よりも強くなるって……。そうすれば、アイツの隣にいられるようになるんだ」
「なんかよ。お前、そいつに、恋してるみてえだよな〜?」
 からかうような本田の声に、克也は少し赤面して、腕を振るった。
「アホ! 相手も男だぞ? ……んな訳ねえだろう?」
 殴り飛ばされた本田は、その頬を抑えながら、悔し紛れに呟いた。
「そう言うとこが、恋してるみてえだってんだよ!」
「うるせえ! やるか〜?」
「……へ! さっきみてえには行かないぜ!」
「てめえに負けるようじゃ、大会優勝は無理だからな。いつも通り、コテンパンにしてやるぜ!」

 軽口を叩きあい、互いに拳の応酬を始める。
 克也が、身体を捻って右足を蹴り上げれば、本田は、横に身体をずらして躱すと、そのまま拳を克也に向けた。

 その拳を、腕で受け止め弾くと、一気に懐に飛び込んで本田の肩に手を付いた。
 軽く掌で押しただけで、本田はその場に倒れてしまう。

「てめえ! 使うか? それを使うか?」
「ああ、脱臼してたらごめんな?(^^)」
 ニッコリ笑って言う克也は、はっきり言って悪魔だ。
 本田は、痺れて動かない肩を抑えたまま、立ち上がった。
「根性悪ぃ……」
「まあ、何とか使えるようになって来たからな。ちと、試験使用ってか?」
「実験台にすんな!」
 言いながら、本田が何かを思いついたように、外に出て、花壇を作るために用意されていたブッロクを二つ持って来た。

「なあなあ、城之内」
「何だよ?」
「これでやってみろよ?」
 二つ重ねられたブッロクを前にして、克也が苦笑を浮かべる。
「あのなあ? テレビの試し割りじゃねえんだぜ?」
「良いから良いから」
 笑う本田に、克也は苦笑を浮かべたまま、しょうがねえなと呼吸を整える。

 ――そうして、拳をブロックに振り下ろした。












「んじゃな、本田! またな〜♪ 師匠もお疲れっした!」
 そう言って、克也は帰途に就いた。
 後に残った本田は、克也が試し割をしたブッロクを見返る。

「ホントにマスターしたんスね。城之内の奴……」
「まったく、アイツの実力は、未だ未知数だな」

 師匠の言葉に、本田も頷く。


 そこには、ブッロクがひとつだけ形を残して残っていた。

 重ねられていた下のブロックは砕け、上のブロックだけが残ったのである。



「大会が楽しみだぜ! んじゃ、オレも失礼します!」
「おう! またな」
 そう言って、本田は駆け出した。















 だが、克也は大会に出ることはなかった。


 それだけではなく。

 この日を境に……克也は姿を消してしまったのである。