Act.2 ジョーイ=カーツ |
「え? もう一回言ってくれる? ユーリ」 導師であるフジの部屋に、事の次第を報告に行ったユーリは、多少困ったような表情でもう一度口を開いた。 「許可を貰った……『異世界からの召喚』で……普通の人間の少年を召喚した……」 「直ぐに、戻したんじゃないの?」 「予定外のものを召喚した場合、そうする予定だったさ……」 だけど。 彼を取り巻く魔力の波動の強さに、モンスターたちでさえ、圧倒されかけていた。 体重の軽かったユーギやリョーマは、その波動の風に煽られて、吹き飛ばされそうになったくらいで。 セトの気持ちも、ユーリの気持ちも一瞬、そちらに流れてしまった。 その隙をつくように、召喚魔法陣は消滅してしまった。 一人の少年を、残して。 「状況的に最悪だった……。相手の魔力の波動が強すぎて、とても人間を召喚したとは思えなかったんだ」 「……人間じゃないんじゃない?」 「……いや……。今は、魔力の片鱗を感じない。彼が魔力を本当に持ってるのかどうか……。オレたちには判らない状態だ」 ユーリの言葉に、フジは少し考えるようにして、黙り込んだ。 いつも、ニコニコした表情でいる彼が、うっすらと瞳を開けている。 こう言うときの、フジは何かを企んでいる節があるのだが……。 「ともかく、その彼が目を覚ますのを待つしかないね。それから……色々確かめてみよう」 「……そうだな」 ユーリはそう言って、踵を返した。 ☆ ☆ ☆ 「う……」 小さくうめいて、克也は目を開けた。 見慣れない天井と、慣れないベッドの感触。 「……あ、気がついた?」 聞こえたのは、明るく能天気な……どっかで聞いたような声で。 自分を覗き込んで来たのは、大きな目をさらに丸くした赤茶けた髪の少年だった。 「誰だ?」 「あ、オレは、エージ。エージ=アクロス。言葉、通じるみたいだね」 「……?」 疑問を浮かべたまま、克也は身を起こす。 「気分悪くない? 痛いとことか、何か変な感じするとか……」 「……ちと、頭が痛い……」 そう言いながら、克也は周りを見回した。 幾つか並べられた寝台の一つに、自分が寝かされていると判った。 「どこだ? ここは……」 「『ミレニアム・パレス』魔道士・召喚士が集う協会だよ」 エージの言葉に、克也は眉を顰めた。 「……何だ? そのマドウシとか、ショウカンシってのは?」 「……聞いたことないの?」 「いや……聞き覚えはある……そうそう。RPGとかファンタジー系のゲームに出て来る職業の一つだ」 克也はそう言って、頷きながら、ふと不思議そうに首を傾げた。 「……今、魔道士や召喚士が集う場所っってったか?」 「うん」 笑顔で答えるエージに、恐る恐ると言った風に問い掛ける。 「ってことは、あんたも魔道士?」 「……オレは、召喚士。本当は、魔法剣士だったんだけどね」 にかっと笑ってエージは言った。 エージは、12歳のときにこのミレニアム・パレスで、魔道士としての資格を手に入れた。 召喚士になるつもりがなかった彼は、その後、魔道士である自分の祖父の元に弟子入りをしたのである。 そして、14歳の時に、たまたま、所用で出掛けた先での休憩中に、『ベビードラゴン』が剣に取り付いてしまった。 魔力が高い者に、自分から懐いて行くモンスターも少なくはない。 そうして、懐かれたエージは、困り果て、魔法を使う媒介である剣に入り込んだ『ベビードラゴン』を取り除いて保護して貰おうと、『ミレニアム・パレス』を訪れた。 その時。 ちょうど、入所して来た11歳のリョーマと出会って、ここに居着くために、召喚士になろうとしたのである。 そのまま、ベビードラゴンと契約することになり、『スパイラ』に封じ直して、今は最高のパートナーモンスターとなっている。 「へえ、何かカッコ良いよな! 召喚士とかってよ」 克也はそう言いながらも、何か、肝心なことが、ポッカリ抜け落ちてるような気がして、首を傾げた。 「あ、気がついたんだ」 「随分、馬鹿面だな。何故、こんな奴にあれほどの魔力を感じたのか……甚だ疑問だな」 新しく入って来た二人に、克也はさらにキョトンとなりつつ、後から来た長身の青年の言葉に、眉根を寄せた。 「誰が、馬鹿面だよ?」 「……貴様以外に誰がいる?」 「何だと?」 「やめなよ、セト」 一緒に入って来た小柄な少年が、青年を止めて、克也を見返った。 「気分はどう?」 「……あ、ああ。大丈夫……ちょっと頭痛ぇけど……」 「えと、君のことなんて呼べば良いかな?」 「……え? えーっと……あれ?」 克也は、出て来ない自分の名前に、愕然となった。 「あれ? えと……誰だっけ?」 その言葉に、エージとユーギ、セトはそれぞれに互いを見遣って、小さく嘆息したのである。 ☆ ☆ ☆ 「ユーリ? 何やってんの?」 リョーマの声に、ユーリはハッとしたように、顔を向けた。 「ユーリ?」 自分がどんな表情をしていたのか、ユーリには判らない。 でも、リョーマは少し驚いたような表情を見せていた。 ユーリは一度俯いて、大きく息をつき、そうして、顔を上げて、ドアをノックした。 「はい」 ユーギの声が聞こえて、ドアを開ける。 「気がついたようだな?」 「え?」 ユーリの声に、克也が声を上げて、ユーギとユーリを見比べた。 「もしかして、あんたら双子かなんか?」 「そうだよ」 克也の言葉に、ユーギが頷いて、ユーリを見返った。 「どうしたの? ユーリ」 「え? 何が?」 ユーギの不意の問いかけに、ユーリはキョトンと問い返した。 「え? 何がって……何か、顔色良くないよ?」 「……そんなことないさ」 ユーリはそう言って、克也の座っているベッドサイドに立って問い掛けた。 「さっき、入ろうとしたら、聞こえて来たんだが……。自分が誰か判らないって?」 「……あ、ああ」 「そうか。多分、召喚されたときの衝撃か何かが影響して、一時的に記憶が混乱してるんだと思う。だが、このままでは、君をなんて呼べば良いのか困るな」 「……」 ユーリは、少し考える素振りを見せて、それから、口を開いた。 「ジョーイ=カーツ」 「……え?」 「って言うのはどうだろう?」 ユーリの言葉に、克也は暫し茫然となっていた。 自分の名前が思い出せないこの状況の中で。 響いた、名前の音。 どこかで聞いたような。 馴染みがあるような……。 そんな感覚を、克也は感じていた。 だが、それが何故なのか。 何なのかは。 今の克也には、判らなかったのである。 ☆ ☆ ☆ 克也が、この世界に来てから、三日が過ぎた。 身体そのものに、異常は見られず、記憶は相変わらず戻らず。 だからなのか、克也はそれほどの混乱もなく、この世界に馴染んでしまった。 もっとも、魔法やモンスターの存在には、一々驚いて見せていたが、それは、この世界の人間でも、魔力を持っていない者は近い反応を示す。 普通に、話をする分には、何の支障も感じられなかった。 勿論、自分自身のことに関して、不安がない訳ではない。 時々、遠くを見るような目をして、考え込むことがあるのは、多分、そのことを考えている所為だろう。 「身の振り方を考えないとね」 自分の研究室から、ユーギやリョーマ、エージと楽しそうに昼食を、食べている克也を見ながら、フジが言った。 「そうだな」 静かに、ユーリが答えを返した。 フジはそんなユーリに視線を向けながら、口を開いた。 「……ずっと……彼がこの世界に召喚された時から、思ってたんだけど……」 「何を?」 「……君は彼を知ってるんじゃないか?」 「……何故、そう思う?」 否定も肯定もせずに、ユーリは視線はフジに向けず……声だけで問い返した。 「彼の記憶がないと知った時から、君の様子が変だからさ」 「……変?」 フジの言葉に、初めてユーリは視線をフジに向けた。 「そう。変だよ。あえて、彼に近寄らないようにしてないか?」 「気のせいだ」 「そう言いきれるのかい?」 「ああ」 「……ちゃんと、昼食も食べなきゃダメだよ」 「判ってる」 そう言って、ユーリは踵を返した。 「……そう言えば、何しに来たの?」 「あんたがまとめろって言った資料をまとめて持って来てやったんだ。あり難く思え」 「君、僕が先生だったことは、忘れてるだろう?」 それには、答えずユーリはドアのノブに手をかけた。 「……ジョーイのことは、フジに任せる」 「ああ、了解したよ」 その言葉を聞いて、ユーリはドアを開けて部屋を出た。 似てるけど。 違う。 彼は、きっと違う。 違うから……。 彼が、忘れる訳ない。 彼は違う。 彼は……カツヤじゃない。 彼は、『城之内克也』ではないんだ。 ☆ ☆ ☆ 「うわあ、ジョーイって手先器用だよね?」 エージが持って来ていたリンゴを綺麗に、皮を向いて、八つ切りにして、空いた皿の上に載せる克也に、エージが感嘆の声を上げる。 「みてえだな。何かこう言うことは、身体が覚えてんのかも」 笑いながら言う克也に、ユーギやリョーマもリンゴを頬張りながら、問い掛けた。 「何も思い出さないの?」 「……忘れちゃいけないような大切なことも忘れてんだよね?」 ユーギの言葉に、苦笑を浮かべて頷き、リョーマの言葉には訝しげな視線を向けた。 「しょうがねえだろう。不可抗力なんだから。忘れたくて忘れた訳じゃねえ」 「……ふーん。でも、あんたのことを大切に思ってて、やっと会えたのに、あんたは肝心なこと何一つ覚えてないんじゃ、やっぱ落ち込みたくもなるよね?」 「何の話だよ?」 「別に……。今のあんたには、関係ない」 リョーマはそう言って、もう二切れリンゴを取ると立ち上がった。 「ユーリ!」 渡り廊下に出て来たユーリに向かって駆け出して行き、そのリンゴを手渡している。 「あーあ。おチビってば、やっぱユーリが好きなのかな〜」 「あれ? でも、リョーマにお土産貰ったでしょ?」 落ち込んだように言うエージにユーギがキョトンとしたように問い掛けた。 「あ、うん! これこれ!」 首にかけた、銀色のアミュレットを見せながら、エージが嬉しそうに言う。 「オレもユーリはすっごく好きなんだけどさ〜」 「……ユーリは、今、ちょっと落ち込んでるみたいだから……それで、リョーマが気遣ってくれてるんだよ」 「リョーマが他人を気遣うってこと自体、凄くない?」 「……そうだね」 ユーギの言葉に、リョーマとユーリの方をボーッと見ていた克也が、不意に口を開いた。 「……落ち込んでんの? アイツ……」 「え? ああ、うん。何だか元気ないんだ」 「……ふーん」 「どうしたの?」 克也は、真っ直ぐにユーリを見つめて、小さく声を漏らした。 「オレ、アイツ苦手」 「え?」 「……いつも、表情変わんねえじゃん。何考えてんのか、判んねえ。何か嫌な感じ……好きくねえや」 「そんなことないよ。そりゃ、ユーリはポーカーフェイス旨いし、自分の本当の気持ちとか、全部自分の中に閉じ込めちゃうとこあるけど」 「そうなのか?」 ユーギの言葉に、克也は驚いたような表情を見せた。 「ふーん。でも、アイツと話したのって、最初に会ったあの時だけだモンな」 ろくに話したことはない。 そんな相手を嫌うことは、先ずない。 相手のことを知らないのに、『嫌い』という感情が働くことは、滅多にないのだ。 ただ、生理的に好きじゃないというのは、良くあることで。 同じように初めて会った時から、一度も話してないセトのことも、気に入ってはいない。 まあ、それは、第一印象が最悪だったことも関与しているので、自分なり気に入らない理由は理解出来る。 だが、ユーリはそうじゃない。 初めて会った時も取っ付き難そうだと思いはしたものの、それほどの悪印象ではなかった。 でも、三日を過ごして、たまに廊下ですれ違ったりしても、話し掛けて来たりはしないし、そのくせ、少し離れた場所で、自分を見つめていることがあるのを知っている。 だから、ムカツク。 だから、苛つく。 言いたいことがあるなら、何で言って来ない。 何も口しないで、自分を遠目に見つめて、あんな表情をされては、堪らない。 だから、ムカツクし、苛つくのだ。 「ジョーイ」 心臓が激しく反応した。 きっとその相手のことを、考えていたせいだと思った。 「何だよ?」 「魔力を持たない人間を、ここに残す訳には行かない。だから、近い内に君の身の振り方をフジが決める」 「え?」 「もっとも……君を元の世界に戻す方法が見つかれば、責任を持って送り返す。だから、君の所在はこちらに判るように手配する予定だ」 「………あ、そう」 何で、こんな事務的な話し方をするんだ? ますます、イライラが募る。 もう少し……もっと違った……話し方をしてくれれば良いのに……。 「それじゃ、オレは仕事が残ってるから」 そう言って、ユーリはその場から離れようとした。 「なあ……」 そんなユーリに、克也は無意識に声をかけていた。 「何だ?」 「何で、お前……そんなに……」 「……?」 真っ直ぐに自分を見つめて来る瞳。 赤紫の意志の強そうな……でも、どこか儚さと切なさを湛えたその瞳に……。 結局、克也は何も言えなかった。 「ユーリって……ジョーイに対しては、態度硬いよね? 何でだろう?」 さりげなく呟くように言ったエージの疑問は……。 そのまま、克也の疑問でもあった……。 ☆ ☆ ☆ 「ユーリ」 「……何だ? リョーマ」 「言っちゃえば良いのに……」 リョーマの言葉に、ユーリは目を丸くして、次に苦笑を浮かべて首を横に振った。 「ダメだ」 「何で?」 「……彼は、記憶をなくしている。だから、彼がオレの知ってる彼とは断定出来ない。似てはいるけどな」 「……」 「下手な記憶を植え付けたくはないし、それで悩ませたくもない。今の彼は、この世界に馴染むことと、自分の素性だけで手一杯の筈だから」 ユーリは、そう言って魔術書を開きながら、机の前にある応接セットのソファに腰掛けているリョーマに向かって、今度は、微笑みを向けた。 「だから、リョーマも……彼を刺激しないでくれ」 頼まれたら……嫌とは言えない。 だから、リョーマは頷いた。 リョーマが、このことを知ったのは、偶然と呼べるものだった。 たまたま、ユーリの部屋を訪れた時、仮眠していたユーリが漏らした言葉。 【……カツヤ】 それは誰のことかと。 ユーリが目覚めてから問い掛けたのである。 ユーリは苦笑しながら、誰にも話したことないんだがな。と言って、事の次第を話した。 ここで誤魔化しても、きっと聞きたいと思ったことは、しつこく聞いて来るだろうから。 誰にも言うなという、ユーリの頼み通り……リョーマは誰にもこの話をしていなかった。 でも、何だか悔しくてしょうがない。 リョーマは、ユーリが克也を召喚したとき、ただ茫然としていたのが、人間の少年を召喚したからだけじゃないことも、判っていた。 ただ、その時は「もしかしたら」という程度にしか判らないことではあったが……。 確信に変わったのは、救護室の前で、少し青ざめていたのを見た時だった。 理由は明白。 直ぐに彼の記憶がないからだと判った。 だから、確信した。 でも、自分に出来ることは何もないのだと思うと。 更に、悔しさが込み上げて来るのだった。 |