1.風の守り


「たっだいまー」

 家に戻ると、英二はそう言って声をかけていた。
 だが、靴がないことに気付いて首を傾げる。

「まだ、帰ってないのか」

 珍しいこともあるもんだと。
 靴を脱ぎ捨てて家の中へと入り、自分の部屋に向かう。

 服を着替えて、財布を片手に部屋を出る。
 今日の夕飯のおかずを考えながら、玄関にあるホワイトボードに「買い物に行って来るね」と書き込んで、近所のスーパーに向かった。





 友達とも遊びに行きたいけど。

 それ以上に、リョーマとの信頼関係をもっと、確かなものにしたかった。
 今だってリョーマは完全に自分を信じては居ないと思う。





 まだ、リョーマの【能力】を知らないのだから……。



「教えてくれないのは……信用出来ない証拠だよな」




 寂しく呟きながら、リョーマが完全に自分に心を開いてくれるまでは、リョーマのことだけを最優先に考えようと思っていた。







 買い物を済ませて、自転車置き場に向かうと。

 その前に、少しだけ柄の悪い少年が三人ほど、座り込んで話をしていた。
 タバコと、コーヒーの缶。
 空いた缶に、タバコの灰を落としながら、馬鹿笑いをしている。


 英二は、大して気にもせずに、そちらへと足を向け、自分の自転車を取り出そうとした。


「っ痛」

 不意に、その内の一人が声を漏らした。
 英二は、何気に振り返って、瞬間、胸倉を掴まれて、引っ張られて、投げ飛ばされた。


「……痛っ!」
「何しやがんだ? てめえ!」
 強かに打ち付けた肩に、手を当て、英二は訳が判らないまま、何とか起き上がって、相手を仰ぎ見た。
「何、すんだよ?」
「人にぶつかって、その態度か?」
「ぶつかった? そんなの知らないけど」
「てめえの、荷物が当たったんだよ!」

 そう言って、相手が蹴り飛ばそうと足を上げたのが判った。
 足がぶつかる瞬間。
 英二はそれを紙一重で避けつつ、惚けたように口を開く。

「人が通るだろう公共の場所で、座り込んでたりするからじゃない?」
「な? 何だと?」
「ちょっと当たっただけだろう? それで人を突き飛ばす理由にはならないよ」
「……この野郎……痛い目みねえと判んねえみてえだな」
「もう痛い目見てるんだけど」

 ああ言えばこう言う英二に、一人が切れたように蹴りを放とうとした。
 それを、きっちり見極めて、英二は自分の足で受け止め、蹴り返し反動で起き上がるつもりだった。




 だが、一陣の風が吹き抜けた。





 そう思った瞬間。
 相手が弾き飛ばされてしまったのである。


「うぇ?」
「……あんたら、その人に何する気?」
 聞きなれた声に、英二は慌てたように振り返った。

 着替えもしてないリョーマがそこに居て、不良たちを睨み付けている。

「何だ、このガキ!?」
「てめえ、何かしやがったのか!?」
「俺が? 何したって?」
「……!」


 リョーマの言葉に残り二人がハッとしたように、吹き飛ばされた仲間に視線を向けた。





 そうだ。
 リョーマは、自分たちよりも5mは離れた場所にいる。
 何も。
 何も出来る訳がないのだ。





 愕然となる不良たちを尻目にリョーマは、一歩ずつ近付いて、英二に向かって手を差し出した。

「大丈夫? エージ」
「あ、うん。平気……」
 その手を掴んで、立ち上がる。
 と、服についてる埃を、リョーマが叩いて落としてくれた。
「ありがと、おチビちゃん」
「? 何で?」
「ほら、汚れたの払ってくれたから……」
「当たり前じゃん」
 そう言って、リョーマは軽く笑って見せた。

「てめえら……」
 自分たちを無視して、二人の世界に突入している英二の肩を掴もうとした瞬間。

 また、風が吹いた。
 今度は、吹き飛ばされることはなかったものの、英二の肩に手を伸ばした少年の頬を薄く切って行ったのである。

「なっ!?」
「……おチビ?」
「エージに触るな」
 リョーマはそう言って、英二の自転車を引き出した。
 それに気付いて、英二は慌てたように自転車のハンドルを抑えた。
 後ろに乗るように言って、リョーマは機嫌よく荷台に座る。

「怪我したくないなら、何もしないことだよ」
 荷台に腰掛けたままリョーマが言い、不良たちは動揺したように駆け出して行った。



「おチビ」
「何?」
「……今の風、お前が?」
「……何でそう思うの?」
「前に言ったじゃない。風の加護がついてるって」
「……怖いの?」
「……怖いよ」
 英二の言葉に、リョーマが荷台から飛び下りた。


「エージもそうなんだ」
「違う! そうじゃなくて……」
「何が違うの? エージも俺の能力が怖いんでしょ?」
「……能力は怖いよ。でも、リョーマは怖くない」
「!」
「だって、リョーマは俺にそれを使わないだろう?」
「……」
「だから、リョーマは怖くない。でも……リョーマがそれを、誰かを傷付けるために使うのは、怖いよ」

「エージって……変わってる」
「え?」
「……いつも俺が想像してない言葉をくれる」
「リョーマ?」
「……大丈夫。無闇に使ったりしない。自分とエージを守るためだけに使う。それでもダメ?」
「手加減してな?」
「殺したりしないよ。大丈夫」

 リョーマの物騒な言葉に英二は、引きつるような笑みを漏らした。
「――でも、ああ言う奴らは俺でもやっつけられるから……大丈夫だよ?」
「そうなの?」
「俺、こう見えても喧嘩強いんだぞ?」

 ふざけたように言って、自転車を漕ぎ出す。
 リョーマが自分のおなかにしがみ付いて背中に頬を寄せたのが判った。
「おチビ?」
「エージは……暖かいね」
「リョーマも暖かいよ」



 静かなやり取り。
 自転車の車輪の音だけが聞こえる中で。
 二人は黙ったまま、互いの体温を感じつつ、家に向かっていた。








    ☆  ☆  ☆


 リョーマが風を自在に操ることは判ったけど。
 だけど、それをリョーマがやったとは早々判らないと思うのだが。




 夕食の後。
 リビングで寛いでいるリョーマに問い掛けて見ると、リョーマは首を横に振った。

「昔はもっとコントロールが出来なかったから。感情の動きで周りのものを壊したこともある」
「え?」
「それこそ、無差別に……人を傷付けて物を壊した……。だから、怖がられても仕方ないと思ってる。そんな中でオレだけ怪我も何もしてなかったら、怪しまれるだろ?」
「――でも、今はコントロール出来るんだろう?」
「感情が……動かないようにしてるから」
「あ……」


 そこで初めて気がついた。
 不良たちに攻撃した時も。
 怒りを顕わにして、力任せに風をぶつけた訳じゃない。




 どこまでも冷静に対応していた。



 それを考えて、リョーマは激しく怒ったりすることは滅多にないことに気がついた。




 ――唯一。




 初めて会った時。
 泣きながら怒ったけど。
 あの時は、風は起こらなかったはずだ。

 それを言うと、リョーマは赤面して、そっぽを向いたまま言った。
「あの時は……自分にも腹立ってたし……エージにも怒ってるって言うより……罪悪感感じてたから」
「……へ? 何で?」
「エージは優しかったら。なのに、俺はエージに隠し事してて、騙してるような気がした」
「な、何で?」
 ビックリしたような英二に、リョーマは「さあ?」と素っ気無く答えて、
「だから、八つ当たりみたいなモンだったし。その時点で、感情に任せてって訳じゃなかったから……」
 そう言って、リョーマは深く溜息をついた。

「……昼間の奴らだって、俺が何かしたって判ったから逃げたんだ……。本能で何か感じた……。何をやったか判らないままだけど。判らないからこそ……逃げた」
「……でもさ」
「何?」

「夏とかリョーマの傍にいたら涼しそうだよね?」
「は?」
人間扇風機♪ なーんて……


 思わず口をついて言ってしまったことに、リョーマがポカンとして自分を見つめていた。


(は、外したかな?)

「……くっ…」
「リョーマ?」
「ククク……あはははははっ!!」



 大口をあけて声を上げて笑うリョーマの姿を見たのは、初めてだった。



「リョーマ?」
「あんた、オヤジと同じ感覚……。オヤジも良く夏は俺の傍にいたよ。冷房なくても涼しいなって」
「そうなの?」
「もっとガキの頃は、加減間違って部屋中目茶苦茶になって、さすがにそん時は怒られたけど」

 苦笑を浮かべつつ、どこか懐かしそうに言うリョーマに、英二も笑みを浮かべていた。




「じゃあ、俺も一緒に居よう。夏にくっ付いてても暑くないって良いよね?」
「……そうなのかな?」
「そうだよ」




 何となく。
 そう言い張って英二はもう一度笑って見せた。








 どうしてだろう?
 この子がこうして笑ってくれるととても幸せな気持ちになれるのは……。

 勿論、友達だって大事なんだ。
 だけど、それを引き換えにしてでも、この子を守りたいと思う。








(何でだろう?)
(何で……俺はそこまで……?)

 自分の気持ちに、英二は首を傾げるしか出来なかった。