Prince of DARK
魂の契約-こころのちぎり-〜Act.2 Live with 〜

 寝返りを打ったとき。
 何だか柔らかな手触りに、疑問を持った。
 最初は、エージがベッドにもぐりこんで来たのかと思ったのだが……。
 どう考えても、これは猫の毛並みの手触りではない。
 寝惚けたまま、城之内は、
「エージ……油断して、元の姿に戻るなよ……」
『何言ってんだか?』
 聞こえて来たのは、猫の声。
 だが、その意味内容は城之内には理解が出来る。
「……何言ってるじゃなくて……バレたらどうすんだよ?」
『……あのなあ、カッちゃん。よく見てみろって! その目を開けてちゃんと見ろよ』
「……んー」
 聞こえる声に、城之内は渋々と目を開けた。
 件の白猫は自分の肩の上にいた。
 そして、自分の手が触れているのは……。


「…………遊裏ーーーー?!」

 思わず叫んでしまった。

 スヤスヤと人のベッドに入り込んで眠っている、この家の宿主の一人である弟に、城之内はハッキリと目が覚めてしまった。
 ――遊裏とクラスメートで、武藤家に住むことになった城之内は、双子の下の名前で呼ぶことになったのである。

 物凄い勢いでドアが開いた。
 もうノックすることさえ忘れていたらしい、兄の登場に、城之内はさらに目を丸くした。
「あちゃー……やっちゃったか」
「やっちゃったって、オレは何もしてねえぞ!?」
「は? ……君、遊裏に何かするつもりなの?」
 不審そうに視線を向けて来る兄の遊戯に、城之内は内心、やぶ蛇だったと思いつつ、表面上は首を横に振って見せた。

「……まあ、冗談はともかく……。遊裏は夜中に起きたら、いつも部屋を間違えちゃうんだよ。まさか、早速、城之内くんの部屋に行くとは思わなかったけど……」
 肩を竦めつつ、ベッドに近付き、眠りこけている遊裏の肩を揺すろうとする。
 今の城之内の叫びにも起きていない眠りの深さに、感心さえしてしまう。
「遊裏……」
「……ああ、待った」
「何?」
「まだ、時間あるんじゃねえ? もう少し寝かせといたら?」
 時計に目を向けると、6時を過ぎたばかりだ。
「それもそうか。でも……ごめんね。ビックリしたでしょ?」
「……ああ、まあな」
 苦笑しながら、城之内は遊裏を起こさないようにベッドを下りて、大きく伸びをした。
「……そういや、朝は和食? 洋食?」
「簡単に出来るってことで、パンと牛乳だけ……。特に、遊裏は、寝起き悪いから……あんまりご飯食べられないんだよ」
「……へえ」
 呟きながら、それまで着ていたTシャツを脱ぎ捨てて、新しいシャツを被りながら、
「あーじゃあ、昼はどうすんだ? 学食で食うのか?」
「……そうだね」
 部屋を出て行きながら、遊戯が答えた。
 その後に続きながら、何事か考えるように階下に下りて、真っ直ぐキッチンに向かった。

 下宿と言う形で、一つ屋根の下で暮らすため、幾つかのルールを取り決めた。
 特に門限は決めないが、万が一帰りが7時を過ぎる場合は、必ず連絡すること。
 バイトなどの日程を、ボードに書き出すこと。
 出来るだけ夕食は一緒に摂ること。
 などなど。
 食事の用意は手が空いているものがすることにした。
 だから、城之内が勝手にキッチンに入ろうと冷蔵庫を開けようと、咎められることはない。
「城之内くん?」
「ああ、弁当作ろうと思って。3人分別に作った方が良いか? それとも……全部まとめて持って行くか?」
「別々の方が良いかも。ボクはクラス違うから、一緒できるか判らないし」
「あーそっか。そうだな……」
 呟きつつ、城之内は食材を取り出しながら、ハッと思い付いたように問い掛けた。
「弁当箱あるか?」
「……あ……うん」
 遊戯は水屋の方に行き、上の方に手を伸ばそうとして、直ぐに諦めた。
 すぐ傍にあった脚立を広げて、その上に乗って最上段の棚に手を伸ばす。
「……えーっと、あ、あった……っ!!?」
 目当ての弁当箱を探し当てて、取り出した瞬間、遊戯はバランスを崩した。
「遊戯?」
 すぐ傍にいた城之内は、慌てて遊戯を支えようと腕を伸ばすが、間に合わずに遊戯は脚立から後ろ向けに倒れ落ちかけた。



「あれ?」
 何度か目を瞬かせて、遊裏は起き上がって、周りを見回した。
「オレの部屋じゃない……」
 でも、遊戯の部屋でもないことに気付き、サーッと青ざめる。
「また、やっちまったのか? しかも……城之内くんの部屋に?」
 冷や汗を流しつつ、隣には城之内の姿がない。
 ふと、視線を感じて、転じれば……真っ白な猫が自分をジーっと見つめていた。
「……やっぱり……昨日、教室覗いてた猫だよな」
「……」
 ベッドから下りて、そっと猫に近付くと、猫はふいっとそっぽを向いて、本棚の上に上がってしまった。
「……城之内くん以外には懐かないか」
 小さく呟きつつ苦笑を浮かべ、ハッと我に返って慌てて部屋を出た。
 と、階下で何かが倒れる音が聞こえて来て、遊裏は驚きとともに駆け出していた。

「遊兄貴!?」
 リビングからキッチンに向かって、遊戯に声をかけながら、飛び込んで足を止める。
 倒れた脚立と、座り込んだ状態で遊戯を抱きとめている城之内に……。




 胸が痛んだ





「……じょ、城之内くん!? ごめん……大丈夫?」
「ああ、平気……。気をつけろよな……遊戯」
 慌てて起き上がり、自分が下敷きにしてしまった城之内に謝ると、その背後に立っていた遊裏に気が付いた。

「おはよう、遊裏。今日は早いね」
「……おう! 遊裏、おはよう!」
「……はよ」
 小さく挨拶を返して、遊裏は踵を返した。
「……遊裏?」
「どうしたんだ? あいつ……」
 遊戯と城之内は、二人して顔を見合わせて首を傾げた。



 洗面所に足を踏み入れて、思い切り勢いよく水を出した。
 冷たい水を掬って、何度か顔を洗う。
 胸の奥が支えたような気がして、苦しくて、大きく息をついた。

「一体……どうしたってんだ?」
 ズキンと。
 右の甲に痛みが走った。
 昨日から感じていた疼きとは違う、その痛みに右手を上げて、軽く目を瞠る。
 薄く……手の甲に浮き出て居るのは……?
「何だ、これ?」
 擦っても消えないそれに首を傾げつつ、遊裏は濡れたままの顔をタオルで拭いた。


 そのまま、自室に向かって制服に着替え、学校の準備を整えて、遊裏は再び階下に向かった。
「遊裏? どうしたの? まだ早いよ?」
「……早めに行くことが……悪いことか? 遅刻するよりマシだろう?」
 遊戯の声に、不機嫌な口調で答えてしまって、遊裏は自分で戸惑ってしまった。
「……それは……そうだけど。でも、朝ごはんは?」
「要らない。いつも食べないだろう?」
「でも、牛乳かココアを……」
「要らないって言ってるだろう!!」
「……遊裏?」
 怒鳴ってしまって、遊裏は、目を瞠りながら自分を見つめる遊戯に、居た堪れなくなり、そのまま逃げ出すようにドアを開けて、外に飛び出した。

 暫く走り続けて、ゆっくりゆっくり足が止まる。

「何、やってるんだ……オレ……?」

 小さくぼやくように呟いて、戻るに戻れない自宅の方向を振り返り……溜息をついて、学校に向かって歩き出したのである。



☆   ☆   ☆

「……遊裏!!?」
「……あちゃー……あれかな?」
「え?」
「ヤキモチ」
「や、ヤキモチ? 何で?」
 城之内の言葉に、遊戯が目を見開いて、素っ頓狂な声を上げた。
「ほら、大事な兄貴が昨日知り合ったばかりの奴と、二人で仲良くしてるから、面白くなかったんじゃないか?」
「そ、そんなの! 面白くないのは、ボクの……」
 言いかけて、遊戯はハッとして、言葉を止めた。
「ごめん……」
「何、謝ってんだよ?」
「……だって、昨日の夜も、遊裏と城之内くん、クラスの話で盛り上がってたから……。ボクは、やっぱりクラス違うし、だから担任とか教科の先生も違ってるし……」
「でも、選択は同じ授業取るんだろう? オレは、遊裏と違う授業になると思うし……」
「え? そうなの?」
「オレは、音楽……遊裏は美術にするって言ってたぞ?」
「ああ、うん。ボクも美術……。そっか。選択授業は遊裏と同じクラスになれるんだ」
「嬉しそうだなー」
「だって、初めてなんだよ。同じクラスになるの!」
 そう言って、遊戯はキッチンに戻るために踵を返し、城之内の前を通り過ぎた。
「……でもな。オレは遊裏を貰いに来たんだよ……」
 遊裏を心底から大事に思っている遊戯に向かって、城之内は小さく呟いていた。
「え? 何か言った?」
 振り向いた遊戯に、城之内は人の良い笑みを浮かべて首を横に振った。
「別に、何も言ってねえぜ」
「そう?」
 首を傾げながら、遊戯はそのままキッチンに入って行った。


『……カッちゃん』
「……言うなよ。エージ」
『……オレは、今でも反対なんだかんね』
「しょうがないだろう。最初からオレは……そう言う契約をしたんだから」
『カッちゃん』
 呆れたような困ったような声で、白猫は城之内を呼んだ。
 薄く笑みを浮かべる城之内に、エージは何とも言えない気持ちのまま、城之内の後について、キッチンに入って行った。



  ☆   ☆   ☆



 入学してから二週間が過ぎ、中庭にあった桜の花は既に全て散ってしまっていた。
 遊裏はその前に立って葉桜となった桜を見上げて、ここで出会ったクラスメートのことを思い出していた。

「遊裏!!」
「城之内くん?」
「捜したぜ! 何やってんだよ、こんなとこで」
「……桜見てた」
「あーもうすっかり葉桜だな」
「……」
 城之内の答えに、怪訝な目を向けて、遊裏は首を傾げた。
 そんな遊裏に城之内は、キョトンと目線で問い掛ける。
「……あ、うん。葉っぱになった桜なんか見て、何が楽しいんだ? って殆どの人に聞かれたから……」
 ちょっと違う反応にビックリした、と遊裏は続けて笑った。

「そう言えば……何か用だったのか?」
「……いや、姿が見えないから捜してただけ」
「……? 何で?」
「さあ? 何でだろうな?」
 目を細めて、優しく微笑んで来る城之内に、遊裏は何故か赤面して、視線を逸らした。
「遊兄貴と……」
「遊戯?」
「……仲良いよな」
「お前とも仲良いだろう? オレも、遊戯も」
「そう、だけど……」
「あー……あの日から気になってたんだけどよ」
「うん?」
「……朝、お前が怒って先に行った日……」
「別に、怒ってなんかない……」
 ムキになって否定する遊裏に、城之内は、「まあまあ」と手を上げてそれを制した。
 確かに、その日の放課後には遊裏は、朝のことはなかったように、いつもと同じだった。
 だから、遊戯は寝起きで機嫌が悪かったんだと、笑っていた。
 だが、城之内は――
 ただ、寝起きで機嫌が悪かった、だけではないことに気付いていた……。

「……オレは、二人の邪魔をしたか?」
「え?」
「遊戯に当たってただろう? だから、オレが二人の邪魔をしちまったかなって思ってさ。今まで、祖父さんがいたとは言え、殆ど二人きりだったんだろう? だから、二人の間に割り込んじまったかなって……」
 その言葉に、遊裏は思い切り目を瞠った。
 申し訳なさそうに言う城之内に、胸が痛くなってしまう。
 同時に、右手の甲が少し疼いた。


「……そんなこと……ない」
「……でもよ……」
「本当にそんなんじゃない。遊兄貴とも仲良くなって……良かったと思ってるんだ。だって、オレとだけ仲良かったら、遊兄貴は面白くないだろう? だから……」
「兄貴思いだな……昔から……」
 苦笑とともに、城之内が言った言葉に……。
 遊裏は、ふと……何かが頭の中に閃くのを感じた。

 だけど、それが何なのか、判らない。

「そろそろ、戻ろうぜ。次、確か英語だし……サボったら丸々1ページ暗唱しなきゃいけねえ」
 笑いながら言う城之内に、遊裏は、苦笑を浮かべて、
「城之内くんは、英語得意じゃないか」
「憶えるとなるとまた別だろうが。現国の1ページ丸まる暗記して暗唱しろって出来るか?」
「……難しいな」
「だろう? 読めて意味が判っても、それはまた別だ」

 確かにそうだと、頷きながら、遊裏と城之内は急いで教室へと向かった。
 その間に……。
 感じた閃きのようなものを、すっかり忘れ去っていた。





    ☆   ☆   ☆

「……こんなことだろうと思った……」
 葉桜の陰に隠れるように……。
 長身の青年が枝に立った姿勢で地上を見下ろしていた。
 その視線は、校舎に向かって走る城之内と遊裏に向かって注がれている。
「エージ」
「……本当に来ちゃった訳? セトってば」
 現れたのは、銀色の髪で、真ん中分けの前髪に、横の髪が外に跳ねている少年だった。
 黒いローブを身に纏い、空中に浮かんでいるその姿は……。
 今は誰にも見られることはない。

 セトと呼ばれた青年の張った結界の中で、エージは不満そうに空中であぐらをかいていた。

「いっかな埒があかんようだからな。どう言うつもりなんだ、あの莫迦皇子はっ!?」
「……旨く行かなかったら……消えるつもりなんだよ……カッちゃんは……」
「……何?」
「だって……カッちゃん……殿下は……『奪魂自滅』の契約してるんだもん」
「何だと?」
「だから……! あの遊裏って子の魂を奪えなかったら自分が消えるって契約にしてるんだよ!!」
「……莫迦な……っ!!」
 考えられない城之内……皇子の行動に、セトは眩暈を憶えた。


 あの時の――
 別れ際の笑顔……。
 あれは、もう会えないかも知れないと言うことを感じていた笑みだったのか。
 いつもは、あんな笑顔を自分に向けて来ることなどなかった……。
 だから……

 だから追って来たのだ。


「それは……確か契約者に真実を告げて、その人間の命を奪うことで破棄出来たな……」
「セト?」
「……遊裏に真実を告げて、殺す……。それしか方法はあるまい……」
 そう。
 それしか方法がない。
 でも、エージには出来ないことだった。
 城之内が……皇子が遊裏のことをとても大事にしていることを知っているから……。

 だが……自分にセトを止めることが出来ないことも知っていた。
 セトが意を決して姿を消し、自分の姿が白猫に戻る。

 地面に着地して、このことを皇子に伝えるために、エージは校舎に向かって駆け出していた。


<続く>