#4  裏切り


「変だな〜」
「何が?」
「……追っ手の連中、どっかで見たこと有るような気が……」
「え?」

 英二は自分が金網に凭れながら、リョーマを後ろから抱き締めるようにして、座り込んだ。

「いや……ハッキリ憶えてる訳じゃないんだよね〜」


 暗闇の中。
 英二の呟く声が響く。




「ところで、何でこんな時間に学校来たりしたの?」
「え? ああ、電話で呼び出された。エージが呼んでるって……」
「はああ? 俺、別に……」
「でも、エージ……来てくれたじゃない」
「それは、正門の前、通ったら見覚えのある自転車があったからさ」
「え? それだけで来たの?」
「そうだよ。だって、不二に不良たちに絡まれてたって聞いたから心配だったし。……何で教えてくんなかったの?」

 ――不二は休み時間。
 屋上で、リョーマに不良たちが絡んでたと、英二に告げたのである。
 能力を、リョーマが使ったことには、触れずに……。

「……俺のこと疑った?」
「何で?」
「俺の名前で呼び出してるし……それに、俺の知り合いかも知れない。だから……疑われたかなって……」
「……そんなことないよ」
 小さく、心配げに呟く英二に、リョーマは苦笑を浮かべて、答えた。
「……ホント? 不良たちのことだって教えてくれなかったし。俺のこと、信頼出来ないんじゃないかって……思ったんだけど……」
「――ホント。エージの知り合いだったとしてもエージには関係ないでしょ? それに、教えなかったのは……巻き込みたくなかったからだし……」
 その、リョーマの言葉に英二は目を見開いて、次には……優しげな笑みを浮かべて言った。
「……ばか。水臭い……そんなの気にしないで良いのに……。――でも、どこで見かけたんだろう?」
 最後は、自分自身に問い掛けるような気持ちで零した言葉だった。




















「英二って結構記憶力良かったんだ」

 まるで。
 それに答えるような……でも。









 あまりにも場違いな。
 だけど、聞き覚えのある声に。








 英二が愕然と目を見開く。









 屋上の、下方に据え付けられたライトが、一斉に灯された。
 足元からの白い灯りに、一瞬、目が眩む。
 だが……。
 英二は、確実に相手を把握していた。














「ふ、じ?」

 小さく呟かれた、掠れた声。

「エージ?」
 あまりにも力なく、愕然と呟かれた声に。
 リョーマの方が焦ってしまった。

「じゃあ、この人たちは……!」
「そう、僕の家の道場生だよ」
 ――英二の問いかけに、不二は悠然と答えた。
 その手には、愛用の日本刀が携えられている。

「何で……? 
何で不二がこんなことするんだよ!!
 エージの絞り出すような声に、不二は笑って答えた。
「嫌だな。君が頼んだじゃないか」
「……なっ!?」
「え?」
 
 不二の言葉に、英二もリョーマも唖然となって、声を漏らした。
 リョーマが英二を見返る。

「越前リョーマくんが自分に心を開いてくれないから、暴漢に襲われてるところに助けに入ったりとかしたら、もっと親密になれるかな?」

 そう言ったのは、君だよ? 英二。







 まるで、託宣を下す神の声なのか。
 それとも。










 運命の歯車を狂わせる悪魔の声なのか……。










 英二は眩暈を憶えて、ふらついた。


「エージ?」
「……頼んでない……俺は……そんなこと……」









 頭の中が混乱する。
 不二は何を言っている?


 どうして、こんなことをするんだ?
 俺が頼んだって?




 こんなこと。
 リョーマを危険な目に遭わせるようなこと……。












 何で、俺が頼むんだよ?!















「でも、君が怪我をするなんて予定外もいいところだ」
 不二が抑揚なくそう言った。
「越前くん。君が……英二を傷付けたんだね?」

 ぐさりと。
 リョーマの胸に見えない刃が突き刺さる。

 だが、リョーマは――
 歯を食いしばるようにして立ち上がった。









「あんたは……?」
「え?」
「あんたは、エージに何をした?」
「……僕? 別に……何もしてないよ?」

「じゃあ……今、ここで心を傷付けてるのは……誰だ? エージは……誰に傷付けられたんだ!?」
「……っ!」
「あんたに……裏切られたから……。
あんたが、裏切ったからエージは傷付いたんだ!!」
「僕は……
英二を裏切ってなんか居ないよ」
 あくまでも冷静に。
 そう告げる不二に、リョーマは眉根を寄せた。

「リョーマ……」
「え?」

 不意に。
 力なく英二がリョーマを呼んだ。
 振り返ったリョーマを英二が抱き締める。

「俺……頼んでないからね……。そんなこと……」
「……エージ」

 リョーマは優しく。
 いつになく優しい声音で英二を呼び。
 ゆっくりとその背中を撫でた。





「不二先輩」
「……っ!」
「目的を達成したんだから、もう俺達を帰してくれるんでしょう?」
「……君も英二と一緒に帰るの?」
「当然でしょ? エージは俺の家に住んでるんだから」








 さも、当たり前のように言うリョーマに。
 不二は舌打ちを漏らした。


 リョーマの英二に対する、不信感を煽って二人が離反するように仕向けるつもりだったのに。
 これでは、予定外も良いところだ。













 すらりと。
 銀色の刃先が月の光に反射する様が。

 リョーマには、あまりにも、ゆっくりと見えた。

「――君が怪我をしてないのは、変だよね? 殺しはしない。手加減はしてあげるよ」
「……」
 チャキと。
 鍔鳴りがした。
 刃を返したと判り、リョーマは不敵な笑みを浮かべる。


「良いんですか? 峰打ちで? それじゃ俺は倒せないっすよ?」
「大した自身だね」





 そう言った瞬間。
 不二はその場からこちらに向かって迫っていた。


キイン!


 何かにぶつかり、弾かれる音。
 リョーマは自分の眼前で手を交差させて、不二の刃先を受け止めていた。

「何?!」
「俺は……風を掴むことが出来る……」
「……」
「風は俺を守る」


 力は圧倒的に不二の方が有った筈にも拘わらず。
 不二は自分が押されていることに気がついた。




「風は全てを薙ぎ払う!」

 言葉と共にリョーマから突風が吹きぬけた。



「うわっ!」

 突風に煽られ、弾かれた不二は、倒れこみはしなかったものの、バランスを崩してたたらを踏んだ。
「……この……っ!」

 下方に刀を構えて、下から掬い上げるように、リョーマに向かって斬りかかる。








 だが。


 次の瞬間には、その刃先が半分に折られて、屋上の地面に赤い血が滴った。

















「英……二?」
「茶番は終わりだ。不二」
「エージ! 怪我……血が出てる」



 リョーマの前に立ち、下方から掬い上げられる刀身の面を、つま先で蹴り上げ、軌道を変えて、その刀身を拳で叩き折ったのは英二だった。

「君が……本気を出すとはね」
「ずっと……言ってた筈だ。俺は、リョーマを守るって」
「……」
「お前の得物は剣。俺の得物は拳と蹴り。剣のない今、お前に勝ち目はない」
「確かに……そうだね。それに、僕は君とやりあうつもりはないし……」



 からんと。
 日本刀がその手から落ちた。













「エージ!」
 いつの間にかフェンスの上に登っていたリョーマが英二に向かって声をかける。
「リョーマ? 何やってんの!?」
「……エージが決めて。俺と行くか、ここに残るか……」
「え……?」
「……俺は、俺だって……エージを守るよ。
もう、二度と傷付けさせたりしない」
「リョーマ……俺のこと、信じてくれるの?」
「決めたから」
「……」
「俺が、自分で、エージを信じるって決めたから……」
「リョーマ……」

「だから、信じるよ」

 次の瞬間には、英二はフェンスを登っていた。

「英二!」
「不二先輩」
「……っ!」
「俺の勝ちだね?」

 リョーマは不敵に笑って、英二に抱きついた。
 それに答えるように。
 英二もリョーマを抱きしめ返した。








「一緒に行こう」

 リョーマの言葉に英二が頷いた瞬間。





 二人はフェンスの向こう側に向かって――












 ゆっくりと傾いだ。





「英二! 越前!!」




 さすがに。
 いつも、冷静さを失わない不二も、焦ったようにフェンスに駆け寄っていた。


























「英二!! 越前!!」

 下方に向かって呼びかけた瞬間。











 吹き上げたのは、風――













 まるで、上昇気流のような……。
 下方から上方に向かって吹き上げる……。
 鳥が、更なる高みを目指すために利用する気流を、まさに鳥のように使って、リョーマが浮かび上がった。












 その背に……







 蒼き翼を宿して……。







「リョーマ?」
「まだ、隠しててごめん」
「ビックリした……。でも、凄い……綺麗だ」
 英二の言葉に、リョーマは柔らかに微笑んだ。
「じゃあね、不二先輩」

 ゆっくりと地上に向けて降下して行く。








 舞い散る蒼い羽根は、幸福の鳥と呼ばれる青い鳥のようで……。









 不二は呆気に取られつつ、次には笑い出していた。




「――負けたよ。越前くん……」




 

 その手に蒼い羽根を持ったまま――
 不二は心底から呟いていた。